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第四章 聖者の力の源は
01.聖者衰弱
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「近頃討伐続きですね……大丈夫ですか、聖者様」
ドゴが声をかけてくるが返事ができない。
真柴は寝台に横たわったままぼんやりと天井を見つめた。
雪が深くなってあまり遠くの領地に赴くことができなくなったため、王都から近い場所ばかりを回り、あっという間に十回もの討伐に同行した真柴は、神殿に戻った途端に起き上がれなくなった。
いつものことだが、今回は何かが違うように感じた。
たくさん食べた。
たくさん寝た。
なのにちっとも体力が戻らない。
それどころか、久しぶりに会うドゴは驚きを隠さないまま、枕元に椅子を置いて真柴の様子をじっと見ては心配そうな目を向けてくる。
無理に瞼を押し上げ、いつものように無理矢理に口角を上げた。
(大丈夫だよ、また少し眠れば元気になるから)
そう言いたいのに口が開かない。それどころか指先までも重く動かすのが億劫だ。
理由は判っている。
慣れない討伐を繰り返しているから。同時に凄まじいプレッシャーと戦い続けなければならない。
『俺たちには聖者が付いている、億するな進めーっ!』
アーフェンの怒号が今でも頭の中に響いている。
いつの頃か彼はそう繰り返すようになった。「聖者が全てから守る」と。一種の呪いのように言葉は身体に染み込み、細胞の隅々にまで広がっていく。
自分にはなんの力もない。
騎士団を守れるほどの能力なんて存在しない。
アーフェンもわかっているはずなのに、ギラリと真柴を睨めつけて役割を果たせと言外に伝えてくる。
重圧は、疲弊した心を押しつぶしてくる。
討伐のたびに意識を失い寝込み続けるようになった。ローシェンの背に跨るのが精一杯で醜態を晒し続けている。
こんなにもみっともないのに、まだ騎士団は……アーフェンは真柴を御旗のように使うのだ。騎士たちの士気を上げるために。一匹でも多く魔獣を倒すために。
(困ったな……結局今回も、なんの役にも立てなかった……もう随行はやめたほうがいいな……やめたい)
そうすれば自分の無能さを、それを知らない人々に晒すことはない。アーフェンは知り尽くしているのだろう、真柴が何もできないことを。だからこそ、御旗としてでしか使えないと連れ回すのだ、鋭い目で睨め付けたまま。
疲労よりも強い心労に、真柴は堪えきれず瞼を閉じた。
「聖者様……本当にお疲れなんですね。次の討伐まではゆっくりお休みください。オレがずっと付いてますから」
(迷惑をかけてすまない、君だってやりたいことがあるだろうに……)
申し訳なさを抱いたまま、真柴はゆっくりと意識を手放した。
――つもりだった。
『本当に役に立たないな、甲斐は。これだから文系は……何を勉強してきたのか……って中世ヨーロッパ史だっけか? そんなのがなんでうちの会社に来たんだよ』
その言葉に頭も心も垂れていく。
必死に独学で作り上げたシステムでバグが見つかったのだ。
気性の荒い課長は愚痴とも叱責ともつかない言葉を吐き出して、自分のテーブルを蹴った。
ビクリと薄い肩が跳ねる。
『無能だって判ってんだから、徹夜でも何でもしてノーミスで仕上げろよ』
ほぼ泊まり込みでやっと仕上げたのだ、このシステムは。
真柴なりに頑張ってミスがないかもチェックした。デバッグもしたつもりだ。
けれど、バグが発生した。
致命傷ではないものの、他の社員にも迷惑をかけてしまった。
「すみません……」
謝る声が小さくなる。同時に自分の存在まで縮こまるのがわかる。
このまま萎んでなくなってしまえと願うのに、実態はわずかも縮まずにいるのが、心苦しい。
後ろのデスクに座ってる同じ課のメンバーは冷たい目で真柴を見てるだろう。無能が足を引っ張っていると。
「すみません」
謝っても課長の苛立ちを含んだ声は終わらず、微に入り細に入りミスを突かれ罵倒を繰り返し、「こんなに怒んなきゃなんねー俺の身にもなれよっ!」と吐き捨てられれば、己の無能さが原因で雰囲気を悪くしてしまった申し訳なさに、もっと小さくなる。
