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034 戸惑う
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「皇后にすべてを奪われる……居場所を失う……」
その言葉が胸の奥で反響し、イザベルの赤い瞳に不安と怒りが入り混じった光が宿る。
(私は…陛下に選ばれたはずなのに…。あの方を死の淵から救い、慰め、心を繋ぎ止めたのは…この私なのに…。どうして?皇后陛下は全て持ってるのに…私には陛下しかいないのよ…)
だが同時に、ノアの冷たい言葉が脳裏をよぎる。
《俺は、ルシェルを愛している》
その言葉がまるで処刑宣告のように、イザベルの心に重くのしかかっていた。
モルガンは彼女の内心を見透かすように、さらに言葉を重ねる。
「あなたはもう気づいているはず。皇帝はあなたを“責任”としてしか見ていない。今の皇帝があなたに求めているのは、腹に宿っている子を無事に産むことだけよ。愛しているのは皇后。それだけよ」
「やめて……!!」
イザベルの声はかすかに震えた。
「でも、方法はあるわ。あなた次第よ」
モルガンの声は甘やかに、しかし底冷えする響きを帯びていた。
***
ーーその頃、皇后居。
ルシェルは書簡を閉じ、深く息をついた。
「……ノアは……イザベルに何をどう話すつもりなのかしら」
ノアと向き合うべきと分かりながらも、胸の奥で別の影――ゼノンの眼差しが、どうしても消えてくれなかった。
「皇后陛下、大丈夫ですか?」
エミリアが心配そうに声をかける。
「ええ、大丈夫よ。いつもあなたに心配をかけてばかりね」
「いいえ、そんなことは…」
「ありがとう。今日は早めに休むわ」
「はい、それがよろしいですね!」
エミリアは微笑んだ。
***
数日するとノアの体調も良くなり、宮殿内は落ち着きを取り戻していた。
そして、宮殿内では”皇帝夫妻の和解”という噂が広がりつつあった。
謁見の間でノアが政務に臨むとき、必ずその隣に皇后ルシェルが立ち、補佐の言葉を添えている。
その姿は凛として優美で、側近や臣下たちには「かつての二人が戻ったかのようだ」と口を揃えた。
イザベルは、ノアと話をしたあの夜から部屋に篭っている。
そして、しばらく滞在していた各国の使節団も、ようやく帰国の準備を始めていた。
ーー皇帝の執務室。
「陛下、お話がーー」
ノアは少し寂しそうに微笑んで、首を横に振る。
「君から“陛下”と呼ばれるのは、なんだか距離を感じるな」
「……そうね。じゃあ…ノア、今、少し時間をもらってもいいかしら?」
「ああ、どうした?」
「実は、璃州国との交易について相談があるの。使節団を迎える前に、あなたが私の父を頼るのはどうかと言ったことを覚えてる?」
「…あぁ、覚えている。あの時はすまなかった。君の気持ちも考えずに…」
ノアが謝るのも仕方ない、とルシェルは思った。
アストレア公爵は、まるで彼女を皇后にするためだけに育て上げたような人だった。
代々この国に皇后を輩出してきた、由緒正しい家柄。
その誇りと威厳は大きな力となる一方で、娘に課せられる重圧は計り知れない。
幼い頃から厳格に育てられたルシェルにとって、公爵は畏敬の対象であると同時に、恐怖そのものでもあった。父親の笑顔を最後に見たのはいつだっただろうか。
もしあの時、ノアに記憶があったなら――きっと、彼はあんな言葉を投げかけはしなかっただろう。
なぜなら、二人が初めて出会ったあの日。まだ幼かったルシェルは、涙で言葉を詰まらせながら、父の厳しさと恐ろしさを打ち明けていたのだから。
その記憶を思い返すほどに、今ここで謝るノアの姿が、切なくも痛ましく映った。
「…いいのよ。それでなのだけれど」
彼女はノアを真っ直ぐに見据える。
「父に手紙を送ったら、《アストレア公爵家として璃州国との交易を全面的に支援する》と返事をいただいたわ。これなら宮廷を通さずに“商業取引”として進められるから、政治的なしがらみも少ないはずよ。璃州国は工芸や加工に長けているけれど、資源自体が不足しているわ。だから、こちらの鉄や銀を渡して、その代わりに茶葉や絹を得るの。お互いに不足を補い合える。……これまで私が個人的に仕入れていた茶葉も、今後は宮殿全体で扱えるようにしたいの。……どうかしら?」
ノアはしばし沈黙し、やがて深く息を吐いた。
「……なるほど。資源と技術の交換か。確かに、皇室ではなくアストレア家を仲介とすれば角も立たない。君らしい提案だな」
「では、私の方で藍様と交易について話を進めるわね」
「…あぁ」
ノアは何か言いたげだ。
「…どうかした?」
「…藍 永燈と随分親しくしているそうだな…。アンダルシアの王子の件もそうだが…君はもう少し使節と距離をとるべきだと思う…」
(…そういうことね)
「それは、私の自由よ。彼らは私の大切な友人なのよ?この件に関して、あなたに何か言われる筋合いはないわ」
「…そうだな、余計な発言だった。すまない…ルシェル」
つい先日まで自分に冷たく接していたノアが、急に昔のノアに戻ったからと言って、これまでのことを無かったことにできるわけじゃない。
