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悪人問答
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目の前の悪人は僕に語る。
にやにやと笑いながら、僕の心を抉り取る
「戦国乱世において優しさとは美点にはなりえない。むしろ欠点なのだ。弱点と言い換えてもいい。他者を慮ることは決断を鈍らせて遅らせる。その一瞬の戸惑いであまりにも大きな代償を背負うことになるのは、雨竜殿自身も身に染みているはずだ。違うかな?」
僕は思い出す――
朝倉家を思いやる義昭さんを助けるために、浅井家に仲介を頼むように進言したことを。
結果として久政さまが自害したことを――
「聞くところによると貴殿は弾正忠殿の弟君を助けたらしい。人として間違ってはないだろうが、主君のことを思えば愚行だったな。二度も叛いた弟を処断できなかったのは、戦国大名としては甘すぎる。情を殺し、弟を殺さねば駄目だった。二度叛いても赦されるという先例は織田家にとっては悪習になってしまうのではないか?」
言われてみれば、そうだけど――それでも助けたかった。
何としても、何をしても、助けたかった。
「もしも何も考えずにただ助けたいと思ったのならば、大きな間違いだ。身内に甘い主君はいずれ家臣か外様に滅ぼされる。実際、弟君の息子、もうそろそろ元服して津田家を継がれるらしいな。今の織田家は他家出身の家臣が多い。弾正忠殿ははたして滅ぼされずにいられるかな?」
身内に甘いと指摘されたのは、目の前の悪人だけではない。
本願寺顕如にも言われたことがある。だから大殿は天下をとれないと――
「雨竜殿。貴殿は自分の心の赴くまま、人を助けすぎた。どんな影響を与えるのかも考慮せずに、次から次へと助ける。太平の世ならば素晴らしいことだ。後世に語り継がれるくらいの功績だ。しかし、助けた人々は変わらざるを得なくなった。以前とは違う者へと変わらないと生きていけなくなってしまう。それは――人殺しと変わりないのではないか?」
僕は知らず知らずに人を殺していたのか?
子飼いたちは助けてから良い子になったけど、それは人を殺したことと同義だったのか?
僕は――罪深いことをしたのか?
「変わることで人は新たな苦しみを得る。まるで地獄の責め苦のように、終わりのない苦悩を科せられるのだ。その者が死ぬまで続くだろう。いやそれだけではない。変わる以前の生き方を後悔するだろう。どうしてあのときそうしなかったのか。今の自分ならばああはしなかった。自責は他者に責められるよりも苦しい。それこそ終わりがないからだ。過去に戻れない以上、苦しみはいつまでも続く」
今度は山科言継さまのことを思い出す――
過去を打ち明けられてから、会ってはいないけど、今も自分を責めているのだろうか?
「貴殿は良かれと思って、優しさを以って人を助けていたのだろう。まるで聖者のような行ないだ。釈迦のようだな。しかし悟りを得ていない凡俗が聖者の真似事をするだと笑止だ。優しさを押し付けて生き方を矯正するのは、息苦しくなるし生き苦しくなる。水が清すぎれば魚は住まないのだ。人の汚さ、醜さを受け入れてこそ、戦国乱世を生き抜くことができる。だが貴殿は優しすぎるゆえに、汚さや醜さを消し去ってしまう。それを世間では欺瞞と言うのだよ」
志乃のことを考えると言葉もない。
僕の優しさという名のわがままで死なせてあげられなかった。
