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王宮の執務室・人間ポーチ事件
しおりを挟む王宮の執務室。
アルバート殿下が机にどさりと書類を落とした。
「皆さん、この書類をご覧ください」
「……おお、随分な量だな」
アドレは無表情のまま束を手に取る。
「不正の証拠です。これがなくなれば、王宮は大騒ぎになるでしょう」
その時だった。
――ぎゃああああああっ!!
室内に、男の叫び声が響き渡った。
「な、なんだ!?」
殿下がぎょっとして立ち上がる。
影のひとりが静かに報告する。
「……甲冑の中に潜んでいた間者を発見しました。今はポーチの中に」
「……ポーチに!?!?!?」
殿下が完全に固まった。
アドレは眉ひとつ動かさずに言う。
「一応、虫や獣で実験済みだ。眠るだけらしい。人間は……初めてだがな」
「そ、そんなものを……」
殿下の手がわなわなと震える。
「牢に移して尋問すればいい」
アドレは淡々と机に書類を重ねる。
フリードリヒが腕を組み、短く評した。
「……有能なポーチだな」
「…………」
殿下は青ざめた顔のまま、椅子に崩れ落ちた。
「……俺ももうひとつ、予備の猫が欲しい」
ぽつりと漏らしたその言葉に、影もアドレも、返す言葉を失った。
数日後。
王宮から戻ってきたアドレを出迎えた私は、開口一番こう言った。
「ねぇ! 聞きましたよ!?」
「……何をだ」
彼は無表情で上着を脱ぐ。
「“甲冑に隠れてた間者を、猫ポーチに入れた”って! 本当ですか!?」
「……ああ」
あまりにあっさりした返事に、私はがくっと膝を折りそうになった。
「なにしてるんですかああああ!?」
両手で頭を抱えてわめく私。
「大丈夫だ、眠っているだけだった」
「そういう問題じゃないですーっ!!」
さらに追い打ちをかけるように、フリードリヒ兄がひょいと顔を出す。
「おかげで王宮の不正者を一人確保できた。……有能なポーチだな」
「兄様までぇぇぇぇ!」
極めつけは、届けられたアルバート殿下直筆の手紙。
『やはり俺も予備の猫が欲しい』
「ひぃぃぃ……」
私はテーブルに突っ伏し、涙目で叫んだ。
「もぉぉぉ! だからご飯と洗濯と枝豆用だって言ったのにぃぃぃ!!!」
だが、部屋にいた全員はただ黙って猫ポーチを撫でていた。
王宮の執務室。
机の上に広がる書類を、殿下とアドレ、フリードリヒが黙々と確認している。
影たちは横で資料を整理しながら、何気なく腰の猫ポーチに手を触れていた。
「……この地図も入れておこう」
「承知」
黒猫ポーチの口に押し込まれる羊皮紙。
取り出したときには、皺ひとつなく綺麗なまま。
「こっちは証拠品だ」
茶トラのポーチから、封印された書簡がすっと現れる。
「……」
殿下も黒猫を軽く撫でながら、ひと仕事終えたように頷いた。
――その様子を見ていた執事だけが、ぎゅっと拳を握りしめていた。
(殿下も……フリードリヒ様も……アドレ様も……影たちまで……。
どうして、私だけ持っていないのだ……!?)
唇を噛み、必死に顔を取り繕う。
だが内心では、叫ばずにはいられなかった。
(うわああああっ! 俺も猫が欲しいいいい!!!)
誰にも届かない心の声が、執務室の静寂に虚しく響いた。
(執事の直談判)
ある夜。
伯爵家の居間で帳簿をまとめていた私のもとに、執事がすっと現れた。
「……メイベル様」
「はい? あっ、帳簿はもう整ってますよ」
「いえ、そうではなく……その……」
普段は涼しい顔の執事が、珍しく言い淀む。
耳の先まで赤くなっていた。
「私にも……その……猫のポーチを……」
「……」
私はじっと彼を見つめ、ゆっくりと言った。
「……オカンアートですけど。文句、言いませんか?」
「……」
一瞬の沈黙ののち、執事は深々と頭を下げた。
「……まぁ、お世話になっておりますからね」
私は思わず吹き出しそうになりながらも、茶色い布を取り出した。
「では、ちょっと不格好でも我慢してくださいね。……あ、耳は立たせますか? 垂らしますか?」
「お任せします」
真剣な顔で答える執事に、私は小さく頷いた。
――こうしてまたひとり、“猫持ち”が増えたのだった。
翌日。
伯爵家の廊下を歩く執事の腰には――
新しく仕立てられた、ぽってり丸顔の猫ポーチが揺れていた。
本人は至って真面目だ。
書類を抱え、いつもどおりきびきびと歩く。
ただ、その黒い正装の腰で、茶色の猫顔がぷらんぷらんと揺れるだけ。
「……ぷっ」
すれ違った下女が口元を押さえる。
「執事さんまで猫……」
市場に出ていた商人も、笑いをこらえきれない。
「まぁ……趣味が悪い」
「でも、妙に似合ってるのよね……」
周囲はひそひそと笑う。
(ふふ……これで私も“猫持ち”だ)
――笑われてもいい。
執事の心は、誇らしさでいっぱいだった。
(猫の鉄則)
猫ポーチが一気に広まった伯爵家。
殿下も、フリードリヒも、アドレも、影も、ついには執事まで――。
けれど、そこにはひとつの鉄則があった。
「……人前で使うな」
アドレが低く言い切る。
「見せびらかした瞬間、狙われる。取られれば――命取りだ」
「確かに……」
フリードリヒも頷く。
「書類や証拠を隠せることが知れれば、一族ごと危うい。
“ただの流行のオカンアート”で通すのが肝要だ」
執事も真剣に背筋を伸ばした。
「はい。……笑われても結構。使わなければ、ただの趣味の悪い飾りに見えるでしょう」
殿下も静かに言葉を重ねた。
「だからこそ便利なのだ。
検査されても“中身はただのハンカチ”。
……それでよい」
――便利すぎるからこそ、決して人前では使わない。
それが“猫持ち”たちに課せられた、最大の掟だった。
(メイベルの勘違い)
重苦しい空気の中、皆がうなずき合う。
「……人前では絶対に使うな」
「使えば命を狙われる」
「秘密のままだからこそ、意味がある」
厳しい顔つきの殿下、アドレ、フリードリヒ、影、執事。
それぞれが真剣に頷いていた。
そのとき――。
「え、えぇぇぇぇぇっ!?!?」
私が机に身を乗り出して叫んだ。
「じ、じゃあ……宴会で! みんなに枝豆とか! どて焼きとか! どんぶりとか! 出せないじゃないですかあぁぁぁ!!」
「…………」
部屋に沈黙が落ちる。
殿下は目をぱちぱちさせ、フリードリヒは咳払いし、影たちは顔を逸らした。
「……宴会用ではない」
アドレが低く、静かに言い切る。
「うぅぅ……」
私は涙目で猫ポーチをぎゅっと抱きしめる。
「ご飯と枝豆用だって言ったのにぃ……」
全員が一瞬、口元を引きつらせて――
次の瞬間、耐えきれずに吹き出した。
「ご飯と枝豆用だって言ったのにぃ……」
涙目でポーチを抱きしめる私に、場の笑いがやっと収まった。
その時。
隣に立っていたアドレが、ふと声を落とす。
「……だが」
「?」
「俺の側なら、好きに使え」
低く静かな声。
それは他の誰にも届かないような、私だけへの言葉だった。
「っ……」
心臓が跳ねて、顔が一気に熱くなる。
「……っっっはいっ!!」
私は慌てて猫ポーチを抱きしめ直し、全力でうなずいた。
アドレは無表情のまま、ほんの少しだけ視線を逸らした。
その耳の先が、かすかに赤くなっていることに、私は気づいてしまった。
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