侯爵令嬢ソフィアの結婚

今野綾

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言葉にできない

言葉にできない3

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 倒れた翌日。ヴィンセントやシャーロットの優しさに触れて、心はまだ疲弊していたが段々と申し訳ない気持ちが湧いてきていた。

(体は元気なのだから、寝てばかりいて心配かけてはいけないわね……)

 ベッドから起き出し、侍女に手を貸してもらって湯浴みをした。それから、きちんとしたものに着替えさせてもらうと、ソフィアはテーブルに置いてあった紙を目に留めた。

(まずは……キャサリンに手紙を書かなくては。シャーロットも二人にはこちらに来てもらって構わないと言ってくれたし、呼び寄せよう)

 テーブルに腰を掛けると、インクの瓶を開けて羽根ペンを手にした。

『私の愛するキャサリンへ
 手紙、受け取りました。赤ちゃんの』

 そこまで書いて手が震えて、視界がボヤけて止まっていた涙が溢れてきた。身支度を整えた時は確かに気持ちを切り替えられたと思っていたのに、自分でも驚きだった。手の甲で涙を拭ってもまた溢れてきてどうしようもない。

 そこで部屋のドアをノックする音がし「入ります」と侍女の声。

「来客が──まあ! その前にハンカチをお持ちしますね」

 侍女はパタパタと走り去り、再びパタパタと駆け足で戻ってきた。ハンカチをソフィアに渡すと「もし、体調が優れないようでしたらお断りしてまいりますが?」とソフィアの表情を伺った。ソフィアはハンカチで涙を押さえてから首を横に振った。

「そうですか……では、玄関ホールでお待ちです」

 ソフィアはヴィンセントが会いに来てくれたのだと思っていた。シャーロットとその夫ダニエル以外でソフィアを訪ねてきてくれる人はヴィンセントしかいない。シャーロット夫妻はこの家に住んでいるのだから、結果的に客はヴィンセントだと勝手に思い込んでいた。

 それなのに玄関ホールで待っていたのがヴィンセントではなく元家庭教師のグレゴリーだったので、正直とても驚いていた。

「やぁ、ソフィア。人伝に聞いたんだ、ここに住んでいると──その目、泣いていたのか?」

 階段を降りていく途中だったソフィアを待たずに、グレゴリーは階段半ばまで上がってきてソフィアの目の下に親指をあてて眉を顰めた。

「何かあったんだな? 契約結婚をしたと聞いた時から幸せではないのではないかと思っていたが……」

 ソフィアはグレゴリーの手をつかんで、首を横に振る。言葉が話せないのはなんとももどかしい。しかもヴィンセントを出迎えるだけだと思い込んでいたので、書くものを置いてきてしまっていた。

「ソフィア?」

 声を出そうと試みたソフィアをグレゴリーが怪訝な表情で見下ろしていた。声は出ない。仕方ないのでなんとか声が出ないことをジェスチャーで伝えてみた。

「ん? 声が……出ないのか? なぜ? 風邪を引いた?」

 ソフィアは声が出ない理由を思い出して、表情を強ばらせた。そこへヴィンセントの声が届く。

「表に馬車が停まっていたが、あれは貴方のものか?」

 玄関で声がし、ソフィアとグレゴリーが一斉に声の主を見た。ヴィンセントが険しい顔で向かってくるところだった。

「どこの誰だか知らないが妻に近付き過ぎだ。離れてくれ」

 そこでグレゴリーがソフィアを背に隠すように立ちはだかった。

「ソフィアが泣いていたのは貴方のせいではないのか? それなら放っておけない」

 ソフィアはグレゴリーの背を慌ててポンポンと叩く。ヴィンセントのせいではない事を伝えたかった。

「理由などどうでもいい。とにかく妻から離れろ」

「聞けば契約上の妻だということだろ? 他に恋人がいるとか。ソフィアを蔑ろにする人間にとやかく言われる筋合いはない」

 ソフィアはとうとうグレゴリーの背から出て、言い合いになっている二人の間に割って入った。どうしたら良いのかわからないが、とにかく言い合いなんてして欲しくなかったのだ。

「ソフィア。また泣いていたのか……」

 言い合いをやめてヴィンセントがソフィアの顔を見つめた。心配そうなグリーンの瞳がソフィアに注がれる。が、グレゴリーがソフィアの腕を掴んで自分の方へと引き寄せたので、ソフィアはヴィンセントの顔があからさまに曇るのを感じた。

「おい! 妻に触れるのは止めてもらおう。でないとこの家から放り出すぞ。とにかく手を離せ。ソフィアは今、声が出せない。話したくても話すことが出来ないのだ」

 グレゴリーはソフィアに瞳で問いかける。ソフィアはうなずいてヴィンセントの言葉を肯定した。グレゴリーは息を吸い込んで呼吸を整えてから、ソフィアの手を解放した。

「話せないことは理解した。理解はしたが、理由を知りたい。ソフィアと二人きりで話がしたい。筆談なら出来るだろ?」

 ヴィンセントは硬い表情のまま、ソフィアに視線を走らせる。一度口を開きかけたが、きゅっと引き結んで考え込む。

「ソフィアがそうしたいのであればそうすればいい。しかし、扉は開けておいてくれ。これが条件だ」

 ヴィンセントの言葉を受け、グレゴリーが肩をすくめる。

「それで構わない。筆談なら聞かれる心配もないしな」

 険しい顔つきのままヴィンセントがソフィアに手を伸ばす。ソフィアも自然と手を出しヴィンセントの手に乗せていた。

「ソフィア。何かあったら部屋を出てくるんだ。近くに居るから、わかったな」

 まるでソフィアを守ろうとするヴィンセントに、何かを勘違いしてしまいそうだった。しかもソフィアがうなずくのを待ってヴィンセントはソフィアの手に口づけをしたのだ。グリーンアイがソフィアをしっかり捉えていた。やはり、ソフィアは二人の間に特別なものが流れているような錯覚を覚えていた。
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