8 / 16
03
攻撃不許可
しおりを挟む
04
「現在、恐竜の群れが島の西側から中心部に向かっています。
住民の皆さんは自衛隊員の誘導に従い、速やかに小学校の体育館に避難して下さい」
陸自所属の73式小型トラックに搭載されたスピーカーから石城島の住民に対して非難指示のアナウンスが流される。
住民たちも、このまま留まっていれば6トンもある巨体に踏みつぶされるだけだと想像がついただけに反応は早かった。最低限の荷物をまとめ、自衛隊員の誘導に従って避難していく。
だが、納得できているかどうかは別だった。このまま恐竜が島の中心部に進めば、収穫前の作物が食い荒らされてしまうことも容易に想像がついたからだ。
「隊長さん、自衛隊は恐竜を追い払ってはくれんのかね?
サトウキビやオレンジが食べられてしまうかもしれん」
初老の女が、救助隊第2班を率いて避難誘導を行う諏訪部を捕まえて問うてくる。
「申し訳ありません。住民の避難が完了していない段階では危険です。
連中中型車両と同じくらいの体重がある。下手に刺激してパニックになったら、それこそ象の群れが暴れているようなものです」
「そうですか…」
そう言われては女に言葉はなかった。再び強まった雨脚の中、避難のために寄越された高機動車に向けて歩いて行く。
諏訪部はやりきれない思いだった。恐竜たちを攻撃するのは危険だと主張したことは今でも正しいと思っている。だが一方で、農民にとって畑は財産であり血肉そのものだ。今期の収穫がなくなることはもちろん、畑が完全に食い尽くされてこれから生活していくあてがなくなる不安は理解できるのだ。
「大変だ!
畑山のじいさんが恐竜を追っ払おうとしてる!踏みつぶされちまう!」
路地から走り出てきた男が、避難誘導をしている三曹を捕まえて叫ぶ。
「それはどっちです!?」
「ここの道を500メートルくらい行ったところだ!」
「くそ!続け!第2班、避難誘導は継続だ!」
諏訪部は手近にいた3人の陸曹を引き連れて路地を走る。
沖縄特有の石垣が途切れ、目に飛び込んできた光景に、諏訪部は全身から血の気が引くのを感じた。
「来るな!ちくしょう、あっち行けっ!」
雨が降りしきるオレンジの畑の中、いかにも農民という風体の老夫婦が火のついたたいまつを振りかざしてトリケラトプスを追い払おうとしているのだ。全長8メートルを軽く超えそうな大柄なトリケラトプスと比べると、老夫婦はまるで食玩かシルバニアファミリーの人形だ。
畑を守りたい気持ちはわかるが、蟷螂の斧にも程がある。諏訪部に他の感想はなかった。なにより、動物は火を怖がるというのは素人考えだ。火を焚いていれば安心と生兵法で行動した大学山岳部の学生が、結局クマに襲われた例もある。
現に、トリケラトプスはうっとうしそうにしているだけで、火を見て逃げようとする様子はない。
「やめなさい!危険です!」
諏訪部は必死で叫ぶが、老夫婦は目の前のトリケラトプスに集中していて気づく様子はない。
次第に、トリケラトプスが進路を阻む小さな生き物にいらつきだしているのがわかった。角を振りかざして大きな鳴き声をあげ、威嚇し始める。一方の老夫婦も、よほど頑固なのか、それとも畑を失えない特別な事情でもあるのか一歩も引こうとしない。
やがて、トリケラトプスがついに実力行使に出た。全ては一瞬のことだった。トリケラトプスは軽く腰を落とすと、勢いをつけて突進をかけた。老夫婦は紙細工のようにはじき飛ばされた。夫の方は鼻の上の角に突かれて5メートルもはね飛ばされ、巻き添えをくらった妻は背後に駐車していた軽トラに叩きつけられた。
「救助するぞ!ついてこい!」
諏訪部は3人の部下を連れて老夫婦に向けて走り出した。走りながら催涙スプレーを構え、トリケラトプスの顔に吹きかける。
トリケラトプスが悲鳴を上げ、目を閉じて咳き込む。後ろに続いていた他の個体も、強烈な刺激臭に後ずさる。
「大丈夫ですか!」
諏訪部たちは老夫婦に声をかけるが反応はない。夫は服の上からもわかるほど胸部が陥没している。妻は頭から大量の出血をしている。
おそらくどちらもだめだろうと思いながらも、諏訪部は老夫婦を担いで離脱することにした。幸いにしてトリケラトプスは催涙スプレーがよほど効いたらしく、こちらに向かってくる様子はない。
「司令部、こちら第2班!民間人負傷者2名!医療班の派遣願う!送れ!」
『司令部了解。すぐに車両と医療班を廻す』
部下を連れて本隊の方向に戻りながら、一応諏訪部は医療班の派遣を要請する。雨に混じって地面に流れて行く血を見る限り2人とも助からないとは思うが、それを判断するのは今のところ自分ではない。
「草食動物だからって安全とは限らないみたいっすね」
「当たり前だ」
すぐ後ろに続く二曹の言葉に、諏訪部は短く応じる。
アフリカでは、カバやアフリカスイギュウは気性が荒く、ライオンより危険だと怖れられている。ましてトリケラトプスはあのティラノサウルスが生息する時代を生きた生き物だ。三本の角を持つ外観に違わず、勇猛で気性が激しくとも全く不思議はない。
「くそ!とうとう民間人に死傷者か」
諏訪部はそんな言葉が口を突いて出ていた。
自衛隊員をやっていてやるせなくなるのはこういうときだ。素人考えや生兵法で起きなくてもいいトラブルを起こす人間は往々にしているものだ。まあ、そういう者たちも守るのが自衛隊の役目だとは心得ているが、理屈の問題ではない。
どだい、全長8メートル、体重6トン以上の身体に加え、巨大な角までもつトリケラトプスをたいまつで追い払おうなどと正気の沙汰ではない。
この先も駐在や役場、自衛隊の指示に従わず勝手なことをする住民が出ない保証はない。そうなったとき自分たちはどうすればいい?
