私たちの離婚幸福論

桔梗

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046 悪夢は繰り返される

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ーー夜半。



皇城の回廊は、昼の喧騒が嘘のように静まり返っていた。

月の淡い光が石床に長い影を落とす。

その中央を、ノアは無言で歩いていた。



足音は抑えられている。

だが、その一歩一歩には、迷いと決意が重く絡みついていた。



(……行くべきなのか)



自分に問いかけても、答えはもう出ている。

皇帝として。そして――父として。



「陛下、こちらです」



控えていた侍従が小声で告げ、扉の前で立ち止まった。

ノアは一度だけ深く息を吐き、頷く。



「下がれ。しばらく、誰も通すな」



「はっ」



扉が静かに開かれ、また閉じられる。

その音はひどく小さかったが、イザベルにははっきりと聞こえた。



室内は薄暗く、薬草の香りがかすかに漂っていた。

ベッドの上で、イザベルは横たわっている。

顔色は悪く、唇には血の気がない。

腹部を覆う布の下で、小さな命が静かに息づいている。



「……陛下」



かすれた声で、イザベルが名を呼ぶ。

ノアは一瞬、立ち止まり、そして、ゆっくりと歩み寄る。



「具合はどうだ」



それは、極めて事務的な問いだった。

だが、イザベルはそれでも胸の奥が震えるのを止められなかった。



「……まだ、少し……頭痛が……」



「そうか…。医師の話では、命に別状はないそうだ。お腹の子も無事だ」



「……よかった」



沈黙が落ちる。

蝋燭の火が、かすかに揺れた。



ノアは寝台の傍に立ったまま、視線を外している。

イザベルと目を合わせないようにしている――それが、はっきりと分かった。



(……やっぱり)



胸の奥で、何かがきしむ。



(陛下は、もう……)



イザベルは、ゆっくりと目を伏せる。



「陛下……ご迷惑をおかけして…申し訳ありません」



「謝る必要はない。お前も、お腹の子も無事でよかった」



「……陛下」



イザベルは、わずかに身を起こした。

布の下で腹部が動き、ノアの視線が一瞬だけそこへ向く。



「……怖かったのです」



震える声。

だが、それは演技ではなかった。



「この子を連れて、宮殿の外へ出ることが……」



ノアの眉が、かすかに寄る。



「それは――」



「分かっています。陛下のお心遣いだということも。だけど……」



イザベルは、指先を強く握りしめた。



「私は……私は、ここにいなければ、何者でもなくなってしまう」



その言葉は、祈りだった。

そして、絶望だった。



「ここから離れてしまったら……きっと、この子も……」



ノアは、何も言わない。

ただ、静かに聞いている。



(……今だ)



モルガンの声が、耳の奥で囁いた。

イザベルは、自分の唇を強く噛んだ。



「……陛下」



「なんだ」



「少しだけ……近くに、来ていただけますか」



ノアは、躊躇した。

だが、数拍の後、寝台に一歩近づく。



「……これ以上は」



「お願いです」



その声は、弱く、切実だった。



「少しだけ……手を……」



ノアは、しばらくイザベルを見つめた。

そして、ゆっくりと手を差し出す。

その瞬間ーー。イザベルは、その手を強く引いた。



「……っ」



驚いたようにノアが息を呑む。

そしてイザベルの方へ倒れ込むような形になった。

イザベルは、ノアを引き寄せ、顔を近づけた。



「……陛下。愛しています」



そっと低く囁き、次の瞬間ーー。

イザベルの唇が、ノアの唇に触れた。



それは、ほんの一瞬だった。

だが――部屋にまで届くほど満ちた月の光、魔女の血、口付けーーすべてが重なった。

言葉にならない何かが、確かに結ばれた。



ノアの身体が、わずかに強張る。



「……っ」



彼の瞳が、一瞬揺れ、焦点を失う。

イザベルは、そっと唇を離した。



「……陛下?」



ノアは、何も答えない。

ただ、ゆっくりと瞬きをする。



「……無理を、するな」



その声は、先ほどと同じだった。

だが――どこか、違う。



「しばらく、静養しろ。……必要なものは、すべて手配する」



ノアの視線は、もう迷っていないように見えた。

そして、その奥にあった“何か”が、すっと消えていた。



これは、愛だろうか。それとも、魅了だろうか。

分からない。



だが、イザベルはすぐに理解した。



(……成功したんだ)



胸の奥が、ひどく冷える。



(私、……やってしまった)



「……ありがとうございます、陛下」



涙が滲む。それは喜びではなかった。

罪悪感と、安堵と、取り返しのつかなさーー。



ノアは、それに気づかない。



イザベルの胸の奥で、何かが“確かに”動いた。



(……あ)



モルガンの言葉は、正しかった。



『本人にとっては、違わない』



ノアは立ち上がり、扉へ向かう。



「……陛下」



イザベルが、もう一度呼び止める。



「……今日は……ここに、いてくださいませんか……?」



その問いに、ノアは一瞬だけ迷った。



(……俺は今誰のことを考えたんだ?何か忘れている気がする……)



何だかよくわからない考えが浮かんだ。

だが、答えはすでに決まっていた。



「……ああ。今夜は、ここにいる」



静かな声。

彼の中の”最優先”が、再び静かに書き換えられた瞬間だった。



闇の中で、モルガンが微笑む気配だけがあった。



――こうして、世界は再び歪み始めた。
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感想 14

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みんなの感想(14件)

はなにゃん
2025.12.17 はなにゃん

この続きを待ちわびてます!皇后には本当の想い人と幸せになってほしい!

2025.12.17 桔梗

ご感想ありがとうございます✨
誰とどうなっていくのか、この先の展開もお楽しみいただければと思います☺️

解除
さやえんどう
ネタバレ含む
2025.12.17 桔梗

ご感想ありがとうございます🙇‍♀️
この先の展開も楽しんでいただけるように物語を紡いでいきます✨

解除
チュラ
2025.09.30 チュラ
ネタバレ含む
2025.09.30 桔梗

ご感想をお寄せくださり、ありがとうございます😊
いただいたコメントの数々から、私自身も多くの気づきや学びを得ております。
これからも皆さまに楽しんでいただけるよう、心を込めて物語を紡いでまいります。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします🙇‍♀️

解除

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