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妖精姫は、そっと微笑む――婚約破棄は華麗に
「困った殿下と、記録魔の手帳」ギデオン
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あの王太子には、本当に困ったものだ――。
ギデオン・ラースフェルトは、ため息をつきながら分厚い手帳をめくった。
その手帳には、王太子ハインツの発言、行動、情緒の揺れまでが、びっしりと記録されている。表紙の裏には「職務の一環」と小さく自分で書いた文字もあった。
「……今日は“ローラの手がすべすべしていた”とご機嫌で仰っていたな。だから午前の政務は半分も進まなかったわけだ」
ぱらり、とページを繰る。
赤い印のついた数日前の欄には、こう記されている。
⸻
《第五花園にてローラ嬢とお花摘み。所要時間:一時間三十二分》
《その後、侍従たちの前で「リリベッタは冷たい」発言》
《同日夕、ローラ嬢が倒れる。原因不明。リリベッタ様を“突き飛ばした犯人”と断定》
⸻
「……目撃者もなし。証拠もなし。突き飛ばすような性格ではないリリベッタ様が、なぜ?」
ギデオンは眉間を押さえる。
最近の殿下は――“ローラ嬢と一線を超えた”とでも言うべきか。言動があまりにも偏っている。
侍女どもがひそひそと囁くのも、耳にしている。
『殿下、あの侍女にお熱なんでしょう』
『だから正妃の姫が邪魔なのよ』
『ローラ様が妃になればいいのに、って……まさか本気で?』
ギデオンは、職務に忠実な男だ。恋愛沙汰に口を挟む趣味はない。だが、王族の婚約者を一方的な疑いで排除するというのは、もはや政務上の問題だ。
「……公爵家が黙っているとは思えん。特に、あのハリス殿が」
彼の眼鏡の奥に光が宿る。
――自分はあくまで、記録係に過ぎない。
だが、記録には“真実”が残る。
いつか必要になるときが来る、その日のために。
ギデオンはペンを手に取り、今日の記録をつけ始めた。
⸻
《午前八時二十七分:殿下、政務を五分で放棄しローラ嬢を散策に誘う》
《ローラ嬢、露骨に照れてみせる。殿下、喜ぶ。政務停止》
《リリベッタ様、侍女を通じて離宮への荷造りを依頼》
《殿下、なおも“突き飛ばし事件”について他言を禁ずる命令を出す》
⸻
「……愚かとは言わぬ。だが、後悔する時は来るでしょうな」
ギデオンは静かに手帳を閉じた。
この国の王太子が、後にどう記録されるか。
それは、今の“選択”で決まるのだ。
◾️
「……リリィ、泣いてばかりじゃ体に悪いよ」
ハリスは、そっとティーカップを置いた。
薄暗い照明の中、ふわふわの髪に涙の跡をつけたまま、リリベッタは鼻をすすっていた。
「おにひさまぁ……グスッ」
「……あーあ、せっかくのかわいい顔が台無しだ」
苦笑しながら、ハリスはリリベッタの手を取り、立ち上がらせた。
「居間においで。少し話をしよう」
◆
湯気の立つハーブ酒が、テーブルに2つ。
「おひいさまぁ……あたし、どこがいけなかったれすかぁ……」
ころころ崩れる泣き声と一緒に、リリベッタは頬を押さえてうつむく。
「お勉強も……礼儀作法も……がんばったれすよ……」
「……うん。知ってる。リリィは、よくがんばってた」
ハリスは、ゆっくり酒を口に含んだ。
「まぁ、飲めば忘れるさ。今日だけは、許す。ほら、乾杯」
「かんぱい……れす」
ちいさくぶつかったカップ。
ハーブの香りが、ゆるやかに広がる。
「……お胸れすか?」
「……は?」
リリベッタは、真っ赤な顔で、服の前ボタンをぷち、ぷちと外しはじめた。
「だって、ちっちゃいから……王太子は、おっきいのが好きれすからねぇ……」
「お、おいっ!? なにしてんだ!」
「おにひさまは、どう思いましゅか……? ちっちゃい……れすか……?」
「……王太子と、そんなこと……したのか?」
リリベッタは、ぴたりと動きを止めて、それから――ぶんぶんと首を振った。
「してないれすよぉ! なに言ってんれすか!」
「……っ、な、なんだそれ。……よかった……」
「おにひさまぁ……もっと飲んでくだしゃい。あたし、つぎましゅ」
リリベッタが注いだ酒が、カップの縁から少しこぼれる。
「いや……そう、飲もう。今日は、飲む日だ。うん……一気れす」
「いっきー……!」
◆
その夜、兄と妹は、夜更けまで酒を酌み交わし――
翌朝、2人そろってふらふらになりながら、廊下を歩く羽目になった。
