9 / 46
009 蝶を待つ
しおりを挟む
ゼノンがヴェルディア帝国に滞在してからというもの、ルシェルが夜の庭園に行く回数が減っていた。
理由はふたつある。
ひとつは、ゼノンの滞在によって、皇后としての務めが増えていたこと。
そしてもうひとつは、あの"銀色の蝶"が姿を現さなくなったからだ。
かつて毎夜のように訪れていた、あの静謐な場所。
花が咲き、星が揺れ、そして――銀色の蝶が舞う、あの庭がルシェルにとっての支えであったのに。
「……来てくれないのね、今夜も」
小さく呟いても、返事はない。
あの蝶…あの優しく、儚く、美しい光の化身は、ゼノンが来てから一度も姿を見せていなかった。
(まるで、私の心を見透かしたように……)
ルシェルは、頭の中でゼノンのことを思い浮かべていた。
そうして蝶に会えないまま、その夜も過ぎていった。
***
「皇后陛下、アンダルシアの王子殿下がお見えです」
控えていた侍女・エミリアがどこか不安そうに告げる。
「また…?」
ルシェルはそっと書類を伏せ、椅子から立ち上がった。
「…お通ししてちょうだい」
ため息は飲み込み、唇だけで微笑をつくる。皇后としての顔は、そうやって毎日、少しずつ仮面になっていく。
それでも、いざゼノンを目の前にすると、ふと険しさは消え、優しい気持ちになった。
ゼノンはいつものように姿勢正しく立ち、しかし彼女に向けるまなざしはどこか柔らかい。
「ルシェル様、本日も庭園散策にいかがですか?」
「……ゼノン様。あなたは毎日のようにいらっしゃるのですね…」
「それでは困りますか?」
ルシェルは視線を逸らした。
彼の瞳に映る自分を、正面から受け止めるのが怖かった。
「……そうではありません。ですが…最近、ゼノン様が毎日のように私のもとへいらっしゃると、宮殿内で噂になっております。私には皇后としての立場がありますし、一国の王子であるあなたにとっても不本意なことだと思います」
その言葉に、ゼノンは一瞬だけ沈黙した。
だが、すぐに口元を少しだけ緩めた。
「皇帝陛下は堂々と側室を抱えているのに、なぜルシェル様には“噂”されることすら許されないのですか?それに、私は噂など気にしません」
「それは……皇帝とはそういうものですのです。国のため、世継ぎを残さねばなりませんから…。噂のことはゼノン様が気にされなくても…私は気にするのです」
ルシェルの声は硬い。
心の奥にあるものを隠すための、習いすぎた答えだった。
「…そうですか。でも私は変わりません。本当に嫌であれば、無視してくださっても構いません」
ゼノンは冷静に、それでいて強く言い放った。
***
その夜、ルシェルの部屋には旧友であるクローリアス伯爵家の令嬢のイリアが訪れていた。
イリアは、他の令嬢とは違い、ルシェルが本音で話すことができる唯一の相手だった。
「…やはりそうでしたか。アンダルシアの王子殿下が、皇后のもとに足繁く通っていると噂になっていますもの」
イリアは肩をすくめながらも、茶菓子を一口かじった。
「他のものへの対応と、ルシェル様に対するそれとでは、まるで別人らしいじゃないですか。ルシェル様はどう思っていらっしゃるのですか?」
「私は……」
ルシェルは小さく首を振る。言葉に詰まってしまった。
(私は一体彼のことをどう思っているんだろう…?ただの隣国の王子?それとも弟のような存在?わからない…)
「彼はただの隣国の王子よ。それに、彼には想い人がいるそうよ…その方を、とても大切に思っているように見えたわ」
「でも今はルシェル様に言い寄っているのでは?」
「いいえ、言い寄っているなんてそんな…彼に失礼よ。彼はご兄弟がいないというし、私を姉のように思っているのではないかしら?」
「……そうでしょうか?」
「それに…たとえ好意を持ってくださっていたとしても、私はノアを愛しているのだもの」
ルシェルは絞り出すように答えた。
「でも、今の陛下は……」
その続きをイリアは言わなかった。
ルシェルの胸にある“あの頃とは違う”という辛さを、彼女はよくわかっていた。
***
ーー皇帝の執務室。
