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第1章 果ての世界のマイナスナイフ
第10話 不死よ、驕るなかれ
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「僕のマイナスナイフは……イモータルを、傷つけられるのか?」
突拍子もない事実。そんなことがあり得るのかと、イドラは自身の言葉を疑る。
——キミのギフトこそが、ワタシにとっての希望なんだ。長い長い旅で見出した、唯一の。
希望。ウラシマはそう、イドラのギフトを称した。
仮にマイナスナイフが、生命の理を越えた不死の理をさらに越え、その青い刃を届かせられるのだとして。彼女はそれを知っていたのだろうか。どうして? イドラでさえ半信半疑のその性質を、どうやって。
推測は立つ。簡単なことだ。マイナスナイフについてわからずとも、ウラシマはきっと、イモータルについては知っていた。それも深く。
絶対に勝てないと言った怪物について、旅で遭遇することは避けているのだと言った怪物について、ウラシマはしかしそれの不死性をある程度突き止めていた——だから、『傷を治す』ことがイモータルにとって『傷を作る』ことになるのだと知っていた。歳の割に聡いイドラは、そこまで瞬時に考えた。
結論から言えばそれはおおむね合致していた。
命を数値に例えるとすれば、それを害する行為は、命に対する減算と言える。100ポイントの命を持った人間をナイフで刺すと、致命傷であれば100ポイントが引かれ、ゼロになった命は死に至る。
この『命の数値』が、イモータルはマイナスだった。ありえない形をしていた。だから、どれだけ害そうが死にはしない。至るべきゼロを既に過ぎ去り、もはや死を忘れてしまっている。
その死を、忘却の彼方から引き上げるものこそ、イドラの天恵、マイナスナイフだ。
ATK-65535。この世でもっとも稀有なギフトは、イモータルと同じ『ありえない』数値を内包している。
繰り返すが。命を数値に例えるとすれば、それを害する行為は、命に対する減算と言える。
しかし、その減算が負数で行われたら? 単なるナイフではなく、マイナスナイフで刺されたのなら?
負の負は正となり、毀傷は反転する。だがヒトの命には上限がある。留まるべき形、恒常的なバランスがある。そのためマイナスナイフは命の瑕疵を補完する、治癒の短剣と化す。
「————ゥ、ォオ」
わずかな困惑を、背の低い異形はすぐに呑み込んだ。不死の怪物に逃走などありえない。
ただ、その不死は、死を通り過ぎたがゆえの不死性だった。いくら引かれてもゼロには至らないマイナスの命。
言うまでもなく、それに対してのみ、治癒の短剣は毒を持つ。
死を過ぎた後ろ向きの命ならば、補完することで引き戻す。そうしていつか踵がゼロに触れた瞬間、不死は死を思い出す。これが509年を経てついに世界に生まれ落ちた、不死を殺すギフトの性質であり、ウラシマが長い旅で追い求めるものの片割れだった。
「聞きかじった葬送を真似するよりは……!」
まだ、自分の信じる——そしてウラシマの期待する、己のギフトを信じたい。
退路を捨てる。海への誘導は止めて、ウラシマが殺されると断言したイモータルを、今この場で倒す。雨に体温を奪われながらも、心の炉に決意をくべて炎を燃やす。
イドラはマイナスナイフを手に、ついに自分からイモータルへと斬りかかった。長い垂れ下がった耳は姿勢の低さも相まって刃が容易に届く。青色の水晶じみた刃が触れると一筋の傷が現れ、そこから白い砂粒がぼろぼろと零れる。異常なさまだが、手傷には違いない。
(効いてる……やれる!)
