猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一

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価値と恨みと温もり

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「おぬしは悪くない。ただ――運が悪かったのだ」

 戦の後、藤吉郎が心配して、長屋まで来てくれた。そして食えと言って粥を食べさせた。匙で少しずつ掬う。味は薄いけどほとんど何も食べていなかったので、美味しかった。

「戦で必ず死ぬということはないが、必ず生き残るという保障もない。弥助という者は運が悪かったのだ」
「でも、僕を庇わなければ――」
「かもしれんな。しかしおぬしは生きねばならぬ。自身が分かっているようにな」

 そうだ。僕は生きている。弥助さんは死んでいるのに、僕は生きていた。

「誰かに命がけで救われた者は、その者に報いるために生きねばならぬ」

 厳しい顔で言う藤吉郎に僕は「いつまで生きないといけないかな」と訊ねた。

「天寿を全うするまでよ。決まっておろうが」

 優しく微笑んで答える藤吉郎。よく見ると頭に布を巻いていた。

「藤吉郎。頭、怪我したのか……」
「うん? ああ、まあな。今気づいたのか。なに、たいしたことはない」

 藤吉郎は僕の肩に手を置いた。

「おぬしが生きていて、良かった」
「……藤吉郎」
「生きよ。それが弥助に対する恩返しぞ」

 僕はなんだか泣きたくて、それを誤魔化すように、粥をかき込んだ。
 少し、塩味がついた気がした。

「まあ結局、わしも手柄を立てられんかった。しばらくは足軽組頭だな」
「そうなんだ。残念だな」
「出世の道が途絶えたわけではない。励めばいいことよ」

 僕は気になっていたことを訊ねた。

「藤吉郎は、どうして出世したいんだ?」

 藤吉郎は「出世が全てではないがな」と断った上で話し始める。

「出世して人の世を楽しむのが目的よ」
「人の世を、楽しむ……」
「別に偉くなって誰も彼も見返してやるだとか、そのようなことは考えてない。それよりも楽しんだほうが楽しいものよ。せっかく人に生まれたのだからな」
「よく、分からないよ」

 藤吉郎は懐から財布を取り出した。そして銭を出した。

「いいか雲之介。これは銭だ」
「うん。それで?」
「これは飯を買えるが、銭自体は食えぬ」
「うん。それも分かる」
「ならば銭自体はそれほど価値のあるものではない。腹が減っても銭は食えぬからな」
「……うん」
「しかし、価値のない銭が価値を持っていることがこの世の面白さよ。多寡によっては尊敬もされる。軽視もされる。何より銭自体に価値を見出す者もいる」
「それは、どうしてなんだ?」

