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023 豊穣の行進
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大広場には、春の光を受けて三色の花びらが舞っている。
赤、白、金――その一面を染める色彩は、民の豊穣への願いを映し出している。
中央には一本の道がまっすぐに敷かれていた。
誰一人として踏み入れないその花の絨毯の上を、間もなく”豊穣の行進”が始まるのだ。
観覧席にはヴェルディアの貴族や各国の使節団が列をなし、遠巻きに詰めかけた民衆のざわめきがやがて期待の熱気へと変わっていく。
ヴェルディアの光華祭の華やかな一幕を彩る”赤・白・金”の花びらには、春の大地に根ざす祈りが込められていた。
赤は情熱と生命力を象徴する赤薔薇、白は純潔と新たな始まりを示す白薔薇だ。
春の早朝、帝都近郊の薔薇園では、熟練の摘み手たちが薔薇の花びらを丁寧に摘み取る。
薔薇の繊細な花びらはひとたび摘み取れば傷みやすく、光華祭の直前に収穫されることが伝統となっている。
そして金は、光華祭ならではの特別なもの。
金の花びらは、白薔薇に金箔をつけたもので、帝都の職人たちによって丁寧に極薄に打ち延ばされ、花びらの形に合わせて細かく切り抜かれて装飾されたものだ。
ヴェルディアでは、これを”花箔《はなはく》”と呼び、純粋な金色の輝きは豊穣と未来への希望の象徴とされており、光の中で煌めく花箔は、太陽の恵みを体現し、祭りを訪れる者すべてに幸運と繁栄をもたらすとされている。
***
鳴り響く号砲の音に合わせ、群衆の視線が一斉に動く。
黒地に金縁の礼装鎧を纏った先導兵が厳かな歩調で行進を始めると、その足音はまるで大地の鼓動のように響き渡った。
続いて現れたのは、金銀の彫刻が施された豪奢な豊穣車。
車体は深紅と純白の花で彩られ、その上には山のように積まれた新麦の束や色鮮やかな果実が輝いている。
青い葡萄、蜜色の林檎、柑橘の甘い香りが空気を満たし、見守る者たちの心を豊かにした。
その豊穣車を牽くのは、雪のように白い馬と漆黒の馬の二頭。
白馬には花冠が優雅に掛けられ、黒馬は黄金の轡を光らせている。
古くから春と実りの象徴とされてきた彼らの姿は、まるで神話の中の生き物のようであり、行進をより一層荘厳に演出していた。
高まる熱気の中、祭司役の若い女性が豊穣車の頂に立ち、両手に抱えたギンバイカの花冠を群衆に向けて優しく微笑む。
ギンバイカは、古来よりヴェルディアの民にとって幸運の象徴とされてきた特別な花である。
この”豊穣の行進”は、単なる春の祝いではなく、ヴェルディアの伝統を示す重厚な儀式であった。
祭の幕開けは成功し、祝福の喚声が大広場を震わせる中、次の幕へと祭典は静かに、しかし確実に進んでいった。
「今年の豊穣の行進は、今まで以上に見事だな」
ノアはルシェルに声を掛ける。
(これまでも私とこの景色を見てきたことは忘れているのよね…)
「ええ。今年は他国の使節を招いていますので、陛下に言われた通り、例年以上に予算をかけましたので」
「そうか」
二人の間に沈黙が流れる。
「こんなに美しい花を見るのは初めてです陛下!」
イザベルが沈黙を破る。
「あぁ、お前は初めてだったな」
「ええ…」
(陛下は体調でも悪いのかしら…?)
