私たちの離婚幸福論

桔梗

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044 誕生日の宴

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二人が大広間に入ると、楽師たちの演奏が一段と高まり、従者が高らかに声を上げる。



「ヴェルディア帝国皇帝陛下、並びに皇后陛下、ご入場!」



扉が開かれた瞬間、まばゆい光が雪崩れ込んだ。

無数の燭台とシャンデリアが煌めき、色とりどりのドレスと軍服が波打つ。

貴族たちは一斉に頭を垂れ、ざわめきが一瞬にして静寂へと変わる。



ルシェルはノアと並んで歩みを進めた。

石床に響く踵の音が、妙に大きく聞こえる。



「ご機嫌麗しゅうございます、皇后陛下」

「陛下におかれましては、益々ご健勝のことと……」



道の両側で貴族たちが次々に恭しく頭を下げる。

その中には、以前ルシェルの地位を陰で揶揄していた者たちの姿もあった。



(……そうよね。今日は、私が皇后としての地位を見せつける日でもあるのだから)



高位貴族の老侯爵が、厚い声で祝辞を述べる。



「この度の御生誕を祝し、帝国のさらなる繁栄と、皇后陛下のご健勝を心よりお祈り申し上げます」



「ありがとう。皆様のおかげで、こうして日々務めを果たせています。今後とも、どうか力をお貸しください」



ルシェルは柔らかな笑みを浮かべ、丁寧に答えた。

その一つ一つのやり取りを、ノアは横目で見つめている。



「今日、我が妻ルシェルの誕生日を、皆と共に祝えることを嬉しく思う。彼女は幼い頃から宮廷を支え、今もなお、この帝国の光であり続けている。――どうか、その未来が穏やかであるよう、皆の変わらぬ支えを願いたい」



祝声が渦を巻き、杯が一斉に掲げられる。

琥珀色の酒が揺れ、光を弾いた。



「皇后陛下に、祝福を!」

「ヴェルディア帝国に、栄光を!」



ルシェルも杯を口に運び、喉を潤す。

程よい甘さと鋭さが舌に残る。



音楽がゆるやかな舞曲へと変わり、舞踏の時間が始まった。



「……ルシェル、踊ってくれるか」



ノアが手を差し出す。その表情には、少しだけ昔の少年の面影が宿っていた。



「ええ」



ルシェルは頷き、彼の手を取る。

二人は輪の中心へと進み、静かに踊り出した。



ノアの腕が腰に回り、もう一方の手が彼女の手を包む。

動きは自然で、長年身体が覚えた形が勝手に再現される。



幼い頃はよくノアの足を踏んで困らせたものだ。

ルシェルはまるで走馬灯でもみているかのように、ノアとのこれまでの日々を思い返していた。



旋律に合わせて、二人は静かに舞い始める。

ドレスの裾が弧を描き、ルシェルの銀髪が光を掬う。周囲から、感嘆の吐息が漏れた。



「やはり、お似合いだ……」



「これでこそ、ヴェルディアの皇帝陛下、皇后陛下だ……」



そんな声が遠くに聞こえる。



「……窮屈じゃないか?」



不意にノアが口を開く。



「何が?」



「……全部、俺の自己満足に過ぎない気がしてな」



ルシェルは一瞬目を見開き、そしてゆっくりと首を振った。



「……ノアが私のために考えてくれたことだもの。もちろん、嬉しいわ。……あなたの気持ちは、よく伝わったからーー」



ノアの胸に、少しだけ救いが灯る。



「…そうか、そう言ってもらえてよかった」



だが胸の奥には、別の影が静かに揺れていた。



(もし、今ゼノン様がここにいたなら、彼はどんな顔で微笑んでくれたかしら)



ふと、視界の端で何かがきらりと光った。

高い窓の隙間から、一匹の銀色の蝶が舞い込んでくる。



(……え?)



蝶は騒めきに怯えることもなく、ゆっくりと円を描きながら、まるで誰かを探すように視線の高さを変えた。

やがて、天蓋の上で一度だけ翅を強くふるわせ、光を散らす。

その光が、一瞬だけルシェルの頬を照らした。



胸の奥が、ぎゅっと締め付けられる。



(あの子……やっと来てくれたのね。でも、今までは夜の庭園にしか現れなかったのに…どうしてこんなところにいるのかしら?)



ルシェルは、いつからかあの蝶はゼノン様の精霊だと思っていたのだが、ゼノンは否定していたため疑問に思っていた。

なぜいつもあの蝶を見ると、彼を思い出すのかーー。

近頃、よく夢に出てきたのも確か銀色の蝶だった。



(あの蝶は一体……)



手は確かにノアの手を握っているのに、心だけが違う場所に引き寄せられていく。

ノアの視線が、一瞬だけ彼女を凝視した。

ルシェルの瞳がかすかに揺れるのを、彼は見逃さなかった。



「……ルシェル?」



「なに?」



「……いや。なんでもない」



心配そうに覗き込もうとする彼から、ルシェルはふっと視線を逸らした。

その仕草に、自分でもわずかな罪悪感を覚える。



銀の蝶は、天井近くで輪を描き、やがて音もなくどこかへ消えた。

今ここでゼノンのことを考えるのは、何かが決定的に変わってしまう気がして、ルシェルは唇を噛んだ。



ルシェルの視線がふと背後に向かう。

彼女の目は、会場の少し離れた場所で控える女の姿を捉えた。

視線の先にいたのはイザベルだ。



彼女は淡い色のドレスに身を包み、腹部の膨らみをゆるやかな布で覆っている。

彼女のそばにはユリアナが付き添い、時おり水差しを受け取って杯に注いでいる。

イザベルは無理に笑顔を作ってみせているが、その頬はややこけ、目の下にはうっすらと影がある。



(あんなに無邪気で明るかった子が…やっぱりノアに何か言われたのね…)



ルシェルの胸に、小さな痛みが走る。



ルシェルは、イザベルを憎んでいるわけではない。

どうしようもない怒りや嫉妬が渦巻いた時期もあったが、それ以上にイザベルの不安そうな瞳は、いつも”弱かった頃の自分”を映しているように思えていた。



(あの子も、……誰かに必要とされたかっただけなのかもしれない)



過去の自分とイザベルのことを考えていたルシェルは、不意に足が滑り、体のバランスを崩した。

咄嗟にノアが彼女の体を支える。その手はとても力強かった。



「大丈夫か?」



ノアが少し驚いたようにルシェルを見つめた。



「ええ……大丈夫。ちょっと、足がもつれただけよ」



ルシェルはノアの手をそっと払いのけ、いつものように微笑んだ――少なくとも、そう見えただろう。
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