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はじける
はじける5
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宿屋の部屋に一人戻るも、階下からまだ喧騒が届き落ち着くことが出来ず、ソフィアは窓の戸を開けた。
カーテンが風に棚引くのを押さえ、窓枠へと手をついた。
(私にはなにもない。確かにその通りだ)
夕日が沈んでいく海はまるで異世界へ導く広大な道のようだった。レスリーが異国に行きたいと思う気持ちに初めてこの時に共感できた。
(私でない私になって異国で生きられたら、もっと違う生き方が出来るのかしら)
どうせ唯一の家族である父親からは金で売られたも同然なのだし、心を寄せたヴィンセントのもとにも戻れない。レスリーには悪いと思うけれど、ソフィアは窓枠によじ登り屋根を観察すると足を踏み出した。屋根伝いに行けば隣の少し低い露店に移り、道に行けそうだった。
(海に行こう)
人が争う声は大嫌いだった。父親はよく他人とお金のことで口論になっていた。耳を塞いでベッドに潜り込んだ日々を思い返すといつも泣きたくなった。
(あの時だって逃げたかったのに出来なかった。でも今は子供じゃないわ)
海の向こうまで行けなくても、今のソフィアは海までなら行ける。怒鳴り声に縮みあがって震えている子どもではないのだ。
慎重に屋根を歩いていくと、途方もない冒険をしているような感覚になり、ほんの小さな勇気がこれほどまでに清々しいものなのかと気分が良くなった。特に露店へと飛び移るときは緊張したし、誰かのものを壊しやしないか心配にもなった。それでも無事に露店の木枠に足をつけて、そのまま地面へと飛び降りられた時には笑みがこぼれた。
(ずっと受け身ばかりだったけれど、もっと自分で行動してみればよかったわ)
ヴィンセントに想いを寄せ始めた頃だって、キャサリンの言っていたようにもっと気持ちを伝えても良かったのではなかったか。
ソフィアは一歩も踏み出せなかった過去を振り返りながら、美しい黄昏色の海へと駆けていく。
その頃、宿屋に馬車が横付けされ、ヴィンセントが港町メルンに足をおろした。感慨に浸る間もなく宿屋で乱闘が行われていることに気が付き、顔をしかめて中をうかがってみた。
「レスリーなのか……?」
何故か数人の男たちが揉み合っていて、その中心に兄のレスリーらしき人物がいることに気がついた。いつだったか兄が乗り込んだ船の船員に「レスリー様はなかなか腕っぷしが強くてねぇ。頼りになるんですわ」と言われたのを思い出した。その時はその船員の誇張だと聞き流していたが、取っ組み合いをしているレスリーを見ると、まんざら嘘でもなさそうだった。
宿屋に入っていくと、男の胸ぐらを掴むレスリーがヴィンセントに気がついてニカッと笑った。
「遅いぞ、ヴィンセント! お前は二階に行け。ソフィアがお待ちかねだぞ」
まるでヴィンセントが来ることを予期していたような言い草に驚いたが、それよりもレスリーが胸ぐらを掴んでいる相手があのソフィアの家庭教師だったグレゴリーという男で、目が離せなくなっていた。というのも、かなりの大男なのにレスリーに殴られたのか、ぐったりしてしまっていたのだ。
「こいつはソフィアを連れ去ろうとしていたんだ。だからちょっとばかりお仕置きしているんだ。まぁ、いいから行けよ」
「ああ……。え、でも良いのか?」
兄のレスリーは知らないだろうが、ヴィンセントはソフィアを連れ戻しに来たのだ。レスリーが妻にしようと考えている女性を奪いに来たのに、そのようなことを言われると後ろめたさから、二階に向かうに向かえない。
「ああ、これはヴィンセントがやった大芝居のお返しだよ。私のお膳立てもなかなかだろ? ソフィアはお前を待っている早く行けって」
愕然として「え……では、ソフィアと結婚するというのは」と問う。
「結婚してもいいけど、焚き付ければヴィンセントが止めに来るという確信があったのだよ。いいからソフィアを迎えに行けって」
良いように踊らされたことを知り、なんだか悔しくもないが、ヴィンセントは片手を挙げてみせると、二階へと続く階段の方へと駆けていった。
「そういうわけで、君の出番はないわけだ。デフォー家の飼い犬さんよ」
唸って顔を両手で押さえ、レスリーを睨みつけているグレゴリーに皮肉を言って、ジンジンしだした手を振った。人を殴れば自身も痛いことは知っていたし、殴りたくはなかったが今回はそれほど後悔もなかった。
「仕事が出来てデフォー家で雇われていい金を貰っているんだろ? それ以上何を望む。また貴族になりたいなんて、苦労を背負い込むだけだろ」
「お前に何がわかるんだ」
レスリーは肩をすくめ「何もわからん。爵位など私はいらないからな」と言い切った。レスリーが自由気ままでいられるのは、ヴィンセントを筆頭に家族総出で事業を成功させているからだ。しかも、男爵くらいでは貴族の特権などあってないようなものだった。
「ま、憧れるのだろうというのはわかるがな。私は自由のほうが大事だ」
貴族と平民の喧嘩に触発されて何故か喧嘩をしだした輩も疲れて解散し始めていた。
