生残の秀吉

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駆引

百四十二.着陣の勝家

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天正十一年三月十五日 未の刻

勝家かついえ柳ヶ瀬山やながせやまに到着して三日がつ。一通りの陣取りを済ませた柴田勢しばたぜいの諸将たちは、それぞれの砦造とりでづくりを家臣たちに任せ、柳ヶ瀬山やながせやまに集結する。しかし肝心の勝家かついえが陣中に現れない。一向に軍議を開けない将たちは苛立いらだちを隠せない。そんな陣中の様子も知らず、前田利長まえだとしなが遅参ちさんしてやってくる。急いで陣に入ろうとしたとき、利長としなが浅葱色あさぎいろ袈裟けさを着た僧とすれ違う。

(おやっ、斯様かようところにしては随分と派手な袈裟けさまとった坊主ぼうずがおるのぉ・・・。それに案外と大柄じゃぁ。)

利長としながはついぞ立ち止まり、僧がのそと陣幕をくぐって退く様子を見送る。しばらくしてふと利長としながは自分が遅参ちさんしていることを思い出す。

(いかんっ、いかんっ。急がんとまた父上ちちうえにどやされるぅっ・・・。)

利長としながが陣に入ると、そこには正面左に佐久間盛政さくまもりまさが、右に柴田勝政しばたかつまさが座しており、彼らと対峙たいじするように前田利家まえだとしいえ不破直光ふわなおみつ金森長近かなもりながちか原彦次郎はらひこじろう徳山則秀とくやまのりひで拝郷家嘉はいごういえよしら、錚々そうそうたる将たちが床几しょうぎに座している。盛政もりまさ勝政かつまさの間には床几しょうぎが一つ置かれており、ここに勝家かついえが座すのであろう。利長としながは身をかがませながら対面中央に座す利家としいえの背後に回る。

父上ちちうえっ、遅くなり申したぁっ。なにぶん、雨がひどくなってきてましてぇ・・・。」

「言い訳はいらん。黙って座っておれ。まだ親父おやじが姿を現しておらん。」

「はっ、ではまだ軍議はぁ・・・。」

「始まっておらん。」

利長としながは眼を点にしながらゆっくり腰かけるが、そのとき直光なおみつ盛政もりまさに向かってわめく。

親父殿おやじどのはどうなされたぁっ。筑前殿ちくぜんどのの大軍がこちらに向かっているというではないかぁっ・・・。備えねばならんというにぃ、いつまで待たせるのじゃぁ・・・。」

彦三殿ひこざどのっ、あせるは分かるが、もうしばらく待たれよ。たった今、御客人おきゃくじんが帰られたので、親父様おやじさまが来られるのはもうすぐじゃろぉ。」

(客ぅっ・・・、さっきのあの坊主ぼうずかぁ・・・。)

利長としながは先ほどの僧を連想するが、このようないくさの最前線にやってくるような人物に全く心当たりがない。するとようやく勝家かついえがどかどかと陣幕をくぐって入ってくる。

「皆の者ぉ、待たせたのぉ。」

一同が全員立ち上がり、勝家かついえに一礼する。勝家かついえは右手を上下に振り、一同を座らせる。

「皆の者ぉ、朗報じゃぁ。毛利もうりが動くぞぉっ・・・。」

先ほどまで苛立いらだちの相を見せていた諸将たちは、一変して驚愕きょうがくよろこびの表情となる。真っ先に盛政もりまさが叫ぶ。

まことでございますかぁ。」

「あぁっ、先ほどまで毛利もうりの使いが来ておった。」

そして左手に持っていた長い木箱を一同の前に突き出し、右手でそのふたを開ける。箱の中には書状が二つ入っている。

「一つは公方様くぼうさま下知状げちじょう、もう一つは右馬頭殿うまのかみどのからの書状じゃ。どちらもわしからの挙兵の催促さいそくに応えて下さるむねつづられておるぅっ。」