ノアのいつもとは違って淡々とした様子に、イザベルは怪訝そうな顔をする。
「陛下、顔色が優れないように見えますが……」
ルシェルの声にノアは微かに苦笑した。
「……いや、問題ない」
ルシェルは理解できぬ様子で首を傾げる。
イザベルはノアの隣で、まだ控えめに膨らんだ腹に手を当てていた。
彼の視線が、何度もルシェルに向けられていることには、まだ気づいていない。
***
ーー貴族たちが囁く。
「まぁ……あの花びら、とても綺麗だわ……」
「今年の光華祭は格別ですね」
「あれが側室のイザベル様か?皇后陛下に引けを取らぬ美しさだな」
「何言ってるの!皇后陛下がお可哀想だわ…あんなに仲睦まじいお二人だったのに…何があったのかしら…」
一方、使節団たちはそれぞれに、行進の様子を見つめていた。
ルクレル将軍は重厚な声で話す。
「歩調は軍律、装束は儀礼、群衆の波まで指揮下にある……戦わずして示す“威”というやつだな」
親衛軍一行も続けて囁く。
「将軍、確かに。これは各国への牽制にもなりますな」
「見ろ、あの足並みを――ただの祝祭ではないぞ」
藍は冷静な目で周囲を観察しながら応じた。
「導線の設計が精緻です。供物、音楽、視線の焦点が一度も外れない。統率の美、そのままが政治の信頼に転写される――実に巧妙です」
他の使節たちも囁く。
「つまり、市場と同じ……客の眼を操る技法ですね」
「それにこの花びらの美しさ…帝都の職人が作った”花箔”と言うものだそうですよ」
「ヴェルディアには、良い職人がいるようですね」
セリスは静かに微笑む。
「精霊の導きなくとも民の心を結束させる、その統率力は計り知れません」
祭司たちも囁く。
「花びらが風に舞うたび、まるで精霊たちが蘇るようだ」
「精霊は居ないかもしれぬが、こうして人々の祈りが国を繋ぐ。とても美しいですね」
ゼノンは周囲を気にしながらも、ふとルシェルを見つめた。
「殿下、視線があからさまですよ…公の場なのですから、お控えください」
見かねたレイセルが声を掛ける。
「なんだ、ヤキモチか?」
「そんなわけないでしょう…」
「そう怒るなよ。つい彼女を見てしまうんだ、仕方ないだろう」
レイセルは呆れたと言わんばかりに大きなため息をついた。
そして、ゼノンの視線にノアが気づいた。
(アンダルシアの王子はなぜ皇后ばかり見ているのだ……あの日の夜の庭園で見た二人もただならぬ様子だった……あの噂はやはり本当なのだろうか……?…いや、だったらなんだというんだ。皇后が誰と何をしようと……私には関係のないことだ)
胸の奥に、説明のつかない小さな棘が刺さる。
イザベルは、ノアがルシェルを気にしていることにようやく気がついた。
「……イザベル様、ご体調が優れませんか?」
侍女のユリアナが不安げに問う。
「いえ……大丈夫よ。ただ、少し疲れているだけ」
笑顔を作りながらも、声の奥で揺れる自分に気づく。
イザベルは自分の腹に手を添える。
温もりの中に確かに芽生えている命が、なぜか今、頼りなく思えた。
楽団が曲調を変え、行進は最終区画へと差しかかる。
色鮮やかな旗が風に踊り、観衆の歓声が高まる中――使節団たちの沈黙は、逆に鮮烈だった。
赤、白、金――その一面を染める色彩は、民の豊穣への願いを映し出している。
中央には一本の道がまっすぐに敷かれていた。
誰一人として踏み入れないその花の絨毯の上を、間もなく”豊穣の行進”が始まるのだ。
観覧席にはヴェルディアの貴族や各国の使節団が列をなし、遠巻きに詰めかけた民衆のざわめきがやがて期待の熱気へと変わっていく。
ヴェルディアの光華祭の華やかな一幕を彩る”赤・白・金”の花びらには、春の大地に根ざす祈りが込められていた。
赤は情熱と生命力を象徴する赤薔薇、白は純潔と新たな始まりを示す白薔薇だ。
春の早朝、帝都近郊の薔薇園では、熟練の摘み手たちが薔薇の花びらを丁寧に摘み取る。
薔薇の繊細な花びらはひとたび摘み取れば傷みやすく、光華祭の直前に収穫されることが伝統となっている。
そして金は、光華祭ならではの特別なもの。
金の花びらは、白薔薇に金箔をつけたもので、帝都の職人たちによって丁寧に極薄に打ち延ばされ、花びらの形に合わせて細かく切り抜かれて装飾されたものだ。
ヴェルディアでは、これを”花箔《はなはく》”と呼び、純粋な金色の輝きは豊穣と未来への希望の象徴とされており、光の中で煌めく花箔は、太陽の恵みを体現し、祭りを訪れる者すべてに幸運と繁栄をもたらすとされている。
***
鳴り響く号砲の音に合わせ、群衆の視線が一斉に動く。
黒地に金縁の礼装鎧を纏った先導兵が厳かな歩調で行進を始めると、その足音はまるで大地の鼓動のように響き渡った。
続いて現れたのは、金銀の彫刻が施された豪奢な豊穣車。
