猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一

文字の大きさ
176 / 256

囲師必闕

しおりを挟む
 羽柴家が播磨国に来て、一ヶ月が経過した。
 予定通り、というより上手く行き過ぎたと言えば良いだろうか、調略によって播磨国のほとんどの小大名や国人、小領主に至るまで見事に服従させた。
 それだけではなく、但馬国の二つの城を獲ってしまったのだ。まさに半兵衛さんの指針どおりで、傍目から見ても大戦果に間違いない。
 しかしこれらは序盤に過ぎない。今まで調略してきたのは毛利家に従っていない弱小勢力で、織田家に対抗できなかったから従ったのだ。
 実際、毛利家傘下の宇喜多家に従っている播磨国の福原城と上月城はまだ攻略していない――これから攻略すると言うのが正しいが――だから気を引き締めなければならない。

「まずは福原城を攻めよう。そちらのほうが我らに近いからな」

 姫路城の評定の間。
 羽柴家、黒田家、そして与力の尼子家が勢揃いしたこの場で方針を告げる秀吉。

「福原城攻めは黒田殿に任す。それと半兵衛。心配ないとは思うが同行してくれ」

 黒田は深く頭を下げて「かしこまりました」と言う。
 半兵衛さんも同じく「分かったわ」と頷いた。
 ……半兵衛さんの顔色が日々悪くなっている気がする。大丈夫だろうか?

「雲之介。兵糧の管理をおぬしに任せる。それから正勝も城攻めの武将を任ずる」

 僕と正勝は黙って頷いた。

「よし。では福原城攻めはこれで良いとして――」
「お待ちくだされ。羽柴さま」

 待ったをかけたのは、山中殿だった。
 ぎらりと僕を一瞥した後「尼子家からは出さぬのですか?」と厳しく秀吉を問い詰めた。
 秀吉はおおらかに笑った。

「尼子家の方々には上月城攻めをお任せしたいと思いましてな」
「何ゆえ、上月城攻めを?」
「一つは黒田家の事情に関わることだ」

 黒田家に関わること?
 黒田が少し俯いたのが目の端でとらえた。

「黒田殿の正室、光殿は上月城の上月景貞の正室の妹。つまり彼らは縁戚に当たるのだ」
「なるほど。情に動かされて指揮を執ることができぬと?」
「いえ。黒田殿はそのようなお方ではないが、それでも心苦しいだろうと、わしが勝手に思っただけよ」

 人心の掌握が巧みな秀吉ならではの気遣いだ。僕は縁戚だとは知らなかった。
 一ヶ月の間に調べておいたんだな。

「そしてもう一つは、攻め取った上月城を尼子家の方々に任せたいと思っているからだ」

 それを聞いた尼子家の面々が一斉に色めき立つ。
 しかし山中殿は油断無く「それは真ですか?」と追及する。

「真だ。なんなら誓書を書いてもいい」
「…………」
「だが尼子家の方々が、毛利家と宇喜多家への最前線となる上月城を守りぬく自信がなければ、話は別だが」

 流石に心得ているな。屈服できないのであれば、逆に煽るとは。

「……尼子家を甘く見ないでもらいたい」

 山中殿は静かに言う。

「殿。引き受けますか?」

 尼子殿に問うと彼は静かに頷いた。

「無論。尼子家の力を羽柴家、ひいては織田家に見せる機会だ」

 尼子家の面々も頷いている。
 秀吉は満足そうに笑った。

「ああ。落とす前に黒田殿の義姉を助け出すのをお忘れなく」

 秀吉の言葉に黒田が「いえ。そのように気を使わなくとも……」と遠慮がちに言う。
 しかし山中殿は「承知した」と頷く。

「このくらいの苦難など、何でもないことだ」
「……かたじけない」

 この日の軍議は終わり、翌日僕たちは福原城へ進軍した。



「さて。あなたの策を聞きましょうか? 官兵衛ちゃん」

 福原城の近くに陣を構えた羽柴軍と黒田軍。
 本陣にて攻城の軍議が行なわれる。

「そうだな……囲師必闕(いしひっばつ)の計はどうだ?」

 囲師必闕……何かの書物で読んだ気がするが思い出せない。

「なんだそのいしひっばつってのは?」

 正勝の問いに半兵衛さんは「孫子の兵法よ」と説明する。

「囲師には必ず闕く。つまり包囲している敵に逃げ道を作ってあげるの」
「なんでだ? そこから逃げるじゃ……ああそうか。逃げりゃあ城が空になるからか」
「ご明察。あたしたちの目的は城を手に入れることだからね」

