猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一

文字の大きさ
242 / 256

告知

しおりを挟む
「労咳――ですな。もはや完治は無理でしょう」

 京、施薬院の一室。
 目の前の年老いた医者――曲直瀬道三は悲しげに僕に告げた。

「……父さまが、労咳? 嘘、ですよね? 道三さん!」

 秀晴は信じられないという顔で、道三さんに詰め寄った。
 しかし道三さんは「嘘など言いません」と首を横に振る。

「紛れも無く、労咳の症状です。しかもかなり進行している。永くて五年と言ったところでしょう」

 五年――僕に残された時間は、たった五年。
 秀晴はがっくりと肩を落として、それから道三さんに食ってかかった。

「道三さん! なんとかしてください! あなたは名医でしょう!?」
「……大恩あるお方に、あまり告げたくはなかった。しかし、真実を告げなければならなかった」
「そんなことを訊いているんじゃない! 治してくださいよ!」

 秀晴が今にも道三さんに掴みかかろうとしたので「秀晴。もういい」と制した。

「しかし、父さま!」
「五年。それ以上延ばすことはできますか?」

 自分の死を宣告されて、取り乱さない僕はおかしいのだと思う。
 でもどこか冷静に受け入れている自分は正常だとも感じている。
 それは自分の身体だから分かっていた――ではない。
 いつか来ると分かっていたから、受け入れられた。

「いえ。無理でしょう」
「かなり苦しみますか?」
「ええ。末期に近づけば近づくほど、苦しみます」
「……まあそうだろうな」

 傍目からは無感情に思えるようなやりとりに秀晴は何も言えなくなった。

「道三さん。五年間、僕の身体を診てくれますか?」
「……本来ならそうしたいが、この老体には難しい。だから一人前となった玄朔に任せたい。何、あやつなら苦しみを和らげることはできます」

 僕は微笑みながら「しばらく、秀晴と二人きりにしてもらえませんか」と道三さんに頼んだ。
 黙って出て行く道三さんを見送って、僕は強張った顔の秀晴に告げる。

「聞いていたな。僕は五年後に死ぬ」

 そう言った瞬間、秀晴は大切な物を壊されたような、悲しげな顔をした。

「雨竜家のことは、お前に任せる」
「…………」
「家督も渡して隠居しないとな。ああ、秀吉にも言わないと」
「……どうして、父さまは、冷静なんですか?」

 秀晴の目から一筋の涙が流れた。
 僕が、自分の父親が、死ぬのが悲しいようだった。

「冷静、か。いや、十分取り乱しているよ」
「そんな風には見えないですが」
「医者に死ぬと言われても、あまり現実感がない。でも死を受け入れている」
「…………」
「そういう心境だよ」

 背筋を伸ばしながら「もう少し、秀晴にはいろいろ経験させてから家督を譲るつもりだった」と言う。

「まだ丹波一国は重過ぎるからね」
「……俺は若輩者ですから」
「いや、僕が同じ歳に大名になれと言われたら断っていたよ。その点は申し訳ないと思う」

 僕は「秀晴。先に丹波国に帰ってくれ」と言った。

「大坂城で秀吉に隠居すると言ってくる。ついでに正勝の兄さんにも会っておこうかな」
「……はるさんや雹には、俺から告げましょうか?」

 首を横に振って「僕から言う」と断った。

「家臣たちにも直接伝える。そのときに雨竜家の家督をお前に継がせる。だからそれまでの間は自由に過ごしなさい」

 これは僕なりの気遣いだった。大名になればやりたくないこともやらねばならないから。
 秀晴は涙を拭って「かすみには手紙で知らせますよ」と断りを入れた。

「最後に、一つだけ聞かせてください」
「なんだい?」
「父さまは――無念じゃないですか?」

 秀晴は僕の本音を聞きたいようだった。

「もう少しで天下を統一して、太平の世となるのに、その夢の途中で死ぬのは――」
「五年もあれば、秀吉は天下統一できるよ」
「しかし、太平の世を楽しめずに、死ぬなんて、後悔しませんか?」

 秀晴は勘違いしているようだった。だから訂正する。

「確かに僕は太平の世のために、戦ったり働いたり、主君をお助けしたりした。でも、それを僕の子孫が楽しめるのなら、それでいいと思っている」

 秀晴は今度こそ何も言えなくなった。
 僕は五年後に死ぬ人間とは思えないような明るい表情で笑った。

「夢半ばで死ぬ? そんなことに無念や後悔があるはずがない。だってその夢は、秀吉やお前が現実にしてくれるんだ。それが僕が死んでも、続いてくれる。こんな嬉しいことはないよ」



