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幕間 翼の想い②
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アパートの玄関で泣きじゃくる碧依を抱きしめると、ほのかにレモンのような甘酸っぱくて爽やかな香りが僕の鼻をくすぐった。
いつもはこの香りを嗅ぐと安心できるのに、今日はツンと鼻の奥が痛くなる。
途端に、僕の視界が滲んだ。
こんなことになるなんて……。
今日の昼頃、合宿から帰ってすぐに、理人さんに連絡をした。
すると、今日は早く帰るから、一緒にごはんを食べに行こうと言ってくれた。
理人さんが来る前に、僕は碧依のために家の掃除をして、碧依の好きな肉じゃがを作っておいた。
理人さんとご飯を食べるから、碧依と一緒に食べることはできないけど、碧依がバイトから帰ったら、すぐにご飯を食べられるようにしたかったんだ。
本屋が閉まってからだから、夕ご飯を食べるには少し遅い時間になっていた。
理人さんが僕の家にやって来た。
すぐに理人さんの車に乗って、レストランへ向かう途中で、碧依と如月くんのことを聞いたんだ。
碧依が僕のふりをして大和と働いてるって聞いて、僕はびっくりした。
最初は僕の真似をしてるだけだったのに、どんどん僕にそっくりになっていって、理人さんも驚くくらいだったって。
そんな碧依に、如月くんは最初から特別な視線を送っている気がするって、理人さんが言ってた。
「碧依君、凄くよく笑うようになったよ。仕事でも積極的にお客さま対応をしてくれてるし、何だか自信が出てきたみたいだ。如月君のおかげかな。二人ともお互いを尊敬してて、楽しそうだ。見てて微笑ましいよ」
理人さんはそう言って、嬉しそうに笑ってた。
だから、てっきり如月くんは碧依のことが好きなんだと思った。
それを聞いた僕も嬉しくなって、碧依に早く話を聞きたくなったんだ。
ソワソワしだした僕を見て、理人さんは苦笑してた。
「今日は帰りなさい。碧依君と一緒にご飯を食べて、話を聞くといいよ」
「え、でも、せっかく理人さんが会いに来てくれたのに……」
「俺は、翼とこうして会えただけで充分だよ」
そう言って、理人さんは車をUターンさせた。
そんな理人さんにドキドキする。
僕の自慢の優しい恋人なんだ。
アパートに着いて、お礼を言って車から降りようとした瞬間、僕はサンダルウッドの香りに包まれた。
そして、唇に柔らかい感触。
運転席から身を乗り出した理人さんに抱きしめられて、キスしたんだって気付いて、顔が真っ赤になった。
「ふふ、今日は碧依君と楽しい時間を過ごすんだよ。またね」
そう言って、理人さんはすぐに離れた。
僕は、ワタワタと車のドアを開けて、外に出る。
手をあげて、車を出発させる理人さんに、僕は大きく手を振る。
目元を緩めた理人さんに向かって、僕は「大好き」って口にした。
聞こえないだろうけど、どうしても伝えたかったんだ。
理人さんには、僕の口の動きで伝わったんだと思う。
窓を開けて「俺もだよ」って言って、理人さんは帰っていった。
僕は、車の後ろ姿が見えなくなるまで、その場でじっと見送ったんだ。
アパートに戻ると、肉じゃがの匂いがキッチンにあふれてた。
それを温め直して、お味噌汁も作った。
タイマーをセットしておいたご飯が炊ける音がする。
窓から漏れる街の光が、リビングの床に柔らかい影を落としてた。
僕は碧依が笑顔で帰ってくるのを、楽しみに待ってたんだ。
それなのに、帰ってきた碧依は、「僕、偽物なんだ」と叫びながら、大声で泣きだした。
胸がずきんと痛む。
こんな素敵な弟はいないのに。
僕がいるせいで、碧依にそんな思いをさせてしまったんだ。
受験のとき、絵を描くのが辛かった僕を救ってくれた碧依のことを、思い出した。
受験の冬、僕は絵を描く意味を見失ってた。
美大に受かるための絵を描かなきゃいけなかったとき、辛くて仕方なかった。
通っていた画塾の先生の批評に、心が折れそうだった。
課題の絵が描けなくて、落書きしては塗りつぶして、それをゴミ箱に捨ててた。
ある絵を見た時、碧依が「それ、僕にちょうだい。お守りにしたいんだ」って言ってきた。
「翼の絵を見てると、僕も頑張ろうって勇気をもらえる。いつでも元気になれるんだ。翼の絵、僕は好きだよ」
碧依の笑顔は、まるで海に沈む夕陽みたいに温かく僕を包んだ。
クロを飼いたいって両親にねだって、クロを迎えられたときみたいに、純真な輝くような笑顔だった。
碧依の言葉で、僕は絵を描く理由を見つけた。
誰かを元気にしたい。
碧依みたいに、誰かの心を軽くしたい。
それが、僕の描く絵でできるなら、そんな嬉しいことはない。
それが僕の目標になったんだ。
今、泣きじゃくる碧依の肩が震える。
レモンの香りと涙の塩気が混ざって、僕のシャツを濡らす。
碧依が「僕じゃなかったんだ」と叫ぶたび、僕の心が締めつけられた。
こんな素敵な弟を、偽物だなんて思うやつがいるなら、そいつが間違ってる。
僕が一度しか会ってない如月くんと、碧依は一ヶ月以上も笑い合って、話してきたんだ。
如月くんがずっと過ごしてきたのは、碧依。
たとえ、如月くんが僕の笑顔を好きになったのだとしても、それは変わらない。
そっと碧依の背中を撫でながら、囁いた。
「大丈夫。碧依なら、大丈夫だよ。自分を偽物なんて言わないで。」
碧依の涙が止まらない。
碧依の傷を思うと、僕も涙が止まらなかった。
こんなに自分を責めて、みんなに心配かけてるって思う碧依に対して、僕は無力だった。
碧依はあんなに僕を助けてくれたのに。
僕は何もできなかった。
だから、決めた。
これから、碧依がどんな決断をしても、僕はいつでも碧依の味方でいよう。
一番の理解者として、ずっとそばにいる。
心のなかで、そっと決意を握りしめたんだ。
いつもはこの香りを嗅ぐと安心できるのに、今日はツンと鼻の奥が痛くなる。
途端に、僕の視界が滲んだ。
こんなことになるなんて……。
今日の昼頃、合宿から帰ってすぐに、理人さんに連絡をした。
すると、今日は早く帰るから、一緒にごはんを食べに行こうと言ってくれた。
理人さんが来る前に、僕は碧依のために家の掃除をして、碧依の好きな肉じゃがを作っておいた。
理人さんとご飯を食べるから、碧依と一緒に食べることはできないけど、碧依がバイトから帰ったら、すぐにご飯を食べられるようにしたかったんだ。
本屋が閉まってからだから、夕ご飯を食べるには少し遅い時間になっていた。
理人さんが僕の家にやって来た。
すぐに理人さんの車に乗って、レストランへ向かう途中で、碧依と如月くんのことを聞いたんだ。
碧依が僕のふりをして大和と働いてるって聞いて、僕はびっくりした。
最初は僕の真似をしてるだけだったのに、どんどん僕にそっくりになっていって、理人さんも驚くくらいだったって。
そんな碧依に、如月くんは最初から特別な視線を送っている気がするって、理人さんが言ってた。
「碧依君、凄くよく笑うようになったよ。仕事でも積極的にお客さま対応をしてくれてるし、何だか自信が出てきたみたいだ。如月君のおかげかな。二人ともお互いを尊敬してて、楽しそうだ。見てて微笑ましいよ」
理人さんはそう言って、嬉しそうに笑ってた。
だから、てっきり如月くんは碧依のことが好きなんだと思った。
それを聞いた僕も嬉しくなって、碧依に早く話を聞きたくなったんだ。
ソワソワしだした僕を見て、理人さんは苦笑してた。
「今日は帰りなさい。碧依君と一緒にご飯を食べて、話を聞くといいよ」
「え、でも、せっかく理人さんが会いに来てくれたのに……」
「俺は、翼とこうして会えただけで充分だよ」
そう言って、理人さんは車をUターンさせた。
そんな理人さんにドキドキする。
僕の自慢の優しい恋人なんだ。
アパートに着いて、お礼を言って車から降りようとした瞬間、僕はサンダルウッドの香りに包まれた。
そして、唇に柔らかい感触。
運転席から身を乗り出した理人さんに抱きしめられて、キスしたんだって気付いて、顔が真っ赤になった。
「ふふ、今日は碧依君と楽しい時間を過ごすんだよ。またね」
そう言って、理人さんはすぐに離れた。
僕は、ワタワタと車のドアを開けて、外に出る。
手をあげて、車を出発させる理人さんに、僕は大きく手を振る。
目元を緩めた理人さんに向かって、僕は「大好き」って口にした。
聞こえないだろうけど、どうしても伝えたかったんだ。
理人さんには、僕の口の動きで伝わったんだと思う。
窓を開けて「俺もだよ」って言って、理人さんは帰っていった。
僕は、車の後ろ姿が見えなくなるまで、その場でじっと見送ったんだ。
アパートに戻ると、肉じゃがの匂いがキッチンにあふれてた。
それを温め直して、お味噌汁も作った。
タイマーをセットしておいたご飯が炊ける音がする。
窓から漏れる街の光が、リビングの床に柔らかい影を落としてた。
僕は碧依が笑顔で帰ってくるのを、楽しみに待ってたんだ。
それなのに、帰ってきた碧依は、「僕、偽物なんだ」と叫びながら、大声で泣きだした。
胸がずきんと痛む。
こんな素敵な弟はいないのに。
僕がいるせいで、碧依にそんな思いをさせてしまったんだ。
受験のとき、絵を描くのが辛かった僕を救ってくれた碧依のことを、思い出した。
受験の冬、僕は絵を描く意味を見失ってた。
美大に受かるための絵を描かなきゃいけなかったとき、辛くて仕方なかった。
通っていた画塾の先生の批評に、心が折れそうだった。
課題の絵が描けなくて、落書きしては塗りつぶして、それをゴミ箱に捨ててた。
ある絵を見た時、碧依が「それ、僕にちょうだい。お守りにしたいんだ」って言ってきた。
「翼の絵を見てると、僕も頑張ろうって勇気をもらえる。いつでも元気になれるんだ。翼の絵、僕は好きだよ」
碧依の笑顔は、まるで海に沈む夕陽みたいに温かく僕を包んだ。
クロを飼いたいって両親にねだって、クロを迎えられたときみたいに、純真な輝くような笑顔だった。
碧依の言葉で、僕は絵を描く理由を見つけた。
誰かを元気にしたい。
碧依みたいに、誰かの心を軽くしたい。
それが、僕の描く絵でできるなら、そんな嬉しいことはない。
それが僕の目標になったんだ。
今、泣きじゃくる碧依の肩が震える。
レモンの香りと涙の塩気が混ざって、僕のシャツを濡らす。
碧依が「僕じゃなかったんだ」と叫ぶたび、僕の心が締めつけられた。
こんな素敵な弟を、偽物だなんて思うやつがいるなら、そいつが間違ってる。
僕が一度しか会ってない如月くんと、碧依は一ヶ月以上も笑い合って、話してきたんだ。
如月くんがずっと過ごしてきたのは、碧依。
たとえ、如月くんが僕の笑顔を好きになったのだとしても、それは変わらない。
そっと碧依の背中を撫でながら、囁いた。
「大丈夫。碧依なら、大丈夫だよ。自分を偽物なんて言わないで。」
碧依の涙が止まらない。
碧依の傷を思うと、僕も涙が止まらなかった。
こんなに自分を責めて、みんなに心配かけてるって思う碧依に対して、僕は無力だった。
碧依はあんなに僕を助けてくれたのに。
僕は何もできなかった。
だから、決めた。
これから、碧依がどんな決断をしても、僕はいつでも碧依の味方でいよう。
一番の理解者として、ずっとそばにいる。
心のなかで、そっと決意を握りしめたんだ。
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