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第2部:壁 - 国会という名の怪物
第79話 それでも演説を止めなかった
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父の葬儀を終えて東京に戻ってきてから数日。
健人はまだ、どこか現実の輪郭を掴み切れずにいた。
朝、鏡の前でネクタイを締める自分の手がわずかに震える。
それでも、彼は言った。
「父さん、今日も行くよ」
その声は小さく、誰にも届かない。だが、その言葉だけが、自分を前へ押し出していた。
事務所に入ると、真田がコーヒーを淹れて待っていた。
「無理しなくていいですよ。まだ時間を取っても――」
健人は首を振った。
「止まったら、もう動けなくなる気がするんです」
田島がコピー機の前から顔を上げ、「だよな。止まると、考えすぎる」とうなずいた。
それぞれの気遣いが、かえって胸に染みた。
悲しみを抱えたままでも、やらなければならないことがある。
そう――演説だ。
父が生きていたころ、何度も言ってくれた。
「お前の声は、誰かを動かせる。だから、止めるな」
その言葉が頭の奥で何度も響く。
健人はマイクと三脚を車に積み込み、駅前へ向かった。
人通りは少ない。
休日の昼下がり、冷たい風が通り過ぎていく。
彼の足元には落ち葉が舞い、遠くで電車がホームに滑り込む音がした。
スピーカーのスイッチを入れる。雑音が鳴った。
マイクを握る手が、ほんの少し汗ばんでいる。
「……皆さん、こんにちは」
久しぶりの声が、風にかき消された。
数人の通行人が振り返ったが、誰も立ち止まらない。
――それでも、やるしかない。
「私は、坂本健人と申します。無所属の国会議員として、今日もここに立っています」
淡々とした言葉。しかしその声の裏には、深い痛みが混じっていた。
「政治は遠いと思っている人が多い。でも、僕たちの生活のすぐそばにあるんです」
マイクを握る手に力を込める。
言葉が風に乗って、ビルの谷間に消えていった。
数分後、通りすがりのサラリーマンが立ち止まり、ポケットに手を入れたまま無言で聞いていた。
やがて小さく頷き、歩き出すときに軽く会釈をしてくれた。
その何気ない仕草が、健人には大きな救いだった。
「ありがとうございます」と、マイク越しに呟く。
その声は、わずかに震えていた。
少し離れた場所では、田島がチラシを配っていた。
「お願いします! 少しだけ聞いてください!」
だが、ビラを受け取る人は少ない。
それでも田島は笑っていた。
「なあ、健人。お前の言葉、寒い風よりも強いよ」
健人はわずかに笑みを返す。
真田はスマートフォンで演説を撮影していた。
映像をSNSに投稿すると、あっという間に拡散され始めた。
“父の死を越えて、無所属議員・坂本健人が再び街頭に立つ”
コメント欄には「泣いた」「この人、本物だと思う」といった言葉が並んだ。
それを知ったのは、演説が終わった夜だった。
マイクを通して響く自分の声に、ふと父の声が重なる。
「胸を張ってやれ」
あの日の朝の電話。
たった数分の会話が、今になって永遠のように思える。
「父は、僕に誇りを持てと言いました。
どんなに批判されても、誰にも聞かれなくても、
それでも語り続けることが政治の始まりなんです」
その瞬間、通り過ぎようとした女性が足を止めた。
彼女はハンカチで目頭を拭い、健人に小さく会釈をする。
「テレビで見ました。お父さん、素敵な方でしたね」
健人は喉が詰まり、ただ「ありがとうございます」と答えることしかできなかった。
演説を終えたころには、いつのまにか数十人が足を止めていた。
小さな拍手が広がる。
ビルの壁に反響する音が、健人の胸に沁みる。
父の葬儀の時の静けさとは違う、温かい音。
マイクを下ろし、深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
顔を上げると、夕暮れの空が淡い橙に染まっていた。
風が少しだけ優しくなったように感じた。
田島が駆け寄ってきて、肩を叩く。
「なあ、お前、泣きそうだったろ」
健人は笑いながら「お前こそ、声震えてたじゃないか」と返す。
真田は動画を確認しながら言った。
「今日の演説、編集せずにそのまま上げます。あの空気ごと伝えたい」
健人は頷いた。「お願いします」
夜、宿舎に戻った。
机の上には、父の形見の万年筆が置かれている。
健人はそれを手に取り、ノートを開いた。
そのページには、父の言葉や自分の演説の断片が書き連ねてある。
「悲しみは止まる理由じゃない。進む力に変える」
ペン先が紙を滑る音が静かな部屋に響く。
書き終えた瞬間、涙が一粒、ノートに落ちた。
窓の外には、国会議事堂の灯りが遠くに見える。
その光が、まるで父の見守る眼差しのように思えた。
「父さん……俺は止まらないよ」
