王太子に婚約破棄されたけど、私は皇女。幸せになるのは私です。

夢窓(ゆめまど)

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妖精姫は、そっと微笑む――婚約破棄は華麗に

妖精のような美貌を持つ公爵令嬢

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リリベッタ・エヴァレットは、妖精のような美貌を持つ公爵令嬢だった。

透き通る金の髪に、薄紫の瞳。
小鳥のさえずりのような笑みを浮かべるだけで、人々は息を呑む。

――“妖精姫”。

そう呼ばれるのが当たり前になっていた。

だが。

その輝く外見とは裏腹に、彼女の胸には絶えず冷たい風が吹いていた。

「……お兄様。私は、本当に、この婚約で良いのでしょうか」

淡い笑みを浮かべていても、指先には微かな震えが宿っている。

兄ハリスは、静かにその震えを包み込んだ。

「父上の遺言だ。“リリベッタを王家に嫁がせろ”。
だが……私はずっと迷っている。ハインツ殿下では、お前を幸せにできないのではないかと」

その声には、血のつながりを超えた深い愛情と不安がにじんでいた。

リリベッタも理解している。
王太子ハインツの視線は、彼女ではなく、別の少女に向いていることを。

ハインツの乳兄弟であり、侍女となったローラ。

ハインツが微笑むのはいつも、リリベッタではなくローラだった。

――そのことを言葉にするのが、ずっと怖かった。



そして、その瞬間は突然訪れた。

「リリベッタ様が……ローラを突き飛ばしたんです!」

青ざめた侍女が駆け込み、広間はざわめいた。

その中央で、ローラが膝をつき、涙をぽろぽろとこぼしている。

リリベッタは遠くに立っていた。手は触れてもいない。届くほど、近くない。

「……そんなこと、していません」

静かに否定した声は震えていた。
だが、ハインツは彼女を一度も見なかった。

ローラの肩を抱き寄せながら、冷たく告げる。

「……もういい。君には失望したよ、リリベッタ」

鋭い瞳がリリベッタを射抜く。

「嫉妬は理解できるが、侍女を傷つけるなど、王太子妃として失格だ」

「っ……! 誤解です。わたくしは――」

言いかけたリリベッタの言葉は、誰にも拾われなかった。

沈黙を破ったのは、王太子の側近ギデオンだった。

「殿下、リリベッタ様が侍女を突き飛ばすなど……到底、信じられません」

だが。

「ギデオン、控えろ。これは王太子としての決定だ」

冷たく切り捨てられる。

そして、広間に響き渡る宣告。

「――リリベッタ・エヴァレットとの婚約を、ここに破棄する」

時間が止まったような静寂。
リリベッタの瞳の色が、かすかに揺れる。

兄のハリスが立ち上がりかけ、拳を握り締める。

ローラは震える声で、

「わたし……怖かったんです……っ」

と、ハインツの胸に顔を埋めた。

その瞬間――リリベッタの中で、何かが静かに切れた。

「……承知いたしました、殿下」

沈んだ声ではなかった。
むしろ、凛として、美しく、澄みきっていた。

そして。

彼女のすみれ色の瞳の奥に、誰にも知られていない“もう一つの身分”が静かに目覚めていた。

――そういえば、わたくし、帝国の皇女ですが?

世界はまだ、その真実を知らない。





その瞬間、リリベッタはゆっくりと目を閉じた。

――ああ、やっと。

妖精姫は、微笑む。
その笑みに、誰も気づかない。

だってこれは、始まりにすぎないのだから。

◾️

部屋のカーテンは閉じられ、陽の光は届かない。

ふわりと白いリネンのシーツにくるまり、リリベッタはベッドの中で静かに丸くなっていた。

妖精姫と呼ばれた彼女に似つかわしくない――どこか、抜け殻のような姿だった。

「リリィ、入るぞ」

ノックもそこそこに、部屋に入ってきたのはハリス・エヴァレット。公爵家の嫡男にして、リリベッタの“義兄”だった。

テーブルには、花束と、焼きたての焼き菓子。

「リリィの好きなスミレだ。焼き菓子は温かいうちに食べるのが……」

言葉は続かない。

ベッドの上のリリベッタは、シーツの中で顔を隠したまま、ぴくりとも動かない。

「……要らないの」

かすれるような声が、布越しに返ってきた。

「リリィ……」

「……あの人のこと、好きだったわけじゃない。けれど……」

ハリスは静かに腰を下ろし、妹の側にそっと寄り添う。

「ずっと、“王太子の妃になるのがあなたの運命だ”って言われてきた。お父様にも、お母様にも。……だから、ちゃんとしなきゃって思ってたの」

「わかってるよ、リリィ……」

「それなのに、できなかった。あんな、あんな形で……」

布の中から、しゃくり上げるような嗚咽が漏れる。

ハリスはそれを聞きながら、ぎゅっと拳を握った。

――父の遺言。

『リリベッタを、必ず王家に嫁がせよ。
手を出すな。おまえも、ジョセフも、だ』

優しく微笑んでいた父は、そのときだけ、鋼のような瞳をしていた。

(なのに、俺は)

守れなかった。
守るべき婚約を、守るべき妹の尊厳を、なにもかも。

「リリィ……」

ハリスは、そっとリリベッタの背に手を置く。布越しに伝わる、その小さな体の震え。

本当なら、抱きしめてやりたかった。

けれど、それすらも許されていない。

「……お前を、守れなくてごめん」

その言葉に、リリベッタの肩がぴくりと揺れた。

泣いて、泣いて、枯れるほど泣いて。

それでもまだ、涙は止まらなかった。



その夜、屋敷の一角で、弟ジョセフがぽつりと呟いた。

「兄上……リリィのこと、本当は……」

「……黙ってろ。お前も“ダメ”なんだろ」

兄弟の間に流れた、沈黙と諦めのような感情。
それは――静かな夜の帳とともに、部屋に染み込んでいった。
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