畑違いのシステム開発会社に就職したのは、『未経験歓迎』と記されていたから。本当は出版社や博物館など、自分の研究の成果を活かせる仕事に就きたかったが、狭き門の隙間はあまりにも薄く、真柴は弾き出されてしまったのだ。
それでも自分なりに頑張った。
十年以上しがみ付いた。
最後の方は上司が自分よりも年下だったが、毎日罵声を浴びながらもがむしゃらに頑張って、ある日糸が切れた。
切れた糸ははらりと落ちて、そのまま身体まで堕ちていった。
どこまでも深く、着地点がない沼に沈んでいく感覚に、肺の中に溜め込んでいた様々な感情や言葉を水泡として吐き出して安堵したはずなのに……なぜまた同じ状況に立っているのだろうか。
圧力、レッテル貼り。能力以上の重圧。
それらに真柴は堪えられなかった。
ああ、心を止めてしまいたい。
けれどそうしたら、ドゴが心配するだろう。
(あの子を悲しませるのは嫌だな……こんなにも懸命に尽くしてくれているのに……でも僕が無能だって分かったらきっと、それもすぐに終わる)
失望の果てに何があるのかを真柴は誰よりも知っている。
(あー、なんで思い出しちゃったのかな……)
なるべく思い出さないように重石を乗せたはずなのに。この世界で……自分が憧れていた時代に似たここで生きていくんだと喜んだはずなのに、今はただ毎日が辛い。
無力な自分が恥ずかしくて、迷惑をかけなければ生きていけないのが苦しくて、息を吸うのすらままならない。
眼下に広がる漆黒の闇。その中を流れる光。靴を脱いで色気などない灰色の靴下を纏った足を宙に浮かせ、左足の爪先で堅いコンクリートを蹴った後に、真柴は目を大きく見開いた。
「うわあぁっ……ああ……またあの夢か……」
一瞬だけ訪れる重力を失った感覚を感じた瞬間、いつだってこうして目を覚ましてしまうのだ。その次の記憶を決して呼び覚まさないために。
「聖者様、起きられましたか?」
「……ドゴ? また眠ってしまったんだね……今回はどれくらいで目を覚ましたのかな?」
「五日です。ずっとうなされてましたけど、怖い夢でも見たんですか?」
怖い夢か……そうだ、その通りだ。怖くて自分が誰なのか分からなくなる恐怖は、大海に浮かびなにも見えない世界でただ自分だけしかいなくて……それすらも不確かな感覚は誰にも分からないだろう。
真柴も口では説明ができない。
だからいつものように口角を上げて誤魔化し、渡されたコップの水をゆっくりと飲み干した後に、トレイに乗った食事をすべて平らげた。
近頃は食堂に行くのですら億劫で、こうしてドゴに運んで貰っている。真柴が食べ始めるとドゴは部屋と調理場を行き来しなければならないが、どれほどのスープを流し込んでも、野菜を貪っても、パンを囓っても、すべてが異次元へと消え去っていくように、満腹中枢はなかなか刺激されない。そしてどれほど食べたところで、胃が膨らんだ感覚もない。
その不思議にすら真柴は直視せずただひたすら食べていった。
「……聖者様、どうですか……お腹いっぱいになりましたか?」
その言葉を機に手を止め、ごちそうさまと両手を合わせる。積み上がった皿が何人分かは分からない。どんな食材が使われているかも。そして味も分からないままただひたすら一人で食べる料理は、どこか虚しく、どこか寂しい。
あの時のようだ……とまた固く閉じた蓋を開けそうになり慌ててその感情を押し殺した。
感情を殺すのには馴れている。いつだってそうやって生きてきた。だから、今度も大丈夫。
何度も自分にそう言い聞かせて、またベッドに横になる。
「今度の討伐はいつなんだろう……」
それに合わせて身体を整えないと……またアーフェンに怒られてしまう。
「まだ騎士団からは連絡がありません。けど……しばらくはないと思いますよ」
「そうなのか……」
良かった、とは口にしない。何かを口にすれば災いとなって自分に降りかかってくるような気がするから。真柴はそれが堪らなく怖かった。
「早くローシェンに会いたいな……」
穏やかな馬の優しい眼差しを思い出して胸を温かくする。
飼い主に似ず人懐こいローシェンは、不慣れな真柴が乗っても怒りもしなければ嫌がりもしない。手ずからあげた餌は喜んで食べてくれるし、最近ではブラッシングもさせてくれるようになった。