「皇后よ。イザベルの懐妊の宴の準備は進んでいるか?」
相変わらずノアの言葉は淡々としていて、表情も冷たい。
「はい。滞りなく進めております」
「そうか」
ルシェルは、ノアに対抗するように淡々と答えた。
だが心の奥では、確かに何かが崩れ落ちていくのをひしひしと感じていた。
イザベルは無邪気な笑みを浮かべて、ノアの腕にからまる。
「陛下、私のための宴なんて嬉しいですわ。皇后陛下も…私の懐妊を喜んでくださるでしょう?だってこの子は、待ちに待った陛下の子なんですもの」
「……ええ、そうね」
はらわたが煮えくりかえるような苛立ちと、それ以上に心の臓が握りつぶされているかのような悲しみが一気に押し寄せ、ルシェルは一礼すると足早に執務室を出た。
(私が目の前であんな言い方をされているのに…どうしてノアは何も言わないの…?本当に私のことなど眼中にないのね…)
皇后として、気丈に振る舞わなくてはいけない。取り乱してはいけない。
そして、宴の準備に追われるルシェルのもとを、ゼノンは変わらず訪れていた。
あの日、遠回しではあるが、”頻繁に来られては困る”と確かに伝えたはずだ。
だが、そんなことはなかったかのように彼はいつもルシェルに微笑みかける。
(はっきり来るなと言わなかった私にも非はあるはね…)
ーーイザベルの懐妊の宴の日。
大広間には金と紅の花が飾られ、イザベルはノアの隣で満面の笑みを浮かべていた。
「皇后陛下、私とこの子のためにこんなに素敵な宴を用意してくださって、とても嬉しいです!」
「……ええ、祝宴は国の慣習ですから」
笑顔を崩さずに答えるルシェルの後ろで、イリアが心配そうに見ている。
そのとき――
「ゼノン・アンダルシア王子殿下のご到着です!」
大扉が開き、銀白の礼装に身を包んだゼノンが現れた。
彼の目がルシェルを見つけた瞬間、まるで、世界が一度止まったように感じた。
「帝国の太陽にご挨拶を。皇帝陛下、ご招待に感謝いたします」
「あぁ、王子も宴を楽しんでくれ」
ノアはそっけなく答えた。
ゼノンはその後、賓客たちへは最低限の挨拶を終えると、まっすぐルシェルのもとへと歩み寄った。
「ルシェル様、本日は一段とお美しいです。月の女神が現れたかと思いました」
「ゼノン様……お世辞でも、嬉しいです。ありがとうございます…」
「私は世辞は申しません。それに、貴女がどれほどの覚悟でこの場に立ち続けているかを私は知っています。貴方はここにいるどんなレディーよりも美しいです。本当です」
その声に、ルシェルの胸がふっと震えた。
(この人は、ちゃんと私自身を見てくれている……)
ルシェルは、ゼノンのあまりに真っ直ぐな視線に目を逸らせずに、心が温かくなるのを感じていた。
ルシェルとゼノンのやり取りに、周囲がざわついている。
「やはり、お二人はただならぬ関係のようですね」
「皇帝陛下はご存じなのかしら?」
「側室がご懐妊されたんですもの…皇后陛下もお寂しいのでしょうね」
イリアがすかさずルシェルのもとに駆け寄り、ゼノンに挨拶をする。
「アンダルシアの王子殿下、お初にお目にかかります。クローリアス伯爵家のイリアでございます。以後お見知り置きを」
イリアはルシェルに目配せし、自分を紹介するように促す。
「ゼノン様、こちら私の旧友であるイリア・クローリス伯爵令嬢です。私の数少ない友人です」
「これは、これは、ルシェル様のご友人でしたか…ご挨拶が遅れましたね。アンダルシア王国のゼノン・アンダルシアです。どうぞよろしくお願いします」
ルシェルの友人だからだろうか、明らかに態度がいい。
だが、ルシェルに見せるあどけない笑顔や優しい微笑みとはまた違った外向きの笑顔だ。
しばらくすると、ゼノンは他の貴族や令嬢たちに囲まれていた。
皆、他国の王子とお近づきになりたいのだろう。
ゼノンは作り笑いを浮かべ、そつない会話をしている。
「皇后」
後ろから、聞き慣れた声が聞こえてきた。ノアだ。
「皇后よ。他国の王子と交流を深めるのは良いが、いかがわしい噂が立つのは皇后としての立場を弁えていないのではないか?」
(なんですって…どうしてあなたがそんなことを言えるの?)
