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駆引
百四十一.離脱の秀吉
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天正十一年三月十日 辰の刻
長島・桑名を臨む多度山には秀吉の大軍勢が集結しており、今まさに北上を開始しようとしている。長島城の滝川一益からもその様子が見てとれたが、一益のなす術はない。秀吉の元には黒田官兵衛、羽柴小一郎、丹羽長秀、それに今後の指図を確かめるために蒲生氏郷も集まっている。五人は絵図を取り囲むように座す。
秀吉「さぁっ、いよいよ権六が下りてきたぞぃ。」
官兵衛「久太郎殿の報せでは、修理之亮殿は柳ヶ瀬山に、勝政殿と佐久間玄蕃允を行市山に、前田利家殿ら他の諸将を別所山から西にかけての峰々に陣取らせる模様じゃぁ。」
秀吉「やはりわしらを見下ろすように構えてきよったわぃ。」
小一郎「東野や北余呉の村々に火をかけちょると訊いちょるがぁ・・・。」
官兵衛「修理之亮殿らが砦を築く刻を稼ぐつもりのようじゃぁ。あまりちょこまかされても鬱陶しいんでなっ、堂木山から北国街道を遮る柵を設けるよう、久太郎殿が指図したそうじゃ。材木も随分と余っておったらしいしのぉ。」
秀吉「そんにしても権六は未だ古い手を使ぉとるのぉっ。今どき村を焼き払うようなこつして百姓らの翻意を煽れると思っちょるんかぁ。こっちゃは既に銭であん辺りの百姓らを手懐けとるっちゅうにぃ・・・。」
長秀「お主ぃっ、もう然様な手筈を整えとったんかぁ。まぁったく、呆れるわぃ。」
呆気の長秀に小一郎が説明する。
小一郎「兄さぁはこん伊勢に居る間、一益殿らのこつよりもずぅぅっと越前のこつしか気にしとらんかったでぇっ・・・、十分すぎるくらい北の支度はでけとるわぃっ。」
秀吉「んにゃぁっ、小一郎っ・・・。いつも云うとるじゃろぉっ、念には念をじゃ。戦の備えなぞ、十分すぎるくらいやるんがええんじゃぃ。」
長秀「分かった、分かったぁ。じゃが権六殿が村を焼くのは、筑前の兵が村に隠れられんようにしたいからじゃろう。」
秀吉「じゃったら砦なんぞ築いとらんと、さっさと攻めてくりゃぁえぇもんを・・・。最初から長戦を狙ぉとるんは見え見えじゃぁ。」
五人ともこれからが本当の戦であると意気込んでいる。一月前まで、秀吉以外の諸将たちは今のような展開になるとは思っておらず、北と南から反秀吉勢に挟撃されることを恐れていた。しかし蓋を開けてみれば、一部の滝川党には苦戦するものの、結局は一益らの動きを伊勢に閉じ込め、味方の士気がさほど落ちていない頃合いに勝家が兵を動かすこととなり、今はむしろ勝家との対峙の前に少しばかりの余裕さえ現れている。
小一郎「そいでっ、兄さぁっ。立つかぁ・・・。」
秀吉「あぁっ。忠三郎っ、ここには一万五千の兵を残すっ。三介殿の兵と合わせて三万じゃぁ。滝川一党を封じるんにゃぁ十分じゃろう。任せたぞぃっ。」
なかなか軍議に入り込めなかった氏郷が、ようやく口を開く。
氏郷「かっ、畏まりましたぁっ。この伊勢から滝川勢を一歩も出られぬよう致しますので、筑前様には心置きなく、権六様との戦に御臨み下されぇ。」
秀吉「うむっ、よぉ申したぁ。えぇかぁ、深追いして兵を失う必要はねぇからのぉっ。」
気合いの入った眼で頷く氏郷を横目に、官兵衛が不思議がる。
官兵衛「そういえば、信雄様は来ておられぬようでぇ・・・。」
秀吉「あぁっ、わしも立つ前に三介殿に遭ぉておきたかったんじゃが、東美濃衆の動きが気になるからっちゅうて来られなんだぁ。」
長秀「三介殿が抜けられないほど、東美濃衆の動きは激しいのかぁ。」
官兵衛「まだ然様な報せは受けておりませぬがぁっ、信雄様の考え過ぎではぁ・・・。」
