私たちの離婚幸福論

桔梗

文字の大きさ
37 / 46

037 責任は取る

しおりを挟む
ーーアンダルシア王国の使節団がいる、客殿の一室。



ゼノンは荷造りを進めながら、侍従のレイセルと話している。



「国に戻ることを決められたのですね」



「……ああ。彼女をこれ以上惑わせるべきではないからな」



ゼノンはいつになく気落ちしているように見えた。



「殿下らしくないですね」



「俺らしくない…か。確かにそうだな…。だが、皇帝も記憶を取り戻したようだし、彼女に昨日はっきり言われたんだ。『これからも皇帝を支えていく』とな」



「なるほど…それでそんなふうに沈んでいるわけですか」



「ああ、そうだな。その通りだ」



ゼノンは無理に微笑んだ。



「…まあ、これでよろしかったのではないですか。殿下は想像もできないほどに長い間…苦しんでこられたではないですか。殿下自身の幸せのために生きるべき時が来たということなのでしょう」



「…そうだな。お前のいう通り、私も前に進まなければならないのかもしれない。だが、俺はこの国を離れても、俺は彼女を見守り続けるよ。彼女のために生きることが…俺の生きる理由なのだから」



「……」



レイセルはそんなゼノンをもどかしそうに見つめていた。



***



「……イザベル」



低く抑えた声でノアがイザベルを呼ぶ。



ベッドに横たわっていたイザベルは、しばらく返事をせず、ようやく顔をのぞかせた。

赤い瞳は泣き腫らした痕跡を隠せず、頬はやせ細っている。



「陛下……」



かすれた声。



ノアは寝台の傍らに進み出て、医師に視線を送る。

宮廷医が脈をとり、体温を測り、静かに報告する。

ユリアナはイザベルのそばで心配そうに控えている。



「……お体は弱っておられますが、母子ともに命に別状はありません。ただ、精神的な疲労が大きく、休養と栄養が必要です」



ノアは頷き、イザベルの肩に手を置いた。



「数日、寝込んでいたと聞いた。……心配したぞ。体は大丈夫か?」



イザベルの瞳が揺れる。



「お前とこの子の身を守るのは俺の務めだ」



「本当に……私と、この子を……?」



その問いはかすかな震えと、すがりつく必死さを帯びていた。



「当然だ。俺は……お前に救われた恩を忘れはしない。子供も必ず守ると言っただろう」



言葉は真摯だったが、その奥にある皇后への想いをイザベルも感じ取っていた。



宮廷医は静かに下がり、ユリアナも部屋を辞して二人きりになる。



イザベルは唇を噛み、涙をこらえる。



「……なら、どうして……どうして、すぐに私のところに来てくださらなかったのですか?」



「…すまない。執務に追われていたのだ」



「…そんなの言い訳です!!陛下は私のことなんて心配じゃなかったんでしょう!?」



「イザベル……」



彼の沈黙が、イザベルの胸に鋭く突き刺さる。



「お腹にいるのは陛下の子なのに……私を愛していると言ったのは…あの時、抱きしめてくださったのは…あれは……あれは全て幻だったのですか?」



イザベルの頬に熱い涙が伝う。



「……私は、陛下に選ばれたのだと思っていました。出会った……あの時から、運命だと……」



ノアは目を伏せ、息を吐いた。



彼女の赤い瞳に、絶望と怒り、そして捨てられる恐怖が混じり合って燃え上がる。



「……すまない」



「謝らないでください!」



イザベルは顔を上げ、赤い瞳から大粒の涙を落とした。



「謝られる方が、よほど惨めです……!」



その叫びに、ノアの胸も痛んだ。

だが彼が口にできる言葉は限られていた。



「……俺には、ルシェルがいる。だが、それでもお前と子を見捨てたりはしない。必ず守る。……それが俺にできる唯一の償いだ」



イザベルの肩が震え、嗚咽が洩れる。

「……償い、なんて……私はそんな言葉が欲しかったんじゃない……」



ノアはしばらく彼女を見つめ、やがて立ち上がった。

「……体を休めろ。必要なものは何でも伝えるといい」



彼は振り返らずに扉へ向かう。

その背中を、イザベルは掴みたい衝動に駆られながらも、手を伸ばすことができなかった。



扉が閉じ、静寂が戻る。

残されたイザベルはベッドの上で身を縮め、声にならない嗚咽を繰り返す。



「……だから言ったでしょう。このままでは全て失うわよ」



それは、モルガンの声だった。



「モルガン…教えて…。あの時言っていた方法とは…何なの?私は陛下もこの場所も失いたくないわ」



イザベルは決意に満ちた表情で涙ながらに問いかけた。
しおりを挟む
感想 14

あなたにおすすめの小説

もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~

桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜 ★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました! 10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。 現在コミカライズも進行中です。 「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」 コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。 しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。 愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。 だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。 どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。 もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。 ※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!) 独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。 ※誤字脱字報告もありがとうございます! こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。

旦那様、離婚してくださいませ!