「お言葉ですが陛下、私は皇后としての勤めをおろそかにした覚えはありません。誰にも迷惑をかけてはおりませんが、王子殿下と親しくすることの何がいけないのでしょうか?立場を弁えていないとおっしゃるのならば、陛下の方こそ側室にあまり入れ込みすぎかと思いますが」
ルシェルは皮肉っぽくいった。
「……なに?それは嫉妬か?」
(何が嫉妬よ…)
「そのように聞こえてしまったのであれば申し訳ありません。私は見たままを言ったまでです。側室の懐妊は喜ばしいことですが、皇后としての私の立場もお考えください」
「……もうよい、そなたと話すと疲れる。それはそうと、イザベルに良い侍女をつけてくれ。妊娠していると女性にしか分からぬことも多いようだからな」
(疲れるってなによ……)
「かしこまりました。では、私の方で適任者を探してみます」
ルシェルは胸が締め付けられるような思いを押し殺し、淡々と表情を崩さずに答えた。
「あぁ、任せた。くれぐれも皇后としての立場を忘れるでないぞ」
ノアはそれだけ告げると、イザベルの元へ戻って行った。
ーーその夜、宴が終わった後、ルシェルはひとり庭園に立っていた。
月が庭園の花々に柔らかな光を落としていた。
1人になった途端に寂しさが一気に込み上げ、涙が出そうになった。
その瞬間ーーほんのわずかに空気が揺れた気がした。
見上げると、銀色の蝶が、ただ一匹…
まるで、長い眠りから醒めたかのように舞い降りてきた。
「あなた……やっときてくれたのね?ずっと会いたかったのよ……」
言葉にできない何かが、胸に満ちていく。
その背後に、また、声がした。
「ルシェル様」
振り返ると、そこには月の光に包まれたゼノンがいた。
理由はふたつある。
ひとつは、ゼノンの滞在によって、皇后としての務めが増えていたこと。
そしてもうひとつは、あの"銀色の蝶"が姿を現さなくなったからだ。
かつて毎夜のように訪れていた、あの静謐な場所。
花が咲き、星が揺れ、そして――銀色の蝶が舞う、あの庭がルシェルにとっての支えであったのに。
「……来てくれないのね、今夜も」
小さく呟いても、返事はない。
あの蝶…あの優しく、儚く、美しい光の化身は、ゼノンが来てから一度も姿を見せていなかった。
(まるで、私の心を見透かしたように……)
ルシェルは、頭の中でゼノンのことを思い浮かべていた。
そうして蝶に会えないまま、その夜も過ぎていった。
***
「皇后陛下、アンダルシアの王子殿下がお見えです」
控えていた侍女・エミリアがどこか不安そうに告げる。
「また…?」
ルシェルはそっと書類を伏せ、椅子から立ち上がった。
「…お通ししてちょうだい」
ため息は飲み込み、唇だけで微笑をつくる。皇后としての顔は、そうやって毎日、少しずつ仮面になっていく。
それでも、いざゼノンを目の前にすると、ふと険しさは消え、優しい気持ちになった。
ゼノンはいつものように姿勢正しく立ち、しかし彼女に向けるまなざしはどこか柔らかい。
「ルシェル様、本日も庭園散策にいかがですか?」
「……ゼノン様。あなたは毎日のようにいらっしゃるのですね…」
「それでは困りますか?」
ルシェルは視線を逸らした。
彼の瞳に映る自分を、正面から受け止めるのが怖かった。
「……そうではありません。ですが…最近、ゼノン様が毎日のように私のもとへいらっしゃると、宮殿内で噂になっております。私には皇后としての立場がありますし、一国の王子であるあなたにとっても不本意なことだと思います」
その言葉に、ゼノンは一瞬だけ沈黙した。
だが、すぐに口元を少しだけ緩めた。
「皇帝陛下は堂々と側室を抱えているのに、なぜルシェル様には“噂”されることすら許されないのですか?それに、私は噂など気にしません」
「それは……皇帝とはそういうものですのです。国のため、世継ぎを残さねばなりませんから…。噂のことはゼノン様が気にされなくても…私は気にするのです」
ルシェルの声は硬い。
心の奥にあるものを隠すための、習いすぎた答えだった。