「さて。貴殿よりも酸いも甘いも知っている、年寄りの忠告を聞いてほしい。わしは三大悪事を行なった悪人だ。自らの楽しみのために生きて殺して裏切ってきた。欲しいものを得るために奪ってきた。権勢欲のために権力を手中に収めた。全ては自分の幸福のためだ。戦国乱世を太平の世にするなど考えたことはない。だがそれの何が悪いのだ? 人間は自らの欲望のために生きるべきだ。他者など気にするな。むしろ蹴り落とせ。排除しろ」
これが松永久秀の思考であり、矜持であり、生き方なのだろう。
「だから雨竜殿。どうかもっと自分に素直であってほしい。聖者のような生き方をするな。他者に従う生き方をするな。堅苦しい生き方をするな。傍目から見ていて――不自由に思える。これからの時代を背負う貴殿がそのような生き方をしていると悲しくて仕方がない」
松永は僕を馬鹿にしていた。あるいは哀れんでいた。
信じられないけど、この僕を松永は親身になって心配していたのだ。
その言葉に、その表情に、妖しく心を揺さぶられる――
「さあ、生きることを始めよう。戦国乱世を楽しもうではないか。親兄弟が自らの欲得のために殺し合う、地獄のような日の本を。その明晰な頭脳を以って、多くの人々を苦しめるような戦をしようではないか。手始めに筒井の輩を殺そう。たくさんたくさんたくさん殺そう――」
差し出される手。
思わず、松永の手を掴もうと伸ばしかけて――
「雲之介さん! 何考えているんだ!」
雪之丞の声にハッとする。
全身から汗が吹き出る。冬だというのに暑くて仕方がない。
雪之丞が僕の腕を掴んでいる。
「ゆ、雪之丞……」
「しっかりしてくれ! あなたは……そのままで良いんだ!」
必死な形相で僕に訴える――目には涙が零れそうになっている。
「あなたは俺を救ってくれた! あなたが居なかったら、熊に殺されていた!」
「…………」
「その傷の恩は決して忘れない! だから戻ってきてくれ!」
落ち着くために、深呼吸して、それから掴まれていないほうの手で顔を叩く。
よし。これで落ち着いた。
「……助かった。ありがとう。雪之丞」
「雲之介さん……」
すると僕たちの様子を見ていた松永が「ああ、残念だった」と溜息を吐く。
「果心居士に習った幻術を使って、貴殿を変えてみようと思ったが。ああ、とても残念だ」
「――っ! 貴様!」
雪之丞が怒りのあまり松永を殴ろうとするのを「やめろ雪之丞!」と叫んで止めた。
「でも雲之介さん!」
「もういいんだ……」
意図はどうあれ、自分のことを見つめ直すことができた気がする。
その点だけは感謝しても良かったと思う。
「松永殿。そろそろ陣に戻ってもよろしいか?」
「なんだ。幻術のことは責めないのか?」
「結局かからなかったですし、証拠もない。ただ話していただけですから」
雪之丞の肩を借りながら、僕は陣から出ようとする。
その前に、松永に訊ねた。
「一つだけ、訊いてもいいですか?」
「なんですかな?」
「何故――僕を狙ったのですか?」
松永は「既に答えていますぞ」と赤茶碗を持ち上げながら言う。
「貴殿を羽柴家の中で最も買っているからです。それ以外に理由はない」
「…………」
「さあ。明日は筒井攻めですぞ。ゆっくり休まれよ」
「ちょっと松永殺してくるわね」
「待て。俺も行くわ」
陣に戻って事の顛末を話すと半兵衛さんと正勝が物凄く怒って、松永を殺そうと出ようとする。それを必死になって僕と秀長さんは止めた。
「おいおい二人とも。傘下の大名を殺すなんて考えるな。切腹させられるぞ」
「秀長さんよ。止めてくれるな。俺ぁ兄弟に幻術なんぞかけようとしたくそ爺を――」
