政略でも愛は生まれるのです

瀬織董李

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中編

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「どうしてと言われましても政略ですから。一番お互いの条件が合ったに過ぎませんわ」

「何て酷いこと! ラツィオ様がお可哀想ですわ!」

 何が酷くて何が可哀想なのだろう。お互いの・・・・条件、と言ったのにだ。つまりどちらかが一方的に不利になる契約ではないのだ。それぞれメリットデメリットを考えて納得いくように何度か話し合い商談をした結果結ばれた婚約だ。しかも親同士が決めたのではなく本人同士で、だ。当然ラツィオも納得ずくだ。

「金で買うような真似をして恥ずかしく無いのですか!?」

「恥ずかしい? 何故です? 嫁ぐのに持参金を用意する事の何処が恥ずかしいというのでしょう」

 どうやらこの集団の中心核らしい令嬢が、貴族令嬢とは思えない声量でがなりたてる。ラツィオとは離れたが周りに人が居ない訳ではない。現に今通りすぎた使用人は、微かに眉を顰めていた。きっと明日には王宮中の使用人に広まるだろう。恥ずかしいのは一体どっちだと言いたい。

 ミレーナは長女ではあるが、兄が居るため嫡子ではない。婚家にはミレーナの事業には携わらせないつもりだが、長女の為に父親である男爵はそれなりの持参金を用意している。無論持参金であるが故に、侯爵家で自由勝手に使える金ではないが、それを赤の他人があげつらい異議を申し立てるなど論外だ。

「それとも貴女が嫁ぐ時には、持参金は用意されませんの? ノエミ・ボローニ公爵令嬢。ああ、勿論後ろの方々もですが」

「な! なんですって!?」

 女性が持参金無しで嫁ぐなど、家が困窮しての身売りしかあり得ない。そしていくら出したのかなど他家にはわからない筈だ。金で買ったなど言いがかりをつけられる謂れは無い。

 そう思い問い返すと、質問の内容もだが、どうせミレーナを囲んでいる自分達が誰なのかわからないと思っていたのだろう。名を呼ぶとボローニ公爵令嬢がやや狼狽えた。ボローニ公爵令嬢だけではない。勿論他の四人の名前も知っている。父親が爵位を受けることになった時に、貴族年鑑を読み漁ったからだ。

 伯爵令嬢が二人と子爵令嬢、男爵令嬢が一人ずつ。あからさまに取り巻きだろう。それまでも顧客になりそうな上位貴族家はチェックしていたのだが、特にターゲットである女性に関しては下位貴族もかなり頭に入れていた。新参の下級貴族で、どうせわからないだろうとたかをくくられ、舐められたものだなと内心で溜め息を吐く。

「では、改めてお聞きしましょう。どういった女性であればラツィオ様と釣り合うとお考えで?」

「そ、それは……当然ラツィオ様に引けを取らない美しさで……!」

「あら、美しさそんなものですの? 容姿などせいぜいあと二十年でしょう。と言うことは、貴女はどなたかとご結婚後、二十年たったら離縁なさって若くて美しい女性に正妻の座をお譲りされるのですね?」

「!? そんなことあるわけないでしょう!?」

「そもそもラツィオ様に引けを取らない美貌の持ち主とは、随分と抽象的ですわね。 具体的に例えとなる様な方はいらっしゃいませんの? ああ、まさかご自分の事を仰っている訳ではありません……ですわよねえ?」

「な! この!」

 元々公爵令嬢に喧嘩を売る様な真似をする者はそうそう居ない。その為こういう物言いに対応した事が無かった様だ。からかわれたと、ボローニ公爵令嬢はカッと顔を赤らめた。怒りのまま右手を振り上げるのを、ミレーナは黙って見ていた。この場に居る令嬢達は解っていない。ミレーナが殴られるとどうなるのかを。

 パシ、と乾いた音が響く。予想以上に音が大きいと感じたのか、殴ったボローニ公爵令嬢の方が狼狽えた。端とはいえホールなのだ。音が響きやすいのは当たり前だ。

 三年前までは下町で平民として育ったミレーナは、日常的に喧嘩を目にする事があった。夫婦であったり親子であったり、妻と浮気相手だったり。今まで自分が殴られた事は無いが、何度か自慢げにどういう風に当たると痛みが少ないかを吹聴してまわる男達を見ていたので、真似してみた。なるほど確かにさして痛くはない。下手すると叩いた手の方が痛いかもしれない。

ーー流石に扇で殴られたら不味いけど、平手打ちくらいならねぇ。

 慌てたのは叩いた方のボローニ公爵令嬢だ。身分差のある男爵令嬢が公爵令嬢に無礼を働いた故の手討ち、と普通なら見られるだろう。だが彼女らは貴族令嬢だ。口で負けて手を出すなどあってはならないのだ。

「あ……」

「どうした」

 呆然とする公爵令嬢に対して、頬に手を当てる事すらせずうっすら冷たい笑みを浮かべていると、後ろから声がかけられた。その声を聞いたミレーナは、隠しもせず淑女にあるまじき大きな溜め息を吐いた。

「遅いですわラツィオ様」

「すまないね。だが化粧直しに行ってくると離れた筈の君が、こんなところ・・・・・・で足止めされていると思いもしないさ」

 おそらく先程の使用人が知らせたのだろう。鷹揚な態度で歩いてくるラツィオに、分かりやすく令嬢達が顔を赤らめた。それを見たミレーナは、内心で『馬鹿じゃないの』と毒づく。今の状況で見惚れるなど彼の外見しか見えていないのが丸分かりだ。何故ならラツィオはにこやかな笑みを浮かべてはいたが、その視線はまるで氷のように冷たい。勿論その視線はミレーナへ向けたものではない。

「ラツィオ様、この女が酷いのです! ……ラツィオ様?」

 ここぞとばかりにボローニ公爵令嬢が声を張り上げたが、近づいたラツィオの目はそちらには向かない。まるで今ここにはミレーナしか居ないかの様な振る舞いに、令嬢達が戸惑う。

「……ああ、赤くなってしまっているな。何か冷やす物を用意して貰おう」

「構いませんわこれくらい。非力な深窓のご令嬢の平手打ちですもの。痛くも痒くもありません」

 ラツィオがそっとミレーナの頬に手を当てると、ミレーナは見せ付ける様に手の方へ首を傾けた。ざわりと周りの野次馬がわきたつ。これまでどんな美女が言い寄っても冷たい態度であしらっていたラツィオがミレーナへ向ける目には親愛、情愛といった感情が見てとれたからだ。

「ラツィオ様!」

「本当はダンスを一曲踊ってから帰りたかったが、このまま居ても不愉快だ。来たばかりで殿下には申し訳ないが今日はもう下がらせて貰おう」

「ラツィオ様!?」

 何度令嬢が名を呼んでもラツィオは見向きもしない。元々顔だけで寄ってくる令嬢達にはまるで興味は無かったが、社交の一環として渋々話し相手になっていたに過ぎない。パートナーとしてミレーナが居る以上は、彼女らと話す事などラツィオには何もなかった。

 さっさと帰る事が出来るのなら、頬のひとつくらい腫らしても大して惜しくはないな。そう思いながらミレーナは小さく頷いた。

「それではご機嫌よう、ボローニ公爵令嬢とお仲間の皆様方。多分この先お目にかかる事は二度と無いと思うので、遠くから皆様にご多幸があることを祈ってますわ」

 ーー多分無理だと思うけどね。

 そう言外に滲ませ軽く会釈すると、どういうことかと訝しげに睨まれた。その視線に気付かない振りをし、ミレーナはラツィオと共に令嬢から離れた。
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