「…そうですか。でも私は変わりません。本当に嫌であれば、無視してくださっても構いません」
ゼノンは冷静に、それでいて強く言い放った。
***
その夜、ルシェルの部屋には旧友であるクローリアス伯爵家の令嬢のイリアが訪れていた。
イリアは、他の令嬢とは違い、ルシェルが本音で話すことができる唯一の相手だった。
「…やはりそうでしたか。アンダルシアの王子殿下が、皇后のもとに足繁く通っていると噂になっていますもの」
イリアは肩をすくめながらも、茶菓子を一口かじった。
「他のものへの対応と、ルシェル様に対するそれとでは、まるで別人らしいじゃないですか。ルシェル様はどう思っていらっしゃるのですか?」
「私は……」
ルシェルは小さく首を振る。言葉に詰まってしまった。
(私は一体彼のことをどう思っているんだろう…?ただの隣国の王子?それとも弟のような存在?わからない…)
「彼はただの隣国の王子よ。それに、彼には想い人がいるそうよ…その方を、とても大切に思っているように見えたわ」
「でも今はルシェル様に言い寄っているのでは?」
「いいえ、言い寄っているなんてそんな…彼に失礼よ。彼はご兄弟がいないというし、私を姉のように思っているのではないかしら?」
「……そうでしょうか?」
「それに…たとえ好意を持ってくださっていたとしても、私はノアを愛しているのだもの」
ルシェルは絞り出すように答えた。
「でも、今の陛下は……」
その続きをイリアは言わなかった。
ルシェルの胸にある“あの頃とは違う”という辛さを、彼女はよくわかっていた。
***
ーー皇帝の執務室。
「皇后よ。イザベルの懐妊の宴の準備は進んでいるか?」
相変わらずノアの言葉は淡々としていて、表情も冷たい。
「はい。滞りなく進めております」
「そうか」
ルシェルは、ノアに対抗するように淡々と答えた。
だが心の奥では、確かに何かが崩れ落ちていくのをひしひしと感じていた。
イザベルは無邪気な笑みを浮かべて、ノアの腕にからまる。
「陛下、私のための宴なんて嬉しいですわ。皇后陛下も…私の懐妊を喜んでくださるでしょう?だってこの子は、待ちに待った陛下の子なんですもの」
「……ええ、そうね」
はらわたが煮えくりかえるような苛立ちと、それ以上に心の臓が握りつぶされているかのような悲しみが一気に押し寄せ、ルシェルは一礼すると足早に執務室を出た。
(私が目の前であんな言い方をされているのに…どうしてノアは何も言わないの…?本当に私のことなど眼中にないのね…)
皇后として、気丈に振る舞わなくてはいけない。取り乱してはいけない。
そして、宴の準備に追われるルシェルのもとを、ゼノンは変わらず訪れていた。
あの日、遠回しではあるが、”頻繁に来られては困る”と確かに伝えたはずだ。
だが、そんなことはなかったかのように彼はいつもルシェルに微笑みかける。
(はっきり来るなと言わなかった私にも非はあるはね…)
ーーイザベルの懐妊の宴の日。
大広間には金と紅の花が飾られ、イザベルはノアの隣で満面の笑みを浮かべていた。
「皇后陛下、私とこの子のためにこんなに素敵な宴を用意してくださって、とても嬉しいです!」
「……ええ、祝宴は国の慣習ですから」
笑顔を崩さずに答えるルシェルの後ろで、イリアが心配そうに見ている。
そのとき――
「ゼノン・アンダルシア王子殿下のご到着です!」
大扉が開き、銀白の礼装に身を包んだゼノンが現れた。
彼の目がルシェルを見つけた瞬間、まるで、世界が一度止まったように感じた。
「帝国の太陽にご挨拶を。皇帝陛下、ご招待に感謝いたします」
「あぁ、王子も宴を楽しんでくれ」
ノアはそっけなく答えた。
ゼノンはその後、賓客たちへは最低限の挨拶を終えると、まっすぐルシェルのもとへと歩み寄った。
「ルシェル様、本日は一段とお美しいです。月の女神が現れたかと思いました」
「ゼノン様……お世辞でも、嬉しいです。ありがとうございます…」