 戦わずして勝つ。兵法の基本である。
 しかし黒田はこれにもう一つ付け加えることを言った。

「だが城兵を生き残らせてしまえば、宇喜多家に合流してしまう。兵力は削れない。だから、逃げた先に伏兵を置く」
「……正しい判断ね。分かったわ。その策で行きましょう」

 黒田は怪訝な顔で「竹中殿は何か策がないのか?」と問う。

「船頭多くして山登るって言うじゃない? 適した策だったし、口出しなんてできないわ」

 半兵衛さんは立ち上がり、本陣から出て行く。
 僕は気になったので後をついて行くことにした。

「正勝の兄さん。後は頼んだ」
「おう。任せろ」

 本陣を出て、自分の陣に戻っていく半兵衛さんに僕は声をかけた。

「らしくないですね。自分の策を言わないなんて――」

 肩に手を置いたとき、半兵衛さんが体勢を崩し、その場にうずくまってしまう。

「半兵衛さん!?」
「……大丈夫よ。まだ、大丈夫」

 半兵衛さんの顔は真っ青で、苦しげで、どこまでも白かった。

「……もう、長くないんですか?」
「まだ二年か三年は持つわよ……」

 胸が一杯になる。あの半兵衛さんが――

「ねえ雲之介ちゃん。あなたは官兵衛ちゃんのことをどう思う?」
「どう思うって……賢いし忠義もあると思う」
「あたしも同感だわ。だから――あたしが居なくなった後、官兵衛ちゃんが秀吉ちゃんの軍師になってくれれば、良いんだけどね」

 そんなことを言うな。それを言えたら良かったけど、ここまで弱った半兵衛さんを目の前にしては言えなかった。だってそうだろう? 今まで懸命に寿命を減らしながら秀吉のために戦っていたんだ。それは僕だけじゃなくて秀長さんや正勝、長政も分かっている。秀吉本人も重々分かっている。なのにこれ以上頑張れだとか、励ますとか、できるわけないじゃないか。

「…………」
「ふふふ。やっぱり雲之介ちゃんは優しいわね」

 半兵衛さんはゆっくり立ち上がった。
 自分の力だけで、立ち上がれた。

「まだ死なないから」
「……半兵衛さん」
「安心なんかできないだろうけどね」

 半兵衛さんは僕に微笑んだ。

「今回の戦で官兵衛ちゃんの策が上手くいったら、秀吉ちゃんに言っておくわ」
「…………」
「そのときは、口添えしてくれる?」

 黙って頷いた。
 何かを言えば、涙を流してしまいそうだったから。



 結果から言えば、黒田の策は見事に嵌った。
 城兵はわざと作った逃げ道の裏手から逃亡した。城主の福原助就も不利と見るやそこから逃げ出したというのだから、余程効果があったのだろう。
 結局、伏兵に城主や城兵はことごとく討ち取られてしまった。その際、僕の家臣である雪隆くんと島、頼廉が大活躍した。おかげで彼らに感状を渡すことができた。

 福原城の落城により、上月城の攻略も行なわれた。尼子軍は勇猛果敢で、特に山中殿は首級をかなり取ったと聞く。そして約束どおり黒田の義姉を交渉によって受け取ることに成功し、上月城の城主、上月景貞は逃亡の果て自害することとなった。
 この功により、上月城は尼子家が城代として治めることになった。
 しかし――

「いいのか殿? 聞くところによると、山中と折り合いが悪いらしいじゃないか」

 島が心配そうに僕に問う。

「俺なら行かない。きっと意趣返しするつもりだ」

 雪隆くんも反対する。
 頼廉は何も言わないが、おそらく止めたいのだろう。

「ありがとう。でも行かないと負けた気がするから」

 僕は内心、行きたくないなと思っていたが、招かれたのだから覚悟を決めて行かなくてはならない。
 山中幸盛が主催する戦勝会に。
 はたして、逃げ道はあるのだろうか?
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。

克全
歴史・時代
 西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。  幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。  北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。  清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。  色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。 一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。 印旛沼開拓は成功するのか? 蝦夷開拓は成功するのか? オロシャとは戦争になるのか? 蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか? それともオロシャになるのか? 西洋帆船は導入されるのか? 幕府は開国に踏み切れるのか? アイヌとの関係はどうなるのか? 幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

処理中です...