朱色の雫

弦景 真朱(つるかげ しんしゅ)

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第一章 ナルス

それを裏切りとは呼ばない

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 目の前の弟は、いつもどおりの笑顔だった。
 ただ、貼り付けたような笑顔に違和感を覚えただけ。

「姉上が、純粋で馬鹿で、助かりました」

 彼が言い終わる前に、技を激しく撃ち込んでくる。攻撃を避けながら弟を睨むと、弟からも睨まれていた。

「項品! 一体……」

 一体、なぜ。と言いかけて、言うのをやめた。
 まさか、彼が。

「朱己姉上や妲音姉様あねさまが、僕を見下していたのは知っています。僕だけじゃない、華音姉様かのんねえさまのことも」
「そんなことない!」

 咄嗟に否定すれば、項品は可笑しそうに笑っていた。

「そんなことあるでしょ? 病弱で、僕達が腫れ物に触るような扱われ方をして、その間姉上はずっと父上を独占。姉様あねさまだって母様を独占。僕達の気持ちは、わからないでしょ?」

 項品の右手に、どんどん力が練り上げられていく。
 避けなければならないのに、弟の顔がぼやけてしまうことのほうが気になって動けない。

「そんなときに、時雨伯父上が沢山可愛がってくれていたことも、知らないですよね。姉上はいつだって自分のことしか見てないから」

 まさか。伝い落ちる汗は地面に自由落下する。
 そんなに前から、もう始まっていたとは。
 手を握りしめて、項品をただ見つめた。

「香卦良がどこにいるかだけわからなくて。姉上のおかげでわかりました。本当、バカですよねぇ。大人しく執務塔にいればいいのに!」

 笑顔で言う項品の言うことがどんどん突き刺さっていく。私の弟。大切に想い、修行の合間に時間が作れたらいつも会いに行っていた愛しい弟。
 でもそれさえも、弟にとっては。

「こんな国いらないんです。僕だってやればできる。父や母に認めさせるには、このやり方が一番早い」
「認められる、ため……なのね」

 項品の行く手を阻むように周囲を炎の壁で囲めば、同時に功品が練り上げた闇属性を撃ち込む。
 撃ち込まれた部分だけ、炎の壁に穴があき、穴から顔をのぞかせて私を見た。
 
「邪魔しないでください。姉上には、まだ利用価値がある。香卦良と同じように」

 弟の目は、猟奇じみていた。
 背中を這い上がってくるように、恐怖と嫌悪が心を占める。

「……なぜ、父様や母様を裏切ったの。認めてもらうためとはいえ、時雨伯父上がそんなに魅力的?」
「裏切ってなどいませんよ、姉上」
「どういうこと?」

 嫌悪を抑えることも隠すこともしない私を、弟は心底可笑しそうに嗤っていた。

「姉上、誤解してますよ。裏切ったのではなく、見限ったのです」

 彼は、私の心をささくれ立たせる言葉を知っている。どこかで良心に訴えかけようとしていた自分を恥じた。それこそ浅はかだ。
 もう、道は分かれている。
 何を言っても届くわけがないのだ、自ら道を選んだ者に。

「姉上は、覚悟が足りない。ご自身の思いだけで、時雨伯父上を追っているだけで、国のためを考えていないんですよ。この国に何があります? 腐りきった、五家の治めるこの国に」

 彼は目を細めながら手を広げる。
 反論したいのに、即答できない自分がいる。自分の情けなさに固く手を握りしめれば、目の前で弟はまた嗤っていた。

「ほらね! 何も言えない! 何も答えられない! 図星だからですよねぇ。ね、華音かのん姉様もそう思いますよね」

 弟の言葉を聞いて反射的に後ろを振り返れば、刃を突き刺してくる姉の姿。咄嗟に防御するが、姉もまた弟と同じ目をしていた。

「そうね、項品。朱己は最初から与えられて不自由なく育ったのに、愚かね」
「華音姉様……!」

 刃を弾き返せば、姉はすぐに数歩跳んで下がった。弟と姉に挟まれる形で、対峙する。

「……姉様も、ご自身の意思ですか?」

 笑顔でこちらを見ているということは、言わずもがなだろう。この国の内側の、伯父上への最後の内通者はこの二人だったわけだ。
 二人は時雨伯父上とともに香卦良を強奪し、ナルスを破壊して何をするつもりなのだろう。

「香卦良に何をするつもりです?」

 二人を交互に見ながら書斎の入口に結界を張る。突破されるわけにはいかない。二人は可笑しそうに笑っているばかりで、なんとも気持ち悪かった。

「姉上。だから、無能なんですよ」
「どういうこと?」
「香卦良は、もうそこにはいないわ」
「なん……」

 目の前の二人の発言の違和感を、深呼吸して頭の中で反芻して確認する。
 仮に、姉様が二条家の女性として香卦良の子種をもらうためと言い、香卦良に接触したとする。香卦良を何某かの方法で、謎の空間から連れ出すことが可能だろうか。
 姉様に向き直り、一つ訊う。

