【完結】初恋のアルファには番がいた—番までの距離—

水樹りと

文字の大きさ
27 / 44
第4章

第十話

しおりを挟む
 その夜、蛍は天井の木目を数えるふりをして、ただ目を開けていた。
 脳裏では健吾の言葉が、秒針のように正確に戻ってきては胸を打つ。
 ――事故で番になった。
 ――恋愛感情があったわけではない。
 ――でも、責任はある。
 思い描いていた「恋人がいる健吾」が、音もなく裏返る。
 幸福の輪郭ではなく、責任という重みを肩にのせ続ける人の背中。
 自分の幸せを削って、誰かを守り続ける人の横顔。

 そして、最後のひと言。
 ――蛍にはそうなってほしくない。
 保護者としての心配なのか、それとも別の意味があるのか。
 考え始めれば、思考は同じ場所で足踏みを繰り返す。

 だけど一つだけはっきりしていた。
 健吾への想いは、薄れるどころか、輪郭をくっきりと増している。

 枕に顔を埋めると、健吾の声が蘇る。
『俺の幸せより、尚を守ることの方が大事だ』
 その言葉の重さを蛍がどれほど理解できるかはわからない。健吾はどれほど孤独な責任を背負っているのだろう。




 数日後の夕方、蛍はスマホを親指でなぞり、深呼吸をひとつ。桜庭にメッセージを送る。
「今度、時間があるときに相談したいことがあるんだけど……」
 返信はすぐだった。
『明日の夜なら空いてる』

 待ち合わせは駅前の居酒屋街。
 提灯の赤が水たまりに滲み、焼き台の煙が路地を薄く曇らせる。
 桜庭が選んだのは、襖で区切られた個室の店だった。
 低い音楽と、遠くの笑い声だけが壁越しに揺れる。

「お疲れ」
「さくもお疲れさま」

 注文を終えると、桜庭がグラスの縁を指で拭い、視線で促す。

「で、相談って?」

 蛍は少し間を置いてから切り出した。
「実は、好きな人がいるんだけど……その人には番がいて」
 桜庭の表情がすっと引き締まる。
「でも、最近その人から聞いたんだ。番との関係は、恋愛関係じゃないって」
「え?」
「事故で番になったらしくて。お互い恋愛感情はないけど、責任は感じてるって」

 桜庭の目が一瞬だけ曇り、バーベキューの日の記憶をなぞった気配が走る。

「事故で……ヒートの時に?」
「たぶん。詳しくは聞けなかったけど」
「その人、アルファ?」
「うん」
「そっか……」

 氷がコトンと鳴った。桜庭はグラスをひと回ししてから、真正面から問う。

「それで、白石はどうしたい?」
「わからない。諦めるべきなのか、それとも……」

 声が自然と小さくなる。
「その人は何て言ってた?」
「『俺の幸せより相手を守ることの方が大事』って。『蛍にはそうなってほしくない』とも」
 桜庭は眉を寄せる。
「それって、本当に相手のためになってるのかな」
「え?」
「相手だって、その人が不幸でいることを望んでないと思う。特に、事故だったなら余計に」
 言葉が、胸の奥にすっと入ってくる。
「責任感が強いのは良いことだけど、それで自分を犠牲にしすぎるのは、結局誰のためにもならないんじゃないか」
「そうかな……」
「その人も、自分を縛りすぎてるんじゃないかな」
 蛍は目を見開く。見たくても見えなかった角度を、桜庭の声が照らしていく。

「でも、番に捨てられたオメガは悲惨っていう話も聞くしな……。つい白石に有利なほうに話しちゃったけれど、難しいよな」

 桜庭はグラスを置き、まっすぐに言う。

「番破棄の影響って実際はどうなんだろうね」
「さあ。俺、その辺の知識は全然ないんだ、悪い」
「いや、知る機会ってないもんね」
 オメガであっても番契約の詳細を学ぶ機会は限られている。

「そういや、なかには番と恋愛は別って考えてるカップルもいるんだろ? まあ、珍しいらしいけど」
「うん、そういう話も聞くね」
「番破棄しなくても、付き合える可能性ならあるんじゃないか?」
「そう思う?」
「いや……。そうはいったものの、そういう風に割り切れる人なら、もう別に恋人いるだろうしな」
「だよねぇ」

 桜庭の声には、場数を踏んだ落ち着きがにじむ。

「でも、だからといって可能性を最初から断つ必要もない」
「ありがとう、さく。同じオメガだから、わかってもらえて嬉しい」
「一人で抱え込まないで、また何かあったら相談しろよ」

 同じ立場から理解を示してくれる人がいること。
 その単純な事実が、背中の力を抜いてくれる。
 智也や真帆の優しさとはまた違う、体温の種類。

「そういえば、神崎くんはどう?」
「どうって?」
「噂のこと……、何か言ってた?」
「いや、特に。あいつは全然気にしてなさそう」
「そっか、よかった」
「白石はあれからどう?」
「変な視線は落ち着いてきたかな。新しいネタもないし、多分飽きてきたんだと思う」
「それならよかった。ああいうのって、当事者には結構しんどいもんな」
 桜庭が共感するように頷く。

「でも、今回の件で学んだこともあるよ」
「え?」
「俺たちオメガって、思ってる以上に注目されてるんだなって。気をつけないと」
「そうだな」

 会計を済ませて外に出ると、夜風が皮膚の熱をすっと攫っていく。横断歩道の青が、二人の靴先を交互に染めた。
「送っていこうか?」
「ううん、大丈夫だよ」
 自然に笑みがこぼれる。桜庭の気遣いが温かい。
「今日は本当にありがとう」