秀吉「まぁっ、えぇっ。警戒するに越したこたぁねぇ。三介殿と雄利殿には文を寄越しておいたから、心配ねぇじゃろうっ。それよりも五郎左殿ぉっ、五郎左殿には改めて頼みがあるんじゃがぁ・・・。」
長秀「ここへきて頼みとは何じゃぁ。」
秀吉「五郎左殿にはわしらと別行動をとってもれぇてぇ。一旦、安土・坂本を通って五郎左殿の所領に戻ってもらい、そっから陸と湖づてに、ゆっくりでえぇから兵を東に進めてほしいんじゃ。そんで戦が長引いた場合の兵站路を整えて欲しいっ。」
長秀「わしは西を固める役割というわけじゃなぁっ。承知した。」
秀吉「わしらはこっから五万の兵で木之本まで進む。小一郎っ、わしの前を行けぇっ。官兵衛っ、わしが木之本に着いたら軍議を開く旨を久太郎らに伝えよっ。あっ、そぉじゃぁっ、佐吉ぃっ、佐吉はおるかぁ・・・。」
佐吉がすたと小一郎の背後に姿を見せる。
佐吉「お呼びでございましょうかぁ。」
秀吉「其方は秀勝殿と共にわしらの一番後ろを行けぇっ。そんでここと木之本の間の道をわしらの兵が勢いつけて往き来できるよぉ、整えておけぇ。」
佐吉「はっ・・・、それで秀勝様は今何処におられまするか。」
氏郷「もう直この多度山に到着なされる。峰を攻める折に手負いの者が数多く出たようで、少しばかり遅れておる。」
佐吉「畏まりました。秀勝様と共に、かつての大返しができるよう、街道の支度を整えておきまするっ。」
小一郎「はっはっはっ・・・。大袈裟じゃのぉ、佐吉はぁ・・・。」
秀吉「いやいやっ、それをやるつもりで心得とけぇっ。途中の百姓らへの銭と飯は小一郎に申しつけよっ。」
小一郎「えぇっ、またわしが段取りするんかぇっ。」
困惑顔で声を荒げる小一郎に対し、佐吉は少し得意気味の笑みを浮かべる。
佐吉「此度は小一郎様にお手間を取らせることはございませんでしょうが、万が一のときには頼りにさせていただきまするぅっ。」
小一郎「いっ、いゃぁっ・・・。佐吉がわしん処に来んでもえぇよぉ願っちょるわぃ。」
秀吉「よぉっしぃっ、出立するぞぃっ・・・。官兵衛っ、皆に合図を送れぇぃっ。」
長島・桑名を臨む多度山には秀吉の大軍勢が集結しており、今まさに北上を開始しようとしている。長島城の滝川一益からもその様子が見てとれたが、一益のなす術はない。秀吉の元には黒田官兵衛、羽柴小一郎、丹羽長秀、それに今後の指図を確かめるために蒲生氏郷も集まっている。五人は絵図を取り囲むように座す。
秀吉「さぁっ、いよいよ権六が下りてきたぞぃ。」
官兵衛「久太郎殿の報せでは、修理之亮殿は柳ヶ瀬山に、勝政殿と佐久間玄蕃允を行市山に、前田利家殿ら他の諸将を別所山から西にかけての峰々に陣取らせる模様じゃぁ。」
秀吉「やはりわしらを見下ろすように構えてきよったわぃ。」
小一郎「東野や北余呉の村々に火をかけちょると訊いちょるがぁ・・・。」
官兵衛「修理之亮殿らが砦を築く刻を稼ぐつもりのようじゃぁ。あまりちょこまかされても鬱陶しいんでなっ、堂木山から北国街道を遮る柵を設けるよう、久太郎殿が指図したそうじゃ。材木も随分と余っておったらしいしのぉ。」
秀吉「そんにしても権六は未だ古い手を使ぉとるのぉっ。今どき村を焼き払うようなこつして百姓らの翻意を煽れると思っちょるんかぁ。こっちゃは既に銭であん辺りの百姓らを手懐けとるっちゅうにぃ・・・。」
長秀「お主ぃっ、もう然様な手筈を整えとったんかぁ。まぁったく、呆れるわぃ。」
呆気の長秀に小一郎が説明する。
小一郎「兄さぁはこん伊勢に居る間、一益殿らのこつよりもずぅぅっと越前のこつしか気にしとらんかったでぇっ・・・、十分すぎるくらい北の支度はでけとるわぃっ。」
秀吉「んにゃぁっ、小一郎っ・・・。いつも云うとるじゃろぉっ、念には念をじゃ。戦の備えなぞ、十分すぎるくらいやるんがええんじゃぃ。」