 大坂城の大広間。
 安土城よりも大きく、黄金色に輝く外観は、まさに天下無双の城であることは間違いない。
 そんな城の内部で、にこにこと笑っている秀吉と向かい合う。
 傍には家老である正勝も居る。ちょうど用事が僕の来訪と重なったらしい。

「雲之介! こたびの働き、見事である!」
「ありがたき幸せ」
「それで、何の用だ? 褒美を催促しに来たのか?」

 冗談というかからかう口調の秀吉。

「それは兄弟らしくないな。大名になって欲が出てきたのか?」

 珍しく正勝も冗談を言ってきた。
 僕は軽く笑って「そんなんじゃないよ」と答えた。

「二人に少し話しておかないといけないことがあって。小姓を下がらせてくれ」

 二人は顔を見合わせた。秀吉は「皆の者、下がれ」と命じた。
 広い空間に三人だけになった。
 僕はふうっと深呼吸した。

「雲之介。何か重要な話か?」
「まさか毛利家や長宗我部家の情報でも掴んだのか?」

 長い付き合いだから僕が真剣で深刻な話をするのだと勘付いたようだ。

「ああ。秀吉――いや、殿」

 秀吉は目を丸くした。殿なんて呼んだことなかったから。

「雨竜雲之介秀昭。隠居いたします」

 秀吉は口をあんぐりと開けた。
 正勝は目を見開いた。

「お前、兄弟、何言って――」
「つきましては、家督を我が息子、雨竜秀晴に渡すことを許可していただきたい」

 正勝の言葉を無視して一気に、一息で言った。

「く、雲之介……? 何か、不満でもあるのか……?」

 秀吉は立ち上がって、僕の元へと近づく。

「ああ、丹波一国だけでは不満か。そうか、では丹後国をやろう。それが不足ならば山城国もやろうぞ。それならば十分だろう――」
「領地の不満で隠居するわけではありません」

