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「エルナ、お前のような執念深い女は、婚約者候補の中でも一番あり得ない。二度と私の前に現れるな」
豪華絢爛な王宮の回廊に、冷ややかな声が響いた。 声の主は、アステリア王国の第一王子、シオン・ド・アステリア。氷の彫刻のように整った容姿に、冷徹な瞳。エルナが物心ついた時から恋い焦がれ、その背中を追い続けてきた婚約者候補筆頭である。
(……あ、これ。デジャヴだわ)
その瞬間、エルナの脳内に鮮烈な「前世の記憶」が奔流となって流れ込んできた。 ここは乙女ゲーム『クリスタル・ローズ』の世界。自分はヒロインをいじめた末に、国外追放か処刑を言い渡される悪役令嬢エルナ。そして今、まさに「悪役令嬢が王子に嫌われ、闇落ちする起点」となるイベントの真っ最中なのだ。
(……なんだ、そうだったのね)
今まで、彼の気を引くために着飾った派手なドレス。彼に近づく令嬢を睨みつけた努力。すべては「破滅」への特急券だったわけだ。 すとん、と胸のつかえが取れた。恋心という名の重りが、音を立てて消え去った。
「承知いたしました、シオン殿下」
エルナは深く、優雅にカーテシーをした。これまでの彼女なら、ここで泣き叫ぶか、縋り付いていたはずだ。 シオンがわずかに眉をひそめる。
「……何?」 「殿下のご意向、しかと受け止めました。私は殿下に相応しくない『一番あり得ない女』。その言葉、忘れませんわ。では、失礼いたします」
エルナは顔を上げると、一度も振り返ることなくその場を立ち去った。 向かう先は自宅ではない。王宮の事務局だ。彼女は迷うことなく、懐から「婚約者候補辞退届」を取り出した。実はこれ、父から「もしもの時のために」と渡されていた、本人の署名だけで有効になる書類である。
「これを。公爵令嬢エルナ・フォン・ラインハルト、正式に辞退いたします」 「えっ、ええ!? エルナ様、正気ですか!?」
驚愕する役人を尻目に、エルナは清々しい気分で王宮を後にした。 さあ、死ぬ気で逃げる準備を始めましょう。処刑エンドなんて、冗談じゃないわ!
「辞退届」を提出してから一週間。 エルナは領地から秘密裏に資金を動かし、逃走用の偽装身分と隣国へのルートを確保していた。 ドレスはすべて売り払い、動きやすい旅装を揃える。派手なメイクもやめ、素顔に近い状態で過ごしていると、鏡に映る自分が驚くほど幼く、そして自由に見えた。
そんな折、公爵邸に「招かれざる客」が訪れる。
「エルナ、いるのだろう。顔を出せ」
応接間に現れたのは、あの大嫌いな王子、シオンだった。 エルナは心底面倒くさそうに、溜息を一つついてから部屋に入った。
「……殿下。辞退届は受理されたはずですが。何か不手際でも?」 「不手際だと? お前こそ、何のつもりだ。あんな紙切れ一枚で、私の関心を引けると思ったのか?」
シオンの瞳には、苛立ちと……そして、見たこともない「戸惑い」が混じっていた。 彼は、エルナがすぐに泣きついて謝罪してくると思っていたのだ。しかし、目の前の少女は彼を見ようともせず、手元の紅茶の温度ばかり気にしている。
「関心を引く? 滅相もございません。私は殿下にとって『一番あり得ない女』なのでしょう? でしたら、視界に入らないのが一番の忠義かと」 「それは……。だが、お前には公爵家の責任というものがあるだろう」 「父も了承済みです。私はもう、自由の身ですので。殿下も、お好きなヒロイン……いえ、令嬢と仲良くなさってくださいませ」
エルナはにっこりと、営業用の完璧なスマイルを浮かべた。そこには以前のような熱い情熱は1ミリも存在しない。 シオンは言葉に詰まり、エルナの手首を掴もうとした。
「待て、まだ話は終わって――」 「お手を。汚れますわよ、殿下」