長秀「分かった、分かったぁ。じゃが権六殿が村を焼くのは、筑前の兵が村に隠れられんようにしたいからじゃろう。」
秀吉「じゃったら砦なんぞ築いとらんと、さっさと攻めてくりゃぁえぇもんを・・・。最初から長戦を狙ぉとるんは見え見えじゃぁ。」
五人ともこれからが本当の戦であると意気込んでいる。一月前まで、秀吉以外の諸将たちは今のような展開になるとは思っておらず、北と南から反秀吉勢に挟撃されることを恐れていた。しかし蓋を開けてみれば、一部の滝川党には苦戦するものの、結局は一益らの動きを伊勢に閉じ込め、味方の士気がさほど落ちていない頃合いに勝家が兵を動かすこととなり、今はむしろ勝家との対峙の前に少しばかりの余裕さえ現れている。
小一郎「そいでっ、兄さぁっ。立つかぁ・・・。」
秀吉「あぁっ。忠三郎っ、ここには一万五千の兵を残すっ。三介殿の兵と合わせて三万じゃぁ。滝川一党を封じるんにゃぁ十分じゃろう。任せたぞぃっ。」
なかなか軍議に入り込めなかった氏郷が、ようやく口を開く。
氏郷「かっ、畏まりましたぁっ。この伊勢から滝川勢を一歩も出られぬよう致しますので、筑前様には心置きなく、権六様との戦に御臨み下されぇ。」
秀吉「うむっ、よぉ申したぁ。えぇかぁ、深追いして兵を失う必要はねぇからのぉっ。」
気合いの入った眼で頷く氏郷を横目に、官兵衛が不思議がる。
官兵衛「そういえば、信雄様は来ておられぬようでぇ・・・。」
秀吉「あぁっ、わしも立つ前に三介殿に遭ぉておきたかったんじゃが、東美濃衆の動きが気になるからっちゅうて来られなんだぁ。」
長秀「三介殿が抜けられないほど、東美濃衆の動きは激しいのかぁ。」
官兵衛「まだ然様な報せは受けておりませぬがぁっ、信雄様の考え過ぎではぁ・・・。」
秀吉「まぁっ、えぇっ。警戒するに越したこたぁねぇ。三介殿と雄利殿には文を寄越しておいたから、心配ねぇじゃろうっ。それよりも五郎左殿ぉっ、五郎左殿には改めて頼みがあるんじゃがぁ・・・。」
長秀「ここへきて頼みとは何じゃぁ。」
秀吉「五郎左殿にはわしらと別行動をとってもれぇてぇ。一旦、安土・坂本を通って五郎左殿の所領に戻ってもらい、そっから陸と湖づてに、ゆっくりでえぇから兵を東に進めてほしいんじゃ。そんで戦が長引いた場合の兵站路を整えて欲しいっ。」
長秀「わしは西を固める役割というわけじゃなぁっ。承知した。」
秀吉「わしらはこっから五万の兵で木之本まで進む。小一郎っ、わしの前を行けぇっ。官兵衛っ、わしが木之本に着いたら軍議を開く旨を久太郎らに伝えよっ。あっ、そぉじゃぁっ、佐吉ぃっ、佐吉はおるかぁ・・・。」
佐吉がすたと小一郎の背後に姿を見せる。
佐吉「お呼びでございましょうかぁ。」
秀吉「其方は秀勝殿と共にわしらの一番後ろを行けぇっ。そんでここと木之本の間の道をわしらの兵が勢いつけて往き来できるよぉ、整えておけぇ。」
佐吉「はっ・・・、それで秀勝様は今何処におられまするか。」
氏郷「もう直この多度山に到着なされる。峰を攻める折に手負いの者が数多く出たようで、少しばかり遅れておる。」
佐吉「畏まりました。秀勝様と共に、かつての大返しができるよう、街道の支度を整えておきまするっ。」
小一郎「はっはっはっ・・・。大袈裟じゃのぉ、佐吉はぁ・・・。」
秀吉「いやいやっ、それをやるつもりで心得とけぇっ。途中の百姓らへの銭と飯は小一郎に申しつけよっ。」
小一郎「えぇっ、またわしが段取りするんかぇっ。」
困惑顔で声を荒げる小一郎に対し、佐吉は少し得意気味の笑みを浮かべる。
佐吉「此度は小一郎様にお手間を取らせることはございませんでしょうが、万が一のときには頼りにさせていただきまするぅっ。」
小一郎「いっ、いゃぁっ・・・。佐吉がわしん処に来んでもえぇよぉ願っちょるわぃ。」
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