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囲師必闕
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羽柴家が播磨国に来て、一ヶ月が経過した。
予定通り、というより上手く行き過ぎたと言えば良いだろうか、調略によって播磨国のほとんどの小大名や国人、小領主に至るまで見事に服従させた。
それだけではなく、但馬国の二つの城を獲ってしまったのだ。まさに半兵衛さんの指針どおりで、傍目から見ても大戦果に間違いない。
しかしこれらは序盤に過ぎない。今まで調略してきたのは毛利家に従っていない弱小勢力で、織田家に対抗できなかったから従ったのだ。
実際、毛利家傘下の宇喜多家に従っている播磨国の福原城と上月城はまだ攻略していない――これから攻略すると言うのが正しいが――だから気を引き締めなければならない。
「まずは福原城を攻めよう。そちらのほうが我らに近いからな」
姫路城の評定の間。
羽柴家、黒田家、そして与力の尼子家が勢揃いしたこの場で方針を告げる秀吉。
「福原城攻めは黒田殿に任す。それと半兵衛。心配ないとは思うが同行してくれ」
黒田は深く頭を下げて「かしこまりました」と言う。
半兵衛さんも同じく「分かったわ」と頷いた。
……半兵衛さんの顔色が日々悪くなっている気がする。大丈夫だろうか?
「雲之介。兵糧の管理をおぬしに任せる。それから正勝も城攻めの武将を任ずる」
僕と正勝は黙って頷いた。
「よし。では福原城攻めはこれで良いとして――」
「お待ちくだされ。羽柴さま」
待ったをかけたのは、山中殿だった。
ぎらりと僕を一瞥した後「尼子家からは出さぬのですか?」と厳しく秀吉を問い詰めた。
秀吉はおおらかに笑った。
「尼子家の方々には上月城攻めをお任せしたいと思いましてな」
「何ゆえ、上月城攻めを?」
「一つは黒田家の事情に関わることだ」
黒田家に関わること?
黒田が少し俯いたのが目の端でとらえた。
「黒田殿の正室、光殿は上月城の上月景貞の正室の妹。つまり彼らは縁戚に当たるのだ」
「なるほど。情に動かされて指揮を執ることができぬと?」
「いえ。黒田殿はそのようなお方ではないが、それでも心苦しいだろうと、わしが勝手に思っただけよ」
人心の掌握が巧みな秀吉ならではの気遣いだ。僕は縁戚だとは知らなかった。
一ヶ月の間に調べておいたんだな。
「そしてもう一つは、攻め取った上月城を尼子家の方々に任せたいと思っているからだ」
それを聞いた尼子家の面々が一斉に色めき立つ。
しかし山中殿は油断無く「それは真ですか?」と追及する。
「真だ。なんなら誓書を書いてもいい」
「…………」
「だが尼子家の方々が、毛利家と宇喜多家への最前線となる上月城を守りぬく自信がなければ、話は別だが」
流石に心得ているな。屈服できないのであれば、逆に煽るとは。
「……尼子家を甘く見ないでもらいたい」
山中殿は静かに言う。
「殿。引き受けますか?」
尼子殿に問うと彼は静かに頷いた。
「無論。尼子家の力を羽柴家、ひいては織田家に見せる機会だ」
尼子家の面々も頷いている。
秀吉は満足そうに笑った。
「ああ。落とす前に黒田殿の義姉を助け出すのをお忘れなく」
秀吉の言葉に黒田が「いえ。そのように気を使わなくとも……」と遠慮がちに言う。
しかし山中殿は「承知した」と頷く。
「このくらいの苦難など、何でもないことだ」
「……かたじけない」
この日の軍議は終わり、翌日僕たちは福原城へ進軍した。
「さて。あなたの策を聞きましょうか? 官兵衛ちゃん」
福原城の近くに陣を構えた羽柴軍と黒田軍。
本陣にて攻城の軍議が行なわれる。
「そうだな……囲師必闕(いしひっばつ)の計はどうだ?」
囲師必闕……何かの書物で読んだ気がするが思い出せない。
「なんだそのいしひっばつってのは?」
正勝の問いに半兵衛さんは「孫子の兵法よ」と説明する。
「囲師には必ず闕く。つまり包囲している敵に逃げ道を作ってあげるの」
「なんでだ? そこから逃げるじゃ……ああそうか。逃げりゃあ城が空になるからか」
「ご明察。あたしたちの目的は城を手に入れることだからね」
戦わずして勝つ。兵法の基本である。
しかし黒田はこれにもう一つ付け加えることを言った。
「だが城兵を生き残らせてしまえば、宇喜多家に合流してしまう。兵力は削れない。だから、逃げた先に伏兵を置く」
「……正しい判断ね。分かったわ。その策で行きましょう」
黒田は怪訝な顔で「竹中殿は何か策がないのか?」と問う。
「船頭多くして山登るって言うじゃない? 適した策だったし、口出しなんてできないわ」
半兵衛さんは立ち上がり、本陣から出て行く。
僕は気になったので後をついて行くことにした。
「正勝の兄さん。後は頼んだ」
「おう。任せろ」
本陣を出て、自分の陣に戻っていく半兵衛さんに僕は声をかけた。
「らしくないですね。自分の策を言わないなんて――」
肩に手を置いたとき、半兵衛さんが体勢を崩し、その場にうずくまってしまう。
「半兵衛さん!?」
「……大丈夫よ。まだ、大丈夫」
半兵衛さんの顔は真っ青で、苦しげで、どこまでも白かった。
「……もう、長くないんですか?」
「まだ二年か三年は持つわよ……」
胸が一杯になる。あの半兵衛さんが――
「ねえ雲之介ちゃん。あなたは官兵衛ちゃんのことをどう思う?」
「どう思うって……賢いし忠義もあると思う」
「あたしも同感だわ。だから――あたしが居なくなった後、官兵衛ちゃんが秀吉ちゃんの軍師になってくれれば、良いんだけどね」
そんなことを言うな。それを言えたら良かったけど、ここまで弱った半兵衛さんを目の前にしては言えなかった。だってそうだろう? 今まで懸命に寿命を減らしながら秀吉のために戦っていたんだ。それは僕だけじゃなくて秀長さんや正勝、長政も分かっている。秀吉本人も重々分かっている。なのにこれ以上頑張れだとか、励ますとか、できるわけないじゃないか。
「…………」
「ふふふ。やっぱり雲之介ちゃんは優しいわね」
半兵衛さんはゆっくり立ち上がった。
自分の力だけで、立ち上がれた。
「まだ死なないから」
「……半兵衛さん」
「安心なんかできないだろうけどね」
半兵衛さんは僕に微笑んだ。
「今回の戦で官兵衛ちゃんの策が上手くいったら、秀吉ちゃんに言っておくわ」
「…………」
「そのときは、口添えしてくれる?」
黙って頷いた。
何かを言えば、涙を流してしまいそうだったから。
結果から言えば、黒田の策は見事に嵌った。
城兵はわざと作った逃げ道の裏手から逃亡した。城主の福原助就も不利と見るやそこから逃げ出したというのだから、余程効果があったのだろう。
結局、伏兵に城主や城兵はことごとく討ち取られてしまった。その際、僕の家臣である雪隆くんと島、頼廉が大活躍した。おかげで彼らに感状を渡すことができた。
福原城の落城により、上月城の攻略も行なわれた。尼子軍は勇猛果敢で、特に山中殿は首級をかなり取ったと聞く。そして約束どおり黒田の義姉を交渉によって受け取ることに成功し、上月城の城主、上月景貞は逃亡の果て自害することとなった。
この功により、上月城は尼子家が城代として治めることになった。
しかし――
「いいのか殿? 聞くところによると、山中と折り合いが悪いらしいじゃないか」
島が心配そうに僕に問う。
「俺なら行かない。きっと意趣返しするつもりだ」
雪隆くんも反対する。
頼廉は何も言わないが、おそらく止めたいのだろう。
「ありがとう。でも行かないと負けた気がするから」
僕は内心、行きたくないなと思っていたが、招かれたのだから覚悟を決めて行かなくてはならない。
山中幸盛が主催する戦勝会に。
はたして、逃げ道はあるのだろうか?
予定通り、というより上手く行き過ぎたと言えば良いだろうか、調略によって播磨国のほとんどの小大名や国人、小領主に至るまで見事に服従させた。
それだけではなく、但馬国の二つの城を獲ってしまったのだ。まさに半兵衛さんの指針どおりで、傍目から見ても大戦果に間違いない。
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「まずは福原城を攻めよう。そちらのほうが我らに近いからな」
姫路城の評定の間。
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黒田は深く頭を下げて「かしこまりました」と言う。
半兵衛さんも同じく「分かったわ」と頷いた。
……半兵衛さんの顔色が日々悪くなっている気がする。大丈夫だろうか?
「雲之介。兵糧の管理をおぬしに任せる。それから正勝も城攻めの武将を任ずる」
僕と正勝は黙って頷いた。
「よし。では福原城攻めはこれで良いとして――」
「お待ちくだされ。羽柴さま」
待ったをかけたのは、山中殿だった。
ぎらりと僕を一瞥した後「尼子家からは出さぬのですか?」と厳しく秀吉を問い詰めた。
秀吉はおおらかに笑った。
「尼子家の方々には上月城攻めをお任せしたいと思いましてな」
「何ゆえ、上月城攻めを?」
「一つは黒田家の事情に関わることだ」
黒田家に関わること?
黒田が少し俯いたのが目の端でとらえた。
「黒田殿の正室、光殿は上月城の上月景貞の正室の妹。つまり彼らは縁戚に当たるのだ」
「なるほど。情に動かされて指揮を執ることができぬと?」
「いえ。黒田殿はそのようなお方ではないが、それでも心苦しいだろうと、わしが勝手に思っただけよ」
人心の掌握が巧みな秀吉ならではの気遣いだ。僕は縁戚だとは知らなかった。
一ヶ月の間に調べておいたんだな。
「そしてもう一つは、攻め取った上月城を尼子家の方々に任せたいと思っているからだ」
それを聞いた尼子家の面々が一斉に色めき立つ。
しかし山中殿は油断無く「それは真ですか?」と追及する。
「真だ。なんなら誓書を書いてもいい」
「…………」
「だが尼子家の方々が、毛利家と宇喜多家への最前線となる上月城を守りぬく自信がなければ、話は別だが」
流石に心得ているな。屈服できないのであれば、逆に煽るとは。
「……尼子家を甘く見ないでもらいたい」
山中殿は静かに言う。
「殿。引き受けますか?」
尼子殿に問うと彼は静かに頷いた。
「無論。尼子家の力を羽柴家、ひいては織田家に見せる機会だ」
尼子家の面々も頷いている。
秀吉は満足そうに笑った。
「ああ。落とす前に黒田殿の義姉を助け出すのをお忘れなく」
秀吉の言葉に黒田が「いえ。そのように気を使わなくとも……」と遠慮がちに言う。
しかし山中殿は「承知した」と頷く。
「このくらいの苦難など、何でもないことだ」
「……かたじけない」
この日の軍議は終わり、翌日僕たちは福原城へ進軍した。
「さて。あなたの策を聞きましょうか? 官兵衛ちゃん」
福原城の近くに陣を構えた羽柴軍と黒田軍。
本陣にて攻城の軍議が行なわれる。
「そうだな……囲師必闕(いしひっばつ)の計はどうだ?」
囲師必闕……何かの書物で読んだ気がするが思い出せない。
「なんだそのいしひっばつってのは?」
正勝の問いに半兵衛さんは「孫子の兵法よ」と説明する。
「囲師には必ず闕く。つまり包囲している敵に逃げ道を作ってあげるの」
「なんでだ? そこから逃げるじゃ……ああそうか。逃げりゃあ城が空になるからか」
「ご明察。あたしたちの目的は城を手に入れることだからね」
戦わずして勝つ。兵法の基本である。
しかし黒田はこれにもう一つ付け加えることを言った。
「だが城兵を生き残らせてしまえば、宇喜多家に合流してしまう。兵力は削れない。だから、逃げた先に伏兵を置く」
「……正しい判断ね。分かったわ。その策で行きましょう」
黒田は怪訝な顔で「竹中殿は何か策がないのか?」と問う。
「船頭多くして山登るって言うじゃない? 適した策だったし、口出しなんてできないわ」
半兵衛さんは立ち上がり、本陣から出て行く。
僕は気になったので後をついて行くことにした。
「正勝の兄さん。後は頼んだ」
「おう。任せろ」
本陣を出て、自分の陣に戻っていく半兵衛さんに僕は声をかけた。
「らしくないですね。自分の策を言わないなんて――」
肩に手を置いたとき、半兵衛さんが体勢を崩し、その場にうずくまってしまう。
「半兵衛さん!?」
「……大丈夫よ。まだ、大丈夫」
半兵衛さんの顔は真っ青で、苦しげで、どこまでも白かった。
「……もう、長くないんですか?」
「まだ二年か三年は持つわよ……」
胸が一杯になる。あの半兵衛さんが――
「ねえ雲之介ちゃん。あなたは官兵衛ちゃんのことをどう思う?」
「どう思うって……賢いし忠義もあると思う」
「あたしも同感だわ。だから――あたしが居なくなった後、官兵衛ちゃんが秀吉ちゃんの軍師になってくれれば、良いんだけどね」
そんなことを言うな。それを言えたら良かったけど、ここまで弱った半兵衛さんを目の前にしては言えなかった。だってそうだろう? 今まで懸命に寿命を減らしながら秀吉のために戦っていたんだ。それは僕だけじゃなくて秀長さんや正勝、長政も分かっている。秀吉本人も重々分かっている。なのにこれ以上頑張れだとか、励ますとか、できるわけないじゃないか。
「…………」
「ふふふ。やっぱり雲之介ちゃんは優しいわね」
半兵衛さんはゆっくり立ち上がった。
自分の力だけで、立ち上がれた。
「まだ死なないから」
「……半兵衛さん」
「安心なんかできないだろうけどね」
半兵衛さんは僕に微笑んだ。
「今回の戦で官兵衛ちゃんの策が上手くいったら、秀吉ちゃんに言っておくわ」
「…………」
「そのときは、口添えしてくれる?」
黙って頷いた。
何かを言えば、涙を流してしまいそうだったから。
結果から言えば、黒田の策は見事に嵌った。
城兵はわざと作った逃げ道の裏手から逃亡した。城主の福原助就も不利と見るやそこから逃げ出したというのだから、余程効果があったのだろう。
結局、伏兵に城主や城兵はことごとく討ち取られてしまった。その際、僕の家臣である雪隆くんと島、頼廉が大活躍した。おかげで彼らに感状を渡すことができた。
福原城の落城により、上月城の攻略も行なわれた。尼子軍は勇猛果敢で、特に山中殿は首級をかなり取ったと聞く。そして約束どおり黒田の義姉を交渉によって受け取ることに成功し、上月城の城主、上月景貞は逃亡の果て自害することとなった。
この功により、上月城は尼子家が城代として治めることになった。
しかし――
「いいのか殿? 聞くところによると、山中と折り合いが悪いらしいじゃないか」
島が心配そうに僕に問う。
「俺なら行かない。きっと意趣返しするつもりだ」
雪隆くんも反対する。
頼廉は何も言わないが、おそらく止めたいのだろう。
「ありがとう。でも行かないと負けた気がするから」
僕は内心、行きたくないなと思っていたが、招かれたのだから覚悟を決めて行かなくてはならない。
山中幸盛が主催する戦勝会に。
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