ましろ
恋愛
ローズが結婚して3年目の結婚記念日、旦那様が事故に遭い5年間の記憶を失ってしまったらしい。 まぁ、大変ですわね。でも利き手が無事でよかったわ!こちらにサインを。 離婚届?なぜ?!大慌てする旦那様。 今更何をいっているのかしら。そうね、記憶がないんだったわ。 夫婦関係は冷めきっていた。3歳年上のキリアンは婚約時代から無口で冷たかったが、結婚したら変わるはずと期待した。しかし、初夜に言われたのは「お前を抱くのは無理だ」の一言。理由を聞いても黙って部屋を出ていってしまった。 それでもいつかは打ち解けられると期待し、様々な努力をし続けたがまったく実を結ばなかった。 お義母様には跡継ぎはまだか、石女かと嫌味を言われ、社交会でも旦那様に冷たくされる可哀想な妻と面白可笑しく噂され蔑まれる日々。なぜ私はこんな扱いを受けなくてはいけないの?耐えに耐えて3年。やっと白い結婚が成立して離婚できる!と喜んでいたのに…… なんでもいいから旦那様、離婚してくださいませ!

捨てたものに用なんかないでしょう?

風見ゆうみ
恋愛
血の繋がらない姉の代わりに嫁がされたリミアリアは、伯爵の爵位を持つ夫とは一度しか顔を合わせたことがない。 戦地に赴いている彼に代わって仕事をし、使用人や領民から信頼を得た頃、夫のエマオが愛人を連れて帰ってきた。 愛人はリミアリアの姉のフラワ。 フラワは昔から妹のリミアリアに嫌がらせをして楽しんでいた。 「俺にはフラワがいる。お前などいらん」 フラワに騙されたエマオは、リミアリアの話など一切聞かず、彼女を捨てフラワとの生活を始める。 捨てられる形となったリミアリアだが、こうなることは予想しており――。

婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました

由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。 彼女は何も言わずにその場を去った。 ――それが、王太子の終わりだった。 翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。 裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。 王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。 「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」 ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。

侯爵家の婚約者

やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。 7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。 その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。 カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。 家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。 だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。 17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。 そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。 全86話+番外編の予定

私を忘れた貴方と、貴方を忘れた私の顛末

コツメカワウソ
恋愛
ローウェン王国西方騎士団で治癒師として働くソフィアには、魔導騎士の恋人アルフォンスがいる。 平民のソフィアと子爵家三男のアルフォンスは身分差があり、周囲には交際を気に入らない人間もいるが、それでも二人は幸せな生活をしていた。 そんな中、先見の家門魔法により今年が23年ぶりの厄災の年であると告げられる。 厄災に備えて準備を進めるが、そんな中アルフォンスは魔獣の呪いを受けてソフィアの事を忘れ、魔力を奪われてしまう。 アルフォンスの魔力を取り戻すために禁術である魔力回路の治癒を行うが、その代償としてソフィア自身も恋人であるアルフォンスの記憶を奪われてしまった。 お互いを忘れながらも対外的には恋人同士として過ごす事になるが…。 完結まで予約投稿済み 世界観は緩めです。 ご都合主義な所があります。 誤字脱字は随時修正していきます。

ご安心を、2度とその手を求める事はありません

ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・ それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望

「出来損ないの妖精姫」と侮辱され続けた私。〜「一生お護りします」と誓った専属護衛騎士は、後悔する〜

高瀬船
恋愛
「出来損ないの妖精姫と、どうして俺は……」そんな悲痛な声が、部屋の中から聞こえた。 「愚かな過去の自分を呪いたい」そう呟くのは、自分の専属護衛騎士で、最も信頼し、最も愛していた人。 かつては愛おしげに細められていた目は、今は私を蔑むように細められ、かつては甘やかな声で私の名前を呼んでいてくれた声は、今は侮辱を込めて私の事を「妖精姫」と呼ぶ。 でも、かつては信頼し合い、契約を結んだ人だから。 私は、自分の専属護衛騎士を最後まで信じたい。 だけど、四年に一度開催される祭典の日。 その日、私は専属護衛騎士のフォスターに完全に見限られてしまう。 18歳にもなって、成長しない子供のような見た目、衰えていく魔力と魔法の腕。 もう、うんざりだ、と言われてフォスターは私の義妹、エルローディアの専属護衛騎士になりたい、と口にした。 絶望の淵に立たされた私に、幼馴染の彼が救いの手を伸ばしてくれた。 「ウェンディ・ホプリエル嬢。俺と専属護衛騎士の契約を結んで欲しい」 かつては、私を信頼し、私を愛してくれていた前専属護衛騎士。 その彼、フォスターは幼馴染と契約を結び直した私が起こす数々の奇跡に、深く後悔をしたのだった。

処理中です...