 難しい問いだったけど藤吉郎は簡単に答えてくれた。

「銭には信用があるからだ。長い年月をかけて培った信用で売買が成立する。つまり信じる者は儲かるわけだな」

 最後は茶化すように言った藤吉郎だったけど、僕にはなんとなく意味が分かった。
 つまり――

「藤吉郎は出世することは手段であって目的ではないんだね。この世を楽しむことが目的なんだ」
「そうだ。わしの言わんとすることを理解したようだな」

 無価値よりも価値あるほうが世の中を楽しめる。
 それが藤吉郎の考えなんだ。

「さて。粥を食い終わったことだし、わしはそろそろ自分の部屋に戻る」

 そう言って立ち上がる藤吉郎。

「ありがとう、藤吉郎」
「礼など言わんでいい。家来の面倒を見るのも主君の役目だからな」
「それでも、ありがとう」

 出て行くときに、藤吉郎はこう言った。

「もしも、あのことを伝えに行くときは――恨まれてこい」
「…………」
「怒りは風化するが、恨みというのは、意外と残るものだ」

 やっぱり藤吉郎には敵わないな。
 僕はあのことを言わなかったのに。

「分かってる。分かっているよ、藤吉郎」
「……そうか」

 藤吉郎は扉を閉めた。
 僕は布団の上に寝っころがる。
 右腕の傷が、少し疼いた。



 僕はとある村に来ていた。
 近くの百姓に名主の家を訊いて、迷うことなく、真っ直ぐ向かった。
 名主なだけあって、他の家よりも大きかった。

「御免。志乃さんは居ますか?」

 そう言って家人を呼び出す僕。すると入り口の引き戸ががらりと開いた。

「弥助! 戻って――」

 出てきたのは僕より少し年上の綺麗な女の人だった。勝気そうな目をしている。
 最初は笑顔だったけど、僕を見て驚いていた。

「あれ? 弥助は?」
「志乃さん、ですね?」

 志乃さんの顔が少しずつ変わっていく。
 戸惑っている。

「そうだけど、あなたは?」
「雲之介です。あなたに渡したいものがあります」

 僕は懐から取り出した。
 志乃さんの顔が困惑から悲痛になっていく。

「嘘でしょ……? ねえ、そんな――」
「弥助さんは、最期まで立派でした」

 取り出したのは血で汚れた、お守り。
 志乃さんが作った、弥助さんのお守りだ。

「……嘘よね? なんで、どうして」
「偽りではありません。弥助さんは――」
「いや! 言わないで!」

 志乃さんの目から大量の涙が溢れ出す。
 僕はグッと堪えて言う。

「弥助さんは、死にました」
「いやあああああああああああああああ!」

 まるで魂が抜け出てしまうかと思うくらいの悲鳴。顔を抑えて、どうしようもないくらい、悲しみに支配された――

「なんで、死んだの……祝言挙げようって言ってくれたのに、どうして――」

 しばらくして、それだけを呟いた。

「どうした! 志乃!」

 家から中年の男性が出てきた。多分、志乃さんの父親だろう。

「何があった?」
「弥助さんが死にました」

 僕が伝えると志乃さんの父親は「な、なんだと!?」と驚愕した。

「どうして死んだ? 先の戦で?」
「そうです。最期まで立派でした」

 僕は悲嘆にくれる志乃さんを見てられなくて、その場を去りたかった。
 でも言わないといけない。
 そうでないと、志乃さんが後を追いそうだったから――

「弥助さんは僕を庇って死にました」

 志乃さんがその言葉に反応した。

「矢が降り注いで、僕の身代わりになって死にました」
「き、君、それは――」
「それ、本当なの?」

 ゆらりと立ち上がる志乃さん。
 その顔は――怒りに歪んでいた。
 僕は既に覚悟していた。

「はい、本当――」

 言い終わる前に、志乃さんが僕を押し倒した。

「志乃!」
「あんたが! あんたなんかを庇って! 弥助は死んだの!?」

 僕は「そうです」と答えた――頬を叩かれた。

「ふざけないで! 返してよ! 弥助を返して!」
「…………」
「私が大好きだった、弥助を返してよ!」

 何度も叩かれた。馬乗りだったからどうしようもない――いや、そうでなくても抵抗しなかっただろう。

「志乃、やめなさい!」

 父親が志乃さんを引き離した。

「父さん、放して!」
「……君もさっさとどこかに行きなさい!」

 父親も僕に怒りを感じているようだ。
 最後に一礼して、僕はその場を去った。

「待ちなさいよ! この、人殺し!」

 志乃さんの声が、いつまでも心に残った。



 清洲城に戻った。すっかり夕暮れだった。
 そういえば、信行さまはどうなるんだろう?
 大殿はどうするんだろうか?
 今更だけどそんな考えがよぎった。
 気になったので、城の近くまで歩く。

「あら。雲之介さん。その顔、どうしたんですか?」

 城の近くでお市さまが護衛の者や侍女たちと一緒に居た。

「お市さま、どうしてここに?」
「お兄さま方がお話しているそうなのです。そのせいで追い出されてしまいました」
「…………」
「でもご安心ください。信行お兄さまは許されるそうです」
「それは良かったです……」

 素直に喜べなかった。弥助さんの死んだ原因を作ったのは信行さまだから。
 それでも、怒りとか恨みが湧くことはなかった。
 だって、信行さまは、尾張のために――

「……雲之介さん、泣いているのですか?」

 僕は頬を伝う涙の理由が分からなかった。
 いろんなことがありすぎて、分からない。

「ごめんなさい、お市さま。見苦しい――」

 そう言ってその場を去ろうとしたとき。

「……よしよし」

 お市さまが、優しく抱きしめてくれた。

 護衛の者や侍女たちは「おやめください!」と騒いでいる。でも無理矢理引き離すことはしないようだった。

「お、お市さま……?」
「何があったのか、分かりませんけどね」
「…………」
「大丈夫。泣いていいのですよ」

 お市さまは知らない。
  僕が弥助さんに助けられたことや志乃さんに恨まれたことを。
 それでも優しくしてくださる。

「う、うう、うううう……」
「よしよし」

 僕はお市さまに縋りついて、泣いた。
 優しさが、温もりが、嬉しかった。
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