「正勝の兄さん。僕は無事だったんだから」
「雪之丞ちゃんのおかげでしょ。本当に甘すぎるわ」
なんとか落ち着いてもらって、ようやく一息つく。
「もしかして、幻術使って筒井に謀叛させたんじゃないかしらね?」
恐ろしいことを呟く半兵衛さん。
「いや、それはないだろう。筒井と松永は犬猿の仲で顔も見合わせていない」
「秀長ちゃん。周りの家臣を――いや、なんでもないわ」
気になったけど、詳細は訊けなかった。
「それで、いつ攻めるんだ?」
「明日、大殿のご嫡男、信忠さまが到着なさる。初陣らしい。兵は二万だ。合流したら一気に攻める」
正勝の問いに秀長さんが答えると半兵衛さんは「なら特別な策はいらないわね」と笑った。
「夜襲に警戒しつつ、交代で寝ましょう。筒井家はそれほど大した将はいないわ」
この時点では半兵衛さんの言うとおり、大した将は居ないと思われた。
しかし僕たちは思い知らされることになる。
滅び行く大名、筒井家の意地というものを――
にやにやと笑いながら、僕の心を抉り取る
「戦国乱世において優しさとは美点にはなりえない。むしろ欠点なのだ。弱点と言い換えてもいい。他者を慮ることは決断を鈍らせて遅らせる。その一瞬の戸惑いであまりにも大きな代償を背負うことになるのは、雨竜殿自身も身に染みているはずだ。違うかな?」
僕は思い出す――
朝倉家を思いやる義昭さんを助けるために、浅井家に仲介を頼むように進言したことを。
結果として久政さまが自害したことを――
「聞くところによると貴殿は弾正忠殿の弟君を助けたらしい。人として間違ってはないだろうが、主君のことを思えば愚行だったな。二度も叛いた弟を処断できなかったのは、戦国大名としては甘すぎる。情を殺し、弟を殺さねば駄目だった。二度叛いても赦されるという先例は織田家にとっては悪習になってしまうのではないか?」
言われてみれば、そうだけど――それでも助けたかった。
何としても、何をしても、助けたかった。
「もしも何も考えずにただ助けたいと思ったのならば、大きな間違いだ。身内に甘い主君はいずれ家臣か外様に滅ぼされる。実際、弟君の息子、もうそろそろ元服して津田家を継がれるらしいな。今の織田家は他家出身の家臣が多い。弾正忠殿ははたして滅ぼされずにいられるかな?」
身内に甘いと指摘されたのは、目の前の悪人だけではない。
本願寺顕如にも言われたことがある。だから大殿は天下をとれないと――
「雨竜殿。貴殿は自分の心の赴くまま、人を助けすぎた。どんな影響を与えるのかも考慮せずに、次から次へと助ける。太平の世ならば素晴らしいことだ。後世に語り継がれるくらいの功績だ。しかし、助けた人々は変わらざるを得なくなった。以前とは違う者へと変わらないと生きていけなくなってしまう。それは――人殺しと変わりないのではないか?」
僕は知らず知らずに人を殺していたのか?
子飼いたちは助けてから良い子になったけど、それは人を殺したことと同義だったのか?
僕は――罪深いことをしたのか?
「変わることで人は新たな苦しみを得る。まるで地獄の責め苦のように、終わりのない苦悩を科せられるのだ。その者が死ぬまで続くだろう。いやそれだけではない。変わる以前の生き方を後悔するだろう。どうしてあのときそうしなかったのか。今の自分ならばああはしなかった。自責は他者に責められるよりも苦しい。それこそ終わりがないからだ。過去に戻れない以上、苦しみはいつまでも続く」
今度は山科言継さまのことを思い出す――
過去を打ち明けられてから、会ってはいないけど、今も自分を責めているのだろうか?