諏訪部は漠然とした不安に包まれたまま、避難誘導の任務をこなすしかなかった。
05
「司令部へ、こちらトンビ。予想通りです。
草食恐竜たちは島の作物を食い始めました。送れ」
『司令部了解。引き続き警戒を厳に』
司令部に報告を終えた上空を警戒中のOH-6のパイロットは、取りあえず予想が当たったことにほっとした。
草食恐竜たちはその巨体故に歩いているだけで人間にとっては充分驚異だが、えさを食っている間は取りあえず驚異にはならないだろう。島の住民にとっては気の毒だが、やつらが作物を食っている間に避難を完了させてしまえば今後の対策が建てやすくなる。
『それと、総監部から命令が降りた。恐竜に対する攻撃は原則として許可しない。住民や自衛隊員にとって直接の危険がある場合を除き撃ってはならん、ということだ』
「了解しました」
続いて無線から聞こえた言葉に、パイロットは“まずいな”と感じた。
もし恐竜を殲滅するなら、戦力を集中して一気に叩かなければならない。一方で住民を恐竜から守るとなると、どうしても広い範囲に戦力を分散せざるを得ない。そして、分散配置された戦力は各個撃破される危険を伴う。“攻撃は原則として許可しない”というあいまいな命令が下されたからなおさらだ。撃っていいのかどうか、切磋の判断の遅れが命取りになりかねない。
このまま何事もなく避難が完了してくれることを祈るしかない。
いつもこうだ。パイロットは思う。自分たちは自衛隊員であり、祈る以外にいくらでもやることはあるはずなのに、法律の不備やら政治的な判断やら上層部の意向やらでなにもできない。なんと理不尽なことか。結局祈るしかできないとは。
操縦桿を握りながら、パイロットはただ避難の完了を祈った。
「進捗はどうだ?」
「あのグループで最後です。窮屈ですけど、なんとか高機動車に押し込めそうです」
ひどくなる一方の雨の音に負けない大声で、諏訪部は避難の進捗を確認する。500メートルほど先には、トリケラトプスとエドモントサウルスが果樹園の柑橘類を食っている姿が見える。今のところ食事に忙しくて大人しいが、もしこちらに移動してくることがあれば脅威になる。早いところ避難を完了する必要があった。
「あの2人の遺体も一緒に運ぶんですか?」
「仕方ないだろう。おいては行けん」
高機動車のドライバーを務める三曹の問いに、諏訪部は渋面を浮かべながら答える。結局、無謀にもトリケラトプスに立ち向かった老夫婦は2人とも死亡が確認された。医療班の派遣は中止され、遺体を避難場所である小学校に運ぶこととしたのだった。避難民たちにとっては仏さんと一緒にドライブは気持ちのいいものじゃないだろうが、この際仕方がない。
「皆さん、あちらの車両に乗ってください。慌てなくて大丈夫ですから」
最低限の荷物だけを持った避難民の列が隊員の誘導に従って歩いてくる。雨風の中の避難は視界が悪く困難を伴うことに加え、石城島は道が狭く、自衛隊の車両で避難を行うのも一苦労だった。特に横幅の広い高機動車は住宅密集地の中まで乗り入れることができず、住民たちに広い場所まで歩いて移動してもらうしかなかったのだ。
それもなんとかうまくいきそうに思えた。が…。
『トンビより第2班!やばいぞ、お客さんだ!北西からティラノサウルスが草食恐竜の群れに接近している!』
OH-6から最悪のニュースがもたらされる。
「馬鹿な!いつの間に上陸したんだ?なぜ誰も気づかなかった!?」
『砂州は常に警戒してたんだ!ティラノサウルスが渡ればわかったはずだ!』
「海を泳いで来た…?」
思わずそう言った諏訪部は、島の北西側を見渡す。北西側は入り組んだ岩場や防風林などで見通しが悪い。海を泳いでこちらに渡ってきたティラノサウルスがこっそり上陸することも可能かもしれなかった。もしそれが可能なら、ティラノサウルスは草食恐竜の群れに対して完全な奇襲をかけることも可能だ。
「二尉、やばいです!見えました!ティラノサウルスだ!」
諏訪部の脇にいた三曹が指さした方向を隊員全員が注視する。今正に、ティラノサウルスがゆっくりと防風林の中から歩み出て来るところだった。
「こいつはやばいぞ…」
ティラノサウルスはこちらから見てちょうど草食恐竜の群れの向こう側から接近しつつある。もし草食恐竜の群れがティラノサウルスに襲われてパニックになったら、こっちに向かってくる可能性がある。
「?」
だが、ティラノサウルスの行動は妙に緩慢だった。やけにゆっくりと草食恐竜たちに近づき、しかもわざわざ咆吼を挙げて威嚇するようなことまでする。トリケラトプスの群れがそれに反応し、子供を後ろに下がらせ、身体の大きい大人が横一列に陣形を君で防御態勢を取る。
「どういうことだ?」
諏訪部にはティラノサウルスの意図が読めなかった。あれではわざわざトリケラトプスを警戒させて、防御陣形が完成するのを座視しているようなものだ。
そこまで考えて、ふと思い当たることがあった。自分たちが“イスラ・ヌブラル”で遭難したときに救助に向かった部隊が、2頭のティラノサウルスに挟み撃ちにされたと報告を受けた。
俺がやつらならどうする?諏訪部は西普連での訓練で得た知識と経験を総動員して思考回路を廻した。一番に思い当たった可能性はトリケラトプスたちの後方だった。草食恐竜の群れの後方で、なおかつティラノサウルスが隠れられそうな場所を探してみる。
いた。草食恐竜たちから見て5時の方向のサトウキビ畑にぼた山のようなものが見える。双眼鏡でよく見てみると、間違いなくティラノサウルスだった。草食恐竜たちを挑発しているのは囮。後ろから忍び寄ってくる方が本命と言うことになる。角を振りかざし、大声をあげて正面のティラノサウルスを威嚇するトリケラトプスたちは、後方から忍び寄る2頭目のティラノサウルスに全く気づいている様子がない。
諏訪部はそこで妙に納得できるものを感じた。ティラノサウルスの前肢は身体に比してとても小さく、指も2本しかない。だが、大きさの割りには強い力を出せたことがわかっている。
遠くてはっきりは見えないが、ティラノサウルスは身体を地面に伏せたまま、前肢と後肢を巧みに動かして、人間で言う匍匐前進にあたるやり方で前に進んでいるようだ。現代の捕食者にも匍匐前進で獲物にアプローチするものは多いが、ティラノサウルスも同じような狩りの方法をとっていたわけだ。
「二尉、ティラノサウルスを攻撃しますか?」
110ミリ無反動砲を担いだ二曹が指示を求めてくる。諏訪部は考える。攻撃すべきか?
