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駆引
百四十.勝機の勝家
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天正十一年三月四日 巳の刻
この日、北庄城では朝から軍議が開かれ、北国街道に沿って四万の兵が南進することとなった。街道にはまだ雪が残っているが、勝家はある程度人通りが回復していることを確認し、除雪するにしても行軍が遅滞するほどではないと判断した。勝家の元には伊勢の滝川勢の劣勢の報せも届いており、勝家だけでなく、勝政、佐久間盛政らも焦りを感じていたので、この期の挙兵に反対する将はもはやいなかった。その上、軍議には市の方も同席し、その弁舌は諸将の士気を高める効果をもたらした。軍議が終わり、前田又左衛門利家が天守から出ようとすると、玄関口に金森五郎八長近が利家を待ち構えている。利家はあたりを見回し誰もいないことを確認するが、さらに警戒して長近を庭の端まで誘導する。そこは盛りを迎えた梅の木があり、木の元からは城下を展望できるのだが、何よりも周囲に遮るものがなく、誰かが隠れて二人の会話を盗み聞きする心配がなかった。城下には越前・能登・加賀の兵が集結しており、多くの旗指物が風に靡いている。その光景を眺めながら、長近が利家に話しかける。
「お市さまの熱弁は見事でございましたなぁ。織田に忠義を尽くす者にとっては、それはそれは心を撃たれたことでございましょう。」
「そうじゃなっ・・・。」
利家の返は素気ない。
「どうかされましたか。寝返りの算段でも考えておられたとか・・・。」
「あぁっ、じゃが諸将たちの絆は堅い上、砦・兵の配置が完璧じゃ。山間の連絡も手抜かりない。この陣形では動きのとりようがないわぁっ・・・。」
「さすがは親父様ですなぁ。」
「動くとすれば、この陣形が変わるときじゃがぁ・・・、いつどのように変わるかは、藤吉郎らの動き次第じゃからのぉ。考え込んでも仕方ねぇわぃ。」
「然様であらせられますかぁ。致し方ございませぬなぁ・・・。状況次第とあらば、戦の最中に又左殿とわしが示し合うことは難しゅうございましょう。然ればわたくしめとしては又左殿の動きに速やかに合わせられるよう、又左殿の隊の動きを見張っておくしかありませぬなぁ。」
「すまんなぁっ・・・五郎八殿っ。」
そこへ天守から遅れて出てきた利家の息子・孫四郎利長が二人を見つけ、近寄ってくる。
「父上っ、それに五郎八様ぁっ・・・。こちらにおられましたかぁ。」
「これはこれはっ、孫四郎殿っ。お久しゅうござるぅっ。」
利長は二人の間に割って入り、並んで城下の様子を窺う。
「たくさん集まりましたなぁ。ですが筑前様の方はもっとたくさんの兵がおるとか。これだけの兵が正面からぶつかりあったら、さぞ前線は混乱しますでしょうなぁ。」
利長の呑気な感想に、利家は少々苛つく。
「孫四郎っ、戦は数ではないと何度も云うておるじゃろぉ。それに先の軍議で親父が示した陣構えっ。兵は少なくとも、あれでは藤吉郎らも容易く手出しでけん。それくらいのことは分かったであろう。」
利長はこの戦では常に利家と行動を共にすることになっていたので、軍議の内容も深く考察していなかった。父の叱咤に利長は己の言葉を後悔する。その様を長近が宥める。
「まぁっ、まぁっ。孫四郎殿もこれほどの大軍を見るのは初めてじゃろうから、興奮されたんじゃろぉ。わしも設楽原で武田を破ったときの大殿の大軍を見たときは、腰が抜けそうじゃったわぃ・・・。」
「五郎八殿ぉっ、倅を甘やかさんどいてくれぃ。此奴は戦になってもなかなか気が入らんのじゃぁ。此度は前田家の一世一代の戦じゃというにぃ・・・。」
「父上ぇっ、幾ら何でもそれくらいのことは分かっておりまするぅっ・・・。」
「はっはっはっ。戦を前に怖気付かないのであれば、結構なことではござらぬかぁ。」
