今宵、月あかりの下で

東 里胡

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2.榛名家

2-3

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 差し出したスマホの画面に皆、釘付けとなる。
 
「う~ん、暗くてよくわかんないね」

 サイトには、かつて東京で行われたというオフ会の写真がアップされている。
 彼は私と連絡がつかなくなった頃に、会を抜けてしまったようだけれど、この写真は他の人が公開しているものだ。
 珈琲のテイスティングをしている写真や、集合写真が何枚か並んでいる中、麗夜さんはいつも端の方にいて顔を背けがち。カメラに視線があってないものばかりだ。

「絶対これわざとよね、顔が鮮明に写らないようにしてる。犯罪者にありがちなアングルだわ」

 美咲さんの怒りの声が胸に痛い。『犯罪者』そんな風に見えてるんだ。
 洸太朗くんが写真を大きく伸ばしてみたけどボヤけるだけ。

「顔さえわかれば、ネットなんかでも探せる気がしたけど。風花さん、この写真に写ってる人たちには聞いてみた? 彼とコンタクト取ってる人とかいないかな?」
「いませんでした」

 私と麗夜さんを繋ぐたった一つの場所、そこに手がかりはなかった。

「顔はハッキリと写ってはないんですが、手元が麗夜さんというのはわかってて」

 それは一杯の珈琲を持つ手の写真。
 よく見えるようにと左手で持ち手を掴み、右手が添えられていた。

「ねえ、これってタトゥー?」

 桃ちゃんが指を差したのは、右人差指の黒いリング状の模様のこと。

「そうだって言ってました。右手の人差指と薬指にも同じものがあって、正面から見ると蛇が巻き付いている模様で。若気の至りで、って恥ずかしそうに笑っていたので」
「蛇リング? 吉野さん、実物見たの?」

 勇気さんの問いかけに頷くと、もう一度さっきの顔写真をスライドして見直している。

「まあ、これじゃちょっとよくわかんないし、取り合えず今日のところは吉野さんの荷物運ぶとして、その時に涼真の店にも、寄ってみない?」
「ん、なんかわかるかもしれないし」

 勇気さんも祥太朗さんも、やはりあのマスターとお知り合いなんだ。

「あ、あの、段ボールの方が、とっても重くて。大丈夫でしょうか?」
「なに入ってるの?」
「業務用のエスプレッソメーカーや業務用のコーヒーマシンと、ケーキやお菓子作りに必要な型や機器とお気に入りのティーカップセットやお皿や」

 私の話を無表情のまま聞いていた祥太朗さんは、ふうっとため息をついて。

「段ボールは夜に車で取りに行こう、手で運べるもんじゃなさそうだもんな。まずは駅のロッカーからスーツケース出して、その足で涼真のとこ行ってみるか?」

 だったら少人数で大丈夫だろうと、勇気さん、祥太朗さん、そして私の三人でロッカールームを目指した。
 昨日の朝ぶりに明けたロッカーからスーツケースを取り出すと、勇気さんが持ってくれた。
 ゴロゴロとスーツケースを転がして歩きながら、勇気さんはずっと何か考え事をしているようで口数が少なかった。

「吉野さん、本当に自分の荷物はこれだけ?」

 祥太朗さんからの繰り返しの確認に、恥ずかしくなってまた頷く。
 着替えはこのスーツケース一つだと話したら驚かれた。
 春夏秋冬、全部これに入っているというと更に驚く様子を見て、色々女子としては失格なのかもしれないと悟ってきた。
 ミニマムな生活をしていた、といえば聞こえはいいかもしれないけれど、私の場合は生活にそんな余裕がなかった。
 コーヒーメーカーなどを買いそろえるために、抑えるべきところは自身に関するお洒落だったりしたからだ。
 駅から歩いて五分。ちょうど榛名家と駅の間に位置する、あの素敵な喫茶店の看板が見えてくる。
 その玄関先を掃除している人は、あのマスターのようだ。
 時間はまだ十一時前、開店前の準備をしているようだった。
 私たちに気づいたのか視線をあげたマスターが、じっとこちらを見据えている。