「姉様、香卦良の髪の毛の色は何色でしたか」
「今関係ある?」
「あります。どんな髪型でしたか?」

 香卦良はあの組紐を絶対外さない。
 ーー姉上たちの形見だから、と彼は言っていた。

「……そんなこと、いちいち覚えてないわ」
「わかりました」

 私の質問に訝しげな顔をする姉。
 瞬時に駆け寄り、思い切り姉を弾き飛ばす。
 振り返れば焦りを見せる弟。
 指で四角をなぞれば炎を纏った呪符が連なって飛び出す。

「朱公!」

 名前を叫べば、目の前に現れる側近。
 すぐに臨戦態勢に入る。
 全く一緒に戦闘してないが、格段に強くなっているのがわかる。

「朱己様、ご無事で!」

 朱公が笑顔で振り返るのを見て、この状況下なのに笑ってしまった。

「朱公、二人を殺さずに捕まえたい」
「御意」

 朱公と背中合わせになり、私と弟、朱公と姉が対峙する形となる。

 目の前の二人さえも、時間稼ぎのための駒なのかもしれない。ただ、仮に駒だとしても、今本人たちの意思で私と対峙している。それならば、私も。
 殺さない、確実に捕らえる。
 地面を蹴れば、激しい音と共にそれぞれの刃が交わり合った。

ーーー

 執務塔の一角で朱己を待つわしらは、敵の攻め方を攻略すべく必死に地図とにらめっこしていた。

「朱己は一体どこへ? まだ帰ってこんのか……」

 落ち着け、落ち着け。
 目を瞑って深呼吸する。
 香卦良、と溢していた。
 香卦良とは、一体なんだったのだろう。そういえば結局聞かず仕舞いだった。
 だめだ。今のわしの頭の中に答えがない。
 夏能殿に顔だけ向けて訊う。

「……夏能殿、六芒の残りの一人は、どんな人ですか?」

 考えるより先に、目の前のことから片付けよう。戦況が、おかしなほど拮抗している。時間稼ぎとしか思えない。母上でさえ、自分のことを「時間稼ぎ」だと言っていた。時雨伯父上の右腕だと言われるほどの立場でありながら、時間稼ぎの駒でしかないとは、一体。
 手を握りしめて、先刻看取ったばかりの母のことを思えば、目頭が熱くなる。

「……実は、俺は六芒の最後の一人に会ったことがねえ」

 目を瞠れば、夏能殿は顔を歪めながら言った。

「俺、どころか、恐らく籠目や千鳥なんかも会ったことはねえはずだ。あるとすれば法葉だが……死人に口なしだな」

 この戦況。拮抗した力。残りの六芒。
 伯父上は、何がしたい。
 朱己で、何がしたいのだ。
 頭が思うように働かない。
 思わず卓を拳で叩けば、百兄が優しく背中を擦ってくれた。

「焦るな、拮抗している今の状況が、仮に時間稼ぎだとして、それはこちらにとっても時間があるということ。必ず突破口がある」
「そうだのう、かたじけない。百兄」

 百兄へ視線を向けると小さく微笑んでくれ、不思議と心が凪ぐ。直後、戒が血相を変えて部屋に入ってきた。

「失礼いたします! 葉季様、各位! 朱己様が何者かと書斎前で戦闘中です!」

 全員が瞠目した。
 待て。待て、まだ身内に敵がおるのか。
 それとも、もうそこまで敵が来たのか。
 戦況は拮抗していると見せかけて、横槍が入るだけの隙があったとでもいうのか。どちらにせよ、五月雨式な戦闘になってしまっては今考えた作戦もなにもなくなる。何故なら、これ以上五月雨式に耐えうるだけの戦力がないからだ。

「なるほど、五月雨式にしてこちらの戦力を更に分散させ壊滅させる気か。こちらの玉砕が伯父上の狙いだとでも言うのか……?」

 だがしかし、なぜ書斎前で。
 香卦良と言って消えた朱己が書斎前での戦闘。まさか、香卦良は書斎におるとでもいうのか。あの、古びた二条家の書斎に。
 あそこに行けるのは二条家の者だけ。
 まさか伯父上がもう来たのか。
 もしくは他に二条家の中で裏切り者がいたのか。
 時雨伯父上と繋がりのある二条家の者。
 朱己が戦闘に縺れ込むほどの、人物。
 つまり朱己が止めたい人物だ。殺すことなく。
 殺すだけなら、むしろ早く終わるはずなのだから。
 思考の欠片が集まり、景色が明瞭になっていく。

「そういうことか! ぬかったわ……狙いは朱己と香卦良か! が餌なら、朱己が動かぬはずがない……!」
「おいおい、葉季! どうしたんだよ? 何がわかったんだ」

 皆が息を呑んだ。

「わしが仮に、朱己を狙う敵なら……」

 ーー長だけが知っていればいい。君は知らなくていいことだよ。
 父上の言葉が蘇る。
 長しか知らないはずの、香卦良と言う存在を知っているとして。香卦良を狙うと見せかけることができれば、朱己をおびき出せる。まさに鴨葱だ。
 居ても立っても居られない気持ちを、どう抑えたらいいのか。壊滅だけは防がねばならぬのだから。

「朱己をおびき寄せるに一番楽で、かつ効率よく体力を削ることができる者を用意する。例えば、殺したくない相手……姉弟をのう」
「おいおい、それじゃまるで……まじかよ!?」

 高能の言葉に百兄の顔が歪む。
 わしは静かに頷いた。
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