私たちの離婚幸福論

桔梗

文字の大きさ
23 / 46

023 豊穣の行進

しおりを挟む
大広場には、春の光を受けて三色の花びらが舞っている。

赤、白、金――その一面を染める色彩は、民の豊穣への願いを映し出している。



中央には一本の道がまっすぐに敷かれていた。

誰一人として踏み入れないその花の絨毯の上を、間もなく”豊穣の行進”が始まるのだ。



観覧席にはヴェルディアの貴族や各国の使節団が列をなし、遠巻きに詰めかけた民衆のざわめきがやがて期待の熱気へと変わっていく。



ヴェルディアの光華祭の華やかな一幕を彩る”赤・白・金”の花びらには、春の大地に根ざす祈りが込められていた。



赤は情熱と生命力を象徴する赤薔薇、白は純潔と新たな始まりを示す白薔薇だ。

春の早朝、帝都近郊の薔薇園では、熟練の摘み手たちが薔薇の花びらを丁寧に摘み取る。

薔薇の繊細な花びらはひとたび摘み取れば傷みやすく、光華祭の直前に収穫されることが伝統となっている。



そして金は、光華祭ならではの特別なもの。


金の花びらは、白薔薇に金箔をつけたもので、帝都の職人たちによって丁寧に極薄に打ち延ばされ、花びらの形に合わせて細かく切り抜かれて装飾されたものだ。



ヴェルディアでは、これを”花箔《はなはく》”と呼び、純粋な金色の輝きは豊穣と未来への希望の象徴とされており、光の中で煌めく花箔は、太陽の恵みを体現し、祭りを訪れる者すべてに幸運と繁栄をもたらすとされている。



***



鳴り響く号砲の音に合わせ、群衆の視線が一斉に動く。



黒地に金縁の礼装鎧を纏った先導兵が厳かな歩調で行進を始めると、その足音はまるで大地の鼓動のように響き渡った。



続いて現れたのは、金銀の彫刻が施された豪奢な豊穣車。



車体は深紅と純白の花で彩られ、その上には山のように積まれた新麦の束や色鮮やかな果実が輝いている。

青い葡萄、蜜色の林檎、柑橘の甘い香りが空気を満たし、見守る者たちの心を豊かにした。



その豊穣車を牽くのは、雪のように白い馬と漆黒の馬の二頭。



白馬には花冠が優雅に掛けられ、黒馬は黄金の轡を光らせている。

古くから春と実りの象徴とされてきた彼らの姿は、まるで神話の中の生き物のようであり、行進をより一層荘厳に演出していた。



高まる熱気の中、祭司役の若い女性が豊穣車の頂に立ち、両手に抱えたギンバイカの花冠を群衆に向けて優しく微笑む。

ギンバイカは、古来よりヴェルディアの民にとって幸運の象徴とされてきた特別な花である。



この”豊穣の行進”は、単なる春の祝いではなく、ヴェルディアの伝統を示す重厚な儀式であった。



祭の幕開けは成功し、祝福の喚声が大広場を震わせる中、次の幕へと祭典は静かに、しかし確実に進んでいった。



「今年の豊穣の行進は、今まで以上に見事だな」



ノアはルシェルに声を掛ける。



(これまでも私とこの景色を見てきたことは忘れているのよね…)



「ええ。今年は他国の使節を招いていますので、陛下に言われた通り、例年以上に予算をかけましたので」



「そうか」



二人の間に沈黙が流れる。



「こんなに美しい花を見るのは初めてです陛下!」



イザベルが沈黙を破る。



「あぁ、お前は初めてだったな」



「ええ…」



(陛下は体調でも悪いのかしら…?)