すると突如、城下の方から『おおぉっ』という唸りが響き渡る。三人が何事かと周囲を見回すと、長近が天守最上階の人影に気づく。
「あっ、あれは・・・、親父殿に勝政殿ぉっ。それにぃっ、それに横に居られるのはお市の方さまでは・・・。」
長近の云う通り、北庄城天守の最上階に三人が並び立つ。そして勝家が雄叫びを上げる。
「いざぁっ、出陣っ・・・。」
勝家の声が口元の動きに遅れて聞こえてくる。そして城下からは『うおぉぉ・・・』、『えぇぇいっ・・・』、『わあぁっ・・・』といった大轟音が返ってくる。今まさに越前の気合が一つになっている。利長は圧倒される。
「すっ、凄まじいものでございますなぁ。越前の衆どもが斯様に親父様を慕っておられるとはぁっ・・・。」
「これも親父の強さの一つじゃぁ。一向宗や上杉との戦に疲れておっても・・・、雪で暮らしが閉ざされておっても・・・、親父の姿だけでこれだけの士気を高められる。その上、お市の方さまが側におられるのは余計に効果があるわぃ。」
そう利長に解説しながら、利家は不安になる。
(藤吉郎っ、やはり親父は手強いぞぉ。勝てるかぁ・・・。)
城下からの地響きは長い。暫くして利家はあることに気付き、利長に確かめる。
「孫四郎っ、府中の城の蓄えはどぉなっておるっ・・・。」
「えっ、府中でございますかぁ。当面の百姓の食い扶持くらいで、さほど残っておりませぬがぁ・・・。」
「うぅぅんっ・・・。心許ないのぉっ。少し兵糧を戻しておけぇ。」
「なっ、何故でございますかぁ、父上っ。府中で籠城でもあるとお考えですかぁ。」
「黙ってわしの云うことに従えっ。わしのところの兵糧を回すわけにはいかんっ。府中の城主のお主なら怪しまれんじゃろぉ。戦場で足らんようになったら、わしのところから持ち出すがえぇ。さっさと行けぇっ。」
利長は訳がわからないが、強張った面持ちの父に抗うこともできず、ただただ従う。利長が去った後、長近が尋ねる.
「又左殿ぉっ、何をお考えじゃぁ・・・。」
「わしが寝返ってから藤吉郎が親父を討つまで、刻を稼がねばならんかもしれん。となれば場所は府中じゃぁ。五郎八殿もいざとなれば府中に逃げ込むが良い。」
この日、北庄城では朝から軍議が開かれ、北国街道に沿って四万の兵が南進することとなった。街道にはまだ雪が残っているが、勝家はある程度人通りが回復していることを確認し、除雪するにしても行軍が遅滞するほどではないと判断した。勝家の元には伊勢の滝川勢の劣勢の報せも届いており、勝家だけでなく、勝政、佐久間盛政らも焦りを感じていたので、この期の挙兵に反対する将はもはやいなかった。その上、軍議には市の方も同席し、その弁舌は諸将の士気を高める効果をもたらした。軍議が終わり、前田又左衛門利家が天守から出ようとすると、玄関口に金森五郎八長近が利家を待ち構えている。利家はあたりを見回し誰もいないことを確認するが、さらに警戒して長近を庭の端まで誘導する。そこは盛りを迎えた梅の木があり、木の元からは城下を展望できるのだが、何よりも周囲に遮るものがなく、誰かが隠れて二人の会話を盗み聞きする心配がなかった。城下には越前・能登・加賀の兵が集結しており、多くの旗指物が風に靡いている。その光景を眺めながら、長近が利家に話しかける。
「お市さまの熱弁は見事でございましたなぁ。織田に忠義を尽くす者にとっては、それはそれは心を撃たれたことでございましょう。」
「そうじゃなっ・・・。」
利家の返は素気ない。
「どうかされましたか。寝返りの算段でも考えておられたとか・・・。」
「あぁっ、じゃが諸将たちの絆は堅い上、砦・兵の配置が完璧じゃ。山間の連絡も手抜かりない。この陣形では動きのとりようがないわぁっ・・・。」
「さすがは親父様ですなぁ。」
「動くとすれば、この陣形が変わるときじゃがぁ・・・、いつどのように変わるかは、藤吉郎らの動き次第じゃからのぉ。考え込んでも仕方ねぇわぃ。」