「いや、我々が攻撃を受けているわけじゃない。攻撃は待て。
それよりも避難を優先させよう。住民を早く車両に乗せるんだ」
総監部からの“原則として恐竜に対する攻撃は許可しない”という命令を思い出す。住民や隊員たちに直接の危険が及ばない限り攻撃はできないことになる。
『子供がぐずってるんです。行きたくないと』
「担いででも車に乗せろ!」
避難誘導をしている隊員からの通信に、諏訪部は声を荒げてしまう。避難民の方を見れば、子供が母親に叱られて、癇癪を起こして座り込んでしまっている。
叱られて癇癪を起こして、ふてくされて学習して、子供はそうやって精神的に成長していく。だが、今はそんなことを云々している場合ではない。
そんなやりとりをしているタイムロスが、結果として命取りになった。
全ては驚くほど早く静かに進行していた。草食恐竜の群れを射程内にとらえた2頭目のティラノサウルスが、前腕に力を込めてさながらビーチフラッグのように素早く立ち上がり、駆けだしたのだ。
さすがに2頭目のティラノサウルスの奇襲に気づいたエドモントサウルスが警戒の鳴き声を上げる。
だが、草食恐竜の群れの反応は間に合わなかった。ティラノサウルスが目標に定めた小柄な若いトリケラトプスにショルダータックルをかけて突き倒す。悲鳴を上げて逃げようとするトリケラトプスを逃さず、ティラノサウルスはその首筋に食らいつき、骨ごと肉を深くえぐった。暴れていたトリケラトプスはあっさり絶命したらしく、四肢をけいれんさせながら倒れ伏した。
見たところ、エドモントサウルスとトリケラトプスは双利共生の関係にあるようだ。戦闘力は低いが、視力に優れ、立ち上がって周りを見回すことができるエドモントサウルスが、敵が近づくと警戒の鳴き声を上げて群れ全体に警告する。
視力が弱く、なにより首回りのフリルのために後方視界が限られているが、勇猛で戦闘力の高いトリケラトプスは、肉食恐竜を追い払うか、場合によっては返り討ちにする役割を果たす。
一緒に行動し、索敵と戦闘を分担することで、群れが捕食者に襲われるリスクを下げているわけだ。
だが、今回に限ってはティラノサウルスのチームプレーと隠密行動が一枚上手だった。前方の1頭に気を取られている間に2頭目のティラノサウルスに奇襲された状況はどうにもならない。
まず足の速いエドモントサウルスが逃げ出し、次いでトリケラトプスも状況は不利と見て防御陣形を放棄して逃げ始めた。
野生動物にとって、正面から戦えば負けない相手でも、奇襲を受けた場合は逃げを選択することは自然なことだった。とにかくその場を離れて体勢を立て直す必要があるし、留まっていれば被害は増えるばかりだからだ。
そしてそれは、中型車両に匹敵する体重を持つ動物の集団が、死の暴走を始めたことを意味していた。
06
「隊長!やつらこっちに向かって来ます!」
「くそう!かまわん!撃て撃て!」
ティラノサウルスの奇襲を受けてパニックに陥った草食恐竜の群れが、よりによって避難民と自衛隊員たちの方に向かってくるのは遠目にも良く見えた。
自衛隊員たちもここに至っては先の心配をしている暇もなく、諏訪部の命令が下るや各個に銃撃を開始した。
89式小銃が、50口径重機関銃が、110ミリ無反動砲が火を噴き、草食恐竜たちに銃火を浴びせる。
だが、パニックに陥っている上に逃げ延びることに必死な草食恐竜の群れはひるむことはなかった。50口径がのど笛に着弾したエドモントサウルスが血を吹き出しながら倒れ伏し、無反動砲がトリケラトプスの頭に直撃して自慢の角を頭蓋骨ごと吹き飛ばす。だが、彼らは止まることはなかった。倒れた仲間の死体を乗り越えてすさまじい速さでこちらに迫ってくる。
「打ち続けろ!近づけるな!催涙スプレーも使え!」
命令しながら、諏訪部は弾切れの89式のマガジンの交換を諦め、腰のポーチから催涙スプレーを取り出して、群れの先頭を走るエドモントサウルスに向けて吹きかける。だが、草食恐竜たちは大の苦手であるはずの催涙スプレーにさえ足を止めることはなかった。生存本能と恐怖で我を忘れているらしい。
「隊長!来ます!」
「車両の影に隠れろ!」
奮闘も空しく、ついに諏訪部たちは群れの接近を許してしまった。銃撃にひるむことがない草食恐竜たちの怒濤の進撃にはもはや打つ手はなく、自衛隊員たちは車両の影に隠れる以外になかった。
「早く!こっちに!走れ!」
諏訪部が怒鳴り声の方向を見やると、三曹が避難民たちの列を必死で車両の影に誘導しているのが見えた。だが、恐竜たちが到達する方が速いのは誰の目にも明らかだった。この期に及んでも癇癪を起こし続けているのか、恐怖で思考停止しているのか、泣き叫ぶばかりでその場から動こうとしない先ほどの子供を三曹が抱き上げて運んだ時間のロス。その遅れが致命的になった。
避難民の列と数人の自衛隊員たちが草食恐竜たちの馬蹄にかかっていく。あるものは蹴飛ばされ、あるものは踏みつけられた。
「ぐはあっ!」
突進するトリケラトプスの体当たりで横転した軽装甲機動車に、2人の隊員が下敷きになる。一方のトリケラトプスも4.5トンの鉄の塊に頭をぶつけた衝撃で無事では済まなかったらしい。派手に転倒して横倒しになったまま動かなくなった。
40頭近くの草食恐竜の群れが怒涛の如く駆け抜けて、走り去るまでの時間が何時間にも思えた。地をどよもすひづめの音が遠くなり、草食恐竜の群れが見えなくなってしばし、やっと諏訪部ら自衛隊員は車両の陰から身を乗り出して状況を周りを見回す。
凄惨極まりない光景だった。何頭かの草食恐竜が銃撃で倒れ、血を流しながら転がっている。
だが、草食恐竜たちの方はまだましな方と言えた。
「なんてこった...」
諏訪部は草食恐竜の群れの馬蹄にかかった避難民と自衛隊員たちを見やって愕然とした。ある者は跳ね飛ばされ、ある者は踏みつぶされて轢死体のような姿をさらしている。諏訪部は一度、暴走車が通学中の児童の列に突っ込んだ現場に居合わせたことがある。悲惨な光景だったが、今この状況に比べればまだ穏やかなものに思える。
