【完結】初恋のアルファには番がいた—番までの距離—

水樹りと

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第4章

第四話

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 健吾をあきらめきれない蛍は、変わらず時々健吾にメッセージを送っていた。
 最近は蛍自身がゼミの下調べや合同イベントの準備で忙しく、研究室からは足が遠のきがちである。

 朝、シャワーを浴びた後、蛍は鏡の前で新しいパッチを取り出した。
 古いものを慎重にはがし、お腹の左側に新しい抑制剤パッチを貼り直す。
 冷たい感触が肌に張り付いて、やがて体温で温まっていく。

 一般的な抑制剤は錠剤タイプだが、蛍はパッチタイプを愛用していた。
 毎日貼り換えなくてもよいため、錠剤タイプより負担が少なかった。

 支度を終えて大学に向かう途中、スマートフォンを確認した。
 健吾からの返信はまだない。
 久しぶりに映画の話題を振ってみたが、忙しいのだろう。

 学食で真帆と会うと、彼女は鼻声で少し疲れた顔をしていた。
「どうしたの?風邪?」
「うん、ちょっと。でもゼミの志望届、やっと出せた」
 真帆はティッシュで鼻をかみながら答えた。
 蛍も同じ日に、ゼミの志望届を提出した。第一希望にはジェンダー経済学ゼミを記入した。

 提出する瞬間、健吾への想いが選択に影響していないかと自問したが、そんなことはどうでもよく思えた。
 自分が本当に学びたいのはこの分野だった。
 健吾がきっかけになったにせよ、社会の不平等や構造的な問題に関心はある。
 それを数字で証明し、政策に反映させる手法にも魅力を感じていた。

「金融系にしたの?」
「ううん、諦めた。地域経済学にする」
 真帆は苦笑いを浮かべながら言った。現実的な選択だった。
「でも、地域経済学も面白そうじゃない?」
「うん、そう思うことにした。背伸びしすぎても仕方ないしね」
 真帆の表情には、諦めと同時にどこか清々しさもあった。
 等身大の自分を受け入れることの強さを、蛍は感じ取った。

「体調大丈夫? バーベキューまでには治る?」
「どうかな……」
 真帆が言いかけて、ふと口をつぐんだ。
「どうしたの?」
「いや、最近思うの。さくちゃんのこと、このまま好きでいても無駄なのかなって」

 鼻声でぽつりと呟かれた言葉に、蛍は驚いた。
「どうして急に?」
「だって、もうけっこう長いこと片思いでしょ? でも、何も変わらない。さくちゃんは、私のこと特別に見てくれてるわけじゃない」
 真帆はティッシュを握りしめながら続けた。
「風邪ひいて熱出してる時に考えちゃったの。私、無駄な時間を過ごしてるんじゃないかって」
「無駄ってことはないんじゃないかな」

 そう言いながらも蛍は何と答えればいいか分からなかった。
 自分も同じような状況にいるからこそ、真帆の気持ちが痛いほど分かった。

「さくちゃんは優しいよ。でも、絶対に誘いには乗ってくれないし、サークル仲間以上になれる気がしない」
「うん」

 それは蛍も桜庭の態度から感じていた。
 桜庭にすでに恋人がいるのか、それとも恋人を作る気がないのか、またほかの理由があるのかは不明だが、少なくとも真帆に興味があるとは言いがたかった。

「でも、真帆が頑張ってたのは無駄じゃないと思う」
 蛍は慎重に言葉を選んだ。
「そういえば、最近、よくバイト先の人だっけ? その人とメッセージしてるよね」
「うん」
「その人もさくとのことを考え直すきっかけ?」

 真帆は鼻をすすりながら、蛍を見た。

「それはあるかもしれない」
「そっか。その人のこと好き?」
「うーん、正直、そういう感じはまだ少ないけれど……。大事にしてもらえるのは嬉しい」
「大事に……」
「うん。さくちゃんは優しいけど、冷たい」

 蛍はその言葉に少しドキッとした。

「どんなふうに?」
「優しいんだけど、心を開いてくれない感じ? いつも一定の距離を保ってるっていうか」
 真帆は鼻をかみながら続けた。
「バイト先の人は違うの。私のことを気にかけてくれるし、体調悪い時もすぐに『大丈夫?』って連絡くれたり。さくちゃんは、私が風邪ひいても特に何も言わないもん」

 蛍は複雑な気持ちで真帆の話を聞いていた。
 桜庭の態度は確かにそうだった。
 優しいが、踏み込んでこない。
 誰に対しても同じような距離感を保っている。

「その人の方が、真帆にとっていいのかもしれないね」
「そうかもしれない。でも、すぐにさくちゃんを忘れられるわけじゃないから……」

 真帆は苦笑いを浮かべた。
「一度好きになっちゃった人を諦めるのって、簡単じゃないよね」
「うん」
 蛍も心の底からそう思った。健吾への気持ちも、簡単には整理できない。

 数日後、真帆の風邪は悪化し、バーベキュー前日も熱が下がらなかった。
「ごめん、やっぱり明日は行けない」
 真帆からのメッセージに、蛍は少し心配になった。

 でも同時に、これが真帆にとって新しいスタートになるかもしれないとも思った。
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