「涼真っ」

 勇気さんが、スーツケースを引きながら手を挙げたら、マスターの視線が私に止まる。

「ん? あれ? 確か」

 私のことを覚えていてくれたようだ。

「あの、その節はお世話になりました」

 慌てて頭を下げた。
 マスターはきっと覚えているのだ。
 あの日、窓側の端っこの席で私がずっと泣いていたことを。

「えっと、知り合い?」

 私たち三人を見回すマスターに視線に祥太朗さんが小さく頷く。

「昨日から家に来てもらってる」
「は? ん、と、よくわかんないけどさ。見つかったの? 婚約者の人」

 首を横に振ると勇気さんが割って入る。

「ちょっとさ、協力してよ、涼真! 色々話聞かせてくんないかな?」

 いうなり、勇気さんは店の中に入っていく。

「おい、まだ開店前だし」
「だからいいじゃん、話しを聞くには」

 ニヤリと笑う勇気さんに、マスターが「ったく」と困った顔をしながらも、まだ立ち尽くす私と祥太朗さんに視線で促してくれる。

「まあ、いいや。二人とも入って。珈琲なら出すし。俺もあれから少し思い出したことがあったから、もう一度君が来るのを待ってた」

 窓の少ない静かな店内が、オレンジ色のガスランプのような優しい光に灯されている。
 今は昼間だというのに、外の明るさとは全く違った空間。
 先日座った席、その小さな窓にも白いカーテンがかかっていて、だからこそ外から見られる心配もなく泣けたわけだけれど。

「で、なんで、祥太朗の家にいるの?」
「話せば長くなるから、それはいずれってことで」

 マスターの話を祥太朗さんがシャットダウンしようとするのに、

「祥太朗がさ、吉野さんの頭にビール缶ぶつけてさ? ほら、赤いでしょ?」

 私の真ん前に座った勇気さんが私の頭に手を伸ばし、せっかく隠していたおでこをマスターの前で曝け出す。

「うわ、痛そう」

 マスターの責めるような視線に祥太朗さんは気まずそうにうつむいた。

「で、その責任を取って榛名家で彼女を預かってるわけ」

 勇気さんの端折りすぎな説明に、祥太朗さんがちょっとムッとしている。

「行先がなくて、それで皆さん置いてくれてるだけなんです」
「そういうこと」
「つまりは勇気と同じく、居候ってことか」
「だな」

 ニヒヒと笑った勇気さんが珈琲を啜る。

「そういえば、さっき、なんか思い出したって」

 祥太朗さんの言葉に、マスターが頷いて。

「この間、持ってきたチラシ? 間取り図、書いてたやつ。あれさ、この家を買った時に、その会社がリフォーム予想として作ってくれたやつなんだよね」

 バッグから、この店の見取り図を取り出した。

「そうそう、これ。あの時は、こんなの作った覚えないって思ったけど、でもどこかで見たことあるような? まんまじゃないんだよ、色味とかは違ってたんだけどさ。で、気になってその会社に問い合わせたら、なんか歯切れが悪くて。でも、もう一度あのデータを貰えないかって粘ったら話してくれた。二年前、その会社に泥棒が入って、データ盗まれたんだってさ。申し訳ない、悪用されてなきゃいいんだけどって謝られた」
「バッチリ悪用されちゃってんじゃんな」

 勇気さんのお手上げポーズに、マスターが困ったように眉を下げた。
 
「吉野さん、ほら、スマホの彼の写真見せてやってよ」

 勇気さんに促されてマスターにも、その写真を見せようとしたところにお店にお客さんが入ってき始めた。

「いらっしゃいませ、空いてるお席にどうぞ。悪い、最近バイトの子辞めちゃって、今俺一人なわけ。また今度ゆっくり聞かせてくんない? なんか力になれればって思ってる」

 じゃあ、ごゆっくりと言って立ち上がったマスターは次々に訪れるお客さんを席に案内し注文を取り始めた。


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