生残の秀吉

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駆引

百三十七.妙手の秀吉

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天正十一年二月十五日 申の刻

鞍掛峠くらかけとうげを越えてきたのは、一益かずますの予想とは違い、秀吉ひでよし本隊ではなく、三好孫七郎信吉みよしまごしちろうのぶよしらがひきいる二万五千の別働隊であった。五日ほど前に山間やまあいから平地ひらちへ進み出た信吉のぶよしらは、近くの光蓮寺こうれんじまで押し出し、そこに陣を構えた。そして信吉のぶよしはその近辺に仰々ぎょうぎょうしい柵の構築を始めた。いつの間にか柵の一帯は総金そうきんのぼりで埋め尽くされ、遠目からは祭でもやっているのかと思えるような随分とにぎやかな様子がうかがうことができる。時折、滝川たきがわ党の小隊が小競こぜいを仕掛けてくるが、中村一氏なかむらかずうじが鉄砲で、堀尾吉晴ほりおよしはるが馬を駆け巡らせて威嚇いかくするだけの退屈なときが続く。その間に信吉のぶよしきずく柵は着々とひろがっていくが、この柵は一時的なものであると皆知っているせいか、案外と兵たちの動きはゆったりしている。秀吉ひでよし直々じきじきに命ぜられた信吉のぶよしですら、さほどの緊張感を持ち合わせていない。

(これだけ大掛かりに見せかければ十分だろう。敵方てきがたも本気で攻めてはこないものの、こう毎度毎度茶化ちゃかしにくるところを見ると、敵はまだ叔父上おじうえがここにると思っているに違いないっ。ここまでは叔父上おじうえの思惑通りじゃなっ。)

今日も二度ほど敵がわずかな矢を放ってきたが、結局何事もなく日暮れが近づく。光蓮寺こうれんじの庭にて、信吉のぶよしが家臣から柵の出来具合できぐあいの報告を訊いていると、そこへ秀勝ひでかつれしい笑みを浮かべながら現れる。

御苦労様ごくろうさまにございまするっ、孫七郎殿まごしちろうどのぉっ。」

「あっ、秀勝殿ひでかつどのっ・・・。」

信吉のぶよしかえし素気そっけないが、信吉のぶよしは家臣への指図をそそくさと済ませ、退かせる。

「奥でくつろがれますかぁ・・・。」

「いやいやっ、すぐに退きますので、ここにて結構でございます。」

静寂の中に方々ほうぼうで小鳥がさえずる中、二人は立ち並ぶ柵を見下ろす。

秀勝殿ひでかつどのがここへお出ましということは・・・、いよいよですかぁ。」

「先ほど義父上ちちうえの陣からしらせが参りました。明朝、鈴鹿口すずかぐちから一気に南の城を攻め立てるので、同時にわたくしにもここからみねの城を攻めよと・・・。ですので、今宵こよいのうちにここをち、ひそかに南下いたしまする。」

然様さようですかぁっ。闇夜の行軍とはいえ、今宵こよいは月を隠す雲もさほどではございませんでしょう。こちらを攻めようとする敵方てきがた鉢合はちあわせするかもしれません。油断なさらず、お気を付けて御出立ごしゅったつくださいませっ。われらも明朝、後を追いまするっ。」

御心遣おこころづかい感謝いたしまする。」

呆気あっけなく一通りの会話が終わってしまう。義理とはいえ、二人は従兄弟いとこ同士である。改めてそのことに気づく同い年の二人は、共に気まずい空気につつまれる。何か話題はないかと頭の中を巡らす秀勝ひでかつだったが、信吉のぶよしの方が先に口を開く。

此度こたび叔父上おじうえの策っ。如何いかがに思われまする・・・。」

戦略を論じるのが好きな秀勝ひでかつだが、信吉のぶよしの方から淡白に問われるのは意外である。

一益殿かずますどのはおそらく義父上ちちうえ大軍たいぐんをもって長島ながしまの城を囲むとお考えでしょう。その裏をかき、南の城に陣取る小隊を先に討ち、邪魔が入らぬ形で長島ながしま一益殿かずますどのを封じるっ・・・。見事な策かと思っておりますがぁ・・・。」

「皆そう申されますが、まことに良策とお考えですか。わたくしがこれだけの大軍たいぐんを動かせるのなら、少々の犠牲が出ても、とっとと長島ながしまを囲み、早く籠城ろうじょうに持ち込みまする。」