手ごたえを感じたのも束の間、イモータルは後ろ足で地を蹴り飛ばす。後方へぬかるんだ土を撒き散らしながら行ったその動きは、体を横に曲げて尾を振る攻撃行動だ。
だが尻尾を使った攻撃は、既に一度身を以って知っている。腕を壊された痛みとともに、だ。
怪物よりもさらに姿勢を低く、膝を曲げ、頭をぐっと下げてやり過ごす。そうして頭上を暴威が過ぎ去ると、千載一遇の接近の機会を得る。
この隙を突かない手はない。イドラはクラウチングスタートの要領で、無我夢中に前へ出た。
「おおおおおおぉぉッ!」
手を伸ばせば触れられるほどの距離に迫り、順手のナイフで斬り上げる。刃はさして抵抗なくイモータルの頬を深々と裂き、そこから血の代わりの砂を大きく吐き出させた。
——やれる。
尾を使った全身の動きの反動で、イモータルは未だ反撃に転じることも回避行動を取ることもできない。次に動き出すより先に、一撃は間違いなく加えられる。
そして、目の前には白い首。やはり姿勢が低いぶん、その延髄に刃を届かせることは、この距離であれば容易。もしもイモータルが殺せるのであれば、今ここで力いっぱいにマイナスナイフを突き立てればそれは叶う。
殺せる——
殺す?
「——————ぁ」
手の内に、先日の魔物を殺した感触が蘇る。ナイフを突き刺し、命を絶つべく喉奥を掻き切るように振り抜いた、究極の簒奪行為の手ごたえ。
あろうことかイドラは、それを思い出すだけで一瞬、我を忘れて立ち尽くしてしまった。自分がやろうとしていた『倒す』がそのまま『殺す』に該当することを、今の今まで意識できていなかった。
いかに理性なき怪物であろうとも。生命の理を逸脱した、異形であろうとも。命を奪う行為にためらいを覚えたイドラのことを、誰が責められるだろう。
「がっ」
されど、そんな優しさとも言える躊躇の代償は重かった。最初に受けたのと同じように、イモータルはそばにいるイドラに強引に体当たりを仕掛けて吹き飛ばす。
最初のそれと違うのは、背中側ではなく腹側に受けたことだ。胸がぺちゃんこになったような衝撃がして、今度はどの幹にぶつかることもなくそのまま十メートル近くも飛ばされ、枯れ葉が積もった地面の上にどちゃりと落ちた。
すぐに立ち上がろうと体を起こすと、その勢いで口からまた血が出た。今度は一滴二滴の生易しい量ではなく、コップ一杯ともう半分はある、おびただしい喀血《かっけつ》だ。
「——ゅ、こひゅッ」
息もできない。空気を吸うと肺が散り散りになるような痛みが走る。
目を落とすと、胸部がつぶれてへこんでいた。ぺちゃんこになるような衝撃、ではなく、本当にぺちゃんこになる衝撃だったようだ。
「ぅ、ごほっ、ごッ」
また血を吐いた。胸が痛い。肺が痛い。この刃物のような痛み方からして、折れた肋骨が肺に突き刺さっているのだろう。
かすむ目が、雨の向こうで、のそのそと怪物が黄金の眼を光らせて歩いてくるのを捉える。止めを刺すつもりだろう。
ああ、そうか、と。イドラは唐突に理解した。
旅に出れば、こういうことの連続になる。殺さなくては殺されるという状況は、魔物を、あるいは人を相手にしていても起こりうることだ。
殺さなくては殺される。このままだと殺される。
「まだ……ごほッ、死んでいいはずが、ない」
マイナスナイフを握る右手に力を込める。意識さえ刈り取りかねない激痛に耐え、今一度少年は決意に火をつける。
それはイモータルを殺せる、この世界でただ一人きりの存在だから——などという使命感からではなく。
(約束、したんだ)
たまには戻ってくると、リティと約束した。
野垂れ死ぬな、というイーオフの照れ隠しにも笑って返した。
だというのに。こんなところで殺されれば、自分は旅に出るまでもなく約束破りになる——!