生き残った避難民や自衛隊員たちも、凄惨な光景に言葉もないらしい。耐えられず嘔吐している者もいる。
なぜこんなことになった?こんなに血を流してなんの意味がある?諏訪部は一瞬茫然自失とする。人間も恐竜も助けたいと願って行動してきたのに。恐竜たちに向けた発砲し殺傷した挙句、避難民を守り切ることができなかったとは。
「ニ尉、どうしますか?」
そばに控えていた一曹の言葉で、諏訪部は思考停止しかけた頭をなんとか再起動する。
「負傷者の状態を調べて手当をするぞ。遺体はポンチョでくるめ。
それと、ライトアーマーを起こさなきゃならん。
とにかく、予定通り避難を完了する」
夕飯の買い物でも言いつけるような口調で、諏訪部は部下たちに指示を下していく。
考えるのも嘆き悲しむのも後だ。今はとにかく仕事を片付けなくてはならない。自分たちは自衛隊員であり、果たすべき任務があるのだ。諏訪部には、そう考える以外にはなかった。
「司令部。こちら第2班。草食恐竜の群れの襲撃を受けました。死傷者が出ています。
新たに避難民に死者4名、重軽傷者5名。第2班に死者2名、重軽傷者4名です。これより小学校に向かいます」
『司令部了解。気をつけてな』
負傷者と遺体を車両に収容した第2班は、避難場所である小学校へ進路を取ろうとしていた。医療班もそちらに待機しているから、負傷者も手当できるはずだった。
「申し訳ありません...。うちの息子のせいで部下の方たちが...」
96式装輪装甲車のキャビンの中。先ほどの子供の母親が顔面蒼白で謝罪の言葉を絞り出す。脇に座っている子供は、何かが切れてしまったのか、泣くこともせずに呆けた表情を浮かべている。2人とも、避難民と自衛隊員に犠牲者が出た事実が心にのしかかっているらしい。
「今は、誰が悪いのかを云々している場合じゃありません」
諏訪部はそれだけ返す。「息子さんは悪くない」と言ってやる気にはどうしてもなれなかったのだ。子供に非常時に冷静な判断を期待しても仕方ないのはわかる。だが、彼女の子供が避難の邪魔をしなければ被害はもっと少なくて済んだ可能性は高いのだ。
諏訪部は装甲車のペリスコープを覗いて、もう一度周囲の安全を確認する。
幸いにして、ティラノサウルスは仕留めたトリケラトプスの死骸を引きずってどこかに立ち去った。恐らくは、子供たちに食わせるためだろう。しばらくは安全なはずだ。
問題なのは、自分たちの銃撃で死亡した草食恐竜の死骸の方だった。血と腐肉のにおいにつられて、ティラノサウルス以外の肉食恐竜も“イスラ・ヌプラル”からこちらに来てしまう事態は非常にまずかった。
後でまた戻ってきて、せめて死骸は“イスラ・ヌプラル”にヘリで空輸する必要がある。諏訪部はそう考えて、司令部に具申する作戦の内容を思案し始めた。
「よし、出発だ!」
諏訪部は無線に指示を出す。車列は道が狭いことを考えてゆっくりと走り出す。
軽装甲機動車を先頭に、高機動車2台が続き、殿は装輪装甲車だ。
「あの、隊長さん...。小学校に避難して本当に安全なんでしょうか...?
わしらも見た。あのでかくて獰猛なティラノサウルスがもし襲ってきたら本当に大丈夫かのう...?」
「たしかにティラノサウルスは強い。でも、鉄筋コンクリートの建造物を破壊するような力はありませんよ。そんなことするぐらいなら他の動物を狩る方が早い。
今のところ小学校の校舎と体育館に立て籠もるのが一番安全です」
装輪装甲車のベンチシートに座っていた白髪の老人の問いかけに、諏訪部は言葉を選びながら返答する。
嘘は言っていない。だが、確信があるわけでもなかった。いや、さらに事態が悪化する可能性は考えたくなかったと言うべきか。
もし、なんらかの理由で小学校を放棄して島民を島の外に避難させなければならないとなると、かなりの危険が予測される。天候は未だ回復する様子がないし、通信障害も続いたままだ。その状況で恐竜の脅威に対処しながら島民を脱出させるとなると、相当に難しい作戦になるのは火を見るよりも明らかだった。
このままタイムスリップの揺り戻しが起きて、恐竜たちの大半が無事に白亜紀に帰還してくれるのが一番いいのだが。諏訪部には祈ることしかできなかった。
「現在、恐竜の群れが島の西側から中心部に向かっています。
住民の皆さんは自衛隊員の誘導に従い、速やかに小学校の体育館に避難して下さい」
陸自所属の73式小型トラックに搭載されたスピーカーから石城島の住民に対して非難指示のアナウンスが流される。
住民たちも、このまま留まっていれば6トンもある巨体に踏みつぶされるだけだと想像がついただけに反応は早かった。最低限の荷物をまとめ、自衛隊員の誘導に従って避難していく。
だが、納得できているかどうかは別だった。このまま恐竜が島の中心部に進めば、収穫前の作物が食い荒らされてしまうことも容易に想像がついたからだ。
「隊長さん、自衛隊は恐竜を追い払ってはくれんのかね?
サトウキビやオレンジが食べられてしまうかもしれん」
初老の女が、救助隊第2班を率いて避難誘導を行う諏訪部を捕まえて問うてくる。
「申し訳ありません。住民の避難が完了していない段階では危険です。
連中中型車両と同じくらいの体重がある。下手に刺激してパニックになったら、それこそ象の群れが暴れているようなものです」
「そうですか…」
そう言われては女に言葉はなかった。再び強まった雨脚の中、避難のために寄越された高機動車に向けて歩いて行く。
諏訪部はやりきれない思いだった。恐竜たちを攻撃するのは危険だと主張したことは今でも正しいと思っている。だが一方で、農民にとって畑は財産であり血肉そのものだ。今期の収穫がなくなることはもちろん、畑が完全に食い尽くされてこれから生活していくあてがなくなる不安は理解できるのだ。
「大変だ!