「私は世辞は申しません。それに、貴女がどれほどの覚悟でこの場に立ち続けているかを私は知っています。貴方はここにいるどんなレディーよりも美しいです。本当です」
その声に、ルシェルの胸がふっと震えた。
(この人は、ちゃんと私自身を見てくれている……)
ルシェルは、ゼノンのあまりに真っ直ぐな視線に目を逸らせずに、心が温かくなるのを感じていた。
ルシェルとゼノンのやり取りに、周囲がざわついている。
「やはり、お二人はただならぬ関係のようですね」
「皇帝陛下はご存じなのかしら?」
「側室がご懐妊されたんですもの…皇后陛下もお寂しいのでしょうね」
イリアがすかさずルシェルのもとに駆け寄り、ゼノンに挨拶をする。
「アンダルシアの王子殿下、お初にお目にかかります。クローリアス伯爵家のイリアでございます。以後お見知り置きを」
イリアはルシェルに目配せし、自分を紹介するように促す。
「ゼノン様、こちら私の旧友であるイリア・クローリス伯爵令嬢です。私の数少ない友人です」
「これは、これは、ルシェル様のご友人でしたか…ご挨拶が遅れましたね。アンダルシア王国のゼノン・アンダルシアです。どうぞよろしくお願いします」
ルシェルの友人だからだろうか、明らかに態度がいい。
だが、ルシェルに見せるあどけない笑顔や優しい微笑みとはまた違った外向きの笑顔だ。
しばらくすると、ゼノンは他の貴族や令嬢たちに囲まれていた。
皆、他国の王子とお近づきになりたいのだろう。
ゼノンは作り笑いを浮かべ、そつない会話をしている。
「皇后」
後ろから、聞き慣れた声が聞こえてきた。ノアだ。
「皇后よ。他国の王子と交流を深めるのは良いが、いかがわしい噂が立つのは皇后としての立場を弁えていないのではないか?」
(なんですって…どうしてあなたがそんなことを言えるの?)
「お言葉ですが陛下、私は皇后としての勤めをおろそかにした覚えはありません。誰にも迷惑をかけてはおりませんが、王子殿下と親しくすることの何がいけないのでしょうか?立場を弁えていないとおっしゃるのならば、陛下の方こそ側室にあまり入れ込みすぎかと思いますが」
ルシェルは皮肉っぽくいった。
「……なに?それは嫉妬か?」
(何が嫉妬よ…)
「そのように聞こえてしまったのであれば申し訳ありません。私は見たままを言ったまでです。側室の懐妊は喜ばしいことですが、皇后としての私の立場もお考えください」
「……もうよい、そなたと話すと疲れる。それはそうと、イザベルに良い侍女をつけてくれ。妊娠していると女性にしか分からぬことも多いようだからな」
(疲れるってなによ……)
「かしこまりました。では、私の方で適任者を探してみます」
ルシェルは胸が締め付けられるような思いを押し殺し、淡々と表情を崩さずに答えた。
「あぁ、任せた。くれぐれも皇后としての立場を忘れるでないぞ」
ノアはそれだけ告げると、イザベルの元へ戻って行った。
ーーその夜、宴が終わった後、ルシェルはひとり庭園に立っていた。
月が庭園の花々に柔らかな光を落としていた。
1人になった途端に寂しさが一気に込み上げ、涙が出そうになった。
その瞬間ーーほんのわずかに空気が揺れた気がした。
見上げると、銀色の蝶が、ただ一匹…
まるで、長い眠りから醒めたかのように舞い降りてきた。
「あなた……やっときてくれたのね?ずっと会いたかったのよ……」
言葉にできない何かが、胸に満ちていく。
その背後に、また、声がした。
「ルシェル様」
振り返ると、そこには月の光に包まれたゼノンがいた。
105
あなたにおすすめの小説
もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません~死に戻った嫌われ令嬢は幸せになりたい~
桜百合
恋愛
旧題:もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません〜死に戻りの人生は別の誰かと〜
★第18回恋愛小説大賞で大賞を受賞しました。応援・投票してくださり、本当にありがとうございました!