エルナが冷ややかにその手をかわすと、シオンの顔が屈辱と驚愕で歪んだ。 追われなくなって初めて、彼は「追う側」の視界に入ってしまったことに、まだ誰も気づいていなかった。
豪華絢爛な王宮の回廊に、冷ややかな声が響いた。 声の主は、アステリア王国の第一王子、シオン・ド・アステリア。氷の彫刻のように整った容姿に、冷徹な瞳。エルナが物心ついた時から恋い焦がれ、その背中を追い続けてきた婚約者候補筆頭である。
(……あ、これ。デジャヴだわ)
その瞬間、エルナの脳内に鮮烈な「前世の記憶」が奔流となって流れ込んできた。 ここは乙女ゲーム『クリスタル・ローズ』の世界。自分はヒロインをいじめた末に、国外追放か処刑を言い渡される悪役令嬢エルナ。そして今、まさに「悪役令嬢が王子に嫌われ、闇落ちする起点」となるイベントの真っ最中なのだ。
(……なんだ、そうだったのね)
今まで、彼の気を引くために着飾った派手なドレス。彼に近づく令嬢を睨みつけた努力。すべては「破滅」への特急券だったわけだ。 すとん、と胸のつかえが取れた。恋心という名の重りが、音を立てて消え去った。
「承知いたしました、シオン殿下」
エルナは深く、優雅にカーテシーをした。これまでの彼女なら、ここで泣き叫ぶか、縋り付いていたはずだ。 シオンがわずかに眉をひそめる。
「……何?」 「殿下のご意向、しかと受け止めました。私は殿下に相応しくない『一番あり得ない女』。その言葉、忘れませんわ。では、失礼いたします」
エルナは顔を上げると、一度も振り返ることなくその場を立ち去った。 向かう先は自宅ではない。王宮の事務局だ。彼女は迷うことなく、懐から「婚約者候補辞退届」を取り出した。実はこれ、父から「もしもの時のために」と渡されていた、本人の署名だけで有効になる書類である。
「これを。公爵令嬢エルナ・フォン・ラインハルト、正式に辞退いたします」 「えっ、ええ!? エルナ様、正気ですか!?」
驚愕する役人を尻目に、エルナは清々しい気分で王宮を後にした。 さあ、死ぬ気で逃げる準備を始めましょう。処刑エンドなんて、冗談じゃないわ!
「辞退届」を提出してから一週間。 エルナは領地から秘密裏に資金を動かし、逃走用の偽装身分と隣国へのルートを確保していた。 ドレスはすべて売り払い、動きやすい旅装を揃える。派手なメイクもやめ、素顔に近い状態で過ごしていると、鏡に映る自分が驚くほど幼く、そして自由に見えた。
そんな折、公爵邸に「招かれざる客」が訪れる。
「エルナ、いるのだろう。顔を出せ」
応接間に現れたのは、あの大嫌いな王子、シオンだった。 エルナは心底面倒くさそうに、溜息を一つついてから部屋に入った。
「……殿下。辞退届は受理されたはずですが。何か不手際でも?」 「不手際だと? お前こそ、何のつもりだ。あんな紙切れ一枚で、私の関心を引けると思ったのか?」
シオンの瞳には、苛立ちと……そして、見たこともない「戸惑い」が混じっていた。 彼は、エルナがすぐに泣きついて謝罪してくると思っていたのだ。しかし、目の前の少女は彼を見ようともせず、手元の紅茶の温度ばかり気にしている。
「関心を引く? 滅相もございません。私は殿下にとって『一番あり得ない女』なのでしょう? でしたら、視界に入らないのが一番の忠義かと」 「それは……。だが、お前には公爵家の責任というものがあるだろう」 「父も了承済みです。私はもう、自由の身ですので。殿下も、お好きなヒロイン……いえ、令嬢と仲良くなさってくださいませ」
エルナはにっこりと、営業用の完璧なスマイルを浮かべた。そこには以前のような熱い情熱は1ミリも存在しない。 シオンは言葉に詰まり、エルナの手首を掴もうとした。
「待て、まだ話は終わって――」 「お手を。汚れますわよ、殿下」
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