畑山のじいさんが恐竜を追っ払おうとしてる!踏みつぶされちまう!」
路地から走り出てきた男が、避難誘導をしている三曹を捕まえて叫ぶ。
「それはどっちです!?」
「ここの道を500メートルくらい行ったところだ!」
「くそ!続け!第2班、避難誘導は継続だ!」
諏訪部は手近にいた3人の陸曹を引き連れて路地を走る。
沖縄特有の石垣が途切れ、目に飛び込んできた光景に、諏訪部は全身から血の気が引くのを感じた。
「来るな!ちくしょう、あっち行けっ!」
雨が降りしきるオレンジの畑の中、いかにも農民という風体の老夫婦が火のついたたいまつを振りかざしてトリケラトプスを追い払おうとしているのだ。全長8メートルを軽く超えそうな大柄なトリケラトプスと比べると、老夫婦はまるで食玩かシルバニアファミリーの人形だ。
畑を守りたい気持ちはわかるが、蟷螂の斧にも程がある。諏訪部に他の感想はなかった。なにより、動物は火を怖がるというのは素人考えだ。火を焚いていれば安心と生兵法で行動した大学山岳部の学生が、結局クマに襲われた例もある。
現に、トリケラトプスはうっとうしそうにしているだけで、火を見て逃げようとする様子はない。
「やめなさい!危険です!」
諏訪部は必死で叫ぶが、老夫婦は目の前のトリケラトプスに集中していて気づく様子はない。
次第に、トリケラトプスが進路を阻む小さな生き物にいらつきだしているのがわかった。角を振りかざして大きな鳴き声をあげ、威嚇し始める。一方の老夫婦も、よほど頑固なのか、それとも畑を失えない特別な事情でもあるのか一歩も引こうとしない。
やがて、トリケラトプスがついに実力行使に出た。全ては一瞬のことだった。トリケラトプスは軽く腰を落とすと、勢いをつけて突進をかけた。老夫婦は紙細工のようにはじき飛ばされた。夫の方は鼻の上の角に突かれて5メートルもはね飛ばされ、巻き添えをくらった妻は背後に駐車していた軽トラに叩きつけられた。
「救助するぞ!ついてこい!」
諏訪部は3人の部下を連れて老夫婦に向けて走り出した。走りながら催涙スプレーを構え、トリケラトプスの顔に吹きかける。
トリケラトプスが悲鳴を上げ、目を閉じて咳き込む。後ろに続いていた他の個体も、強烈な刺激臭に後ずさる。
「大丈夫ですか!」
諏訪部たちは老夫婦に声をかけるが反応はない。夫は服の上からもわかるほど胸部が陥没している。妻は頭から大量の出血をしている。
おそらくどちらもだめだろうと思いながらも、諏訪部は老夫婦を担いで離脱することにした。幸いにしてトリケラトプスは催涙スプレーがよほど効いたらしく、こちらに向かってくる様子はない。
「司令部、こちら第2班!民間人負傷者2名!医療班の派遣願う!送れ!」
『司令部了解。すぐに車両と医療班を廻す』
部下を連れて本隊の方向に戻りながら、一応諏訪部は医療班の派遣を要請する。雨に混じって地面に流れて行く血を見る限り2人とも助からないとは思うが、それを判断するのは今のところ自分ではない。
「草食動物だからって安全とは限らないみたいっすね」
「当たり前だ」
すぐ後ろに続く二曹の言葉に、諏訪部は短く応じる。
アフリカでは、カバやアフリカスイギュウは気性が荒く、ライオンより危険だと怖れられている。ましてトリケラトプスはあのティラノサウルスが生息する時代を生きた生き物だ。三本の角を持つ外観に違わず、勇猛で気性が激しくとも全く不思議はない。
「くそ!とうとう民間人に死傷者か」
諏訪部はそんな言葉が口を突いて出ていた。
自衛隊員をやっていてやるせなくなるのはこういうときだ。素人考えや生兵法で起きなくてもいいトラブルを起こす人間は往々にしているものだ。まあ、そういう者たちも守るのが自衛隊の役目だとは心得ているが、理屈の問題ではない。
どだい、全長8メートル、体重6トン以上の身体に加え、巨大な角までもつトリケラトプスをたいまつで追い払おうなどと正気の沙汰ではない。
この先も駐在や役場、自衛隊の指示に従わず勝手なことをする住民が出ない保証はない。そうなったとき自分たちはどうすればいい?
諏訪部は漠然とした不安に包まれたまま、避難誘導の任務をこなすしかなかった。
05
「司令部へ、こちらトンビ。予想通りです。
草食恐竜たちは島の作物を食い始めました。送れ」
『司令部了解。引き続き警戒を厳に』
司令部に報告を終えた上空を警戒中のOH-6のパイロットは、取りあえず予想が当たったことにほっとした。
草食恐竜たちはその巨体故に歩いているだけで人間にとっては充分驚異だが、えさを食っている間は取りあえず驚異にはならないだろう。島の住民にとっては気の毒だが、やつらが作物を食っている間に避難を完了させてしまえば今後の対策が建てやすくなる。
『それと、総監部から命令が降りた。恐竜に対する攻撃は原則として許可しない。住民や自衛隊員にとって直接の危険がある場合を除き撃ってはならん、ということだ』
「了解しました」
続いて無線から聞こえた言葉に、パイロットは“まずいな”と感じた。
もし恐竜を殲滅するなら、戦力を集中して一気に叩かなければならない。一方で住民を恐竜から守るとなると、どうしても広い範囲に戦力を分散せざるを得ない。そして、分散配置された戦力は各個撃破される危険を伴う。“攻撃は原則として許可しない”というあいまいな命令が下されたからなおさらだ。撃っていいのかどうか、切磋の判断の遅れが命取りになりかねない。
このまま何事もなく避難が完了してくれることを祈るしかない。
いつもこうだ。パイロットは思う。自分たちは自衛隊員であり、祈る以外にいくらでもやることはあるはずなのに、法律の不備やら政治的な判断やら上層部の意向やらでなにもできない。なんと理不尽なことか。結局祈るしかできないとは。
操縦桿を握りながら、パイロットはただ避難の完了を祈った。
「進捗はどうだ?」
「あのグループで最後です。窮屈ですけど、なんとか高機動車に押し込めそうです」
ひどくなる一方の雨の音に負けない大声で、諏訪部は避難の進捗を確認する。500メートルほど先には、トリケラトプスとエドモントサウルスが果樹園の柑橘類を食っている姿が見える。今のところ食事に忙しくて大人しいが、もしこちらに移動してくることがあれば脅威になる。早いところ避難を完了する必要があった。
「あの2人の遺体も一緒に運ぶんですか?」
「仕方ないだろう。おいては行けん」