ノアのいつもとは違って淡々とした様子に、イザベルは怪訝そうな顔をする。



「陛下、顔色が優れないように見えますが……」



ルシェルの声にノアは微かに苦笑した。



「……いや、問題ない」



ルシェルは理解できぬ様子で首を傾げる。



イザベルはノアの隣で、まだ控えめに膨らんだ腹に手を当てていた。

彼の視線が、何度もルシェルに向けられていることには、まだ気づいていない。



***



ーー貴族たちが囁く。

「まぁ……あの花びら、とても綺麗だわ……」

「今年の光華祭は格別ですね」

「あれが側室のイザベル様か?皇后陛下に引けを取らぬ美しさだな」

「何言ってるの!皇后陛下がお可哀想だわ…あんなに仲睦まじいお二人だったのに…何があったのかしら…」



一方、使節団たちはそれぞれに、行進の様子を見つめていた。



ルクレル将軍は重厚な声で話す。



「歩調は軍律、装束は儀礼、群衆の波まで指揮下にある……戦わずして示す“威”というやつだな」



親衛軍一行も続けて囁く。



「将軍、確かに。これは各国への牽制にもなりますな」

「見ろ、あの足並みを――ただの祝祭ではないぞ」



藍は冷静な目で周囲を観察しながら応じた。



「導線の設計が精緻です。供物、音楽、視線の焦点が一度も外れない。統率の美、そのままが政治の信頼に転写される――実に巧妙です」



他の使節たちも囁く。



「つまり、市場と同じ……客の眼を操る技法ですね」

「それにこの花びらの美しさ…帝都の職人が作った”花箔”と言うものだそうですよ」

「ヴェルディアには、良い職人がいるようですね」



セリスは静かに微笑む。



「精霊の導きなくとも民の心を結束させる、その統率力は計り知れません」



祭司たちも囁く。



「花びらが風に舞うたび、まるで精霊たちが蘇るようだ」

「精霊は居ないかもしれぬが、こうして人々の祈りが国を繋ぐ。とても美しいですね」



ゼノンは周囲を気にしながらも、ふとルシェルを見つめた。



「殿下、視線があからさまですよ…公の場なのですから、お控えください」



見かねたレイセルが声を掛ける。



「なんだ、ヤキモチか?」



「そんなわけないでしょう…」



「そう怒るなよ。つい彼女を見てしまうんだ、仕方ないだろう」



レイセルは呆れたと言わんばかりに大きなため息をついた。



そして、ゼノンの視線にノアが気づいた。



(アンダルシアの王子はなぜ皇后ばかり見ているのだ……あの日の夜の庭園で見た二人もただならぬ様子だった……あの噂はやはり本当なのだろうか……?…いや、だったらなんだというんだ。皇后が誰と何をしようと……私には関係のないことだ)



胸の奥に、説明のつかない小さな棘が刺さる。



イザベルは、ノアがルシェルを気にしていることにようやく気がついた。



「……イザベル様、ご体調が優れませんか?」



侍女のユリアナが不安げに問う。



「いえ……大丈夫よ。ただ、少し疲れているだけ」



笑顔を作りながらも、声の奥で揺れる自分に気づく。



イザベルは自分の腹に手を添える。

温もりの中に確かに芽生えている命が、なぜか今、頼りなく思えた。



楽団が曲調を変え、行進は最終区画へと差しかかる。

色鮮やかな旗が風に踊り、観衆の歓声が高まる中――使節団たちの沈黙は、逆に鮮烈だった。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~

桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜 ★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました! 10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。 現在コミカライズも進行中です。 「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」 コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。 しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。 愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。 だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。 どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。 もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。 ※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!) 独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。 ※誤字脱字報告もありがとうございます! こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。

旦那様、離婚してくださいませ!

ましろ
恋愛
ローズが結婚して3年目の結婚記念日、旦那様が事故に遭い5年間の記憶を失ってしまったらしい。 まぁ、大変ですわね。でも利き手が無事でよかったわ!こちらにサインを。 離婚届?なぜ?!大慌てする旦那様。 今更何をいっているのかしら。そうね、記憶がないんだったわ。 夫婦関係は冷めきっていた。3歳年上のキリアンは婚約時代から無口で冷たかったが、結婚したら変わるはずと期待した。しかし、初夜に言われたのは「お前を抱くのは無理だ」の一言。理由を聞いても黙って部屋を出ていってしまった。 それでもいつかは打ち解けられると期待し、様々な努力をし続けたがまったく実を結ばなかった。 お義母様には跡継ぎはまだか、石女かと嫌味を言われ、社交会でも旦那様に冷たくされる可哀想な妻と面白可笑しく噂され蔑まれる日々。なぜ私はこんな扱いを受けなくてはいけないの?耐えに耐えて3年。やっと白い結婚が成立して離婚できる!と喜んでいたのに…… なんでもいいから旦那様、離婚してくださいませ!