(早く歩けるようになって、また会いに行きたいな……)
どうしても討伐の間は眠ってしまう時間が多く、なかなか世話をすることができずにいるから、今はそれだけが真柴の楽しみになっていた。
ドゴが声をかけてくるが返事ができない。
真柴は寝台に横たわったままぼんやりと天井を見つめた。
雪が深くなってあまり遠くの領地に赴くことができなくなったため、王都から近い場所ばかりを回り、あっという間に十回もの討伐に同行した真柴は、神殿に戻った途端に起き上がれなくなった。
いつものことだが、今回は何かが違うように感じた。
たくさん食べた。
たくさん寝た。
なのにちっとも体力が戻らない。
それどころか、久しぶりに会うドゴは驚きを隠さないまま、枕元に椅子を置いて真柴の様子をじっと見ては心配そうな目を向けてくる。
無理に瞼を押し上げ、いつものように無理矢理に口角を上げた。
(大丈夫だよ、また少し眠れば元気になるから)
そう言いたいのに口が開かない。それどころか指先までも重く動かすのが億劫だ。
理由は判っている。
慣れない討伐を繰り返しているから。同時に凄まじいプレッシャーと戦い続けなければならない。
『俺たちには聖者が付いている、億するな進めーっ!』
アーフェンの怒号が今でも頭の中に響いている。
いつの頃か彼はそう繰り返すようになった。「聖者が全てから守る」と。一種の呪いのように言葉は身体に染み込み、細胞の隅々にまで広がっていく。
自分にはなんの力もない。
騎士団を守れるほどの能力なんて存在しない。
アーフェンもわかっているはずなのに、ギラリと真柴を睨めつけて役割を果たせと言外に伝えてくる。
重圧は、疲弊した心を押しつぶしてくる。
討伐のたびに意識を失い寝込み続けるようになった。ローシェンの背に跨るのが精一杯で醜態を晒し続けている。
こんなにもみっともないのに、まだ騎士団は……アーフェンは真柴を御旗のように使うのだ。騎士たちの士気を上げるために。一匹でも多く魔獣を倒すために。
(困ったな……結局今回も、なんの役にも立てなかった……もう随行はやめたほうがいいな……やめたい)
そうすれば自分の無能さを、それを知らない人々に晒すことはない。アーフェンは知り尽くしているのだろう、真柴が何もできないことを。だからこそ、御旗としてでしか使えないと連れ回すのだ、鋭い目で睨め付けたまま。
疲労よりも強い心労に、真柴は堪えきれず瞼を閉じた。
「聖者様……本当にお疲れなんですね。次の討伐まではゆっくりお休みください。オレがずっと付いてますから」
(迷惑をかけてすまない、君だってやりたいことがあるだろうに……)
申し訳なさを抱いたまま、真柴はゆっくりと意識を手放した。
――つもりだった。
『本当に役に立たないな、甲斐は。これだから文系は……何を勉強してきたのか……って中世ヨーロッパ史だっけか? そんなのがなんでうちの会社に来たんだよ』
その言葉に頭も心も垂れていく。
必死に独学で作り上げたシステムでバグが見つかったのだ。
気性の荒い課長は愚痴とも叱責ともつかない言葉を吐き出して、自分のテーブルを蹴った。
ビクリと薄い肩が跳ねる。
『無能だって判ってんだから、徹夜でも何でもしてノーミスで仕上げろよ』
ほぼ泊まり込みでやっと仕上げたのだ、このシステムは。
真柴なりに頑張ってミスがないかもチェックした。デバッグもしたつもりだ。
けれど、バグが発生した。
致命傷ではないものの、他の社員にも迷惑をかけてしまった。
「すみません……」
謝る声が小さくなる。同時に自分の存在まで縮こまるのがわかる。
このまま萎んでなくなってしまえと願うのに、実態はわずかも縮まずにいるのが、心苦しい。
後ろのデスクに座ってる同じ課のメンバーは冷たい目で真柴を見てるだろう。無能が足を引っ張っていると。
「すみません」
謝っても課長の苛立ちを含んだ声は終わらず、微に入り細に入りミスを突かれ罵倒を繰り返し、「こんなに怒んなきゃなんねー俺の身にもなれよっ!」と吐き捨てられれば、己の無能さが原因で雰囲気を悪くしてしまった申し訳なさに、もっと小さくなる。
畑違いのシステム開発会社に就職したのは、『未経験歓迎』と記されていたから。本当は出版社や博物館など、自分の研究の成果を活かせる仕事に就きたかったが、狭き門の隙間はあまりにも薄く、真柴は弾き出されてしまったのだ。