高機動車のドライバーを務める三曹の問いに、諏訪部は渋面を浮かべながら答える。結局、無謀にもトリケラトプスに立ち向かった老夫婦は2人とも死亡が確認された。医療班の派遣は中止され、遺体を避難場所である小学校に運ぶこととしたのだった。避難民たちにとっては仏さんと一緒にドライブは気持ちのいいものじゃないだろうが、この際仕方がない。
「皆さん、あちらの車両に乗ってください。慌てなくて大丈夫ですから」
最低限の荷物だけを持った避難民の列が隊員の誘導に従って歩いてくる。雨風の中の避難は視界が悪く困難を伴うことに加え、石城島は道が狭く、自衛隊の車両で避難を行うのも一苦労だった。特に横幅の広い高機動車は住宅密集地の中まで乗り入れることができず、住民たちに広い場所まで歩いて移動してもらうしかなかったのだ。
それもなんとかうまくいきそうに思えた。が…。
『トンビより第2班!やばいぞ、お客さんだ!北西からティラノサウルスが草食恐竜の群れに接近している!』
OH-6から最悪のニュースがもたらされる。
「馬鹿な!いつの間に上陸したんだ?なぜ誰も気づかなかった!?」
『砂州は常に警戒してたんだ!ティラノサウルスが渡ればわかったはずだ!』
「海を泳いで来た…?」
思わずそう言った諏訪部は、島の北西側を見渡す。北西側は入り組んだ岩場や防風林などで見通しが悪い。海を泳いでこちらに渡ってきたティラノサウルスがこっそり上陸することも可能かもしれなかった。もしそれが可能なら、ティラノサウルスは草食恐竜の群れに対して完全な奇襲をかけることも可能だ。
「二尉、やばいです!見えました!ティラノサウルスだ!」
諏訪部の脇にいた三曹が指さした方向を隊員全員が注視する。今正に、ティラノサウルスがゆっくりと防風林の中から歩み出て来るところだった。
「こいつはやばいぞ…」
ティラノサウルスはこちらから見てちょうど草食恐竜の群れの向こう側から接近しつつある。もし草食恐竜の群れがティラノサウルスに襲われてパニックになったら、こっちに向かってくる可能性がある。
「?」
だが、ティラノサウルスの行動は妙に緩慢だった。やけにゆっくりと草食恐竜たちに近づき、しかもわざわざ咆吼を挙げて威嚇するようなことまでする。トリケラトプスの群れがそれに反応し、子供を後ろに下がらせ、身体の大きい大人が横一列に陣形を君で防御態勢を取る。
「どういうことだ?」
諏訪部にはティラノサウルスの意図が読めなかった。あれではわざわざトリケラトプスを警戒させて、防御陣形が完成するのを座視しているようなものだ。
そこまで考えて、ふと思い当たることがあった。自分たちが“イスラ・ヌブラル”で遭難したときに救助に向かった部隊が、2頭のティラノサウルスに挟み撃ちにされたと報告を受けた。
俺がやつらならどうする?諏訪部は西普連での訓練で得た知識と経験を総動員して思考回路を廻した。一番に思い当たった可能性はトリケラトプスたちの後方だった。草食恐竜の群れの後方で、なおかつティラノサウルスが隠れられそうな場所を探してみる。
いた。草食恐竜たちから見て5時の方向のサトウキビ畑にぼた山のようなものが見える。双眼鏡でよく見てみると、間違いなくティラノサウルスだった。草食恐竜たちを挑発しているのは囮。後ろから忍び寄ってくる方が本命と言うことになる。角を振りかざし、大声をあげて正面のティラノサウルスを威嚇するトリケラトプスたちは、後方から忍び寄る2頭目のティラノサウルスに全く気づいている様子がない。
諏訪部はそこで妙に納得できるものを感じた。ティラノサウルスの前肢は身体に比してとても小さく、指も2本しかない。だが、大きさの割りには強い力を出せたことがわかっている。
遠くてはっきりは見えないが、ティラノサウルスは身体を地面に伏せたまま、前肢と後肢を巧みに動かして、人間で言う匍匐前進にあたるやり方で前に進んでいるようだ。現代の捕食者にも匍匐前進で獲物にアプローチするものは多いが、ティラノサウルスも同じような狩りの方法をとっていたわけだ。
「二尉、ティラノサウルスを攻撃しますか?」
110ミリ無反動砲を担いだ二曹が指示を求めてくる。諏訪部は考える。攻撃すべきか?
「いや、我々が攻撃を受けているわけじゃない。攻撃は待て。
それよりも避難を優先させよう。住民を早く車両に乗せるんだ」
総監部からの“原則として恐竜に対する攻撃は許可しない”という命令を思い出す。住民や隊員たちに直接の危険が及ばない限り攻撃はできないことになる。
『子供がぐずってるんです。行きたくないと』
「担いででも車に乗せろ!」
避難誘導をしている隊員からの通信に、諏訪部は声を荒げてしまう。避難民の方を見れば、子供が母親に叱られて、癇癪を起こして座り込んでしまっている。
叱られて癇癪を起こして、ふてくされて学習して、子供はそうやって精神的に成長していく。だが、今はそんなことを云々している場合ではない。
そんなやりとりをしているタイムロスが、結果として命取りになった。
全ては驚くほど早く静かに進行していた。草食恐竜の群れを射程内にとらえた2頭目のティラノサウルスが、前腕に力を込めてさながらビーチフラッグのように素早く立ち上がり、駆けだしたのだ。
さすがに2頭目のティラノサウルスの奇襲に気づいたエドモントサウルスが警戒の鳴き声を上げる。
だが、草食恐竜の群れの反応は間に合わなかった。ティラノサウルスが目標に定めた小柄な若いトリケラトプスにショルダータックルをかけて突き倒す。悲鳴を上げて逃げようとするトリケラトプスを逃さず、ティラノサウルスはその首筋に食らいつき、骨ごと肉を深くえぐった。暴れていたトリケラトプスはあっさり絶命したらしく、四肢をけいれんさせながら倒れ伏した。
見たところ、エドモントサウルスとトリケラトプスは双利共生の関係にあるようだ。戦闘力は低いが、視力に優れ、立ち上がって周りを見回すことができるエドモントサウルスが、敵が近づくと警戒の鳴き声を上げて群れ全体に警告する。
視力が弱く、なにより首回りのフリルのために後方視界が限られているが、勇猛で戦闘力の高いトリケラトプスは、肉食恐竜を追い払うか、場合によっては返り討ちにする役割を果たす。
一緒に行動し、索敵と戦闘を分担することで、群れが捕食者に襲われるリスクを下げているわけだ。
だが、今回に限ってはティラノサウルスのチームプレーと隠密行動が一枚上手だった。前方の1頭に気を取られている間に2頭目のティラノサウルスに奇襲された状況はどうにもならない。
まず足の速いエドモントサウルスが逃げ出し、次いでトリケラトプスも状況は不利と見て防御陣形を放棄して逃げ始めた。