「さて、我が家の貴族たちもがんじがらめの縄を解けたかねぇ」
レスリーはそんなことを言いながら、ひっくり返したテーブルを起こした。
カーテンが風に棚引くのを押さえ、窓枠へと手をついた。
(私にはなにもない。確かにその通りだ)
夕日が沈んでいく海はまるで異世界へ導く広大な道のようだった。レスリーが異国に行きたいと思う気持ちに初めてこの時に共感できた。
(私でない私になって異国で生きられたら、もっと違う生き方が出来るのかしら)
どうせ唯一の家族である父親からは金で売られたも同然なのだし、心を寄せたヴィンセントのもとにも戻れない。レスリーには悪いと思うけれど、ソフィアは窓枠によじ登り屋根を観察すると足を踏み出した。屋根伝いに行けば隣の少し低い露店に移り、道に行けそうだった。
(海に行こう)
人が争う声は大嫌いだった。父親はよく他人とお金のことで口論になっていた。耳を塞いでベッドに潜り込んだ日々を思い返すといつも泣きたくなった。
(あの時だって逃げたかったのに出来なかった。でも今は子供じゃないわ)
海の向こうまで行けなくても、今のソフィアは海までなら行ける。怒鳴り声に縮みあがって震えている子どもではないのだ。
慎重に屋根を歩いていくと、途方もない冒険をしているような感覚になり、ほんの小さな勇気がこれほどまでに清々しいものなのかと気分が良くなった。特に露店へと飛び移るときは緊張したし、誰かのものを壊しやしないか心配にもなった。それでも無事に露店の木枠に足をつけて、そのまま地面へと飛び降りられた時には笑みがこぼれた。
(ずっと受け身ばかりだったけれど、もっと自分で行動してみればよかったわ)
ヴィンセントに想いを寄せ始めた頃だって、キャサリンの言っていたようにもっと気持ちを伝えても良かったのではなかったか。
ソフィアは一歩も踏み出せなかった過去を振り返りながら、美しい黄昏色の海へと駆けていく。
その頃、宿屋に馬車が横付けされ、ヴィンセントが港町メルンに足をおろした。感慨に浸る間もなく宿屋で乱闘が行われていることに気が付き、顔をしかめて中をうかがってみた。
「レスリーなのか……?」
何故か数人の男たちが揉み合っていて、その中心に兄のレスリーらしき人物がいることに気がついた。いつだったか兄が乗り込んだ船の船員に「レスリー様はなかなか腕っぷしが強くてねぇ。頼りになるんですわ」と言われたのを思い出した。その時はその船員の誇張だと聞き流していたが、取っ組み合いをしているレスリーを見ると、まんざら嘘でもなさそうだった。
宿屋に入っていくと、男の胸ぐらを掴むレスリーがヴィンセントに気がついてニカッと笑った。
「遅いぞ、ヴィンセント! お前は二階に行け。ソフィアがお待ちかねだぞ」
まるでヴィンセントが来ることを予期していたような言い草に驚いたが、それよりもレスリーが胸ぐらを掴んでいる相手があのソフィアの家庭教師だったグレゴリーという男で、目が離せなくなっていた。というのも、かなりの大男なのにレスリーに殴られたのか、ぐったりしてしまっていたのだ。
「こいつはソフィアを連れ去ろうとしていたんだ。だからちょっとばかりお仕置きしているんだ。まぁ、いいから行けよ」
「ああ……。え、でも良いのか?」
兄のレスリーは知らないだろうが、ヴィンセントはソフィアを連れ戻しに来たのだ。レスリーが妻にしようと考えている女性を奪いに来たのに、そのようなことを言われると後ろめたさから、二階に向かうに向かえない。
「ああ、これはヴィンセントがやった大芝居のお返しだよ。私のお膳立てもなかなかだろ? ソフィアはお前を待っている早く行けって」
愕然として「え……では、ソフィアと結婚するというのは」と問う。
「結婚してもいいけど、焚き付ければヴィンセントが止めに来るという確信があったのだよ。いいからソフィアを迎えに行けって」
良いように踊らされたことを知り、なんだか悔しくもないが、ヴィンセントは片手を挙げてみせると、二階へと続く階段の方へと駆けていった。
「そういうわけで、君の出番はないわけだ。デフォー家の飼い犬さんよ」
唸って顔を両手で押さえ、レスリーを睨みつけているグレゴリーに皮肉を言って、ジンジンしだした手を振った。人を殴れば自身も痛いことは知っていたし、殴りたくはなかったが今回はそれほど後悔もなかった。
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「お前に何がわかるんだ」
レスリーは肩をすくめ「何もわからん。爵位など私はいらないからな」と言い切った。レスリーが自由気ままでいられるのは、ヴィンセントを筆頭に家族総出で事業を成功させているからだ。しかも、男爵くらいでは貴族の特権などあってないようなものだった。
「ま、憧れるのだろうというのはわかるがな。私は自由のほうが大事だ」
貴族と平民の喧嘩に触発されて何故か喧嘩をしだした輩も疲れて解散し始めていた。
「さて、我が家の貴族たちもがんじがらめの縄を解けたかねぇ」
レスリーはそんなことを言いながら、ひっくり返したテーブルを起こした。
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