 人波に紛れると、さっきの会話が頭の中でゆっくりと反芻された。
 諦めるのか、可能性を探るのか。答えはまだ遠い。
 けれど、もう一人で抱えなくていいと分かっただけで、夜道の暗さは幾分やわらぐ。
 そして健吾への気持ちも、少しずつ輪郭が整っていく気がした。
 ——もう少しだけ、様子を見てみよう。
 そう決めて、蛍は家路へ歩き出した。
しおりを挟む
感想 12

あなたにおすすめの小説

僕たちの世界は、こんなにも眩しかったんだね

舞々
BL
「お前以外にも番がいるんだ」 Ωである花村蒼汰(はなむらそうた)は、よりにもよって二十歳の誕生日に恋人からそう告げられる。一人になることに強い不安を感じたものの、「αのたった一人の番」になりたいと願う蒼汰は、恋人との別れを決意した。 恋人を失った悲しみから、蒼汰はカーテンを閉め切り、自分の殻へと引き籠ってしまう。そんな彼の前に、ある日突然イケメンのαが押しかけてきた。彼の名前は神木怜音(かみきれお)。 蒼汰と怜音は幼い頃に「お互いが二十歳の誕生日を迎えたら番になろう」と約束をしていたのだった。 そんな怜音に溺愛され、少しずつ失恋から立ち直っていく蒼汰。いつからか、優しくて頼りになる怜音に惹かれていくが、引きこもり生活からはなかなか抜け出せないでいて…。

番に見つからない街で、子供を育てている

はちも
BL
目を覚ますと、腕の中には赤ん坊がいた。 異世界の青年ロアンとして目覚めた「俺」は、希少な男性オメガであり、子を産んだ母親だった。 現世の記憶は失われているが、 この子を守らなければならない、という想いだけははっきりと残っている。 街の人々に助けられ、魔石への魔力注入で生計を立てながら、 ロアンと息子カイルは、番のいない街で慎ましく暮らしていく。 だが、行方不明の番を探す噂が、静かに近づいていた。 再会は望まない。 今はただ、この子との生活を守りたい。 これは、番から逃げたオメガが、 選び直すまでの物語。 *不定期連載です。

愛しい番に愛されたいオメガなボクの奮闘記

天田れおぽん
BL
 ボク、アイリス・ロックハートは愛しい番であるオズワルドと出会った。  だけどオズワルドには初恋の人がいる。  でもボクは負けない。  ボクは愛しいオズワルドの唯一になるため、番のオメガであることに甘えることなく頑張るんだっ! ※「可愛いあの子は番にされて、もうオレの手は届かない」のオズワルド君の番の物語です。 ※他サイトでも連載中 2026/01/28 第22話をちょっとだけ書き足しました。

流れる星、どうかお願い

ハル
BL
羽水 結弦(うすい ゆずる) オメガで高校中退の彼は国内の財閥の一つ、羽水本家の次男、羽水要と番になって約8年 高層マンションに住み、気兼ねなくスーパーで買い物をして好きな料理を食べられる。同じ性の人からすれば恵まれた生活をしている彼 そんな彼が夜、空を眺めて流れ星に祈る願いはただ一つ ”要が幸せになりますように” オメガバースの世界を舞台にしたアルファ×オメガ 王道な関係の二人が織りなすラブストーリーをお楽しみに! 一応、更新していきますが、修正が入ることは多いので ちょっと読みづらくなったら申し訳ないですが お付き合いください!

もう殺されるのはゴメンなので婚約破棄します!

めがねあざらし
BL
婚約者に見向きもされないまま誘拐され、殺されたΩ・イライアス。 目覚めた彼は、侯爵家と婚約する“あの”直前に戻っていた。 二度と同じ運命はたどりたくない。 家族のために婚約は受け入れるが、なんとか相手に嫌われて破談を狙うことに決める。 だが目の前に現れた侯爵・アルバートは、前世とはまるで別人のように優しく、異様に距離が近くて――。

妹に奪われた婚約者は、外れの王子でした。婚約破棄された僕は真実の愛を見つけます

こたま
BL
侯爵家に産まれたオメガのミシェルは、王子と婚約していた。しかしオメガとわかった妹が、お兄様ずるいわと言って婚約者を奪ってしまう。家族にないがしろにされたことで悲嘆するミシェルであったが、辺境に匿われていたアルファの落胤王子と出会い真実の愛を育む。ハッピーエンドオメガバースです。

六年目の恋、もう一度手をつなぐ

高穂もか
BL
幼なじみで恋人のつむぎと渉は互いにオメガ・アルファの親公認のカップルだ。 順調な交際も六年目――最近の渉はデートもしないし、手もつながなくなった。 「もう、おればっかりが好きなんやろか?」 馴ればっかりの関係に、寂しさを覚えるつむぎ。 そのうえ、渉は二人の通う高校にやってきた美貌の転校生・沙也にかまってばかりで。他のオメガには、優しく甘く接する恋人にもやもやしてしまう。 嫉妬をしても、「友達なんやから面倒なこというなって」と笑われ、遂にはお泊りまでしたと聞き…… 「そっちがその気なら、もういい!」 堪忍袋の緒が切れたつむぎは、別れを切り出す。すると、渉は意外な反応を……? 倦怠期を乗り越えて、もう一度恋をする。幼なじみオメガバースBLです♡

そばにいてほしい。

15
BL
僕の恋人には、幼馴染がいる。 そんな幼馴染が彼はよっぽど大切らしい。 ──だけど、今日だけは僕のそばにいて欲しかった。 幼馴染を優先する攻め×口に出せない受け 安心してください、ハピエンです。

処理中です...