野生動物にとって、正面から戦えば負けない相手でも、奇襲を受けた場合は逃げを選択することは自然なことだった。とにかくその場を離れて体勢を立て直す必要があるし、留まっていれば被害は増えるばかりだからだ。
そしてそれは、中型車両に匹敵する体重を持つ動物の集団が、死の暴走を始めたことを意味していた。
06
「隊長!やつらこっちに向かって来ます!」
「くそう!かまわん!撃て撃て!」
ティラノサウルスの奇襲を受けてパニックに陥った草食恐竜の群れが、よりによって避難民と自衛隊員たちの方に向かってくるのは遠目にも良く見えた。
自衛隊員たちもここに至っては先の心配をしている暇もなく、諏訪部の命令が下るや各個に銃撃を開始した。
89式小銃が、50口径重機関銃が、110ミリ無反動砲が火を噴き、草食恐竜たちに銃火を浴びせる。
だが、パニックに陥っている上に逃げ延びることに必死な草食恐竜の群れはひるむことはなかった。50口径がのど笛に着弾したエドモントサウルスが血を吹き出しながら倒れ伏し、無反動砲がトリケラトプスの頭に直撃して自慢の角を頭蓋骨ごと吹き飛ばす。だが、彼らは止まることはなかった。倒れた仲間の死体を乗り越えてすさまじい速さでこちらに迫ってくる。
「打ち続けろ!近づけるな!催涙スプレーも使え!」
命令しながら、諏訪部は弾切れの89式のマガジンの交換を諦め、腰のポーチから催涙スプレーを取り出して、群れの先頭を走るエドモントサウルスに向けて吹きかける。だが、草食恐竜たちは大の苦手であるはずの催涙スプレーにさえ足を止めることはなかった。生存本能と恐怖で我を忘れているらしい。
「隊長!来ます!」
「車両の影に隠れろ!」
奮闘も空しく、ついに諏訪部たちは群れの接近を許してしまった。銃撃にひるむことがない草食恐竜たちの怒濤の進撃にはもはや打つ手はなく、自衛隊員たちは車両の影に隠れる以外になかった。
「早く!こっちに!走れ!」
諏訪部が怒鳴り声の方向を見やると、三曹が避難民たちの列を必死で車両の影に誘導しているのが見えた。だが、恐竜たちが到達する方が速いのは誰の目にも明らかだった。この期に及んでも癇癪を起こし続けているのか、恐怖で思考停止しているのか、泣き叫ぶばかりでその場から動こうとしない先ほどの子供を三曹が抱き上げて運んだ時間のロス。その遅れが致命的になった。
避難民の列と数人の自衛隊員たちが草食恐竜たちの馬蹄にかかっていく。あるものは蹴飛ばされ、あるものは踏みつけられた。
「ぐはあっ!」
突進するトリケラトプスの体当たりで横転した軽装甲機動車に、2人の隊員が下敷きになる。一方のトリケラトプスも4.5トンの鉄の塊に頭をぶつけた衝撃で無事では済まなかったらしい。派手に転倒して横倒しになったまま動かなくなった。
40頭近くの草食恐竜の群れが怒涛の如く駆け抜けて、走り去るまでの時間が何時間にも思えた。地をどよもすひづめの音が遠くなり、草食恐竜の群れが見えなくなってしばし、やっと諏訪部ら自衛隊員は車両の陰から身を乗り出して状況を周りを見回す。
凄惨極まりない光景だった。何頭かの草食恐竜が銃撃で倒れ、血を流しながら転がっている。
だが、草食恐竜たちの方はまだましな方と言えた。
「なんてこった...」
諏訪部は草食恐竜の群れの馬蹄にかかった避難民と自衛隊員たちを見やって愕然とした。ある者は跳ね飛ばされ、ある者は踏みつぶされて轢死体のような姿をさらしている。諏訪部は一度、暴走車が通学中の児童の列に突っ込んだ現場に居合わせたことがある。悲惨な光景だったが、今この状況に比べればまだ穏やかなものに思える。
生き残った避難民や自衛隊員たちも、凄惨な光景に言葉もないらしい。耐えられず嘔吐している者もいる。
なぜこんなことになった?こんなに血を流してなんの意味がある?諏訪部は一瞬茫然自失とする。人間も恐竜も助けたいと願って行動してきたのに。恐竜たちに向けた発砲し殺傷した挙句、避難民を守り切ることができなかったとは。
「ニ尉、どうしますか?」
そばに控えていた一曹の言葉で、諏訪部は思考停止しかけた頭をなんとか再起動する。
「負傷者の状態を調べて手当をするぞ。遺体はポンチョでくるめ。
それと、ライトアーマーを起こさなきゃならん。
とにかく、予定通り避難を完了する」
夕飯の買い物でも言いつけるような口調で、諏訪部は部下たちに指示を下していく。
考えるのも嘆き悲しむのも後だ。今はとにかく仕事を片付けなくてはならない。自分たちは自衛隊員であり、果たすべき任務があるのだ。諏訪部には、そう考える以外にはなかった。
「司令部。こちら第2班。草食恐竜の群れの襲撃を受けました。死傷者が出ています。
新たに避難民に死者4名、重軽傷者5名。第2班に死者2名、重軽傷者4名です。これより小学校に向かいます」
『司令部了解。気をつけてな』
負傷者と遺体を車両に収容した第2班は、避難場所である小学校へ進路を取ろうとしていた。医療班もそちらに待機しているから、負傷者も手当できるはずだった。
「申し訳ありません...。うちの息子のせいで部下の方たちが...」
96式装輪装甲車のキャビンの中。先ほどの子供の母親が顔面蒼白で謝罪の言葉を絞り出す。脇に座っている子供は、何かが切れてしまったのか、泣くこともせずに呆けた表情を浮かべている。2人とも、避難民と自衛隊員に犠牲者が出た事実が心にのしかかっているらしい。
「今は、誰が悪いのかを云々している場合じゃありません」
諏訪部はそれだけ返す。「息子さんは悪くない」と言ってやる気にはどうしてもなれなかったのだ。子供に非常時に冷静な判断を期待しても仕方ないのはわかる。だが、彼女の子供が避難の邪魔をしなければ被害はもっと少なくて済んだ可能性は高いのだ。
諏訪部は装甲車のペリスコープを覗いて、もう一度周囲の安全を確認する。
幸いにして、ティラノサウルスは仕留めたトリケラトプスの死骸を引きずってどこかに立ち去った。恐らくは、子供たちに食わせるためだろう。しばらくは安全なはずだ。
問題なのは、自分たちの銃撃で死亡した草食恐竜の死骸の方だった。血と腐肉のにおいにつられて、ティラノサウルス以外の肉食恐竜も“イスラ・ヌプラル”からこちらに来てしまう事態は非常にまずかった。
後でまた戻ってきて、せめて死骸は“イスラ・ヌプラル”にヘリで空輸する必要がある。諏訪部はそう考えて、司令部に具申する作戦の内容を思案し始めた。
「よし、出発だ!」
諏訪部は無線に指示を出す。車列は道が狭いことを考えてゆっくりと走り出す。
軽装甲機動車を先頭に、高機動車2台が続き、殿は装輪装甲車だ。
「あの、隊長さん...。小学校に避難して本当に安全なんでしょうか...?
