聖女の加護

LUKA

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「・・・まぁったく・・・、何でアタシが・・・。ボスもボスよ・・・!」
 昼下がり、ネルの目の前をよちよちと歩く異形の魔物は、ぶつくさと不平不満を口にした。
 ごにょごにょと聴き取りづらい文句に交じって、手を伸ばせば届きそうなほど近い、傍らでうっそうと生い茂った木立の中から、鳥たちの元気なさえずりが聞こえてくる。
 右手にそびえる森は、林立した幹や枝葉が濃い影を作り、薄暗いベールを纏って、傾いてはいるが、頭上で燦々と煌めく太陽と打って変わり、見通しのきかない静謐の中に、暗鬱とした雰囲気が漂っていた。
 ネルは――、勝手に城の下働きとして任命されたネルとしては、今すぐにでも、出たばかりの調理場兼食堂を含め、古城の周りをぐるりと取り囲む、この幻惑的な森林の中へ、一目散に駆け出したくてうずうずしていたが、同時に、この小さな怪物に何をされるか、または何を課されるのかと、内心ビクビクしてもいた。
 左を向けば、建てられてから随分と長い年月が経ったと、誰の目でも一目でわかるほど落ちぶれ、廃城そのもの、おどろおどろしい居城の、蔦と苔にまみれ、ぼろぼろと崩れ落ちた石壁が見えた。
 (・・・しかも、よりによって、どうしてこんな薄汚い子をよこしてくるのかしら・・・?ああんもう、ボスったらいけず・・・!てゆうか、この子ったら一体、ご主人アッシュ様の何なのかしら・・・?アッシュ様が直々に、攫ってきたことは分かってるんだけど・・・)
 城の炊事を任されている、ピケという名のゴブリンは一度立ち止まり、後ろをチラリと盗み見た。
 まさしく彼が雑巾として用いているものと同じ色の、みすぼらしい鉛色のワンピースを着た女が一人、陽の光を浴びてキラリと輝く、淡いプラチナブロンドの髪色の下で、眼窩を占めている碧い瞳が、オドオドと不安げに揺れ動き、青ざめたピンク色の唇は緊張のためか、固く引き結んで立っている姿が、そこにはあった。
 (・・・最高にかっこいいアタシのご主人様ったら、まさかこんなのが趣味だったのかしら・・・?縦のものを横に、上のものを下にしたって、どうあがいたって、お世辞にも、魅力的とは言えないわよね・・・?)
 流行や女心といったものに敏感なピケは、中でも、継ぎ接ぎだらけのぼろワンピースが特に気に入らず、ほつれて糸が飛び出し放題の粗悪な布を、つぶさにじいっと見つめた。
 「? ?」
 訳も分からず、恐怖と不安に苛まれたネルは、その場で立ち竦んだ。
 「・・・そのワンピース・・・」
 ふさふさ黒々と生えた濃い口髭の下から、つぶやきが不意にぼそりと出た。
 そして、男らしい見た目のピケは、どこかで見たことあるのよね、という台詞を飲み込むと、ちょこちょこ歩きを再開した。
 数百メートルも進むと、一人と一体は少し開けた場所にたどり着き、あちこちに散乱したぶつ切りの幹、切り株に突き刺さった斧、麻ひもで束ねられた薪の数々を、ネルは見た。
 どうやらここは城の薪割り場らしい。
 次いで、くるりと向きを変えたピケは、下女ならぬ聖女ネルに向き直ると、もさもさした黒ひげを動かしながら、高圧的に言った。
 「いい?あんたはここで、料理の焚き付けに使う薪を割るの。怠けたり、さぼったりしたら承知しないんだから!」
 「は、はい・・・?」
 薪割りなど、生まれてこの方したことのなかったネルは、戸惑い気味に答えた。
 「何よ、その煮え切らない返事!あんたまさか、働いたことないって言うの!?」
 両手を腰に当てた炊事当番は、イライラと怒鳴った。
 「い、いえ!そんなことは・・・!」
 慌てて頭を振るネル。
 というのも当然のことながら、死に物狂いで働いてきたのは、何を隠そう自分なのだから。
 「んもう、別に苛めてるわけじゃないんだから、そのビクビクオドオドした態度、どうにかしなさいよ!」
 と小柄な妖怪は足元で責めるが、ネルの方も、何も好き好んで怯えているつもりはない。彼女はゴブリンという生き物に、全くもって馴染みがないのだ。
 「じゃ、後でしっかりやってるかどうか見に来るから。――いい?あんたに一つだけ言っておくわ。アタシたち低級な魔物ゴブリンを統べる、最高にクールな魔人の旦那様が、あんたのようにみすぼらしい、へんてこりんな女をわざわざ奪ってきたのは、正直信じられる話じゃないけど、あの賢くて立派な旦那様のすることですもの、あんたを攫ってきたのも、何かきっと意味があるんだわ。だから言われた通り、誠心誠意彼に尽くしなさい」
 黒い口髭を蓄えたピケは言うだけ言うと、こじんまりした空間に、褪せた鼠色の古めかしいワンピースを身に付けたネル一人を残し、再びよちよちと、来た道を帰っていった。
 何をするでもなく、その小さい背中がすっかり遠ざかっていく小鬼の姿を、呆然自失と立ち尽くすネルは見送り、鳥たちの甲高い鳴き声と、木々の間を吹き抜けた風が生み出す、梢がこすれてざわめく葉音、それから、ネルの「ハァ・・・」という陰鬱なため息が、次に続いた。
 ネルは困り果てていた。
 薪を割れと言われても、使うのはましてや、斧など触ったこともないのに、どうやってやればいいというのだろう!?
 成すすべなく、ネルは切り株に食い込む斧、辺りに散らばる適当な長さの幹、庇が突き出た壁沿いに整然と並べられた薪束を、青緑色の横目でのろのろと捉えた。
 しかし、あの高飛車な魔物が戻ってきたころ、作業が進むどころか、手を付けていないとなると、哀れな自分は一体どうなってしまうのだろうか。
 よからぬ想像に急に寒気を感じたネルは、ぶるっと身震いした。
 このままではいけない!
 とにかく、割ってみるしか道は他になさそうだ。
 したがって、弱気ながらもネルは決心すると、深々と切り株に突き刺さる斧の取っ手へ、両手をかけた。
 握りしめ、込めたありったけの力で抜こうと試みる・・・が、斧はピクリとも動かず、頑固に残っていた。
 「ひぇ~~~」
 情けない声がついつい上がる。
 手のひらは次第に痺れ、ネルはジンジンとした痛みを感じつつ、何度も何度も挑んだが、結果は同じで、斧は切り株から離れようとしなかった。
 「何で~~~!?」
 堪らず、弱音にも似た疑問が、ネルの口からほとばしる。
 すると、どこからともなく、声がふと響いた。
 「オシエテアゲヨウカ」
 「!?」
 姿かたちもなく、いきなり声が聴こえたので、斧から手を離したネルは、びっくりして目を剥いた。
 続いて、ケケケと、甲高い子供のような愉快な笑い声が響き、困惑したネルは周りを振りかぶった。
 だが、声の主は依然と見当たらず、甚だ大きい恐怖と動揺のために、ネルは身を固くした。
 「誰・・・?」
 小さく震えた声が、ぽつりと唇の隙間から漏れた。
 「シリタイ?ボクガダレダカ、シリタイ?」
 子どもの声が答えた。
 「・・・教えて」
 とネルが言うと、またしても、キャハハと、甲高い鈴のような笑い声が辺りに響き、は、切り株の隣でこんもりと盛り上がった土の中から聴こえた。
 「イイヨ、オシエテアゲル。・・・ボク、ノーム」
 「きゃ・・・!?」
 と驚いたネルが声を上げたのも、切り株の横で小さく盛り上がった土の中から、拳ほどの小人が、卒然と現れたからだった。
 ノーム――、自らをそう呼んだ小人は、鼻が極端なまでに小さく、二つの鼻孔がかろうじて開いているくらいだった。
 服装はなんだかよく分からず、現在ネルの着ているものと劣らないぼろとも見えるし、最先端の流行とも思えた。
 髪の毛――、その薄赤の芸術は、奇跡的に建った奇形な塔のように、あっちこっちと、くねくね折れ曲がっていた。
 くりくりと丸い愛らしい瞳は、澄んだ褐色を帯び、まさしく子供のそれのように、よく動いた。
 「オネエチャン、マジン?」
 陽気な子どもの声で、ノームは簡単に尋ねた。
 「――う、ううん・・・。違う。わたしは人間」
 と返すネルの言葉は、並々ならぬ吃驚と混乱とに満ちていた。
 「フーン・・・」
 ノームは子供らしく、興味があるようなないような、曖昧な相槌を打った。
 「ネエ、ボクトアソボウヨ」
 「えっ・・・。でも・・・」
 ネルはためらった。
 だがしかし、ノームは遊びをせがんだ。
 「ネエイイデショウ?モリヲヌケテ、ソトデイッショニアソボウヨ」
 外?
 森を抜ける?
 好ましい単語と語句ゆえに、ネルは思わず耳を疑った。
 「外って、ここから出られるの?」
 ネルは信じられない思いで、地面の上でちょこんと立つ小人に訊いた。
 「ウン。フツウニイケバ、エイエンニサマヨウマヨイノモリダケド、ボクハヒミツノヌケミチヲシッテルンダ」
 ノームは誇らしげに、極めて小さな胸を張った。
 それとは対照的に、真剣なネルは問いを重ねた。
 「外ってどんなところ?わたしみたいな人がたくさんいるの?」
 「ウン、イッパイイルヨ。コーンナニ!」
 と答えるノームは、細かな両腕を精一杯広げてみせた。
 深い迷いの森を抜けて、(普通の)人の住まうところへ行ける!?
 願ってもない期待と希望に、ネルの心臓は拍を盛んに刻んだ。
 チャンスだ!
 ほぼ直感的に、ネルは事態を捉えた。
 「分かったわ、一緒に遊びましょう」
 ネルは小さく微笑んだ。
 「ヤッタ!」
 とご機嫌なノームは、小さな盛り土の上でぴょんぴょん飛び跳ねると、再び地中へ潜り込んだ。
 すると次の瞬間、こんもりした盛り土が動き、森の方へ線を引いて向かっていった。
 ノームは森の手前で顔をひょっこり覗かせると、明るい声で話しかけた。
 「ツイテキテ!オクレチャイヤダヨ!」
 ゆえに、ネルはついぞ成し遂げられなかった薪割りや、背後の古城を振り返りもせず、小山のように盛られたノームを目印に、深い森の中へ入っていった。
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