【完結】初恋のアルファには番がいた—番までの距離—

水樹りと

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第6章 健吾side

第七話

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 翌日、健吾は研究室で論文を読んでいたが、集中できなかった。
 夕方まで待とうと思っていたが、諦めてスマートフォンを手に取る。
 そして、何度かメッセージを打っては消すを繰り返した。
 どう誘えば自然だろうか。
『今度の土曜日、時間ある?』
 ようやく送信できた文章は、思いのほかシンプルだった。
 返信はすぐに来た。
『うん、あいてるよ』
 健吾は深呼吸した。
『映画を見に行かない? 『キャロル』の上映があるんだ』
『行きたい! 何時に待ち合わせる?』
 蛍の即答に、健吾の心臓は激しく鼓動した。


 土曜日の午後、健吾は小さな映画館で蛍を待っていた。
 十一月の風は冷たく、街行く人々はコートの襟を立てている。
「健ちゃん、お疲れさま」
 振り返ると、蛍がマフラーを巻いて微笑んでいた。頬が寒さで薄く染まっている。
「お疲れさま。寒かった?」
「うん、ちょっと。でも、すごく楽しみだった」
 二人は映画館に入り、『キャロル』の上映に向かった。

 暗い客席で並んで座ると、健吾は蛍から漂う甘い香りを感じた。
 治療が終わったことで、蛍のフェロモンがより鮮明に感じられる。
 その香りは健吾の心を不思議と落ち着かせた。

 映画が始まった。
 1950年代のニューヨーク、キャロルとテレーズの出会い。
 禁じられた愛の物語が、息をのむほど美しい映像とともに展開される。
 健吾は映画を見ながら、自分と蛍の状況を重ねずにはいられなかった。
 社会の制約の中で愛を育む二人。
 隠さなければならない想い。
 それでも諦めきれない絆。

 隣の蛍は、真剣な表情で画面を見つめている。
 時折、感動的な場面で小さく息を呑む音が聞こえた。
 映画が終わると、客席に静寂が流れた。
 余韻に浸る観客たち。
 健吾と蛍も、しばらく席を立てずにいた。




 映画館から少し歩いたところにある、古い喫茶店に二人は入った。
 重厚な木製のドアを開けると、コーヒーの香りとクラシック音楽の調べが迎えてくれる。
 遅い時間ということもあり、客はほとんどいない。
「窓際の席はどうですか?」
 店員に案内されたのは、ソファが仕切りを作る、奥まった席だった。
 外の街灯が温かい光を投げかけ、二人だけの空間を作り出している。

「どうだった?」
 健吾が尋ねると、蛍は少し考えてから答えた。
「あの時代って、同性愛はダメだったの?」
「うん、今以上にね。治療できる精神病みたいなものだと思われていたらしい」
「第二性は?」
「第二性はまた別の差別かな。社会のカーストに近い感じで、オメガは差別されていた」
「そっか。同性愛は治療か……」
「そうだね、話題になるのは男性同士が多いけれど、女性同士ももちろん社会が許してくれなかったし、いろいろと誤解もあった」
「悲しいね」
 蛍の言葉に、健吾の胸が締め付けられる。


 今がその時だ。伝えなければならない。
 健吾は深呼吸した。
 手が震えているのを隠すように、拳を握る。
 静かな店内に流れるクラシック音楽が、二人の緊張を包み込む。
「蛍」
「ん?」
 一瞬、言葉が出なかった。

 高校での記憶が蘇る。
 夕焼けに染まった教室、蛍の真剣な瞳、そして自分が放った冷たい言葉。
 あの時、蛍がどんな思いだったのか、今なら真に理解できる気がした。

「実は、話したいことがあるんだ」
 健吾の声は掠れていた。蛍の表情が変わる。
「番の解消治療が、先週完了した」
「え」
 蛍の目が大きく見開かれる。
 コーヒーカップを持つ手が、僅かに震えた。
 カップと受け皿がかすかに音を立てる。

「もう自由なんだ。誰に対しても、責任を感じることなく、本当の気持ちで向き合える」
 健吾は蛍をまっすぐ見つめた。
 今度こそ、逃げるわけにはいかない。

「だから今日、どうしても伝えたかった」
 仕切りに守られた空間で、二人だけの時間が流れる。
 蛍の瞳が、困惑と期待で揺れている。

「高校の時、蛍からの告白を断った。『番がいる』と言って」

 蛍の表情が僅かに曇る。
 その瞬間、健吾の胸に激痛が走った。
 またあの時と同じ表情をさせてしまう。
「あの時、俺は——」
 声が震える。深呼吸して、続けた。

「俺は蛍を拒絶した。でも本当は、嬉しかった。胸が張り裂けそうなほど嬉しかった」

「健ちゃん」
 蛍の声も震えている。
 クラシック音楽に包まれて、その震え声が響く。

「受け止める資格がないと思った。番がいる以上、君を幸せにできないと思った」
 健吾はソファから立ち上がった。
 人目を気にすることなく、蛍の隣に移動した。
「傷つけて、本当に申し訳なかった。ずっと、ずっと後悔してた」
 蛍の瞳に涙が滲む。
「でも今は違う」
 健吾は蛍の手を取った。
「もう何も俺を縛るものはない。だから言える」

 蛍を見つめながら、健吾は震える声で告白した。
「蛍、俺は君を愛してる」
 蛍の肩が大きく震えた。涙がこぼれ落ちる。
 静寂の中で、その涙が頬を伝う音さえも聞こえるような気がした。
「責任じゃない。義務でもない。俺の本当の気持ちだ」
「健ちゃん」
 蛍の声は涙で詰まっていた。
「俺は——」


「待って」
 蛍が健吾の言葉を遮った。
 健吾の心臓が止まりそうになる。
 やはり断られるのか。時間が経ちすぎたのか。

「俺、夢を見てるのかな」
 蛍は涙を拭いながら、信じられないという表情で健吾を見つめた。
「本当に、健ちゃんが俺のことを」
「愛してる」
 健吾は迷わず繰り返した。


「小学生の頃からずっと、健ちゃんが好きだった」
 涙声で、でも確かな声でその想いが響く。
「高校で振られても、諦められなかった。大学で再会した時、また希望を持ってしまった」
「蛍」
「でも健ちゃんには番がいるから、俺は諦めなければいけないと思ってた」
 蛍の涙が止まらない。

「他の人なんて考えられなかった。健ちゃんじゃなきゃ嫌だった。ずっと、ずっと待ってた」

 健吾の胸が熱くなった。
 こんなにも一途に想い続けてくれていた。

「俺も、ずっと前から君を愛してた」
 健吾は蛍の手を強く握った。
「番の絆があったから気づかなかっただけで、心の奥では君だけを想っていた」
「本当?」
 蛍の声は希望に震えている。
「本当だ」
「うん」
 蛍が頷く。その笑顔は、涙で濡れているのに眩しく輝いて見えた。

「今度は誰にも遠慮しない。社会がなんと言おうと、君だけを愛していく」
「俺も。健ちゃんだけを。ずっと」
 二人の手が固く結ばれた。
 窓から差し込む街灯の光が、二人を暖かく包んでいる。
 クラシック音楽が静かに流れる。
 長い間待ち続けた愛が、ついに実を結んだ瞬間だった。
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