当て馬令嬢は自由を謳歌したい〜冷酷王子への愛をゴミ箱に捨てて隣国へ脱走したら、なぜか奈落の底まで追いかけられそうです〜

37

数日後、要塞『星屑の薔薇』は、次元の交差点に形成された巨大な闇市「ロスト・バザール」に接舷しました。そこは、滅びた世界から逃げ延びた「物語の残骸（サバイバー）」たちが、自分たちの存在を繋ぎ止めるために情報を売り買いする、唯一の中立地帯。


「……面白い場所ですわ。ここにある情報のすべてが、私の『武器』になりそうですもの」


エルナは、シオンの腕に抱かれながら、市場を視察しました。そこでは、かつての魔王が焼き芋を売り、伝説の魔女が寿命を担保に占いをしています。


エルナは、現代の「情報プラットフォーム」の概念をこの市場に持ち込むことを即座に決定しました。彼女は要塞の一部を市場に開放し、世界中のバグや設定ミスを集積する「次元情報銀行」を設立したのです。


「皆さん！ 自分の物語を奪われて絶望しているのなら、その『記憶』を私に預けなさい。対価として、あなたたちがこの虚無の中で消えずに済むための『存在権（トークン）』を発行してあげますわ！」


エルナの提案は、瞬く間に市場を席巻しました。情報の独占こそが力。彼女は、神々すらも手を出せない「情報のハブ」としての地位を築き始めたのです。


しかし、その繁栄の影で、エルナを「全次元の脅威」と見なす、最強の管理者グループ『最終執行者（エンド・エグゼクター）』が動き出していました。


「……殿下、ようやく面白い獲物が釣れそうですわよ」


エルナは、次元の彼方から迫る強大な殺気を感知し、楽しげに目を細めました。 シオンは、彼女の横顔を愛おしそうに見つめながら、その背後に浮かぶ数千の氷の剣を静かに展開しました。


「……お前の商売の邪魔をするというなら、その『執行者』とやらを、文字通り終焉へ送ってやろう」


悪役令嬢と執着王子の逆襲は、次元を股にかけた経済戦争、そして神々との総力戦へと加速していきます。ここからさらに苛烈で、華やかな破壊に彩られていくのです。



漆黒の虚無に、幾千もの「論理の剣」が降り注ぎました。次元の安定を司る『最終執行者』。彼らは実体を持たず、純粋な「消去コード」の塊として、エルナたちの要塞を包囲したのです。


「——警告。イレギュラー01、エルナ・フォン・ラインハルト。お前の存在は、全宇宙のストーリー・整合性に致命的な欠陥を招いている。直ちに全データの初期化を受け入れよ」


無機質な声が響き、要塞の防壁がノイズのように揺らぎます。敵は物理的な攻撃ではなく、概念そのものを削り取る「消去」を仕掛けてきました。しかし、エルナは動じません。彼女は要塞の中枢、命の樹の核が輝く玉座に深く腰掛け、不敵な笑みを浮かべました。


「初期化ですって？　残念ですが、私はもう、あなたたちのOSでは読み取れない『未知の言語』で自分を書き換えてしまいましたわ。……殿下、あの方たちの退屈な理論を、私たちの『熱量（愛）』で焼き切って差し上げましょう」


「……言われるまでもない。エルナ、お前の許可なくお前に触れようとするものは、それが神の意志であれ、ただの法則であれ、私が許さない」


シオンが立ち上がり、その漆黒の外套を翻しました。彼の魔力は今や「絶対零度」を超え、概念すらも凍結させる「静止の権能」へと進化していました。シオンが指先を弾くと、空間を埋め尽くしていた消去コードが、瞬時に銀色の結晶へと変わり、砕け散っていきます。


「何……！？　消去プログラムが……物理的に破壊された……だと……！？」


驚愕する執行者たちに対し、エルナは現代の「サイバー攻撃」の理論を魔法に変換しました。


「さあ、お返しですわ。……『分散型サービス拒否攻撃（DDoS）』。あなたたちの脆弱なサーバーに、棄てられた物語たちの数億件に及ぶ『恨み言（ログ）』を叩き込んであげますわ！」


エルナが展開した数万の魔法陣から、これまで彼女が救い上げてきた「バグ」たちの記憶が一斉に放たれました。情報過多によって処理落ちを起こし、霧散していく執行者たち。それは、悪役令嬢が「システムの神」を論理的に論破し、物理的に蹂躙した瞬間でした。


執行者との艦隊戦を退けた後、要塞の周囲には静寂が戻りました。しかし、勝利の余韻に浸るエルナを待っていたのは、より一層深い「愛という名の牢獄」でした。


戦いの中でエルナが見せた圧倒的な輝き。それが、シオンの心の奥底にある「失う恐怖」を暴走させたのです。


「……殿下？　その、この部屋をすべて氷で覆う必要があるのでしょうか？」


要塞の最上階にあるエルナの自室。そこは今、シオンの魔力によって、壁も床も天井も、透き通るような美しい、しかし逃げ場のない氷の彫刻へと作り変えられていました。


「……必要だ。エルナ、お前はあまりにも美しくなりすぎた。……神々の使徒すらも、お前の知略に跪く。……このままでは、世界そのものがお前を奪い去ってしまう」


シオンは背後からエルナを抱き寄せました。彼の体温は、半神となった影響で氷のように冷たいはずなのに、エルナに触れる場所だけが焼けるように熱い。シオンは彼女の細い首筋に顔を埋め、まるで自分の痕跡を刻み込むように深く吸い込みました。


「お前の呼吸、お前の思考、お前が放つ魔力の一粒子まで……。すべてが私の所有物だ。……エルナ、お願いだ。私をこれ以上、不安にさせないでくれ。……お前を小さな箱に閉じ込め、私だけが鍵を持つ。……そんな結末を、私に選ばせたいのか？」


「……殿下。あなたのその『臆病な独占欲』、本当に悪役らしくて素敵ですわよ」


エルナは逃げるどころか、シオンの胸に自分から寄り添いました。 彼女は知っていました。シオンのこの狂気こそが、神をも殺した自分たちの最強の絆であることを。エルナはシオンの凍てつく髪を撫で、慈しむように囁きました。


「いいですわよ。もし世界がお私を奪おうとするなら、私がこの手で世界を滅ぼしますわ。……だから、あなたは私だけを見ていなさいな。……私の執着王子様」


冷たい氷の部屋で、二人の狂おしいまでの熱量が交差します。それは、救いなど必要としない、墜ちるところまで墜ちた共依存の極致。