捨てたものに用なんかないでしょう?

風見ゆうみ
恋愛
血の繋がらない姉の代わりに嫁がされたリミアリアは、伯爵の爵位を持つ夫とは一度しか顔を合わせたことがない。 戦地に赴いている彼に代わって仕事をし、使用人や領民から信頼を得た頃、夫のエマオが愛人を連れて帰ってきた。 愛人はリミアリアの姉のフラワ。 フラワは昔から妹のリミアリアに嫌がらせをして楽しんでいた。 「俺にはフラワがいる。お前などいらん」 フラワに騙されたエマオは、リミアリアの話など一切聞かず、彼女を捨てフラワとの生活を始める。 捨てられる形となったリミアリアだが、こうなることは予想しており――。

婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました

由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。 彼女は何も言わずにその場を去った。 ――それが、王太子の終わりだった。 翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。 裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。 王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。 「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」 ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

私を忘れた貴方と、貴方を忘れた私の顛末

コツメカワウソ
恋愛
ローウェン王国西方騎士団で治癒師として働くソフィアには、魔導騎士の恋人アルフォンスがいる。 平民のソフィアと子爵家三男のアルフォンスは身分差があり、周囲には交際を気に入らない人間もいるが、それでも二人は幸せな生活をしていた。 そんな中、先見の家門魔法により今年が23年ぶりの厄災の年であると告げられる。 厄災に備えて準備を進めるが、そんな中アルフォンスは魔獣の呪いを受けてソフィアの事を忘れ、魔力を奪われてしまう。 アルフォンスの魔力を取り戻すために禁術である魔力回路の治癒を行うが、その代償としてソフィア自身も恋人であるアルフォンスの記憶を奪われてしまった。 お互いを忘れながらも対外的には恋人同士として過ごす事になるが…。 完結まで予約投稿済み 世界観は緩めです。 ご都合主義な所があります。 誤字脱字は随時修正していきます。

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

「出来損ないの妖精姫」と侮辱され続けた私。〜「一生お護りします」と誓った専属護衛騎士は、後悔する〜

高瀬船
恋愛
「出来損ないの妖精姫と、どうして俺は……」そんな悲痛な声が、部屋の中から聞こえた。 「愚かな過去の自分を呪いたい」そう呟くのは、自分の専属護衛騎士で、最も信頼し、最も愛していた人。 かつては愛おしげに細められていた目は、今は私を蔑むように細められ、かつては甘やかな声で私の名前を呼んでいてくれた声は、今は侮辱を込めて私の事を「妖精姫」と呼ぶ。 でも、かつては信頼し合い、契約を結んだ人だから。 私は、自分の専属護衛騎士を最後まで信じたい。 だけど、四年に一度開催される祭典の日。 その日、私は専属護衛騎士のフォスターに完全に見限られてしまう。 18歳にもなって、成長しない子供のような見た目、衰えていく魔力と魔法の腕。 もう、うんざりだ、と言われてフォスターは私の義妹、エルローディアの専属護衛騎士になりたい、と口にした。 絶望の淵に立たされた私に、幼馴染の彼が救いの手を伸ばしてくれた。 「ウェンディ・ホプリエル嬢。俺と専属護衛騎士の契約を結んで欲しい」 かつては、私を信頼し、私を愛してくれていた前専属護衛騎士。 その彼、フォスターは幼馴染と契約を結び直した私が起こす数々の奇跡に、深く後悔をしたのだった。

処理中です...