車体は深紅と純白の花で彩られ、その上には山のように積まれた新麦の束や色鮮やかな果実が輝いている。
青い葡萄、蜜色の林檎、柑橘の甘い香りが空気を満たし、見守る者たちの心を豊かにした。
その豊穣車を牽くのは、雪のように白い馬と漆黒の馬の二頭。
白馬には花冠が優雅に掛けられ、黒馬は黄金の轡を光らせている。
古くから春と実りの象徴とされてきた彼らの姿は、まるで神話の中の生き物のようであり、行進をより一層荘厳に演出していた。
高まる熱気の中、祭司役の若い女性が豊穣車の頂に立ち、両手に抱えたギンバイカの花冠を群衆に向けて優しく微笑む。
ギンバイカは、古来よりヴェルディアの民にとって幸運の象徴とされてきた特別な花である。
この”豊穣の行進”は、単なる春の祝いではなく、ヴェルディアの伝統を示す重厚な儀式であった。
祭の幕開けは成功し、祝福の喚声が大広場を震わせる中、次の幕へと祭典は静かに、しかし確実に進んでいった。
「今年の豊穣の行進は、今まで以上に見事だな」
ノアはルシェルに声を掛ける。
(これまでも私とこの景色を見てきたことは忘れているのよね…)
「ええ。今年は他国の使節を招いていますので、陛下に言われた通り、例年以上に予算をかけましたので」
「そうか」
二人の間に沈黙が流れる。
「こんなに美しい花を見るのは初めてです陛下!」
イザベルが沈黙を破る。
「あぁ、お前は初めてだったな」
「ええ…」
(陛下は体調でも悪いのかしら…?)
ノアのいつもとは違って淡々とした様子に、イザベルは怪訝そうな顔をする。
「陛下、顔色が優れないように見えますが……」
ルシェルの声にノアは微かに苦笑した。
「……いや、問題ない」
ルシェルは理解できぬ様子で首を傾げる。
イザベルはノアの隣で、まだ控えめに膨らんだ腹に手を当てていた。
彼の視線が、何度もルシェルに向けられていることには、まだ気づいていない。
***
ーー貴族たちが囁く。
「まぁ……あの花びら、とても綺麗だわ……」
「今年の光華祭は格別ですね」
「あれが側室のイザベル様か?皇后陛下に引けを取らぬ美しさだな」
「何言ってるの!皇后陛下がお可哀想だわ…あんなに仲睦まじいお二人だったのに…何があったのかしら…」
一方、使節団たちはそれぞれに、行進の様子を見つめていた。
ルクレル将軍は重厚な声で話す。
「歩調は軍律、装束は儀礼、群衆の波まで指揮下にある……戦わずして示す“威”というやつだな」
親衛軍一行も続けて囁く。
「将軍、確かに。これは各国への牽制にもなりますな」
「見ろ、あの足並みを――ただの祝祭ではないぞ」
藍は冷静な目で周囲を観察しながら応じた。
「導線の設計が精緻です。供物、音楽、視線の焦点が一度も外れない。統率の美、そのままが政治の信頼に転写される――実に巧妙です」
他の使節たちも囁く。
「つまり、市場と同じ……客の眼を操る技法ですね」
「それにこの花びらの美しさ…帝都の職人が作った”花箔”と言うものだそうですよ」
「ヴェルディアには、良い職人がいるようですね」
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「精霊の導きなくとも民の心を結束させる、その統率力は計り知れません」
祭司たちも囁く。
「花びらが風に舞うたび、まるで精霊たちが蘇るようだ」
「精霊は居ないかもしれぬが、こうして人々の祈りが国を繋ぐ。とても美しいですね」
ゼノンは周囲を気にしながらも、ふとルシェルを見つめた。
「殿下、視線があからさまですよ…公の場なのですから、お控えください」
見かねたレイセルが声を掛ける。
「なんだ、ヤキモチか?」
「そんなわけないでしょう…」
「そう怒るなよ。つい彼女を見てしまうんだ、仕方ないだろう」
レイセルは呆れたと言わんばかりに大きなため息をついた。
そして、ゼノンの視線にノアが気づいた。
(アンダルシアの王子はなぜ皇后ばかり見ているのだ……あの日の夜の庭園で見た二人もただならぬ様子だった……あの噂はやはり本当なのだろうか……?…いや、だったらなんだというんだ。皇后が誰と何をしようと……私には関係のないことだ)
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イザベルは、ノアがルシェルを気にしていることにようやく気がついた。
「……イザベル様、ご体調が優れませんか?」
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「いえ……大丈夫よ。ただ、少し疲れているだけ」
笑顔を作りながらも、声の奥で揺れる自分に気づく。
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