それでも自分なりに頑張った。
十年以上しがみ付いた。
最後の方は上司が自分よりも年下だったが、毎日罵声を浴びながらもがむしゃらに頑張って、ある日糸が切れた。
切れた糸ははらりと落ちて、そのまま身体まで堕ちていった。
どこまでも深く、着地点がない沼に沈んでいく感覚に、肺の中に溜め込んでいた様々な感情や言葉を水泡として吐き出して安堵したはずなのに……なぜまた同じ状況に立っているのだろうか。
圧力、レッテル貼り。能力以上の重圧。
それらに真柴は堪えられなかった。
ああ、心を止めてしまいたい。
けれどそうしたら、ドゴが心配するだろう。
(あの子を悲しませるのは嫌だな……こんなにも懸命に尽くしてくれているのに……でも僕が無能だって分かったらきっと、それもすぐに終わる)
失望の果てに何があるのかを真柴は誰よりも知っている。
(あー、なんで思い出しちゃったのかな……)
なるべく思い出さないように重石を乗せたはずなのに。この世界で……自分が憧れていた時代に似たここで生きていくんだと喜んだはずなのに、今はただ毎日が辛い。
無力な自分が恥ずかしくて、迷惑をかけなければ生きていけないのが苦しくて、息を吸うのすらままならない。
眼下に広がる漆黒の闇。その中を流れる光。靴を脱いで色気などない灰色の靴下を纏った足を宙に浮かせ、左足の爪先で堅いコンクリートを蹴った後に、真柴は目を大きく見開いた。
「うわあぁっ……ああ……またあの夢か……」
一瞬だけ訪れる重力を失った感覚を感じた瞬間、いつだってこうして目を覚ましてしまうのだ。その次の記憶を決して呼び覚まさないために。
「聖者様、起きられましたか?」
「……ドゴ? また眠ってしまったんだね……今回はどれくらいで目を覚ましたのかな?」
「五日です。ずっとうなされてましたけど、怖い夢でも見たんですか?」
怖い夢か……そうだ、その通りだ。怖くて自分が誰なのか分からなくなる恐怖は、大海に浮かびなにも見えない世界でただ自分だけしかいなくて……それすらも不確かな感覚は誰にも分からないだろう。
真柴も口では説明ができない。
だからいつものように口角を上げて誤魔化し、渡されたコップの水をゆっくりと飲み干した後に、トレイに乗った食事をすべて平らげた。
近頃は食堂に行くのですら億劫で、こうしてドゴに運んで貰っている。真柴が食べ始めるとドゴは部屋と調理場を行き来しなければならないが、どれほどのスープを流し込んでも、野菜を貪っても、パンを囓っても、すべてが異次元へと消え去っていくように、満腹中枢はなかなか刺激されない。そしてどれほど食べたところで、胃が膨らんだ感覚もない。
その不思議にすら真柴は直視せずただひたすら食べていった。
「……聖者様、どうですか……お腹いっぱいになりましたか?」
その言葉を機に手を止め、ごちそうさまと両手を合わせる。積み上がった皿が何人分かは分からない。どんな食材が使われているかも。そして味も分からないままただひたすら一人で食べる料理は、どこか虚しく、どこか寂しい。
あの時のようだ……とまた固く閉じた蓋を開けそうになり慌ててその感情を押し殺した。
感情を殺すのには馴れている。いつだってそうやって生きてきた。だから、今度も大丈夫。
何度も自分にそう言い聞かせて、またベッドに横になる。
「今度の討伐はいつなんだろう……」
それに合わせて身体を整えないと……またアーフェンに怒られてしまう。
「まだ騎士団からは連絡がありません。けど……しばらくはないと思いますよ」
「そうなのか……」
良かった、とは口にしない。何かを口にすれば災いとなって自分に降りかかってくるような気がするから。真柴はそれが堪らなく怖かった。
「早くローシェンに会いたいな……」
穏やかな馬の優しい眼差しを思い出して胸を温かくする。
飼い主に似ず人懐こいローシェンは、不慣れな真柴が乗っても怒りもしなければ嫌がりもしない。手ずからあげた餌は喜んで食べてくれるし、最近ではブラッシングもさせてくれるようになった。
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