「然様であらせられますかぁ。致し方ございませぬなぁ・・・。状況次第とあらば、戦の最中に又左殿とわしが示し合うことは難しゅうございましょう。然ればわたくしめとしては又左殿の動きに速やかに合わせられるよう、又左殿の隊の動きを見張っておくしかありませぬなぁ。」
「すまんなぁっ・・・五郎八殿っ。」
そこへ天守から遅れて出てきた利家の息子・孫四郎利長が二人を見つけ、近寄ってくる。
「父上っ、それに五郎八様ぁっ・・・。こちらにおられましたかぁ。」
「これはこれはっ、孫四郎殿っ。お久しゅうござるぅっ。」
利長は二人の間に割って入り、並んで城下の様子を窺う。
「たくさん集まりましたなぁ。ですが筑前様の方はもっとたくさんの兵がおるとか。これだけの兵が正面からぶつかりあったら、さぞ前線は混乱しますでしょうなぁ。」
利長の呑気な感想に、利家は少々苛つく。
「孫四郎っ、戦は数ではないと何度も云うておるじゃろぉ。それに先の軍議で親父が示した陣構えっ。兵は少なくとも、あれでは藤吉郎らも容易く手出しでけん。それくらいのことは分かったであろう。」
利長はこの戦では常に利家と行動を共にすることになっていたので、軍議の内容も深く考察していなかった。父の叱咤に利長は己の言葉を後悔する。その様を長近が宥める。
「まぁっ、まぁっ。孫四郎殿もこれほどの大軍を見るのは初めてじゃろうから、興奮されたんじゃろぉ。わしも設楽原で武田を破ったときの大殿の大軍を見たときは、腰が抜けそうじゃったわぃ・・・。」
「五郎八殿ぉっ、倅を甘やかさんどいてくれぃ。此奴は戦になってもなかなか気が入らんのじゃぁ。此度は前田家の一世一代の戦じゃというにぃ・・・。」
「父上ぇっ、幾ら何でもそれくらいのことは分かっておりまするぅっ・・・。」
「はっはっはっ。戦を前に怖気付かないのであれば、結構なことではござらぬかぁ。」
すると突如、城下の方から『おおぉっ』という唸りが響き渡る。三人が何事かと周囲を見回すと、長近が天守最上階の人影に気づく。
「あっ、あれは・・・、親父殿に勝政殿ぉっ。それにぃっ、それに横に居られるのはお市の方さまでは・・・。」
長近の云う通り、北庄城天守の最上階に三人が並び立つ。そして勝家が雄叫びを上げる。
「いざぁっ、出陣っ・・・。」
勝家の声が口元の動きに遅れて聞こえてくる。そして城下からは『うおぉぉ・・・』、『えぇぇいっ・・・』、『わあぁっ・・・』といった大轟音が返ってくる。今まさに越前の気合が一つになっている。利長は圧倒される。
「すっ、凄まじいものでございますなぁ。越前の衆どもが斯様に親父様を慕っておられるとはぁっ・・・。」
「これも親父の強さの一つじゃぁ。一向宗や上杉との戦に疲れておっても・・・、雪で暮らしが閉ざされておっても・・・、親父の姿だけでこれだけの士気を高められる。その上、お市の方さまが側におられるのは余計に効果があるわぃ。」
そう利長に解説しながら、利家は不安になる。
(藤吉郎っ、やはり親父は手強いぞぉ。勝てるかぁ・・・。)
城下からの地響きは長い。暫くして利家はあることに気付き、利長に確かめる。
「孫四郎っ、府中の城の蓄えはどぉなっておるっ・・・。」
「えっ、府中でございますかぁ。当面の百姓の食い扶持くらいで、さほど残っておりませぬがぁ・・・。」
「うぅぅんっ・・・。心許ないのぉっ。少し兵糧を戻しておけぇ。」
「なっ、何故でございますかぁ、父上っ。府中で籠城でもあるとお考えですかぁ。」
「黙ってわしの云うことに従えっ。わしのところの兵糧を回すわけにはいかんっ。府中の城主のお主なら怪しまれんじゃろぉ。戦場で足らんようになったら、わしのところから持ち出すがえぇ。さっさと行けぇっ。」
利長は訳がわからないが、強張った面持ちの父に抗うこともできず、ただただ従う。利長が去った後、長近が尋ねる.
「又左殿ぉっ、何をお考えじゃぁ・・・。」
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