当て馬令嬢は自由を謳歌したい〜冷酷王子への愛をゴミ箱に捨てて隣国へ脱走したら、なぜか奈落の底まで追いかけられそうです〜

平山和人

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光が収まった時、そこにはもう神殿も、観測者もいなかった。 四人が立っていたのは、アステリア王都を一望できる、美しい朝焼けの丘の上だった。


「……終わった、の?」 ユリが周囲を見渡し、ぽつりと呟いた。 彼女の体からも、レオンの瞳からも、エルナの腕の呪いからも、不自然な「魔力の縛り」が消えていた。


「ああ。……世界の意志による強制力は、今、お前によって解体されたようだ」 シオンがエルナの肩を抱き寄せる。その手はもう、震えていなかった。


だが、エルナはすぐに現実に引き戻された。 王都の方から、無数の角笛の音が聞こえてくる。


「殿下、喜んでいる暇はありませんわ。世界のルールは書き換えましたが、私たちが『反逆者』として指名手配されている事実は変わっていませんもの!」


「……ふっ。そうだな。父上も、世界の意志が消えた今、以前よりも執拗に私を追いかけてくるだろう。王位継承者としての私を手放すはずがない」


シオンはエルナの手を引き、丘の下に停めてあった一台の馬車を指差した。 そこには、ラインハルト公爵が密かに手配していた、食料と路銀が山積みにされている。


「エルナ。世界は自由になった。だが、私の執着だけは、世界の修正力よりも強固だ。……どこまで逃げようと、私はお前を離さない。いいな?」


「……。いいでしょう。だったら、追いかけてきなさいな! 次は、海の向こうの『未踏の大陸』まで逃げてみせますわ!」


エルナは高らかに笑い、馬車の御者台に飛び乗った。 隣には、苦笑いしながらも当然のように座るシオン。 後部座席には、「お姉様についていきます!」と張り切るユリと、なぜか「僕も行くよ。君たちを見てるのが一番の娯楽だからね」と居座るレオン。


「さあ、出発よ! 最高の『自由』を求めて!」


馬車が朝焼けの中を駆け出す。 背後からは、王国騎士団の追跡が迫っているが、四人の顔に悲壮感はない。


ここから「世界の果てまでの逃避行」という名の、愛と混沌の物語が本格的に幕を開けるのであった。



王都を脱出し、ラインハルト公爵が秘密裏に用意していた港から、四人を乗せた快速帆船「自由の翼号」が大海原へと滑り出した。背後には、アステリア王国の海軍が威信をかけて追ってきている。水平線には、数え切れないほどの軍艦の帆が並んでいた。


「しつこいですわね! 殿下を『誘拐』したなんて大嘘までついて、そこまでして私たちを連れ戻したいのかしら!」


エルナは甲板で、荒れる波飛沫を浴びながら叫んだ。隣には、冷静に海図を見つめるシオンがいる。彼の表情は、王都にいた頃よりもどこか憑き物が落ちたように穏やかだが、エルナを見つめる瞳の熱量だけは変わっていない。


「父上は、お前という『稀代の知略家』を失うことを恐れているのだ。それに、私という最強の魔導兵器をな。……エルナ、船室へ戻れ。波が荒くなってきた」 「私を子供扱いしないでくださいまし。これでも前世では、船酔い対策のツボを完璧にマスターしていたんですから」


強がるエルナだったが、巨大な波が船体を叩いた瞬間、バランスを崩してよろめいた。それを、シオンが当然のように、そして吸い付くような手つきで抱きとめる。


「……離してください、殿下。皆が見ていますわ」 「見せておけばいい。お前が私の腕の中にいるという事実を、世界に知らしめる必要がある」


シオンはそのままエルナを抱き上げ、強引に船長室へと連れ込んだ。室内は狭く、波の揺れに合わせて二人の距離が嫌応なしに近づく。


「……三時間は一人にするという契約はどうなりましたの?」 「今は非常時だ。それに、この船は私の魔力で結界を張っている。私が離れれば、海軍の魔法攻撃がお前に届くかもしれない。それでもいいのか?」


(卑怯な言い分ですわ……!)


エルナは唇を噛んだが、彼の腕の中の体温が、不思議と安らぎを与えていることも否定できなかった。シオンの執着は、今やエルナにとって「最も煩わしく、しかし最も確かな生存の保証」となっていたのだ。


一方、甲板では聖女ユリが船酔いでダウンしている隣国王子レオンの背中を、聖なる光でさすっていた。 「レオン様、しっかりしてください! 自由都市の代表が、船酔いなんて格好悪いですわよ!」 「……ふふ、聖女様に介抱されるなんて、僕もなかなかの果報者だね。……でも、あっちの二人の『熱気』に当てられる方が、船酔いよりきついかな」


追っ手を振り切るための航海は、四人の奇妙な関係をさらに煮詰めながら、魔の海域へと向かっていった。
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