「……で、兄上。あの後、ちゃんとボタンは留めさせたのですか?」
弟ジョセフの冷たい視線が、ズバリと突き刺さる。
「……泣かせてしまってな。それどころではなかったんだ」
「……いや、たぶん泣かせたの兄上のせいです」
「ぐぬぬ……」
エヴァレット家の朝は、相変わらず騒がしい。
けれど、リリベッタの顔に、ようやく少しだけ――笑みが戻っていた。
そしてーーー
暖炉の火がぱちぱちと弾ける音が、静かな書斎に響いていた。
「お兄様、ちょっと大事なお話があるんです」
そう切り出したリリベッタは、真面目な顔をして椅子に座っていた――が、その声色はどこか軽やかで、何か企んでいるようでもあった。
「なにかあったか? また王太子の侍女が変な噂でも……」
「いえ、違います。もっと直接的な話です」
リリベッタは、まっすぐにハリスを見上げた。大きな紫の瞳が、ゆるりと細められる。
「お兄様、私と結婚してください」
「……は?」
ハリスはペンを落としかけた。
「だって、私たち、血のつながりはありませんし?」
「ま、まあ……それは、そうだが」
「私は婚約破棄された、いわゆる“傷もの”です。今さら他の家に嫁ぐなんて難しいでしょ?」
「……リリィ」
「でもお兄様は、婚約者もいませんよね? 私、空いてるなら遠慮なく行こうかなって」
にっこり。
まるで買い物帰りに「余ってたからプリンも買ってきました」くらいの軽やかさで、リリベッタは言ってのけた。
「えー……迷ってます?」
「いや、それは……」
ハリスは目を泳がせた。
「……押し倒していいですか?」
「待て待て待て!?」
バンッと椅子を引いて立ち上がるハリス。
「ま、まさか酒がまだ残ってるのか!? リリィ、それは冗談だろう? な?」
「冗談なら、そんなに赤くならないと思いまーす」
「ぐぬぬぬ……!」
リリベッタはくすくすと笑いながら立ち上がり、ハリスの胸元につかつかと近づいた。
「……ほんとは、ずっと好きでした。家族としてじゃなく、男の人として」
小さな手が、そっと彼の袖をつかむ。
「だから、逃げないでくださいね? お兄様」
「……リリィ。お前、本当に、もう子どもじゃないんだな」
「はい。だからそろそろ、お兄様に責任、とってもらおうと思ってました」
◆
その夜、リリィの寝室から出てこなかったハリスは、翌朝ジョセフにこう言われた。
「兄上、顔が赤いですね。……風邪ではなく、たぶん“求婚された副作用”かと」
「……黙れ。お前にもいずれ来るぞ、妹からの追撃がな……!」
ギデオン・ラースフェルトは、ため息をつきながら分厚い手帳をめくった。
その手帳には、王太子ハインツの発言、行動、情緒の揺れまでが、びっしりと記録されている。表紙の裏には「職務の一環」と小さく自分で書いた文字もあった。
「……今日は“ローラの手がすべすべしていた”とご機嫌で仰っていたな。だから午前の政務は半分も進まなかったわけだ」
ぱらり、とページを繰る。
赤い印のついた数日前の欄には、こう記されている。
⸻
《第五花園にてローラ嬢とお花摘み。所要時間:一時間三十二分》
《その後、侍従たちの前で「リリベッタは冷たい」発言》
《同日夕、ローラ嬢が倒れる。原因不明。リリベッタ様を“突き飛ばした犯人”と断定》
⸻
「……目撃者もなし。証拠もなし。突き飛ばすような性格ではないリリベッタ様が、なぜ?」
ギデオンは眉間を押さえる。
最近の殿下は――“ローラ嬢と一線を超えた”とでも言うべきか。言動があまりにも偏っている。
侍女どもがひそひそと囁くのも、耳にしている。
『殿下、あの侍女にお熱なんでしょう』
『だから正妃の姫が邪魔なのよ』
『ローラ様が妃になればいいのに、って……まさか本気で?』
ギデオンは、職務に忠実な男だ。恋愛沙汰に口を挟む趣味はない。だが、王族の婚約者を一方的な疑いで排除するというのは、もはや政務上の問題だ。
「……公爵家が黙っているとは思えん。特に、あのハリス殿が」
彼の眼鏡の奥に光が宿る。
――自分はあくまで、記録係に過ぎない。
だが、記録には“真実”が残る。
いつか必要になるときが来る、その日のために。
ギデオンはペンを手に取り、今日の記録をつけ始めた。
⸻
《午前八時二十七分:殿下、政務を五分で放棄しローラ嬢を散策に誘う》
《ローラ嬢、露骨に照れてみせる。殿下、喜ぶ。政務停止》
《リリベッタ様、侍女を通じて離宮への荷造りを依頼》
《殿下、なおも“突き飛ばし事件”について他言を禁ずる命令を出す》
⸻
「……愚かとは言わぬ。だが、後悔する時は来るでしょうな」
ギデオンは静かに手帳を閉じた。
この国の王太子が、後にどう記録されるか。
それは、今の“選択”で決まるのだ。
◾️
「……リリィ、泣いてばかりじゃ体に悪いよ」
ハリスは、そっとティーカップを置いた。
薄暗い照明の中、ふわふわの髪に涙の跡をつけたまま、リリベッタは鼻をすすっていた。
「おにひさまぁ……グスッ」
「……あーあ、せっかくのかわいい顔が台無しだ」
苦笑しながら、ハリスはリリベッタの手を取り、立ち上がらせた。
「居間においで。少し話をしよう」
◆
湯気の立つハーブ酒が、テーブルに2つ。
「おひいさまぁ……あたし、どこがいけなかったれすかぁ……」
ころころ崩れる泣き声と一緒に、リリベッタは頬を押さえてうつむく。
「お勉強も……礼儀作法も……がんばったれすよ……」
「……うん。知ってる。リリィは、よくがんばってた」
ハリスは、ゆっくり酒を口に含んだ。
「まぁ、飲めば忘れるさ。今日だけは、許す。ほら、乾杯」
「かんぱい……れす」
ちいさくぶつかったカップ。
ハーブの香りが、ゆるやかに広がる。
「……お胸れすか?」
「……は?」
リリベッタは、真っ赤な顔で、服の前ボタンをぷち、ぷちと外しはじめた。
「だって、ちっちゃいから……王太子は、おっきいのが好きれすからねぇ……」
「お、おいっ!? なにしてんだ!」
「おにひさまは、どう思いましゅか……? ちっちゃい……れすか……?」
「……王太子と、そんなこと……したのか?」
リリベッタは、ぴたりと動きを止めて、それから――ぶんぶんと首を振った。
「してないれすよぉ! なに言ってんれすか!」
「……っ、な、なんだそれ。……よかった……」
「おにひさまぁ……もっと飲んでくだしゃい。あたし、つぎましゅ」
リリベッタが注いだ酒が、カップの縁から少しこぼれる。
「いや……そう、飲もう。今日は、飲む日だ。うん……一気れす」
「いっきー……!」
◆
その夜、兄と妹は、夜更けまで酒を酌み交わし――
翌朝、2人そろってふらふらになりながら、廊下を歩く羽目になった。
「……で、兄上。あの後、ちゃんとボタンは留めさせたのですか?」
弟ジョセフの冷たい視線が、ズバリと突き刺さる。
「……泣かせてしまってな。それどころではなかったんだ」
「……いや、たぶん泣かせたの兄上のせいです」
「ぐぬぬ……」
エヴァレット家の朝は、相変わらず騒がしい。
けれど、リリベッタの顔に、ようやく少しだけ――笑みが戻っていた。
そしてーーー
暖炉の火がぱちぱちと弾ける音が、静かな書斎に響いていた。
「お兄様、ちょっと大事なお話があるんです」
そう切り出したリリベッタは、真面目な顔をして椅子に座っていた――が、その声色はどこか軽やかで、何か企んでいるようでもあった。
「なにかあったか? また王太子の侍女が変な噂でも……」
「いえ、違います。もっと直接的な話です」
リリベッタは、まっすぐにハリスを見上げた。大きな紫の瞳が、ゆるりと細められる。
「お兄様、私と結婚してください」
「……は?」
ハリスはペンを落としかけた。
「だって、私たち、血のつながりはありませんし?」
「ま、まあ……それは、そうだが」
「私は婚約破棄された、いわゆる“傷もの”です。今さら他の家に嫁ぐなんて難しいでしょ?」
「……リリィ」
「でもお兄様は、婚約者もいませんよね? 私、空いてるなら遠慮なく行こうかなって」
にっこり。
まるで買い物帰りに「余ってたからプリンも買ってきました」くらいの軽やかさで、リリベッタは言ってのけた。
「えー……迷ってます?」
「いや、それは……」
ハリスは目を泳がせた。
「……押し倒していいですか?」
「待て待て待て!?」
バンッと椅子を引いて立ち上がるハリス。
「ま、まさか酒がまだ残ってるのか!? リリィ、それは冗談だろう? な?」
「冗談なら、そんなに赤くならないと思いまーす」
「ぐぬぬぬ……!」
リリベッタはくすくすと笑いながら立ち上がり、ハリスの胸元につかつかと近づいた。
「……ほんとは、ずっと好きでした。家族としてじゃなく、男の人として」
小さな手が、そっと彼の袖をつかむ。
「だから、逃げないでくださいね? お兄様」
「……リリィ。お前、本当に、もう子どもじゃないんだな」
「はい。だからそろそろ、お兄様に責任、とってもらおうと思ってました」
◆
その夜、リリィの寝室から出てこなかったハリスは、翌朝ジョセフにこう言われた。
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