「貴殿は良かれと思って、優しさを以って人を助けていたのだろう。まるで聖者のような行ないだ。釈迦のようだな。しかし悟りを得ていない凡俗が聖者の真似事をするだと笑止だ。優しさを押し付けて生き方を矯正するのは、息苦しくなるし生き苦しくなる。水が清すぎれば魚は住まないのだ。人の汚さ、醜さを受け入れてこそ、戦国乱世を生き抜くことができる。だが貴殿は優しすぎるゆえに、汚さや醜さを消し去ってしまう。それを世間では欺瞞と言うのだよ」
志乃のことを考えると言葉もない。
僕の優しさという名のわがままで死なせてあげられなかった。
「さて。貴殿よりも酸いも甘いも知っている、年寄りの忠告を聞いてほしい。わしは三大悪事を行なった悪人だ。自らの楽しみのために生きて殺して裏切ってきた。欲しいものを得るために奪ってきた。権勢欲のために権力を手中に収めた。全ては自分の幸福のためだ。戦国乱世を太平の世にするなど考えたことはない。だがそれの何が悪いのだ? 人間は自らの欲望のために生きるべきだ。他者など気にするな。むしろ蹴り落とせ。排除しろ」
これが松永久秀の思考であり、矜持であり、生き方なのだろう。
「だから雨竜殿。どうかもっと自分に素直であってほしい。聖者のような生き方をするな。他者に従う生き方をするな。堅苦しい生き方をするな。傍目から見ていて――不自由に思える。これからの時代を背負う貴殿がそのような生き方をしていると悲しくて仕方がない」
松永は僕を馬鹿にしていた。あるいは哀れんでいた。
信じられないけど、この僕を松永は親身になって心配していたのだ。
その言葉に、その表情に、妖しく心を揺さぶられる――
「さあ、生きることを始めよう。戦国乱世を楽しもうではないか。親兄弟が自らの欲得のために殺し合う、地獄のような日の本を。その明晰な頭脳を以って、多くの人々を苦しめるような戦をしようではないか。手始めに筒井の輩を殺そう。たくさんたくさんたくさん殺そう――」
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雪之丞の声にハッとする。
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雪之丞が僕の腕を掴んでいる。
「ゆ、雪之丞……」
「しっかりしてくれ! あなたは……そのままで良いんだ!」
必死な形相で僕に訴える――目には涙が零れそうになっている。
「あなたは俺を救ってくれた! あなたが居なかったら、熊に殺されていた!」
「…………」
「その傷の恩は決して忘れない! だから戻ってきてくれ!」
落ち着くために、深呼吸して、それから掴まれていないほうの手で顔を叩く。
よし。これで落ち着いた。
「……助かった。ありがとう。雪之丞」
「雲之介さん……」
すると僕たちの様子を見ていた松永が「ああ、残念だった」と溜息を吐く。
「果心居士に習った幻術を使って、貴殿を変えてみようと思ったが。ああ、とても残念だ」
「――っ! 貴様!」
雪之丞が怒りのあまり松永を殴ろうとするのを「やめろ雪之丞!」と叫んで止めた。
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「もういいんだ……」
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その前に、松永に訊ねた。
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「なんですかな?」
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「…………」
「さあ。明日は筒井攻めですぞ。ゆっくり休まれよ」
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「待て。俺も行くわ」
陣に戻って事の顛末を話すと半兵衛さんと正勝が物凄く怒って、松永を殺そうと出ようとする。それを必死になって僕と秀長さんは止めた。
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「秀長さんよ。止めてくれるな。俺ぁ兄弟に幻術なんぞかけようとしたくそ爺を――」
「正勝の兄さん。僕は無事だったんだから」
「雪之丞ちゃんのおかげでしょ。本当に甘すぎるわ」
なんとか落ち着いてもらって、ようやく一息つく。
「もしかして、幻術使って筒井に謀叛させたんじゃないかしらね?」
恐ろしいことを呟く半兵衛さん。
「いや、それはないだろう。筒井と松永は犬猿の仲で顔も見合わせていない」
「秀長ちゃん。周りの家臣を――いや、なんでもないわ」
気になったけど、詳細は訊けなかった。
「それで、いつ攻めるんだ?」
「明日、大殿のご嫡男、信忠さまが到着なさる。初陣らしい。兵は二万だ。合流したら一気に攻める」
正勝の問いに秀長さんが答えると半兵衛さんは「なら特別な策はいらないわね」と笑った。
「夜襲に警戒しつつ、交代で寝ましょう。筒井家はそれほど大した将はいないわ」
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