『総理になった男』

KAORUwithAI

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第2部:壁 - 国会という名の怪物

第61話 予算委員会は“儀式”だった

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 議員会館の廊下を歩く健人は、手にした分厚いファイルを無意識に握りしめていた。
 封筒には「予算委員会関係資料」と印刷されている。ページをめくれば細かい数字の列、専門用語の羅列。だがどれほど読み込んでも、まだ全貌はつかめていない。

「いよいよだな、健人」
 背後から田島が声をかけてきた。軽く肩を叩き、にやりと笑う。
「お前の勇姿、しっかり見届けてやる」
 その隣では真田が、冷静な眼差しで健人の手元を見ていた。
「緊張するのは当然です。でも今日、何を感じるかが大事です。予算委員会は国会の心臓部ですから」

 その言葉に、健人は小さくうなずいた。
 ――国の税金の使い道を決める場。
 そう聞けば、ここが最も国民の生活に近い議論が交わされる場所だと信じたい。
 だが、すでにベテラン議員からは「形式的な儀式みたいなもんだ」と苦笑交じりに言われていた。

 予算委員会室は、議場とは違う緊張感に包まれていた。
 長机がコの字型に並び、中央には政府側の閣僚たちが座る。記者席には既にカメラとパソコンを構えた記者たちが陣取り、傍聴席には関係省庁の職員が詰めている。
 ざわざわとした空気の中、与党の大物議員が悠々と入ってきた。席につくと、後ろの秘書に書類を渡し、余裕の笑みを見せる。

 健人は自分の席に腰を下ろし、配られた資料を必死に確認した。
 ページを開くたびに見慣れない言葉――「概算要求」「補正予算」「財政投融資」――が次々と目に飛び込んでくる。
 眉をひそめていると、隣の席の中堅議員が小さくため息をつきながら、さらさらと赤ペンを走らせていた。

(俺は今日、この場で何をできるんだろう……)

 開会の鐘が鳴り、場内が一斉に静まり返った。
 議長の代わりに委員長が入室し、開会を宣言する。
 最初に与党の代表議員が質問に立ち上がり、景気回復策について丁寧に、しかしどこか芝居がかった口調で質問を始めた。
 閣僚は用意された答弁を淡々と読み上げる。質疑応答というよりは、まるで台本通りの掛け合いだ。

(これが……予算を決める場?)

 健人は肩をこわばらせたまま、必死にメモを取る。
 しかし、やり取りはほとんど予定調和。野党の質問も、どこかパフォーマンスじみていて、拍手やヤジが飛び交うたびにテレビカメラが動く。
 その様子はまるで舞台の芝居を見ているようだった。

「初めてだと、戸惑うでしょう」
 休憩時間、隣の席の中堅議員がちらりと健人を見て小声で言った。
「でもね、これはもう“儀式”なんですよ。事前にシナリオができてる。今日の見どころはテレビニュース向けの一幕だけです」

 健人は答えられず、黙ってペンを握り直した。
 ――儀式? 国民の税金を決める会議が、儀式?
 胸の奥に針が刺さったような痛みを覚えた。

 午後、ついに無所属の新人にも質問の機会が回ってきた。
 健人は立ち上がり、マイクの前に立つ。
 手のひらに汗がにじむ。
「えー……無所属の坂本健人です。地方医療の予算について質問いたします」

 少し声が上ずった。
 前列のベテラン議員が退屈そうに椅子に寄りかかり、腕を組んでいるのが目に入る。
 健人は唇をかみしめ、用意した質問をひとつひとつ読み上げた。

「人口の減少が進む地域では、医療従事者不足が深刻です。予算の配分を都市部だけでなく、地方にもしっかりと――」

 その瞬間、前列の与党議員の一人が大きくあくびをした。
 周囲から小さな笑い声が漏れる。
 健人の胸に熱いものがこみ上げたが、言葉を止めなかった。
 ――市民の声をここに届けるために来たんだ。

 質問を終えると、閣僚は教科書を読むような口調で答弁を返した。
 核心には触れないまま、時間が過ぎていく。
 拍手もなく、淡々と次の質問者に交代が告げられた。

 席に戻った健人は深く息を吐いた。
 机の下で拳を握り、心の中でつぶやく。

(こんなもの、儀式で終わらせてたまるか)

 休憩時間、真田が水のペットボトルを手渡してくれた。
「よく言いましたよ。無関心な空気の中で声を出すのは、一番難しいことです」
 田島も悔しげに笑った。
「でも健人、お前の顔、最初より怖くなってたぞ」

 健人は自嘲気味に笑い、首を横に振った。
「怖い顔でもいい。届くまで言い続けるしかないんだ」

 夕方、予算委員会が終わり、会館に戻った健人は机に座ると、今日のノートを開いた。
 “儀式”と書かれたページの下に、静かに書き加える。

儀式を変えるには、声を上げ続けるしかない。

 窓の外はすでに暮れかけた空が広がっていた。
 議事堂のシルエットが黒々とそびえ、その奥に燃える夕陽が覗いている。
 健人は拳を握り、心の奥でつぶやいた。

儀式じゃなく、議論を取り戻す。
市民の声をここで響かせる。
それが、俺がここにいる意味だ。



“儀式に慣れた政治は、声を持たない。
だからこそ、無所属の声を、ここに刻む。”
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