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第二章 空き部屋は放したくない①
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目覚まし時計のベルが鳴る三十分も前のことだった。
天井のどこか――正確な位置は分からないが、確かに真上のあたりで、「コトン」と何かが落ちる音がした。硬質な、しかしどこか遠慮がちな音。まるで誰かが、そっと物を置いたような響きだった。
凛は布団の中で薄く目を開けた。
見慣れない天井が、朝の光を受けてぼんやりと浮かび上がっている。和室特有の、年季の入った天井板。木目が複雑な模様を描いて、まるで誰かの顔のようにも見える。昨日までの自分の部屋――ワンルームアパートの白い天井とは、まるで違う世界がそこにあった。
それは当たり前のような顔をして、しかし決定的に異質な風景として、凛の網膜に映っていた。
(……夢じゃ、ないんだよね)
自分に問いかけても、答えは返ってこない。
枕元に視線を移す。畳の上には、昨夜渡されたものが整然と並んでいた。管理人棟の鍵束。プラスチック製の名札。そして、走り書きのメモ。
メモには、筆圧の低い、たぶんお千代の筆跡で、こう書かれていた。
瀬川凛
さくらヶ丘第一団地
あやかし管理人見習い(仮)
「仮って何……」
誰にともなく、つぶやく。
声は畳の部屋に吸い込まれて、どこにも届かなかった。凛は深い息を一つついてから、ゆっくりと布団から抜け出した。
洗面所で顔を洗う。部屋へ戻って着替え、紺色のジャケットを羽織る。
部屋の隅にある、昭和感ただよう姿見で、自分の姿をチェックした。
少し曇った鏡には、「薄給そうな新人管理人」が映っていた。
背筋をきちんと伸ばしているつもりでも、どこか頼りない。
それでも、これが今の自分なのだ。
自分で選んだ道ではなかったが、引き返す場所もない。
廊下に足を踏み出すと、台所の方向から匂いが漂ってきた。味噌の香り。煮干しの出汁。朝ごはんを作る音。それは昭和の朝のような、懐かしくて、少しだけ切ない匂いだった。
台所をのぞくと、お千代がエプロン姿で立っていた。
煮物の鍋をかき混ぜながら、ちらりとこちらを見る。
「あら、おはよう。思ったよりちゃんと起きてきたわね」
言いようによってはトゲのあるセリフなのに、お千代の口から出ると皮肉には聞こえないから不思議だ。
「『思ったより』ってなんですか……」
凛は、眉をひそめた。
「昨日のあんたの走り方見てたら、朝は起きられないタイプかと思って」
「走り方でわかるんですか、そんなことまで」
言ってしまってから、凛は自分に驚いた。
昨日会ったばかりの人――しかも上司にして雇用主――に、軽口を叩けるようになっている。まるで家族に対するみたいに。
コミュ障気味の凛には考えられないことだ。
昨日の、あの異様な夕食会――あやかしだらけの食卓を囲んだという、強烈すぎる洗礼のせいだろうか。
おそらく、そのせいで感覚が麻痺しつつある。だいたいのことは、もうどうでもよくなりかけていた。
天井のどこか――正確な位置は分からないが、確かに真上のあたりで、「コトン」と何かが落ちる音がした。硬質な、しかしどこか遠慮がちな音。まるで誰かが、そっと物を置いたような響きだった。
凛は布団の中で薄く目を開けた。
見慣れない天井が、朝の光を受けてぼんやりと浮かび上がっている。和室特有の、年季の入った天井板。木目が複雑な模様を描いて、まるで誰かの顔のようにも見える。昨日までの自分の部屋――ワンルームアパートの白い天井とは、まるで違う世界がそこにあった。
それは当たり前のような顔をして、しかし決定的に異質な風景として、凛の網膜に映っていた。
(……夢じゃ、ないんだよね)
自分に問いかけても、答えは返ってこない。
枕元に視線を移す。畳の上には、昨夜渡されたものが整然と並んでいた。管理人棟の鍵束。プラスチック製の名札。そして、走り書きのメモ。
メモには、筆圧の低い、たぶんお千代の筆跡で、こう書かれていた。
瀬川凛
さくらヶ丘第一団地
あやかし管理人見習い(仮)
「仮って何……」
誰にともなく、つぶやく。
声は畳の部屋に吸い込まれて、どこにも届かなかった。凛は深い息を一つついてから、ゆっくりと布団から抜け出した。
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部屋の隅にある、昭和感ただよう姿見で、自分の姿をチェックした。
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背筋をきちんと伸ばしているつもりでも、どこか頼りない。
それでも、これが今の自分なのだ。
自分で選んだ道ではなかったが、引き返す場所もない。
廊下に足を踏み出すと、台所の方向から匂いが漂ってきた。味噌の香り。煮干しの出汁。朝ごはんを作る音。それは昭和の朝のような、懐かしくて、少しだけ切ない匂いだった。
台所をのぞくと、お千代がエプロン姿で立っていた。
煮物の鍋をかき混ぜながら、ちらりとこちらを見る。
「あら、おはよう。思ったよりちゃんと起きてきたわね」
言いようによってはトゲのあるセリフなのに、お千代の口から出ると皮肉には聞こえないから不思議だ。
「『思ったより』ってなんですか……」
凛は、眉をひそめた。
「昨日のあんたの走り方見てたら、朝は起きられないタイプかと思って」
「走り方でわかるんですか、そんなことまで」
言ってしまってから、凛は自分に驚いた。
昨日会ったばかりの人――しかも上司にして雇用主――に、軽口を叩けるようになっている。まるで家族に対するみたいに。
コミュ障気味の凛には考えられないことだ。
昨日の、あの異様な夕食会――あやかしだらけの食卓を囲んだという、強烈すぎる洗礼のせいだろうか。
おそらく、そのせいで感覚が麻痺しつつある。だいたいのことは、もうどうでもよくなりかけていた。
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