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王都を離れる直前、避けては通れない「王宮夜会」が開催された。 婚約者候補の辞退が受理されたとはいえ、正式な発表までは公の場に出る義務がある。エルナは極力目立たないよう、地味なネズミ色のドレスを選び、香水もつけず、会場の隅で壁の花になろうと決めていた。
(よし、今日を乗り切れば、明日の早朝には国境行きの馬車に乗れるわ)
しかし、運命(と乙女ゲームの強制力)は残酷だった。 会場が突然しんと静まり返る。現れたのは、正装に身を包んだシオン王子。彼は周囲の令嬢たちの挨拶をすべて無視し、真っ直ぐに会場の隅へと歩いてくる。
「見つけたぞ、エルナ」 「……殿下、何のご用でしょうか。私は今、空気と同化する修行中なのですが」
シオンはエルナの皮肉を無視し、強引にその手を取った。
「私と踊れ。これは命令だ」 「お断りします。足を踏んでしまいますわ」 「構わん。お前に踏まれるなら本望だ」
(……は? 今、なんて言ったの、この王子)
無理やりダンスホールの中央へ引きずり出される。周囲からは「あのエルナがまた王子を誘惑した」という蔑みの視線が飛ぶが、実際は逆だ。シオンの腕は、折れそうなほど強くエルナの腰を抱き寄せていた。
「エルナ、最近のお前はおかしい。なぜ私を見ない。なぜ私を避ける」 「嫌いな男を避けるのは、生物として当然の防衛本能です」 「嫌いだと? ……嘘をつけ。お前は私のことが好きなはずだ。あの情熱的な手紙や贈り物はどうした」 「すべてゴミ箱に捨てました。あ、殿下も一緒に捨てたので安心してくださいね」
シオンの瞳に、暗い炎が宿る。 「捨てさせない。お前を、誰にも渡さない……。例えお前自身が望んでもだ」
耳元で囁かれた低く、執着に満ちた声。 エルナの背筋に凍り付くような戦慄が走った。これはもう、「嫌われ」ではない。もっと厄介な「執着」の始まりだった。
夜会から命からがら逃げ出したエルナは、予定を数時間早めて王都を脱出した。 用意していたのは、平民の商人風の馬車。髪を黒く染め、眼鏡をかけ、偽造パスポートを手にする。
「さようなら、クソ王子! さようなら、処刑エンド!」
夜の街道を馬車がひた走る。 国境の検問所まであとわずか。ここを越えれば、隣国の公爵家が運営する寄宿学校に、身分を隠して入学する手はずが整っている。 朝霧が立ち込める中、ついに国境の門が見えてきた。
「止まれ! 馬車を止めろ!」
門兵の声。エルナは心臓の鼓動を抑えながら、偽造の通行証を差し出す。 「ただの薬草商人ですわ」 「……怪しいな。おい、上からの命令だ。黒髪の女は全員、顔を確認しろ」
その時、後方から凄まじい馬蹄の音が響いてきた。 霧を切り裂いて現れたのは、白銀の甲冑に身を包んだ近衛騎士団――そして、その先頭に立つのは、狂気を孕んだ笑みを浮かべるシオン王子だった。
「エルナ! そこにいるのはわかっている!」
シオンは馬を跳ねさせると、エルナの乗る馬車の前に立ちはだかった。 彼は馬から飛び降り、震える手で馬車の扉をこじ開ける。
「見つけた……やっと捕まえたぞ、私の小さな逃亡者」 「……し、シオン殿下。なぜここに。公務はどうしたんですか」 「お前を連れ戻すのが、今の私の最優先事項だ。国を捨ててまで逃げようとするとは、よほど私に愛されたいらしいな?」 「違います! 全力で拒絶してるんです!」
シオンはエルナを馬車から引きずり出すと、逃げられないよう自分のマントで包み込み、そのまま強く抱きしめた。 「もう二度と離さない。お前が逃げるなら、国境を封鎖し、隣国を滅ぼしてでもお前を奪い返す。……わかったな?」
エルナは悟った。 かつて自分を嫌っていた冷酷王子は、今や「奈落の底まで追ってくるストーカー」へと進化してしまったのだということを。
「私の自由な独身生活が……!!」
朝焼けの中、エルナの絶望の叫びが響き渡った。
(よし、今日を乗り切れば、明日の早朝には国境行きの馬車に乗れるわ)
しかし、運命(と乙女ゲームの強制力)は残酷だった。 会場が突然しんと静まり返る。現れたのは、正装に身を包んだシオン王子。彼は周囲の令嬢たちの挨拶をすべて無視し、真っ直ぐに会場の隅へと歩いてくる。
「見つけたぞ、エルナ」 「……殿下、何のご用でしょうか。私は今、空気と同化する修行中なのですが」
シオンはエルナの皮肉を無視し、強引にその手を取った。
「私と踊れ。これは命令だ」 「お断りします。足を踏んでしまいますわ」 「構わん。お前に踏まれるなら本望だ」
(……は? 今、なんて言ったの、この王子)
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シオンの瞳に、暗い炎が宿る。 「捨てさせない。お前を、誰にも渡さない……。例えお前自身が望んでもだ」
耳元で囁かれた低く、執着に満ちた声。 エルナの背筋に凍り付くような戦慄が走った。これはもう、「嫌われ」ではない。もっと厄介な「執着」の始まりだった。
夜会から命からがら逃げ出したエルナは、予定を数時間早めて王都を脱出した。 用意していたのは、平民の商人風の馬車。髪を黒く染め、眼鏡をかけ、偽造パスポートを手にする。
「さようなら、クソ王子! さようなら、処刑エンド!」
夜の街道を馬車がひた走る。 国境の検問所まであとわずか。ここを越えれば、隣国の公爵家が運営する寄宿学校に、身分を隠して入学する手はずが整っている。 朝霧が立ち込める中、ついに国境の門が見えてきた。
「止まれ! 馬車を止めろ!」
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その時、後方から凄まじい馬蹄の音が響いてきた。 霧を切り裂いて現れたのは、白銀の甲冑に身を包んだ近衛騎士団――そして、その先頭に立つのは、狂気を孕んだ笑みを浮かべるシオン王子だった。
「エルナ! そこにいるのはわかっている!」
シオンは馬を跳ねさせると、エルナの乗る馬車の前に立ちはだかった。 彼は馬から飛び降り、震える手で馬車の扉をこじ開ける。
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シオンはエルナを馬車から引きずり出すと、逃げられないよう自分のマントで包み込み、そのまま強く抱きしめた。 「もう二度と離さない。お前が逃げるなら、国境を封鎖し、隣国を滅ぼしてでもお前を奪い返す。……わかったな?」
エルナは悟った。 かつて自分を嫌っていた冷酷王子は、今や「奈落の底まで追ってくるストーカー」へと進化してしまったのだということを。
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