わしらも見た。あのでかくて獰猛なティラノサウルスがもし襲ってきたら本当に大丈夫かのう...?」
「たしかにティラノサウルスは強い。でも、鉄筋コンクリートの建造物を破壊するような力はありませんよ。そんなことするぐらいなら他の動物を狩る方が早い。
今のところ小学校の校舎と体育館に立て籠もるのが一番安全です」
装輪装甲車のベンチシートに座っていた白髪の老人の問いかけに、諏訪部は言葉を選びながら返答する。
嘘は言っていない。だが、確信があるわけでもなかった。いや、さらに事態が悪化する可能性は考えたくなかったと言うべきか。
もし、なんらかの理由で小学校を放棄して島民を島の外に避難させなければならないとなると、かなりの危険が予測される。天候は未だ回復する様子がないし、通信障害も続いたままだ。その状況で恐竜の脅威に対処しながら島民を脱出させるとなると、相当に難しい作戦になるのは火を見るよりも明らかだった。
このままタイムスリップの揺り戻しが起きて、恐竜たちの大半が無事に白亜紀に帰還してくれるのが一番いいのだが。諏訪部には祈ることしかできなかった。
0
あなたにおすすめの小説
わたしの下着 母の私をBBA~と呼ぶことのある息子がまさか...
MisakiNonagase
青春
39才の母・真知子は息子が私の下着を持ち出していることに気づいた。
ネットで同様の事象がないか調べると、案外多いようだ。
さて、真知子は息子を問い詰める? それとも気づかないふりを続けてあげるか?
そのほかに外伝も綴りました。
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。
MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。
『イージス艦長、インパール最前線へ。――牟田口廉也に転生した俺は、地獄の餓死作戦を「鉄壁の兵站要塞」に変える』
月神世一
SF
【あらすじ】
「補給がなければ、戦場に立つ資格すらない」
坂上真一(さかがみ しんいち)、50歳。
かつてイージス艦長として鉄壁の防空網を指揮し、現在は海上自衛隊で次世代艦の兵站システムを設計する男。
背中には若き日の過ちである「仁王」の刺青を隠し持ち、北辰一刀流の達人でもある彼は、ある日、勤務中に仮眠をとる。
目が覚めると、そこは湿気と熱気に満ちた1944年のビルマだった。
鏡に映っていたのは、小太りで口髭の男――歴史の教科書で見た、あの「牟田口廉也」。
しかも時期は、日本陸軍史上最悪の汚点とされる「インパール作戦」決行の直前。
部下たちは「必勝の精神論」を叫び、無謀な突撃を今か今かと待っている。
(……ふざけるな。俺に、部下を餓死させろと言うのか?)
現代の知識と、冷徹な計算、そして海自仕込みのロジスティクス能力。
すべてを駆使して、坂上(中身)は歴史への介入を開始する。
精神論を振りかざすふりをして上層部を欺き、現地改修で兵器を強化し、密かに撤退路を整備する。
これは、「史上最も無能な指揮官」の皮を被った「現代の有能な指揮官」が、確定した敗北の運命をねじ伏せ、数万の命を救うために戦う、逆転の戦記ドラマ。
断罪まであと10分、私は処刑台の上で「ライブ配信」を開始した〜前世インフルエンサーの悪役令嬢、支持率100%でクズ王子を逆処刑する〜
深渡 ケイ
ファンタジー
断罪まで、あと10分。
処刑台の上で跪く悪役令嬢スカーレットは、笑っていた。
なぜなら彼女は――
前世で“トップインフルエンサー”だったから。
処刑の瞬間、彼女が起動したのは禁忌の精霊石。
空に展開された巨大モニターが、全世界同時ライブ配信を開始する。
タイトルは――
『断罪なう』。
王子の不貞、聖女の偽善、王家の腐敗。
すべてを“証拠付き・リアルタイム”で暴露する配信に、
国民の「いいね(=精霊力)」が集まり始める。
そして宣言される、前代未聞のルール。
支持率が上がるほど、処刑は不可能になる。
処刑台は舞台へ。
断罪はエンタメへ。
悪役令嬢は、世界をひっくり返す配信者となった。
これは、
処刑されるはずだった悪役令嬢が、
“ライブ配信”で王子と王国を公開処刑する物語。
支持率100%の先に待つのは、復讐か、革命か、
それとも――自由か。
ゲート0 -zero- 自衛隊 銀座にて、斯く戦えり
柳内たくみ
ファンタジー
20XX年、うだるような暑さの8月某日――
東京・銀座四丁目交差点中央に、突如巨大な『門(ゲート)』が現れた。
中からなだれ込んできたのは、見目醜悪な怪異の群れ、そして剣や弓を携えた謎の軍勢。
彼らは何の躊躇いもなく、奇声と雄叫びを上げながら、そこで戸惑う人々を殺戮しはじめる。
無慈悲で凄惨な殺戮劇によって、瞬く間に血の海と化した銀座。
政府も警察もマスコミも、誰もがこの状況になすすべもなく混乱するばかりだった。
「皇居だ! 皇居に逃げるんだ!」
ただ、一人を除いて――
これは、たまたま現場に居合わせたオタク自衛官が、
たまたま人々を救い出し、たまたま英雄になっちゃうまでを描いた、7日間の壮絶な物語。
与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし
かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし
長屋シリーズ一作目。
第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。
十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。
頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。
一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる