猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一

文字の大きさ
186 / 256

穏やかな最期

しおりを挟む
「松寿丸は――いい奴でした」

 長浜城にある、僕の屋敷。
 暗い表情でそう語るのは、息子の晴太郎。
 傍には妻のはる、浅井家に嫁入りした娘のかすみ、そして少し歩けるようになった雹。
 僕の家族が勢揃いしていた。

「短い間に――随分と仲良くなったんだな」
「ええ。あいつが人質だと思えないほど、明るくて優しくて、向学心も向上心もあって、黒田家の当主に相応しくなろうと努力する、いい奴でした」

 過去形なのが、悲しかった。
 もはや会えないと分かっているのだから、仕方ないけど。

「……竹中さまは、どこに居るんですか?」

 俯いていた顔をすっと上げる。
 澱んだ瞳が僕を見つめる。

「どうしてそんなことを訊く?」

 察しはつく。おそらく半兵衛さんを殺すつもりだろう。
 悲壮に満ちた覚悟を、晴太郎の中に僕は見出す。

「お答えできないのですか?」

 噛み合わない問答。
 だから頷いた。それしかできなかったから。

「兄さま。馬鹿なことを考えないでよ」

 我慢し切れなかったのか、かすみは口を出してしまう。

「松寿丸が死んだのは、悲しいけど……上様の命じたことなんだから」
「じゃあ上様が悪いのか?」
「そ、そうは言わないけど……」

 僕は「責任を問えばきりがない」と二人を制した。

「黒田殿を捕らえたか殺したか分からないけど、そんな目に合わした荒木にも責任がある。黒田殿を裏切った小寺家も悪い。そもそも人質を差し出した黒田殿自身にも責任がないことはない」
「では、父さまは、誰が悪いと思いますか?」

 蒼白な顔で晴太郎は僕に問う。
 僕は何の感情を込めずに言う。

「誰も悪くないさ。強いて言うのなら、子どもを人質にして、叛けば殺すような戦国乱世という時代が悪いんだ」

 晴太郎もかすみも、僕のあまりに酷い言葉に絶句した。
 代わりに雹をあやしていたはるが問う。

「ではお前さまは誰も悪くないと言うのか?」
「そう言っている。半兵衛さんは上様を説得して、できなかったから松寿丸を殺したんだ。実らなかったけど努力はしている」
「では竹中殿に松寿丸の死の責任は無いと?」

 僕は「そもそも、みんなは勘違いしているな」と言う。

「松寿丸は見事に切腹して果てたという。武士としてこれ以上ない死に方をした。名誉に思うこそすれ、恥辱に塗れた死ではない」
「……父さま、それはあまりに」
「あまりに身勝手と言うのか? 晴太郎、松寿丸を悼む気持ちがよく分かる。喪失感も重々承知している。だから――これ以上、松寿丸の死を汚すな」

 厳しい言い方だけど、そうでも言わないと美濃国の半兵衛さんの居城、菩提山城で静養している彼に迷惑がかかる。

「……分かりました」

 納得していない様子だったけど、無理矢理飲み込んだ晴太郎。
 かすみは静かに涙を流す。まあそのくらいは許そう。

「それで、お前さまは晴太郎殿を説得するために、戦場を離れたのか?」

 はるがぐずり出した雹を抱っこしながら訊いてくる。
 僕は「もちろん他にも用がある」と言った。

「実はこっちが主要な用事だ。はっきり言って避けたい用事だが……」
「どんな用事ですか?」

 晴太郎が催促してくるので、僕はなるべく早口で言う。

「京で僕の祖父に会いに行く」
「……はあ?」
「会わなくちゃいけないんだ」

 僕は目を伏せて、呟く。

「僕の祖父、山科言継さまは、もう永くないらしい」



 家族から総反対されると思ったが、案外すんなり同意してくれた。

「一度会ってみたいと思っていた。いろんな意味で」

 晴太郎は暗い顔をしていた。

「うん。母さまの代わりに文句言いたいしね」

 かすみは意外と根に持つ性格のようだ。

「山科殿なら知っている。父と親しかったから」

 はるも異存ないようだった。
 ということで数日かけて京へと向かう。
 着くなり山科家の使いの者と合流し、静養しているという屋敷に招かれた。

 僕はどんな顔をして会えばいいのだろう。
 晴太郎とかすみは、まだ見ぬ曽祖父に敵意を持っているようだ。
 はるはさほど憎く思っていないようだけど、良い印象はないだろう。

 翻って僕は何を思えばいい?
 娘のために孫を殺そうとした祖父に何を思えばいい?
 実際に会って見ないと、分からないな……

 案内された屋敷の門をくぐると、言継さまによく似た中年の男が立っていた。
 公家の普段着である狩衣を着ていることから、それなりの地位に居ることは分かる。

「ようこそ。歓迎するよ」
「あなたは……?」
「ああ。紹介が遅れたね。私は山科言経。君の伯父だ」

 一言一言区切るように喋る、変わった人だなというのが第一印象だった。
 この人が書状を出したのだな。

「父上は奥の間に居る。さっそく会ってくれ」

 こちらの紹介もまだなのに、さっさと終わらせてくれと言わんばかりに、くるりと後ろを向いて、歩き出す言経さん。
 晴太郎が少しだけ不機嫌になるのが分かった。

「言継さまの病態は、いかがですか?」

 廊下を歩きながら問うと「かなり悪い」と短く言われた。

「年を越えられたら御の字だ」
「そうですか……」
「あらかじめ言っておくが。父上にあまり同情しないでほしい」

 奥の襖の前に立つ言経さま。
 訳が分からない……

「同情、ですか?」
「ああ。ああなったのは自業自得だ。私は妹の巴が嫌いではなかった」

 思わぬ言葉に僕たちは何も言えなくなった。
 そして続けて言経さまは言う。

「あの様になったのは。因果応報だ。廻り巡ってああなったんだ」
「…………」
「中に入ってくれ」

 襖が開かれた。
 言継さまは高価と思われる寝具と布団の上に居た。

「……言継さま」

 上半身だけを起こして、ゆっくりと僕を見る言継さま。
 口元が涎で汚れている――

「……あんたは、誰?」

 思わず、足を止める。

「新しい使用人か? いや武士っぽいな……」
「……雨竜雲之介秀昭です」

 名乗れば分かるだろうと思ったけどますます首を傾げた。

「はて。誰じゃったかの?」

 晴太郎が、言経さまに訊ねる。

「……呆けているんですか?」
「ああ。私の顔すら思い出せない」

 僕はゆっくりと言継さまに近づく――

「うん? 何か変なこと言ったかの?」
「僕は、あなたの孫です」
「おおそうか。武田殿がお会いになると?」
「……巴の息子です」
「尾張の大うつけ殿がここまで領土を広げるとはな! こうしては居れん! さっそく会わねば!」

 ああ、この人はもう駄目だ。
 今と昔が混在して、何も分かっていない。

 僕は身振り手振りをする言継さまの手を取った。

「もう、良いんですよ。少し休まれてください」
「……? そうか、もうわしは休んでいいのか」

 通じたようで、ゆっくりと布団に横たわる。
 手は離さなかった。

「なあ、聞いてくれるか?」
「何をですか?」
「わしの孫のことだ」

 僕が誰だか分からないのに、突然話題に出してきた。

「可哀想なことをした。毎日後悔している。わしは鬼だ。娘のために孫を殺したのだ」
「…………」
「許されないだろう。地獄に落ちるだろう。ああ、巴、すまなかった」

 口から涎を流し、目からも涙を零す言継さま。
 必死になって僕に言い続ける。

「わしは救われなくていい。でもあの孫が幸せであってほしいのだ……」

 僕は握る手を強くした。

「大丈夫。あなたの孫はきっと幸せになりますよ」

 口に出たのは、気遣いの言葉だった。

「それにあなたのことは恨んでなんかいません。そりゃあ知ったときは怒りましたけどね。もう何とも思っていませんよ」
「……本当か?」
「ええ。見てください。その孫の家族です」

 後ろに立っている僕の家族を見せる。
 晴太郎は真顔で立っていて。
 かすみは少し泣いていて。
 はるは雹を抱いていて。
 雹は無邪気にはしゃいでいた。

「そうか。孫は、幸せなんだな」

 満足そうに笑う言継さま。

「ええ。ですから、もうお休みになってください」

 言継さまは、そのまま目を閉じた。

「君は、優しいな……」
「…………」
「ありがとう」

 そして眠ってしまった言継さま。
 ゆっくり手を離した。

「意外だな。君は父上を恨んでいると思っていたが」

 言経さまが何の感情を込めずに言う。

「こんな様子を見せられて、恨み言を言えるのは、もはや人ではなく、鬼ですよ」
「君はそれだけの理由があると思うがな」

 言経さまは最後にこう言った。

「君は嫌がるだろうが私と山科家は君を支持する。公家関係で何かあればすぐに頼ってほしい。君が望むかどうかは知らないが。頭の片隅にでも置いてくれ」

 そして正座をして、僕に頭を下げた。

「父上に代わって謝罪する。すまなかった。そして父上に代わって感謝する。ありがとう。これで穏やかに父上は死ねるだろう」

 これで良かったのだと思う。
 そう信じたい。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。

克全
歴史・時代
 西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。  幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。  北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。  清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。  色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。 一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。 印旛沼開拓は成功するのか? 蝦夷開拓は成功するのか? オロシャとは戦争になるのか? 蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか? それともオロシャになるのか? 西洋帆船は導入されるのか? 幕府は開国に踏み切れるのか? アイヌとの関係はどうなるのか? 幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

処理中です...