健人はもう一度、万年筆を握り直し、
ページの隅にこう書き添えた。
――明日も駅前で演説する。
“悲しみは、歩みを止める理由じゃない。
それを抱えながら立ち続けることこそ、
誰かの希望になるんだ。”
健人はまだ、どこか現実の輪郭を掴み切れずにいた。
朝、鏡の前でネクタイを締める自分の手がわずかに震える。
それでも、彼は言った。
「父さん、今日も行くよ」
その声は小さく、誰にも届かない。だが、その言葉だけが、自分を前へ押し出していた。
事務所に入ると、真田がコーヒーを淹れて待っていた。
「無理しなくていいですよ。まだ時間を取っても――」
健人は首を振った。
「止まったら、もう動けなくなる気がするんです」
田島がコピー機の前から顔を上げ、「だよな。止まると、考えすぎる」とうなずいた。
それぞれの気遣いが、かえって胸に染みた。
悲しみを抱えたままでも、やらなければならないことがある。
そう――演説だ。
父が生きていたころ、何度も言ってくれた。
「お前の声は、誰かを動かせる。だから、止めるな」
その言葉が頭の奥で何度も響く。
健人はマイクと三脚を車に積み込み、駅前へ向かった。
人通りは少ない。
休日の昼下がり、冷たい風が通り過ぎていく。
彼の足元には落ち葉が舞い、遠くで電車がホームに滑り込む音がした。
スピーカーのスイッチを入れる。雑音が鳴った。
マイクを握る手が、ほんの少し汗ばんでいる。
「……皆さん、こんにちは」
久しぶりの声が、風にかき消された。
数人の通行人が振り返ったが、誰も立ち止まらない。
――それでも、やるしかない。
「私は、坂本健人と申します。無所属の国会議員として、今日もここに立っています」
淡々とした言葉。しかしその声の裏には、深い痛みが混じっていた。
「政治は遠いと思っている人が多い。でも、僕たちの生活のすぐそばにあるんです」
マイクを握る手に力を込める。
言葉が風に乗って、ビルの谷間に消えていった。
数分後、通りすがりのサラリーマンが立ち止まり、ポケットに手を入れたまま無言で聞いていた。
やがて小さく頷き、歩き出すときに軽く会釈をしてくれた。
その何気ない仕草が、健人には大きな救いだった。
「ありがとうございます」と、マイク越しに呟く。
その声は、わずかに震えていた。
少し離れた場所では、田島がチラシを配っていた。
「お願いします! 少しだけ聞いてください!」
だが、ビラを受け取る人は少ない。
それでも田島は笑っていた。
「なあ、健人。お前の言葉、寒い風よりも強いよ」
健人はわずかに笑みを返す。
真田はスマートフォンで演説を撮影していた。
映像をSNSに投稿すると、あっという間に拡散され始めた。
“父の死を越えて、無所属議員・坂本健人が再び街頭に立つ”
コメント欄には「泣いた」「この人、本物だと思う」といった言葉が並んだ。
それを知ったのは、演説が終わった夜だった。
マイクを通して響く自分の声に、ふと父の声が重なる。
「胸を張ってやれ」
あの日の朝の電話。
たった数分の会話が、今になって永遠のように思える。
「父は、僕に誇りを持てと言いました。
どんなに批判されても、誰にも聞かれなくても、
それでも語り続けることが政治の始まりなんです」
その瞬間、通り過ぎようとした女性が足を止めた。
彼女はハンカチで目頭を拭い、健人に小さく会釈をする。
「テレビで見ました。お父さん、素敵な方でしたね」
健人は喉が詰まり、ただ「ありがとうございます」と答えることしかできなかった。
演説を終えたころには、いつのまにか数十人が足を止めていた。
小さな拍手が広がる。
ビルの壁に反響する音が、健人の胸に沁みる。
父の葬儀の時の静けさとは違う、温かい音。
マイクを下ろし、深く頭を下げた。
「ありがとうございました」
顔を上げると、夕暮れの空が淡い橙に染まっていた。
風が少しだけ優しくなったように感じた。
田島が駆け寄ってきて、肩を叩く。
「なあ、お前、泣きそうだったろ」
健人は笑いながら「お前こそ、声震えてたじゃないか」と返す。
真田は動画を確認しながら言った。
「今日の演説、編集せずにそのまま上げます。あの空気ごと伝えたい」
健人は頷いた。「お願いします」
夜、宿舎に戻った。
机の上には、父の形見の万年筆が置かれている。
健人はそれを手に取り、ノートを開いた。
そのページには、父の言葉や自分の演説の断片が書き連ねてある。
「悲しみは止まる理由じゃない。進む力に変える」
ペン先が紙を滑る音が静かな部屋に響く。
書き終えた瞬間、涙が一粒、ノートに落ちた。
窓の外には、国会議事堂の灯りが遠くに見える。
その光が、まるで父の見守る眼差しのように思えた。
「父さん……俺は止まらないよ」
健人はもう一度、万年筆を握り直し、
ページの隅にこう書き添えた。
――明日も駅前で演説する。
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