10/24にレジーナブックス様より書籍が発売されました。
現在コミカライズも進行中です。
「もしも人生をやり直せるのなら……もう二度と、あなたの妻にはなりたくありません」
コルドー公爵夫妻であるフローラとエドガーは、大恋愛の末に結ばれた相思相愛の二人であった。
しかしナターシャという子爵令嬢が現れた途端にエドガーは彼女を愛人として迎え、フローラの方には見向きもしなくなってしまう。
愛を失った人生を悲観したフローラは、ナターシャに毒を飲ませようとするが、逆に自分が毒を盛られて命を落とすことに。
だが死んだはずのフローラが目を覚ますとそこは実家の侯爵家。
どうやらエドガーと知り合う前に死に戻ったらしい。
もう二度とあのような辛い思いはしたくないフローラは、一度目の人生の失敗を生かしてエドガーとの結婚を避けようとする。
※完結したので感想欄を開けてます(お返事はゆっくりになるかもです…!)
独自の世界観ですので、設定など大目に見ていただけると助かります。
※誤字脱字報告もありがとうございます!
こちらでまとめてのお礼とさせていただきます。
旦那様、離婚してくださいませ!
ましろ
恋愛
ローズが結婚して3年目の結婚記念日、旦那様が事故に遭い5年間の記憶を失ってしまったらしい。
まぁ、大変ですわね。でも利き手が無事でよかったわ!こちらにサインを。
離婚届?なぜ?!大慌てする旦那様。
今更何をいっているのかしら。そうね、記憶がないんだったわ。
夫婦関係は冷めきっていた。3歳年上のキリアンは婚約時代から無口で冷たかったが、結婚したら変わるはずと期待した。しかし、初夜に言われたのは「お前を抱くのは無理だ」の一言。理由を聞いても黙って部屋を出ていってしまった。
それでもいつかは打ち解けられると期待し、様々な努力をし続けたがまったく実を結ばなかった。
お義母様には跡継ぎはまだか、石女かと嫌味を言われ、社交会でも旦那様に冷たくされる可哀想な妻と面白可笑しく噂され蔑まれる日々。なぜ私はこんな扱いを受けなくてはいけないの?耐えに耐えて3年。やっと白い結婚が成立して離婚できる!と喜んでいたのに……
なんでもいいから旦那様、離婚してくださいませ!
捨てたものに用なんかないでしょう?
