屋根裏の魔女、恋を忍ぶ

如月 安

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第一部

第56話 身に余る夢

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「公爵のところにお連れします。……もうこれ以上、嘘は結構です」

 ウェイン卿は、冷たく蔑んだ目をして、わたしを見下ろした。

 最初に馬車に乗った時と全く同じ、その温かみの欠片もない瞳を見た瞬間、全部わかった。

(……なんだ、あるじゃない)

 大丈夫、と思う。
 ずっと、半信半疑だったでしょう?
 期待なんてしていない。ちゃんとわかっていた。

(……あるじゃない。何もかも全部、うまく行く方法が)

 気紛れみたいに優しく細められた赤い瞳も、歩き疲れたわたしの手を引いた大きくて温かい手も、低く柔らかく耳に響いた声も、全部全部、嘘かもしれない、夢かもしれないと、ちゃんと覚悟していた。

(あー、良かった。それなら、もう大丈夫)

 それなのに、意図していないのに、胸の深いところがぎゅっと締め付けられて、溜め息が零れた。

 心のどこかで、つい希望のようなものを、抱いてしまったのだろうか。

 結局、五歳のあの日から、少しも進歩していないんだから。

(――だけど)

 それでも、今日一日に起きたことは、あまりにも夢みたいな出来事だった。

 ノワゼット公爵は、これからは隠れないで、好きに生きて良い、と言った。嘘だったとしても、嬉しかった。
 ブランシュと、まるで、ずっと普通の姉妹だったみたいに着せ替えごっこをした。おまけに従兄のランブラーまでが、わたしを家族のように扱ってくれた。

 あまりにも出来すぎていて、途中、何度もこれは夢かも知れない、と疑った。

(ウェイン卿には、やはり、感謝しよう)

 例え真相を暴くための嘘だったとしても、林の中でわたしに優しく語りかけ、フードを外してくれなかったら、こんな夢のような一日は訪れなかっただろう。

 例えそれが、嘘という魔法で造られた一日限りの幻でも、最後に、身に余る夢を見せてもらえた。

 これからずっと、今日のことを思い出せば、幸せな気持ちでいられる気がした。

 ――だけど、もう、目は覚めた。

 夢を見る時間は終わったのだ。

「……そうですね。公爵様は、まだお休みになっておられませんか?」

 わたしの質問に、ウェイン卿は怪訝そうに眉を寄せたが、答えてくれた。

「……書斎で、ロンサール伯爵とロブ卿と一緒におられます」

「それならもう、今からすべてお話しします。公爵様とウェイン卿のお二人だけに、お話しさせていただけますか? どうせ、明日でも今日でも、たいして変わりませんから」

 投げやりに聞こえたのか、ウェイン卿の冷たい瞳が、急に気遣うように陰った。

 この人は、やっぱり優しい人なのだ。全部が嘘ではなかったのかも知れない。

 だけど、もうどちらでもいい。

 期待なんてしない。

 もう、いらない。

 優しいものは、怖いから。

 わたしは知っているから。

 父に初めて話し掛けられた『海底』での朝の後、学んだ。

 誰にも、何にも、期待してはいけない。

 期待が大きければ大きいほど、落ちる底は、深く、暗い。


「令嬢……?」

 ウェイン卿の手が、そっと伸ばされる。
 ぱしっ、と反射的に振り払ってしまう。
 驚いたその顔を見て、思わず口走ってしまった。

「やめてください。貴方だって、嘘つきなのは同じでしょう?」

 あーあ、言ってしまった。

 これだから、一時の激情に流されるのは恐ろしい。
 言わなくても良いことを口走って、すぐに後悔する羽目になる。

「どういうことですか?」

 ウェイン卿が、少し狼狽しているようにすら見える。

 あれ、目から水がぽろぽろと零れてくる。
 おかしい。泣くつもりなどないのに。この状況で涙を流すなど、卑怯だ。

 ほら、ウェイン卿は驚いて、わたしに差し出すハンカチをポケットから取り出そうとしている。
 
(やっぱり、優しい人だなあ……)

 ――大好きだった。

(だけど、もう、いらない。この想いも全部、何もかも、もう捨てる)

 わたしは自分のハンカチを取り出そうと、ポケットを探った。
 ウェイン卿が差し出してくれたハンカチには首を振り、自分のハンカチを目に当てる。どうせもう、洗濯して返す機会もないのだ。

「令嬢、やはり今日のところは、お部屋にお送りします」

 気のせいか、焦りを含んで響くその声にも、首を横に振る。

「落ち着いたら、すぐに参りますから」
 
 あっちに行っていてほしい、という意味だったが、ウェイン卿はその場に立ったまま、動かない。

「……とりあえず、座りましょう」

 ウェイン卿の手が肩に触れた感触に、身が竦み、びくりと震える。その反応に驚いたのか、すぐに手は離され、屋敷近くのベンチを指し示す。

 ――離れてくれる気は、なさそうである。

 諦めて、促されるまま、ベンチに腰かけた。

 座ると少し落ち着いて、涙は無事に止まってくれた。
 ウェイン卿はベンチの前に立ち、離れようとはしなかった。もう逃げたりしないのに。

「……誰かを、庇っているのですか?」

 ウェイン卿が、ぽつりと呟いた。

 あまりにも的を得ているので、驚いて顔を上げる。
 ウェイン卿は真剣な眼差しで、わたしを見ていた。

 どうせ、全て言ってしまうつもりだった。こくり、と頷く。

「……そうですか」

 固く、緊張した声が、問いかける。

「名前を、仰ってください」

「………」

 わたしは、唇を噛んで俯く。
 言おうと思っても、喉の奥に引っ掛かって出てこない。

「………ブルソール、ですか?」

 ………え?

 ブルソール?ブルソールって誰………?あ、もしかして、ブルソール国務卿?

 ぽかんと目を見開いて見上げたわたしを見て、ウェイン卿はびっくりしたような顔をした。

「違うんですか?」

「………違います」

 そんな偉い人と、わたしに接点などあるはずない。
 ふるふると首を振ると、ウェイン卿はほっとしたように息をついた。

「それじゃ、一体誰が……、それは、令嬢が庇う価値がある相手でしょうか?令嬢が苦しんでいるのを知りながら、名乗り出もしない、」

「本人も、知らないのです」

「………は?」

 ウェイン卿の顔が怪訝に曇った。
 
 わたしは、赤い瞳を真っ直ぐに見上げる。

(この交渉だけは、成功させる。絶対に)

 つい今しがた、ウェイン卿は最初に馬車に乗った時のような、凍えるほど冷たい目でわたしを見た。

 ――それなら、きっと上手く行く。


「あれは、ただの事故だったのですから」

 しばしの沈黙があった。


「……事故?」

 わたしは、語り始めた。


 あのとき、わたしが知り、隠し通すと誓った真相を。



「あの日、公爵様と姉の夕食に毒を入れたのは――、アリスタです……アリスタ・グレイです」




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