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28.星の砂の約束 後編
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夕方、家に帰ろうと駅に向かって歩いてた。
十月の空は早く暗くなって、秋の夕暮れが街を静かに包む。
街灯がぼんやり灯り始める中、ポケットの星の砂の瓶を無意識に触る。
駅近くの服屋さんのショーウィンドウに、大和とデートしたときに着てた服と似た秋服が並んでる。
柔らかい素材の白いシャツ。
あの日、大和が「水瀬、その服似合ってるな」って笑ってくれたのを思い出す。
思わず店に入ってしまった。
「このシャツ、絶対お客様に似合いますよ! 秋らしいパステルカラーの水色のニットを羽織ると、柔らかい雰囲気になって、素敵です!」
店員さんの明るい声に、ちょっと照れながら頷いた。
勧められるまま、全身試着して、鏡を見ると、翼に似てるけどどこか違う自分がいた。
翼なら華やかな秋色のニットを選ぶだろうな。
でも、僕はこの柔らかいパステルカラーが好き。
これ、僕らしいかな。
初めてそう思えた気がした。
結局、ニットもパンツもまとめて買ってしまった。
店員さんが「そのまま着て行きますか?」って聞いてくれて、頷く。
なんだか新しい自分になったみたいだった。
外に出ると、秋の風が頬を撫でる。
新しい服の感触が、なんだか心を軽くしてくれた。
そのとき、突然声をかけられた。
「ねえ、ちょっと一緒にカラオケでも行こーよ」
僕が顔を上げると、見知らぬ男がニヤニヤとこっちを見てた。
スーツはよれよれで、目がギラギラ光ってる。
「なんだよ、お前、男か。でも、かわいい顔してるよな。ちょっとこっち来いよ」
男が不満そうに顔を歪めながら、僕の手を引いてどこかへ連れていこうとする。
強く腕を引っ張られて、足がよろけた。
心臓がバクバクして、頭が真っ白になる。
嫌だ、逃げなきゃ――。
でも、足が動かない。
路地へ引きずられそうになった瞬間、鋭い声が響いた。
「やめろよ! 俺のダチに何すんだよ!」
大和の声だった。
青いシャツの肩が力強く動いて、男の手を振り払う。
大和の腕が僕を庇うように抱き寄せて、ほのかに若葉みたいな香りが鼻をくすぐった。
懐かしさに胸がいっぱいになる。
今年の夏、肩を寄せ合ったり、手を繋いだりして、たくさん大和の温もりを感じてた。
秋になってからは、今日が初めてだ。
その事実に、僕は嬉しさと悲しさで引き裂かれそうだった。
映画館で肩を寄せ合ったあの夏の温もりと重なるのに、今はどこか遠い。
大和は男を睨みつけ、相手が慌てて去っていくのを確認すると、ゆっくり僕を離した。
「大丈夫か、水瀬?」
大和の声は低くて、どこか心配そうだった。
小さく頷くけど、言葉が出てこない。
震える肩を、自分で抱きしめた。
大和は気まずそうに髪をかき上げて、視線を少し逸らした。
「最近、雰囲気、明るくなったな……ゼミの課題、すげえ頑張ってるって聞いたぞ。……なあ、ちゃんと寝てるか? 目の下、なんかクマがあるみたいだ」
大和が僕の顔に手を伸ばしかける。
その指先が、ほんの一瞬、頬に触れそうになる。
目が合った瞬間、大和の瞳に優しさとためらいが混じった。
伸びた手は止まったまま、宙を彷徨ってる。
「その服、似合ってるな」
ポツリと呟いた大和は、すぐに目を逸らし、手を下ろした。
「あ、ごめん。水瀬には近づかないって言ったのにな……。でもさ、困ったことがあったら、いつでも言ってよ。バイト仲間のよしみでさ。あ、でも俺じゃなくても店長がいるか。……あー、悪い、忘れて」
大和はそう言うと、くるりと背を向けて走り去ってしまった。
商店街の喧騒にその背中が溶けていく。
立ち尽くして、ポケットの星の砂の瓶を握りしめた。
大和の優しさを反響させるように、砂がサラサラと鳴る。
あんなにひどいことをしたのに、大和はまだこんなに優しい。
こんな自分が、許されるはずがないのに。
夏休み最終日に、公園で大和が言った「何も信じられない」という言葉と、大和の苦しそうな顔が僕の頭を駆け巡っていた。
◇◇◇
アパートに戻ると、部屋は静まり返ってた。
翼は美大の課題で遅くなるって言ってたから、まだ帰ってない。
ソファに倒れ込んで、星の砂の瓶を握る。
砕けた砂が、指の間でサラサラと鳴る。
胸の奥から、抑えてた感情が溢れ出した。
「ごめん、大和……」
ぽろぽろと涙がこぼれる。
部屋の暗さに、砂の音だけが響く。
どれだけ時間が経ったかわからない。
玄関のドアが開く音がして、翼の声が聞こえた。
「碧依、ただいま――って、うわ、暗っ! 電気つけなよ」
リビングの明かりがパッと点いて、翼が部屋に入ってくる。
僕の顔を見るなり、翼の表情が真剣になる。
「碧依……泣いてる?」
慌てて顔を拭うけど、涙は止まらない。
翼がソファのそばの床に座って、そっと抱きしめてくれる。
その温もりに、心がさらに溢れた。
「やっと泣けたんだね。よかった」
翼の声は優しくて、どこか安心したみたいだった。
震える声で、胸の内を吐き出した。
「僕、やり方を間違えたけど、ずっと好きだったんだ。大和のことが、誰よりも。自分を変えてでも、そばにいたかった。最初から、ちゃんと自分の言葉で好きって言えばよかった。どうしよう、翼。どうしたらこの気持ちが収まるのかな? 苦しいんだ。苦しいなんて言える立場じゃないのに、どうしようもなくて……!」
翼は黙って背中を撫でてくれる。
その手が、子供の頃、転んだときに絆創膏を貼ってくれた温もりと重なる。
「苦しいって、好きだって、言っていいんだよ。碧依は言っていいんだ。僕、なんでも聞くから」
翼の言葉に、涙が止まらなかった。
星の砂の瓶を握りながら、思う。
もう逃げない。
大和に、ちゃんと謝りたい。
許してもらえなくても、自分の気持ちを伝えるんだ。
そう決意した夜、窓の外の月明かりが、砕けた星の砂をそっと照らしてた。
陽光とは違う、静かな光だったけど、それでも砂は小さく輝いてたんだ。
十月の空は早く暗くなって、秋の夕暮れが街を静かに包む。
街灯がぼんやり灯り始める中、ポケットの星の砂の瓶を無意識に触る。
駅近くの服屋さんのショーウィンドウに、大和とデートしたときに着てた服と似た秋服が並んでる。
柔らかい素材の白いシャツ。
あの日、大和が「水瀬、その服似合ってるな」って笑ってくれたのを思い出す。
思わず店に入ってしまった。
「このシャツ、絶対お客様に似合いますよ! 秋らしいパステルカラーの水色のニットを羽織ると、柔らかい雰囲気になって、素敵です!」
店員さんの明るい声に、ちょっと照れながら頷いた。
勧められるまま、全身試着して、鏡を見ると、翼に似てるけどどこか違う自分がいた。
翼なら華やかな秋色のニットを選ぶだろうな。
でも、僕はこの柔らかいパステルカラーが好き。
これ、僕らしいかな。
初めてそう思えた気がした。
結局、ニットもパンツもまとめて買ってしまった。
店員さんが「そのまま着て行きますか?」って聞いてくれて、頷く。
なんだか新しい自分になったみたいだった。
外に出ると、秋の風が頬を撫でる。
新しい服の感触が、なんだか心を軽くしてくれた。
そのとき、突然声をかけられた。
「ねえ、ちょっと一緒にカラオケでも行こーよ」
僕が顔を上げると、見知らぬ男がニヤニヤとこっちを見てた。
スーツはよれよれで、目がギラギラ光ってる。
「なんだよ、お前、男か。でも、かわいい顔してるよな。ちょっとこっち来いよ」
男が不満そうに顔を歪めながら、僕の手を引いてどこかへ連れていこうとする。
強く腕を引っ張られて、足がよろけた。
心臓がバクバクして、頭が真っ白になる。
嫌だ、逃げなきゃ――。
でも、足が動かない。
路地へ引きずられそうになった瞬間、鋭い声が響いた。
「やめろよ! 俺のダチに何すんだよ!」
大和の声だった。
青いシャツの肩が力強く動いて、男の手を振り払う。
大和の腕が僕を庇うように抱き寄せて、ほのかに若葉みたいな香りが鼻をくすぐった。
懐かしさに胸がいっぱいになる。
今年の夏、肩を寄せ合ったり、手を繋いだりして、たくさん大和の温もりを感じてた。
秋になってからは、今日が初めてだ。
その事実に、僕は嬉しさと悲しさで引き裂かれそうだった。
映画館で肩を寄せ合ったあの夏の温もりと重なるのに、今はどこか遠い。
大和は男を睨みつけ、相手が慌てて去っていくのを確認すると、ゆっくり僕を離した。
「大丈夫か、水瀬?」
大和の声は低くて、どこか心配そうだった。
小さく頷くけど、言葉が出てこない。
震える肩を、自分で抱きしめた。
大和は気まずそうに髪をかき上げて、視線を少し逸らした。
「最近、雰囲気、明るくなったな……ゼミの課題、すげえ頑張ってるって聞いたぞ。……なあ、ちゃんと寝てるか? 目の下、なんかクマがあるみたいだ」
大和が僕の顔に手を伸ばしかける。
その指先が、ほんの一瞬、頬に触れそうになる。
目が合った瞬間、大和の瞳に優しさとためらいが混じった。
伸びた手は止まったまま、宙を彷徨ってる。
「その服、似合ってるな」
ポツリと呟いた大和は、すぐに目を逸らし、手を下ろした。
「あ、ごめん。水瀬には近づかないって言ったのにな……。でもさ、困ったことがあったら、いつでも言ってよ。バイト仲間のよしみでさ。あ、でも俺じゃなくても店長がいるか。……あー、悪い、忘れて」
大和はそう言うと、くるりと背を向けて走り去ってしまった。
商店街の喧騒にその背中が溶けていく。
立ち尽くして、ポケットの星の砂の瓶を握りしめた。
大和の優しさを反響させるように、砂がサラサラと鳴る。
あんなにひどいことをしたのに、大和はまだこんなに優しい。
こんな自分が、許されるはずがないのに。
夏休み最終日に、公園で大和が言った「何も信じられない」という言葉と、大和の苦しそうな顔が僕の頭を駆け巡っていた。
◇◇◇
アパートに戻ると、部屋は静まり返ってた。
翼は美大の課題で遅くなるって言ってたから、まだ帰ってない。
ソファに倒れ込んで、星の砂の瓶を握る。
砕けた砂が、指の間でサラサラと鳴る。
胸の奥から、抑えてた感情が溢れ出した。
「ごめん、大和……」
ぽろぽろと涙がこぼれる。
部屋の暗さに、砂の音だけが響く。
どれだけ時間が経ったかわからない。
玄関のドアが開く音がして、翼の声が聞こえた。
「碧依、ただいま――って、うわ、暗っ! 電気つけなよ」
リビングの明かりがパッと点いて、翼が部屋に入ってくる。
僕の顔を見るなり、翼の表情が真剣になる。
「碧依……泣いてる?」
慌てて顔を拭うけど、涙は止まらない。
翼がソファのそばの床に座って、そっと抱きしめてくれる。
その温もりに、心がさらに溢れた。
「やっと泣けたんだね。よかった」
翼の声は優しくて、どこか安心したみたいだった。
震える声で、胸の内を吐き出した。
「僕、やり方を間違えたけど、ずっと好きだったんだ。大和のことが、誰よりも。自分を変えてでも、そばにいたかった。最初から、ちゃんと自分の言葉で好きって言えばよかった。どうしよう、翼。どうしたらこの気持ちが収まるのかな? 苦しいんだ。苦しいなんて言える立場じゃないのに、どうしようもなくて……!」
翼は黙って背中を撫でてくれる。
その手が、子供の頃、転んだときに絆創膏を貼ってくれた温もりと重なる。
「苦しいって、好きだって、言っていいんだよ。碧依は言っていいんだ。僕、なんでも聞くから」
翼の言葉に、涙が止まらなかった。
星の砂の瓶を握りながら、思う。
もう逃げない。
大和に、ちゃんと謝りたい。
許してもらえなくても、自分の気持ちを伝えるんだ。
そう決意した夜、窓の外の月明かりが、砕けた星の砂をそっと照らしてた。
陽光とは違う、静かな光だったけど、それでも砂は小さく輝いてたんだ。
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