風見ゆうみ
恋愛
血の繋がらない姉の代わりに嫁がされたリミアリアは、伯爵の爵位を持つ夫とは一度しか顔を合わせたことがない。
戦地に赴いている彼に代わって仕事をし、使用人や領民から信頼を得た頃、夫のエマオが愛人を連れて帰ってきた。
愛人はリミアリアの姉のフラワ。
フラワは昔から妹のリミアリアに嫌がらせをして楽しんでいた。
「俺にはフラワがいる。お前などいらん」
フラワに騙されたエマオは、リミアリアの話など一切聞かず、彼女を捨てフラワとの生活を始める。
捨てられる形となったリミアリアだが、こうなることは予想しており――。
婚約破棄された翌日、兄が王太子を廃嫡させました
由香
ファンタジー
婚約破棄の場で「悪役令嬢」と断罪された伯爵令嬢エミリア。
彼女は何も言わずにその場を去った。
――それが、王太子の終わりだった。
翌日、王国を揺るがす不正が次々と暴かれる。
裏で糸を引いていたのは、エミリアの兄。
王国最強の権力者であり、妹至上主義の男だった。
「妹を泣かせた代償は、すべて払ってもらう」
ざまぁは、静かに、そして確実に進んでいく。
侯爵家の婚約者
やまだごんた
恋愛
侯爵家の嫡男カインは、自分を見向きもしない母に、なんとか認められようと努力を続ける。
7歳の誕生日を王宮で祝ってもらっていたが、自分以外の子供を可愛がる母の姿をみて、魔力を暴走させる。
その場の全員が死を覚悟したその時、1人の少女ジルダがカインの魔力を吸収して救ってくれた。
カインが魔力を暴走させないよう、王はカインとジルダを婚約させ、定期的な魔力吸収を命じる。
家族から冷たくされていたジルダに、カインは母から愛されない自分の寂しさを重ね、よき婚約者になろうと努力する。
だが、母が死に際に枕元にジルダを呼んだのを知り、ジルダもまた自分を裏切ったのだと絶望する。
17歳になった2人は、翌年の結婚を控えていたが、関係は歪なままだった。
そんな中、カインは仕事中に魔獣に攻撃され、死にかけていたところを救ってくれたイレリアという美しい少女と出会い、心を通わせていく。
全86話+番外編の予定
私を忘れた貴方と、貴方を忘れた私の顛末
コツメカワウソ
恋愛
ローウェン王国西方騎士団で治癒師として働くソフィアには、魔導騎士の恋人アルフォンスがいる。
平民のソフィアと子爵家三男のアルフォンスは身分差があり、周囲には交際を気に入らない人間もいるが、それでも二人は幸せな生活をしていた。
そんな中、先見の家門魔法により今年が23年ぶりの厄災の年であると告げられる。
厄災に備えて準備を進めるが、そんな中アルフォンスは魔獣の呪いを受けてソフィアの事を忘れ、魔力を奪われてしまう。
アルフォンスの魔力を取り戻すために禁術である魔力回路の治癒を行うが、その代償としてソフィア自身も恋人であるアルフォンスの記憶を奪われてしまった。
お互いを忘れながらも対外的には恋人同士として過ごす事になるが…。
完結まで予約投稿済み
世界観は緩めです。
ご都合主義な所があります。
誤字脱字は随時修正していきます。
ご安心を、2度とその手を求める事はありません
ポチ
恋愛
大好きな婚約者様。 ‘’愛してる‘’ その言葉私の宝物だった。例え貴方の気持ちが私から離れたとしても。お飾りの妻になるかもしれないとしても・・・
それでも、私は貴方を想っていたい。 独り過ごす刻もそれだけで幸せを感じられた。たった一つの希望
「出来損ないの妖精姫」と侮辱され続けた私。〜「一生お護りします」と誓った専属護衛騎士は、後悔する〜
高瀬船
恋愛
「出来損ないの妖精姫と、どうして俺は……」そんな悲痛な声が、部屋の中から聞こえた。
「愚かな過去の自分を呪いたい」そう呟くのは、自分の専属護衛騎士で、最も信頼し、最も愛していた人。
かつては愛おしげに細められていた目は、今は私を蔑むように細められ、かつては甘やかな声で私の名前を呼んでいてくれた声は、今は侮辱を込めて私の事を「妖精姫」と呼ぶ。
でも、かつては信頼し合い、契約を結んだ人だから。
私は、自分の専属護衛騎士を最後まで信じたい。
だけど、四年に一度開催される祭典の日。
その日、私は専属護衛騎士のフォスターに完全に見限られてしまう。
18歳にもなって、成長しない子供のような見た目、衰えていく魔力と魔法の腕。
もう、うんざりだ、と言われてフォスターは私の義妹、エルローディアの専属護衛騎士になりたい、と口にした。
絶望の淵に立たされた私に、幼馴染の彼が救いの手を伸ばしてくれた。
「ウェンディ・ホプリエル嬢。俺と専属護衛騎士の契約を結んで欲しい」
かつては、私を信頼し、私を愛してくれていた前専属護衛騎士。
その彼、フォスターは幼馴染と契約を結び直した私が起こす数々の奇跡に、深く後悔をしたのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる