政略でも愛は生まれるのです

瀬織董李

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前編

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 ミレーナはこっそりと扇の影で溜め息を吐いた。無作法だが仕方がない。要はバレなければいいのだ。

 しかし付け焼刃のマナーは、生まれながらのお嬢様方には通用しなかったらしい。速攻でバレてかえって揚げ足をとられる羽目になってしまった。

「なんですの、その態度は!? ふてぶてしい!」

 だが考えてもみて欲しい。女性とはいえ一人を五人で囲んで詰る行為がはたしてマナーにのっとった行為と言えるだろうか。

 ミレーナはこんな事になるなら化粧直しになど来るのではなかったと酷く後悔した。パートナーが側にいる間は遠くから睨まれるに留まっていたが、どうやら一人になるところを待ち伏せされたらしい。

「どうして貴女みたいな女がラツィオ様の婚約者に!」

 どうして、と言われてもしょうがない。政略結婚なのだから。





 社交界の花形だったラツィオ・バストーリ侯爵令息が、ミレーナ・アンジェリーニ男爵令嬢との婚約を発表して三ヶ月になる。由緒正しき侯爵家の嗣子であり、その上見る者全てを魅了する美貌の持ち主であったラツィオは、社交界では常に美貌自慢の華達に囲まれていた。そのラツィオが婚約した相手がアンジェリーニ家のミレーナだと知るやいなや、取り巻いていた女達は皆揃って『何故あんな賎しい金貸しの小娘と!?』と叫んだという。

 アンジェリーニ家は海運貿易を軸に金融業で成り上がった家だ。先々代の頃は細々と毛織物の運送業を営んでいたのだが、船の建造技術が上がるにつれ大規模な取引が増え、それを円滑に進めるために作った金融業が大当たりしたのだ。

 これまで平民だった現当主が王より男爵位を下賜されたのが三年程前。貴族社会の細々こまごまとした制約を煩い断ってきていたにも拘わらず、『王家が金を借りるのは貴族家からでないと困る』という謎な理由で無理やり爵位を受け取らされたのだ。

 ある意味その瞬間からミレーナの悲劇は始まったのかもしれない。裕福ではあるが平民の娘だったミレーナは、突如大量のお茶会、夜会の誘いと、なにより高位貴族家からの釣書に悩まされる羽目になった。

 それまでも下級貴族家からの縁談はいくつもあったが、本人は闊達な商人の家風に見合って、貴族の奥方として家内を差配するよりも、帳簿の数字を見ながら店を切り盛りしている方が性に合っていたため、全て断っていた。例え平民でも、力関係はアンジェリーニ家の方が上だった為断るのは容易だった。

 しかし上位貴族が相手ともなれば、流石に即断することは難しい。恐ろしい事に縁談の中には王太子の次男の釣書まであった。王太子は二十五歳、その次男は現在三歳だ。成人する頃にはミレーナが二十九歳になってしまう。未来の王子妃となる頃には子供を望むにはやや難しい年齢。清々しいまでに金目当ての縁談だ。この件に関しては流石に断っても不敬にはならないだろうと、速攻で王宮に送り返した。特に文句を言われなかったので、一応送ってみただけだったのだろう。

 だがこれは例外としても、最下級とはいえ貴族令嬢となったからには、いい加減な釣書だけで婚約しろと脅しをかけてくる輩はともかく、見合いすら断るのは中々難しい。下級貴族と平民の間よりも、上院貴族と下級貴族との間の身分差は想像を遥かに上回っていたのだ。

 どうせ嫁がなければいけないのなら、と取り敢えず大量の釣書の中から吟味に吟味を重ね、条件の良い数人に絞り、見合いをした中で選んだのがラツィオ・バストーリだったのだ。

 そもそも条件としてミレーナは、『妻として社交は最低限』『結婚後も仕事は続ける』、そしてもっとも重要な『ミレーナの事業と資産はミレーナ個人の物であり、婚家には手も口も出させない』をあげていた。縁談のほとんどはあからさまな金目当てであり、ミレーナ個人ではなくアンジェリーニ家との円滑な提携が目的であったが、それでも中にはこの縁談をきっかけにアンジェリーニ家の事業の乗っ取りを画策している物もあったので、ミレーナの事業に対して何も出来ないと知ると無理やり捩じ込んできた方にも拘わらず断る家も多かった。

 ちなみに選ぶ基準に容姿は入っていない。悪いよりは良い方がいいが、顔よりも主義や考え方の方が重要と考えていた為だ。顔は商売においてそれなりに役立つがそれだけだ、それに釣書などはどうせ良い事しか書いていない。会って商談をして見極める方が大事だった。

 そんな中、社交界の花形とまで呼ばれる程の見目良いラツィオからの縁談は、アンジェリーニ家では最初胡散臭い目で見られていた。なにせ条件が良すぎたのだ。だが話をしてわかった。どうも彼は幼い頃から見目が良すぎた様で、それに惹かれた有象無象から性的な目で見られる事が多々あり、そのせいで女性不信……というか人間不信らしい。

 ミレーナは貴族令嬢である前に商人だ。商人ならば信用を何より重んじる。ならば結婚を『契約』という形で結べば無体な事にはならないだろう。そうラツィオの父である侯爵が考えたらしい。正直商人というものを甘く見すぎだと思うが。

 ミレーナの出した条件は、バストーリ家にとってどうという事も無かった。妻となる者があくせくと社交に励む必要は無かった。跡取りさえ産んでくれれば構わないとまで言われた。バストーリ家は領地にこの先百年は尽きないだろうと言われている銀山を所有している。他家とは違い単純な金目当てでは無いのだ。

 それにミレーナは愛嬌がある顔立ちではあるものの、お世辞にも美人とは言えなかったが、正直なところラツィオの隣には誰が並んでも見劣りするので、容姿はあまり重要視されていないのだ。

 そういう経緯で婚約したものの、貴族令嬢となったからには王宮での夜会くらいは出席しないと不味い。今まではあちこちの夜会やお茶会の招待は避けてきたが、特に理由もなく王族が主催の夜会を欠席などすれば不敬を咎められる可能性もある。

 気は進まなかったがラツィオのパートナーとして初めて出席したものの、やはり主催者への挨拶が済んだらとっとと帰れば良かった。そうすればこんな面倒な事にはならなかったのに。
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