信吉のぶよしの感情のない論評ろんぴょう秀勝ひでかつをむっとさせる。

「でっ、では義父上ちちうえの策はよろしくないと・・・。」

「そういうわけではございませぬが、わたくしには叔父上おじうえには別の考えがおありなのではと勘繰かんぐっておりまする。」

秀勝ひでかつは『試されてるのか。』と信吉のぶよしを疑う。義父ちちの命が出た瞬間に秀勝ひでかつは疑うことを忘れてしまっていたが、改めて言われてみれば秀吉ひでよしの策は回りくどい。何かを見落としているかもと感じ始めるも、答えの出ない秀勝ひでかつ歯痒はがゆい。一方で信吉のぶよし秀勝ひでかつの不愉快の表情を感じ取り、あわてて申し開きをする。

「あっ、いやっ、申し訳ございませぬ。わたくしは幼い頃から他家に人質ひとじちに出されていたゆえに、恥ずかしながら叔父上おじうえひざまじえて話をする機会が少なく、叔父上おじうえの考えがよく分からないときがあるのです。その上わたくしは疑い深い性分しょうぶんでしてぇ、わたくしなら選ばぬ道を叔父上おじうえがお選びになるなら、それにはきっと裏があると疑ってかかってしまいましてぇ・・・。長らく叔父上おじうえと共にされている秀勝殿ひでかつどのなら皆と違うことを申されるかと思い、ついぞっ・・・。」

めたようだが、信吉のぶよしなりに秀吉ひでよしの戦略を深く考察していることが分かった秀勝ひでかつは少し安心する。しかし信吉のぶよしの疑問にはうまく返せない。

「色々とおつらい目に遭われたことはうかがっておりますが、此度こたびのことに関してはお考えすぎではございませぬか・・・。柴田殿しばたどののこともありますゆえ、なるべく兵を失いたくないと義父上ちちうえはお考えなのではありませぬかぁ。」

然様さようでございましょうかぁ。そもそもわたくしが勘繰かんぐり始めたのは先日の軍議に参画したときからでぇ・・・。ふと思ったのです。陣中に殺気さっきがないなと・・・。それよりも叔父上おじうえ柴田様しばたさまの動きばかりを気にされているようで・・・。それで、わたくしは考えたのです。叔父上おじうえまことの狙いは、一益様かずますさまらを討ち取ることなく、滝川たきがわ党の皆様を丸ごとかかえられないかとお考えになっているのではと・・・。叔父上おじうえいくさ御味方おみかたを増やすことをとします。今の滝川たきがわ党の皆様は頭に血が昇っておられましょうが、叔父上おじうえはその熱がめてからのことを考えて・・・、あっ、いやっ、あくまでわたくしの邪推じゃすいでありまする。」

義父上ちちうえ一益殿かずますどのの首をねるつもりはないとおっしゃるのですかぁ・・・。」

「はっ、はいっ。滝川たきがわ党の皆様は結束がかたいと聞き及んでおります。然様さような者たちは敵にすれば厄介やっかい、味方にすればたのもしくありまする。それはわたくしも三好みよしの家にいて肌で感じているところであります。兵の数からして勝敗は歴然れきぜん。ならば滝川たきがわ党の皆様に長戦ながいくさの無意味をさとらせ、逆に御味方おみかたひきいれようとされておられるのではないでしょうか。えて南の城から攻め、遺恨いこんが残らぬよう存分に暴れさせた後、残党となって長島ながしまへ逃げ込ませ、『命は取らぬ』と、いやっ、『わしにつかえよ』と申し出るのではないでしょうか。」

「最初から長島ながしまを囲めば滝川たきがわ党は分断され、一益殿かずますどのでも束ねられなくなり、われらにしてみれば裏切り者を作りやすくて都合がえぇ。じゃがそれよりも一同がかいして一族の行く末を選ばせるように事を運べば、滝川たきがわ党ごと恭順きょうじゅんさせることができるやも・・・。」

自分で言葉をさえぎり、秀勝ひでかつは黙り込む。

(確かに義父上ちちうえは必要のない命のやり取りをせぬ御人ごじんぞぉ。一益殿かずますどの義父上ちちうえ甲斐かい信濃しなのを取り上げたことに不満を抱いておられるが、三七兄さんしちあにぃのようにこの世から消えろとまでは思っておらん。まだ話ができる相手と思っておられるのかぁ・・・。なんということだぁっ。わたくしよりも孫七郎殿まごしちろうどのの方が義父上ちちうえのことをよく存じ上げているとは・・・。)

秀勝ひでかつ観念かんねんする。

「きっと孫七郎殿まごしちろうどののお考えはまとを得てますぞぉ。恐れ入り申した。ならばこの秀勝ひでかつ、これよりみねの城を攻め込み、敵を長島ながしまへ追いやることに専念いたしましょうぞぉ。」
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