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第二章 朱南国
主と臣下と親友と
しおりを挟むさっきから無言のままの師走が、何を考えているのかまだ察することさえできないが、きっと呆れているのだろう。だが彼から聞こえてきた言葉は、思っていたものではなかった。
「……曆に告ぐ。全隊敵襲に備えろ、遅くなく襲撃がある。目視で確認できたらすぐに迎え討て」
「……!」
まさか。いや、ありえないことはない。むしろあり得る。朱南と紫西を壊滅させて、次の戦場はストラとテシィになるのはおかしいことではない。
「ま、ここが最前線じゃなくなるならあたしたちはここに居るのがいいわね。皆聞こえてるわね。あとは頼んだわよ、好きに蹴散らして」
二人は、どうやって覚えてきたのだろう。戦い方を。師走は昔からの記憶があると言っていたから、総じて見えているのかもしれないが。
「朱己、不思議なことじゃないわよ。戦い方は往々にして決まってるもんだからね」
「……ヴィオラ、貴方心が読めるの? 前から思っていたけど」
彼の発言は、いつも私の心を読んでいるかのようだ。私の発言に、彼は腹を抱えて笑いだした。
「あんたが考えてることダダ漏れすぎなのよ! 簡単に読めるわよ」
「む……それもそうよね。冷静にならなくちゃね」
ヴィオラが得意そうに笑うのとは対照的に、師走は険しい顔を崩すことはなかった。
「ヴィオラ。壮透と少し外せ」
「……あら。朱己に手出さないでよね」
手をひらひらさせながら姿を消したヴィオラたちを、師走はすぐにでも殺しそうなほど睨んでいた。
苦笑いしながら、師走に何と切り出したらいいか少し考える。
「……師走、ごめんなさい。呆れているわよね。私」
「余計なことを喋るな」
強制力のある言葉に、少しだけ体が跳ねた。同時に口を閉じる。
「……長はすべてを受け入れることしかできない」
「え?」
予想していた言葉と全く違う言葉が彼から降ってきて、驚きのあまり顔をあげると、彼の手が頬に当たった。驚いて体が硬直する。
「被害を最小限に抑えつつ、先立つ者たちを見送り、時には自ら手を下す。それが長であり、主の役目だ。今は耐えろ。貴様は負けぬ、我等がいる。しかし、我等は皆、心が折れればそこで負ける。心だけは我等が左右できん。心が揺れ、貴様が下手をすれば貴様の民や臣下は無駄死にする。それだけは覚えておけ。貴様は生きることを考えろ」
「師走……そうね」
思ってもいない穏やかな言葉が降ってきて、突き刺さる内容も今は素直に受け止められる。少しだけはにかむように頬が上がった。
「ありがとう、師走。優しいのね」
「優しくはない。同盟を組んだ今、貴様に野垂れ死にされても困る」
少しだけ心の穴が狭くなったような気がした。気がしただけかもしれないが、今は人の優しさがありがたい。
余韻に浸る間もなく、すぐに師走が頬から放し手を振る。空間の中にある岩たちが粉砕され、影からヴィオラが出てきた。
「貴様……何ニヤニヤしながら聞いている。外せと言っただろう」
「あら、ちゃんと外したじゃないの! もう、師走ったら……隅に置けないわねぇ!」
「殺す」
二人が何やら物騒な争いを始めたのを横目に、こうしては居られないと陸真殿、空真殿、そして薬乃を避難させてくれた父の元へ行くと、薬乃たちは既に怪我の治療が終わっていた。
「薬乃、傷は大丈夫?」
「ええ……法華、は?」
思わず言葉を詰まらせ、薬乃としばし無言で見つめ合った。言わなければならないのに、喉から先に言葉が出てこない。私の後ろで、父が静かに、しかしはっきりとした語気で告げた。
「私が殺した」
「父様……!! 違います、薬乃違う。父様は」
なぜ今、私は違うと言ったのだろう。
父は事実を述べた。そう、事実だ。
目を見開く叔父たちとは対照的に、薬乃はただ静かに父の言葉を受け止めている。いや、放心状態であるのかもしれない。
「薬乃……」
なんて声をかけたらいいのか。
目が覚めたら、親友であり主である母が居なくなっていた、幼馴染みである父に殺されたなどと。
私の想いを知ってか知らずか、薬乃はゆっくり立ち上がり、鬼気迫る形相で父に掴みかかった。
「あんた!! 法華を守るって……!!」
父の胸ぐらを掴みながら、よろける薬乃を陸真殿が駆けつけて引き剥がそうとしている。
「すまない」
陸真殿の腕を振り払い、また掴みかかろうとして、苦しそうに顔を歪めた薬乃。父の胸を何度か拳で叩いた後、顔に向けて握り拳をお見舞いするかに見えたが、握った拳をわなわなと震わせて、暫く父を睨んだ後、手を降ろし俯いた。
「……ごめん、わかってる。一番辛いのはあんたよ、壮透。あんたが法華のこと殺したくて殺す訳ないんだから」
どこか吐き捨てるように言った薬乃は、遠くをぼんやりと見ながら、私に問いかけてきた。
「……朱己。法華、どんな最期だった?」
「……幸せだった、って。父様に子殺しをさせたくない、と項品を庇って……」
画面越しに見ていただけの私が、誰を責められようか。むしろ私が責められるべきだ。責められたほうが、気が楽だ。
父のことも、項品のことも、誰のことも悪く言いたくないという思いから言葉を慎重に選ぶ私の考えが伝わったのか、薬乃は私と視線を合わせるとはにかみ、私の肩に手を置いてきた。
「……そ。法華らしいわね。朱己、ありがと」
「そんなこと……薬乃、母様は薬乃が居てくれて、幸せだったと思う。薬乃が気を失ったときも、真っ先に名前を呼んでた。いつも隣に居てくれて、母様の支えだったと思うわ」
薬乃は少しだけ顔を歪めたが、すぐに小さく笑った。そうだといいけど、なんて言いながら私と父に背を向けた。
震える彼女の肩を、陸真殿が支えるように掴みながら、陸真殿と空真殿も目頭を押さえていた。
少しだけ無言の間ができたあと、ヴィオラが手を叩く。
「さ、悪いけどのんびりしちゃいられないわ。作戦を立てましょ、こちらは駒が少ないんだし。あたしが諜報をするわ、師走は頭の中に地図も地形も全部入ってるから攻め方の指示を出してくれる?」
「無論。我も同感だ」
珍しく即答する師走は、腕を組みながらヴィオラに顎で合図した。ヴィオラは口を尖らせながら渋々地図を映し出す。
「相変わらず人使いが荒いのよ……さ、この地図を見て頂戴。今朱南にいるわ。北東にビライト、ここが敵の本拠地ね。敵は南東にあるカヌレ率いるマヌンもいるから、実質この旧ナルス……紫西と朱南は、北東と南東から挟み撃ちされる構図にあるわ。普通に考えればね」
ヴィオラの意味深な発言に、師走が頷いた。
まるで、これからの争いを示唆するかのように。
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