 秀吉は「敬語をやめろ!」と怒鳴った。
 かなり取り乱している。

「わしに何か不満でもあるのか!」
「そんなことはない。最高の主君だよ、秀吉は」
「じゃあ何故――」

 僕はあっさりと告げた。

「もうすぐ、僕は死ぬんだ」

 その言葉を秀吉と正勝は一瞬だけ理解できず――次の刹那、冗談ではなく事実だと悟った。

「医者に五年後に死ぬって言われたよ。それが限界だって」

 正勝は震えた声で「ど、どんな病だ?」と訊ねた。

「労咳。半兵衛さんと同じだね」

 秀吉はへなへなとその場に崩れ落ちた。

「別に今死ぬわけじゃないよ。五年間は裏方として、秀吉を支える。でも――」

 僕は自分が本当に笑えているか、心配だった。

「もう表舞台には立てない」

 正勝は「馬鹿野郎が」とそっぽを向いて毒づいた。

「つらいなら笑うなよ。もっと悲しそうな顔をしろ」
「あはは。まだ受け入れてないのかもしれないね」
「……殿を見ろよ」

 言われるまま僕は秀吉を見た。
 溢れ出す涙。拭うこともせず、僕のことを見つめていた。
 そして――泣きながら怒り出した。

「馬鹿者! これからおぬしの力が必要だと言うのに、死んでどうする!」
「だからまだ死なないって。そうだな、後五年で天下統一してくれ」

 僕が軽く言うと「そんな簡単に言うな!」と怒鳴る秀吉。

「できるわけが――」
「できる。羽柴秀吉という男なら、必ずできる」

 僕は秀吉に近づいて、その手を取った。

「頼む……じゃないな、託したよ、秀吉」

 涙を流したまま、秀吉は僕の手を握る。

「……ああ、必ず天下統一をしてみせる」

 こういうとき秀吉は嘘を吐かない。
 長年の付き合いでよく分かっていた。
しおりを挟む
感想 8

あなたにおすすめの小説

幻の十一代将軍・徳川家基、死せず。長谷川平蔵、田沼意知、蝦夷へ往く。

克全
歴史・時代
 西欧列強に不平等条約を強要され、内乱を誘発させられ、多くの富を収奪されたのが悔しい。  幕末の仮想戦記も考えましたが、徳川家基が健在で、田沼親子が権力を維持していれば、もっと余裕を持って、開国準備ができたと思う。  北海道・樺太・千島も日本の領地のままだっただろうし、多くの金銀が国外に流出することもなかったと思う。  清国と手を組むことも出来たかもしれないし、清国がロシアに強奪された、シベリアと沿海州を日本が手に入れる事が出来たかもしれない。  色々真剣に検討して、仮想の日本史を書いてみたい。 一橋治済の陰謀で毒を盛られた徳川家基であったが、奇跡的に一命をとりとめた。だが家基も父親の十代将軍:徳川家治も誰が毒を盛ったのかは分からなかった。家基は田沼意次を疑い、家治は疑心暗鬼に陥り田沼意次以外の家臣が信じられなくなった。そして歴史は大きく動くことになる。 印旛沼開拓は成功するのか? 蝦夷開拓は成功するのか? オロシャとは戦争になるのか? 蝦夷・千島・樺太の領有は徳川家になるのか? それともオロシャになるのか? 西洋帆船は導入されるのか? 幕府は開国に踏み切れるのか? アイヌとの関係はどうなるのか? 幕府を裏切り異国と手を結ぶ藩は現れるのか?

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

織田信長 -尾州払暁-

藪から犬
歴史・時代
織田信長は、戦国の世における天下統一の先駆者として一般に強くイメージされますが、当然ながら、生まれついてそうであるわけはありません。 守護代・織田大和守家の家来(傍流)である弾正忠家の家督を継承してから、およそ14年間を尾張(現・愛知県西部)の平定に費やしています。そして、そのほとんどが一族間での骨肉の争いであり、一歩踏み外せば死に直結するような、四面楚歌の道のりでした。 織田信長という人間を考えるとき、この彼の青春時代というのは非常に色濃く映ります。 そこで、本作では、天文16年(1547年)~永禄3年(1560年)までの13年間の織田信長の足跡を小説としてじっくりとなぞってみようと思いたった次第です。 毎週の月曜日00:00に次話公開を目指しています。 スローペースの拙稿ではありますが、お付き合いいただければ嬉しいです。 (2022.04.04) ※信長公記を下地としていますが諸出来事の年次比定を含め随所に著者の創作および定説ではない解釈等がありますのでご承知置きください。 ※アルファポリスの仕様上、「HOTランキング用ジャンル選択」欄を「男性向け」に設定していますが、区別する意図はとくにありません。

札束艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 生まれついての勝負師。  あるいは、根っからのギャンブラー。  札田場敏太(さつたば・びんた)はそんな自身の本能に引きずられるようにして魑魅魍魎が跋扈する、世界のマーケットにその身を投じる。  時は流れ、世界はその混沌の度を増していく。  そのような中、敏太は将来の日米関係に危惧を抱くようになる。  亡国を回避すべく、彼は金の力で帝国海軍の強化に乗り出す。  戦艦の高速化、ついでに出来の悪い四姉妹は四一センチ砲搭載戦艦に改装。  マル三計画で「翔鶴」型空母三番艦それに四番艦の追加建造。  マル四計画では戦時急造型空母を三隻新造。  高オクタン価ガソリン製造プラントもまるごと買い取り。  科学技術の低さもそれに工業力の貧弱さも、金さえあればどうにか出来る!

土方歳三ら、西南戦争に参戦す

山家
歴史・時代
 榎本艦隊北上せず。  それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。  生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。  また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。  そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。  土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。  そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。 (「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です) 

対米戦、準備せよ!

湖灯
歴史・時代
大本営から特命を受けてサイパン島に視察に訪れた柏原総一郎大尉は、絶体絶命の危機に過去に移動する。 そして21世紀からタイムリーㇷ゚して過去の世界にやって来た、柳生義正と結城薫出会う。 3人は協力して悲惨な負け方をした太平洋戦争に勝つために様々な施策を試みる。 小説家になろうで、先行配信中!

改造空母機動艦隊

蒼 飛雲
歴史・時代
 兵棋演習の結果、洋上航空戦における空母の大量損耗は避け得ないと悟った帝国海軍は高価な正規空母の新造をあきらめ、旧式戦艦や特務艦を改造することで数を揃える方向に舵を切る。  そして、昭和一六年一二月。  日本の前途に暗雲が立ち込める中、祖国防衛のために改造空母艦隊は出撃する。  「瑞鳳」「祥鳳」「龍鳳」が、さらに「千歳」「千代田」「瑞穂」がその数を頼みに太平洋艦隊を迎え撃つ。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

処理中です...