ノアが悪くないことがわかっていても、自分の中にう蠢く負の感情を抑えることが難しかった。
今目の前にいるノアは、果たして以前と同じ人物なのだろうかーーそんな考えすら頭をよぎり、息が苦しくなった。
「…では、私はこれで」
ルシェルは平静を保ちつつ、逃げるように執務室を後にした。
その言葉が胸の奥で反響し、イザベルの赤い瞳に不安と怒りが入り混じった光が宿る。
(私は…陛下に選ばれたはずなのに…。あの方を死の淵から救い、慰め、心を繋ぎ止めたのは…この私なのに…。どうして?皇后陛下は全て持ってるのに…私には陛下しかいないのよ…)
だが同時に、ノアの冷たい言葉が脳裏をよぎる。
《俺は、ルシェルを愛している》
その言葉がまるで処刑宣告のように、イザベルの心に重くのしかかっていた。
モルガンは彼女の内心を見透かすように、さらに言葉を重ねる。
「あなたはもう気づいているはず。皇帝はあなたを“責任”としてしか見ていない。今の皇帝があなたに求めているのは、腹に宿っている子を無事に産むことだけよ。愛しているのは皇后。それだけよ」
「やめて……!!」
イザベルの声はかすかに震えた。
「でも、方法はあるわ。あなた次第よ」
モルガンの声は甘やかに、しかし底冷えする響きを帯びていた。
***
ーーその頃、皇后居。
ルシェルは書簡を閉じ、深く息をついた。
「……ノアは……イザベルに何をどう話すつもりなのかしら」
ノアと向き合うべきと分かりながらも、胸の奥で別の影――ゼノンの眼差しが、どうしても消えてくれなかった。
「皇后陛下、大丈夫ですか?」
エミリアが心配そうに声をかける。
「ええ、大丈夫よ。いつもあなたに心配をかけてばかりね」
「いいえ、そんなことは…」
「ありがとう。今日は早めに休むわ」
「はい、それがよろしいですね!」
エミリアは微笑んだ。
***
数日するとノアの体調も良くなり、宮殿内は落ち着きを取り戻していた。
そして、宮殿内では”皇帝夫妻の和解”という噂が広がりつつあった。
謁見の間でノアが政務に臨むとき、必ずその隣に皇后ルシェルが立ち、補佐の言葉を添えている。
その姿は凛として優美で、側近や臣下たちには「かつての二人が戻ったかのようだ」と口を揃えた。
イザベルは、ノアと話をしたあの夜から部屋に篭っている。
そして、しばらく滞在していた各国の使節団も、ようやく帰国の準備を始めていた。
ーー皇帝の執務室。
「陛下、お話がーー」
ノアは少し寂しそうに微笑んで、首を横に振る。
「君から“陛下”と呼ばれるのは、なんだか距離を感じるな」
「……そうね。じゃあ…ノア、今、少し時間をもらってもいいかしら?」
「ああ、どうした?」
「実は、璃州国との交易について相談があるの。使節団を迎える前に、あなたが私の父を頼るのはどうかと言ったことを覚えてる?」
「…あぁ、覚えている。あの時はすまなかった。君の気持ちも考えずに…」
ノアが謝るのも仕方ない、とルシェルは思った。
アストレア公爵は、まるで彼女を皇后にするためだけに育て上げたような人だった。
代々この国に皇后を輩出してきた、由緒正しい家柄。
その誇りと威厳は大きな力となる一方で、娘に課せられる重圧は計り知れない。
幼い頃から厳格に育てられたルシェルにとって、公爵は畏敬の対象であると同時に、恐怖そのものでもあった。父親の笑顔を最後に見たのはいつだっただろうか。
もしあの時、ノアに記憶があったなら――きっと、彼はあんな言葉を投げかけはしなかっただろう。
なぜなら、二人が初めて出会ったあの日。まだ幼かったルシェルは、涙で言葉を詰まらせながら、父の厳しさと恐ろしさを打ち明けていたのだから。
その記憶を思い返すほどに、今ここで謝るノアの姿が、切なくも痛ましく映った。
「…いいのよ。それでなのだけれど」
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ノアはしばし沈黙し、やがて深く息を吐いた。
「……なるほど。資源と技術の交換か。確かに、皇室ではなくアストレア家を仲介とすれば角も立たない。君らしい提案だな」
「では、私の方で藍様と交易について話を進めるわね」
「…あぁ」
ノアは何か言いたげだ。
「…どうかした?」
「…藍 永燈と随分親しくしているそうだな…。アンダルシアの王子の件もそうだが…君はもう少し使節と距離をとるべきだと思う…」
(…そういうことね)
「それは、私の自由よ。彼らは私の大切な友人なのよ?この件に関して、あなたに何か言われる筋合いはないわ」
「…そうだな、余計な発言だった。すまない…ルシェル」
つい先日まで自分に冷たく接していたノアが、急に昔のノアに戻ったからと言って、これまでのことを無かったことにできるわけじゃない。
ノアが悪くないことがわかっていても、自分の中にう蠢く負の感情を抑えることが難しかった。
今目の前にいるノアは、果たして以前と同じ人物なのだろうかーーそんな考えすら頭をよぎり、息が苦しくなった。
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