朱色の雫

弦景 真朱(つるかげ しんしゅ)

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第二章 朱南国

傀儡の彼

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「……ばれちゃったかあ~。残念!」

 神奈様が笑う。頭をかきながら、冗談めいた笑顔で。神奈様の体なのか、それとも神奈様に似せた別の誰かなのか。

「ここで戦うことは、一般市民を巻き込むことになりますため、避けたく。そちらの真意はなんですか?」

 悪役ならここで「大量虐殺」とか言ってのけるものだが、目の前の神奈様を模った何者かは、ただ笑みをたたえているだけだ。
 笑みが、逆に恐怖を焚きつける。
 静かに燃える、焚き火のように。
 ゆっくりと、確実に。
 恐怖を与えてくるのだ。
 背中を伝う汗が、私の意識を現実へと呼び戻す。

「ねえ、朱公。時雨様が、六芒ろくぼうの他に、何も仕込んでなかったと思う?」

 まさか。
 目の前の彼女は、にたりと笑った。
 酷く可愛らしく、酷く恐ろしかった。

「あなたは……」
「こんなに簡単に物流の拠点を見つけられると、本当に思っていた?」

 気がついたときには、彼女は私の牽制圏内をするりと抜けて、懐へ潜り込んでいた。

「!!」
「甘い」

 ゆっくりと流れる映像のように。
 まるで、美しい舞を見ているかのように。
 私の体を刃が貫いた。

「ぐっ……」

 うずくまり、傷口を塞ぐ。
 腹部からとめどなく溢れ出す血は、止まることを知らない濁流のようだった。
 生温かい液体が、服も、手も、全てを赤く染めていく。
 安心するはずの温度なのに、体は焦りと憤りで冷えていくのがわかる。
 ふと前に視線を移せば、目の前にあった観光地はただの荒れ地になっていた。

「なっ……」

 しばし瞠目し、初めて認識した。
 幻覚に嵌っていたのは私の方だ。
 物流の拠点が観光地化しているというのも、あの人集りも。すべて、幻覚だったということか。

 目の前の彼女は、いつの間にか姿を消していた。

「神奈……様……!」

 急いで念を送るが、届かない。
 届かないのではない、遮断されているかのように、念が行き着かないのだ。

 朦朧とする意識の中、傷口に塗られた毒を拭い去る。
 焼けるような痛みに歯を食いしばった。

「っう……! 神奈……さ、ま」

 なんとかして、伝えなければ。
 あの者は危ない。あの者はーー。


ーーー

「……朱公、どこ行ったんだろ」

 先程から、いくら探しても朱公の気配がつかめない。
 どうしたものか。もう奥深くまで入り込んだということなのか、それとも捕まってしまったのか。
 隠密属性の彼女が、そんな簡単に捕まるとは考えにくい。捕まるとすれば、彼女の能力をよく理解した敵に見つかったとか。
 人混みをかき分けながら進む。
 気配を探しながら、人の目を眩ませるように少しずつ霧を濃くしていく。
 行き交う人々は、なんの変化も示さない。
 この霧には、睡眠導入の効果があるのに、誰も寝ない。全く誰にも効かないというのは考えにくい。
 ということは。
 操られているというよりは、映像のようなものか、もしくは人形ーー生身の人間ではない、か。
 訝しむように辺りを見回せば、いつの間にかこちらを見つめている人影がいた。

「……誰」
「神奈様、朱公です。おまたせ致しました。敵の中心部への行き方を見つけましたのでこちらへ」

 目の前にあらわれた朱公に、どことなく感じる違和感。
 違和感というより、確信めいたものに近い。
 近づいてくる影に、目を細めながら言葉を投げる。

「もう一度聞くよ。誰?」
「……神奈様? 朱公です」
「違う。君、朱公じゃないでしょ」

 目の前の朱公を模った何かは、一瞬歩みを止めたあと、おかしそうに嘲笑った。

「お見事! 今頃朱公は死んでいる頃でしょうか……。あの毒は効きますからね」
「朱公に何をしたの?」

 目の前の朱公は、くつくつと笑いながら、自分の顔の皮を思い切り引き剥がした。
 中から出てきたのは、先程眠らせたはずの彼。

「神奈様に、どうしてもこちらへ来ていただきたい。さすれば、朱公は助けます」
「……腐れ外道だね、ウキル」

 彼と私に、力量差がさしてないことはわかっていた。
 こんなにも早く目覚められると、思うように進められないと、少しだけ自分に悪態をついた。

「私達から回収した乙型爆弾を、まずは返していただけますか?」
「断る。そもそも、先にこっちの質問に答えてくれない?」

 霧を撒き散らして相手を包囲する。
 目の前の彼は悠然と構えたままだ。
 さっきは、わざと倒れたフリしたってわけだ。
 彼の力のすべてを知らない。
 元婚約者の、側近。