陣中には『おおぉっ。』というどよめきが立つが、利長としながは不思議がる。

(あれっ、右馬頭様うまのかみさま公方様くぼうさまに従うということかぁ。それって信用できるのかぁ。右馬頭様うまのかみさま荒木殿あらきどの謀反むほんのときも、大殿おおとの仇討あだうちのときも、公方様くぼうさまのいうことを訊かずに兵を動かさなかったではないかぁ・・・。)

利長としながはいつも父にしかられている様子を見られているので、周囲からは凡庸ぼんような青年に見られがちである。しかし実は極めて聡明そうめいな頭脳の持ち主であり、感情に流されずに物事を冷静に見極められる性分しょうぶんを持っている。利長としながからすれば、なぜ陣中がこの書状を怪しむこともせず、盛り上がりを見せるのかが理解できない。盛政もりまさかす。

「してぇっ、毛利もうりが立つのはいつっ・・・。」

二月後ふたつきご・・・。田植えが済んでからじゃそうじゃぁ・・・。」

(ふぅぅんっ、やはり怪しいのぉ・・・。)

利長としながの疑念がますます深まるのに対して、先ほどまで士気が上がりかけていた一同は、急に他の将の顔色をちらちらとうかがいながら、自分の聞き間違いであったかどうかを確かめ合う。しかし徐々にそれは勘違かんちがいではないことに気づいていく。

「ふっ、二月ふたつきとぉっ・・・、然様さように待っておったら、長島ながしまは落ちてしまいますぞぉっ。」

盛政もりまさあきごえに他の将たちも賛同する。しかし勝家かついえはきりとした面持おももちで告げる。

「いやっ、一益かずますならこたえてみせる。元々、彼奴あやつはそのつもりで兵を挙げたぁ。筑前ちくぜんが妙手をはかりよったんで、思ったよりも早く長島ながしまの城に封じられたが・・・、じゃが所詮しょせんそれだけのことっ。一益かずますは最初から半年以上ねばるつもりじゃぁ。」

「そっ、それではわしらはぁっ・・・。」

「ここで二月ふたつき筑前ちくぜんにらうっ。」

いくさはせんとぉっ・・・。なっ、何故なにゆえじゃぁっ・・・。ようやく待ち望んだ筑前ちくぜんを討つ好機ぃっ。なのにさらに二月ふたつきも待つなぞとはぁっ・・・。」

玄蕃允げんばのじょうっ、あせるでない。数は敵の方が多い。あせって仕掛けるは、われらの不利じゃぁ。それよりも筑前ちくぜんの方をあせらせるっ。毛利もうりが動けば筑前ちくぜんは西にも兵をかねばならん。すれば眼前の敵の数は減るっ。わしらが仕掛けるはそれからじゃぁ。」

(こりゃぁ、親父様おやじさまのいうことの方が理にかなっとる。まこと二月後ふたつきご毛利もうりが動くというのが前提じゃがなっ。その点は親父様おやじさまは疑っておられんようじゃがぁ・・・、大丈夫かのぉ。)

盛政もりまさの堅い両拳は彼の両膝りょうひざに当てられ、同時にいきどおりで肩が震えている。勝政かつまさは拳こそ握られていないが、表情は盛政もりまさ同様に見える。一方で、他の諸将はいくさが先送りになったせいか、少し気が抜けたように見受けられる。彼等をうかがいながら、利長としながは推理する。

(これが毛利もうりはかりごとだとしたら目的はなんじゃぁ。わしらをいらつかせたいのかぁ・・・。もしかして毛利もうりは既に筑前様ちくぜんさまつるんでおって、これは筑前様ちくぜんさまはかりごとじゃというのかぁ。じゃとしたらぁ・・・、うぅぅんっ、わしらの勝ち目はないのぉ・・・。)


その頃、柳ヶ瀬山やながせやまの陣から敦賀つるがへ向かう馬の上で、安国寺恵瓊あんこくじえけいがにやつきながらひとごとをつぶやいている。

「これでよろしゅうございますかなぁっ、筑前守様ちくぜんのかみさまぁ・・・。」
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