当て馬令嬢は自由を謳歌したい〜冷酷王子への愛をゴミ箱に捨てて隣国へ脱走したら、なぜか奈落の底まで追いかけられそうです〜

平山和人

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要塞『星屑の薔薇』が次元の海を進む中、突如として激しい衝撃が船体を揺らしました。 窓の外には、ボロボロの鎧を纏い、黄金に輝く大剣を構えた一人の少年が立ちはだかっていました。


「——見つけたぞ、世界の理を盗んだ大罪人ども! 僕は勇者アベル。棄てられた物語『聖剣のレクイエム』の生き残りだ!」


少年……アベルは、自分たちの世界が消滅したのは、エルナたちが「神の心臓」を奪い、世界の均衡を壊したせいだと叫びました。彼は、自分を犠牲にしてでも正義を成そうとする、いわゆる「王道ヒーロー」の残滓でした。


「……勇者? まあ、懐かしい響きですわね。でも、今の私にその勧善懲悪は通用しませんわ」


エルナはデッキに降り立ち、アベルを見下ろしました。彼女の背後には、不快そうに目を細めるシオンが控えています。


「少年、お前の言う『正義』のために、なぜ私が自分の幸せを捨てて処刑台に登らなければならなかったのかしら? 私たちは、ただ自分たちのために世界を壊したの。他人の不幸を背負うほど、私はお人好しではありませんわよ」


「黙れ! 悪役令嬢! お前が生きているだけで、無数の物語が歪んでいるんだ!」


アベルが放つ聖なる一撃。それは「正義」という名の補正がかかった、回避不能の攻撃。しかし、その光がエルナに届く前に、シオンが指先一つでそれを弾き飛ばしました。


「……エルナに汚らわしい視線を向けるな。お前のその『正義』とやらを、今すぐこの場で凍らせて、ただの瓦礫に変えてやろうか?」


シオンの殺気が空間を歪ませ、勇者の聖剣がパキパキと音を立てて凍りつきます。 エルナは、絶望に目を見開くアベルに向かって、冷酷なまでに美しい笑みを浮かべました。


「残念でしたわね。……この物語の主役は私と殿下。あなたの『正義』は、もうどこにも居場所なんてありませんわ」


エルナはアベルを殺す代わりに、彼の「勇者としての設定(データ)」を剥ぎ取り、ただの村人として要塞の庭園で働く「NPC」へと書き換えました。反逆者となった彼らにとって、敵すらも自分の世界を彩る「所有物」に過ぎないのです。



勇者アベルとの交戦を経て、シオンの独占欲はさらに狂気的な高まりを見せていました。「外の世界」には、まだエルナを見つけ出し、彼女に干渉しようとする者がいる。その事実が、彼の神経を逆撫でし続けていたのです。


その夜、要塞の最深部にある、シオンの魔力そのもので作られた「氷の温室」で、彼はエルナをベッドへと押し倒しました。


「……殿下、少し落ち着いてください。私はどこへも行きませんわ」


「嘘だ。……お前は先ほど、あの少年に憐れみの目を向けた。……あの大聖教の聖女のようにな。……エルナ、お前の中に、私以外の誰かが一瞬でも入り込むことが、私には耐えがたい苦痛なのだ」


シオンの指先が、エルナの背中をなぞります。彼の触れる場所が、冷気によって微かに白く染まっていく。それは、彼女を自分の一部として凍結保存したいという、狂おしいまでの衝動の現れ。


「お前のその聡明な頭脳も、美しい声も、すべて私だけのために使われるべきだ。……世界の仕組みを書き換えるのも、神を殺すのも、すべては私との時間のためだけに費やせ」


シオンはエルナの手首を拘束するように握り、自らの胸元にある黄金の刻印を彼女に見せました。 二人の間に流れるのは、もはや愛という言葉では生ぬるい、魂の共食いに近い依存。


「……ふふ、わかっていますわ、シオン殿下。……あなたのその重すぎる愛が、私にとっての唯一の『枷』であり、同時に私を自由にする唯一の『翼』なのですから」


エルナはシオンの冷たい首筋に腕を回し、自らの熱を彼に分け与えるように深くくちづけました。 外の世界がどれほど混沌に満ちていようと、この銀色の監獄の中だけは、二人の狂愛が支配する絶対的な秩序が保たれていました。
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