「朱公、と言うあの女には、少々眠っていただきました。とはいえ、もう目覚めることはないかもしれませんが」

 霧の濃度を上げていく。
 彼を覆う毒の霧。普通なら数分も保たないはず。

「さっき言ってた、毒ってなんの毒?」
「お答えしかねます。ビライトの秘宝ですので」
「そ。……じゃあ、吐かせるまでだね」

 地面を蹴る。
 一気に霧が彼を覆い隠した。

「視界を奪え、朝霧あさぎり!」

 毒で少しは動きが鈍ることを見越して、残りの五感を奪いに行く。

 この毒は、触覚、味覚、聴覚を奪う。
 残るは、視覚と嗅覚。
 ーーまずは、視覚!

 彼の背後へ回り込み、確実に首を落とす。
 彼の首に喰い込んだ私の手刀は、そこから先に進めなかった。

ますよ、神奈様」

 手がどっちにも動かない。最初からこれが目的か。

「失礼」

 彼の首に喰い込んだ私の手を軸に、体が反転する。
 思い切り体を地面に叩きつけられれば、思わず顔が歪んだ。

「捕まえました。共に来ていただきましょう」

 まとっている霧を、彼の首の傷から侵入させているのに、全く効いてないという顔をする。
 
「なんで……」

 効かないわけがない。生身の人なら。
 彼は、本当に生身か。
 彼の首をまじまじと見た。
 傷の先は空洞になっていて、血肉がない。
 ーー傀儡くぐつ……!

「お気づきになりましたか? もう遅いですが」

 センナの力が顕出した者の中には、人形を自分の体として操り、生身への攻撃を避ける者がいる、と聞いたことがある。
 ウキルもその属だったか。今更気づいても、戦い方を間違えたことに変わりはない。

「傀儡には実質攻撃は効きません。最初から勝ち目ない戦いをされていたんですよ」
「どうかな、ウキル」

 急速に霧の範囲を広げていく。
 この霧は指定した能力者にしか効かないため、仮に一般市民が居たとしても彼らに被害は出ない。
 こちらがしていることを訝しげに伺っている。
 傀儡を使うには、近くに本体がないといけないはず。
 こちらの思惑に気づいたのか、少しだけ顔を歪めた彼は、私の肩に短剣を突き刺した。

「ぐっ……!」
「怪しい真似は慎んでください」

 霧の増幅はやめない。
 私は霜尉。一国を覆う程度の霧なんて訳ない。

「逃さないよ、ウキル……!」

 私が霧の増幅をやめないとわかるやいなや、肩の短剣を抜き、腹部を貫いた。
 痛みに顔を歪めるが、止めない。止められない。
 どうやら突き刺された短剣に、毒が塗られているようだ。手の先が痺れてきた。
 即効性の毒と、私の霧。どっちが早いか。
 少しだけ笑ってしまった。

「そこまでです!」

 なびく朱い髪。
 突然聞こえた声と、蹴り上げられた短剣。
 ウキルへ激しく撃ち込んだ戟が、彼を吹き飛ばした。

「朱己、姉……?」

 呆然と見上げれば、振り返った彼女は、朱己姉と同じ瞳の色で、心底焦ったように私を見下ろした。

「神奈様……! ご無事ですか!?」
「す、朱公……」

 目を瞠る。
 朱己姉かと思った。
 朱己姉は、危機に瀕すると必ず来てくれるのだ。昔から、どんなときだって。
 しばし呆然と彼女を眺めてしまった。
 朱己姉と勘違いするなんて。私としたことが。
 朱公はすぐに私の傷口を抑えて、解毒作用のある薬を擦り込んできた。少しザラザラとした薬は傷口には刺激が強く、少し顔が歪む。

「少しだけご辛抱を……遅くなってすみません」
「う……ん、ありがとう」

 よく見れば、朱公の腹部に血がついている。

「朱公、怪我……」
「大丈夫です、すでに血は止まっております」

 朱公の言葉に安堵しながら、ウキルの方へ目を向ける。そこには、ふらふらと立ち上がり、こちらを睨んでいる彼の姿があった。

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