「ぅ、あああああああああっ!!」
自らの胸に、マイナスナイフを思いきり突き刺す。これまでの痛みが嘘のように思える激痛に視界が赤く点滅する。意識がある限り、痛覚に飽和などないのだと初めて知る。
けれど意識だけは飛ばしてはならない。ここで気を失えば、きっと二度と目を覚ますことはなくなる。外敵は無防備にまどろむイドラを見逃しはしない。
体内に青い水晶の刀身が突き刺さる異物感と痛みに耐え、引き抜いた時、肺の感覚は元に戻っていた。
「——っ、はぁ、はあ、はあ、はっ、はッ」
立ち上がる。傷は治ったはずなのに、一瞬ふらついた。
……血が足りないようだ。いくらマイナスナイフも失われた血液までは戻してくれないらしい。加えて、肺が治って痛みも引きつつあるが、精神的な疲労はかなり色濃い。こういう日は決まって悪夢を見る。
動けるのはおそらく、一度か二度。それを自覚しながら、できる限り呼吸を整え、向かってくる怪物を見据える。
「ォォォォオ——————ッ」
目が合うと同時に、イモータルは一気に駆け出した。歪な四肢を動かし、雨の中を滑るように移動する。
それでいい、とイドラは軽く息を吐いた。こちらから仕掛けるのは、体力からして無理がある。
五、四、三——八メートルほどあった距離が、瞬く間に縮まっていく。
そして、二メートルに達した瞬間にイモータルは跳躍した。イドラの大きく頭上を越え、高い木の幹を蹴り飛ばして一気に方向を転換し、さらに別の木を蹴って斜め上からイドラに奇襲を仕掛ける。イモータルにしては珍しい、それも雨中でのアクロバットは、ひょっとするとイドラのマイナスナイフに心ないはずの怪物もなにかを感化されたのかもしれない。
「はあぁぁぁっ……!」
空中から飛び込む一撃をイドラはすんでのところで回避した。視覚外からの奇襲を読み取れたのは、空間を認識する才の表れだ。
さらに着地するイモータルに対し、すれ違いざまに斬りつけることまでした。
(——浅い!)
当たったのは脇腹。浅手で、致命傷には程遠い。
殺すにはまだ足りない。明確な殺意を胸に、イドラは後方へ反転する。するとすぐ目の前に、同じように体を回してイドラの方を向いたイモータルの姿があった。
狙いは同じ。開いた口から察するに噛みつこうとでもしているのか。だが、イドラの方がわずかに速い。
「————ォォオオオッ!」
「これで、終わりだ!」
くるり。手の中でマイナスナイフを半回転させる。
青い刃を逆手に握り、振り向いた勢いに任せて下ろす。負数の一撃は白い額を貫通し、死のない怪物に死を呼び起こした。
イモータルの輪郭が崩れる。まだ動くのかとイドラが身構えた瞬間、瞬く間に全身がさらさらとした砂になり、形をなくしてしまう。死を超越した怪物はその死に方もふつうではなく、ただ雨に濡れる、塩のような白い砂の塊だけが残った。
「や……った」
倒した。イモータルを、不死の存在を殺した。
口の端がわずかに上がる。村を守ることができた。達成感が胸に溢れて、気が抜ける。
「うわっ」
すると視界がぐらついて、地面に尻もちをついてしまう。
怪我そのものはマイナスナイフで治しているが、疲ればかりはどうしようもない。血も出しすぎた。
とはいえ、この雨の中で寝ていれば確実に体調を悪くする。それに一応、森にも魔物は若干ながら生息するはずだ。イモータルがいる間に顔を出すほど彼らも馬鹿ではないが、今となっては長居するには危険すぎる。
早く村に戻ろう。疲れた体に鞭を打ってイドラは再度立ち上がると、メドイン村の方角へと歩き始める。村の危機を救った、誇らしい気持ちで。
ウラシマは褒めてくれるだろうか。リティも。もしかするとイーオフも——
(……ふふ、イーオフはまた悪態をついてくるかも)
疲労で重くなる頭。素直じゃない友人のことを思い、雨中の森を行くさなか、ふと小さく笑いが漏れた。
突拍子もない事実。そんなことがあり得るのかと、イドラは自身の言葉を疑る。
——キミのギフトこそが、ワタシにとっての希望なんだ。長い長い旅で見出した、唯一の。
希望。ウラシマはそう、イドラのギフトを称した。
仮にマイナスナイフが、生命の理を越えた不死の理をさらに越え、その青い刃を届かせられるのだとして。彼女はそれを知っていたのだろうか。どうして? イドラでさえ半信半疑のその性質を、どうやって。
推測は立つ。簡単なことだ。マイナスナイフについてわからずとも、ウラシマはきっと、イモータルについては知っていた。それも深く。
絶対に勝てないと言った怪物について、旅で遭遇することは避けているのだと言った怪物について、ウラシマはしかしそれの不死性をある程度突き止めていた——だから、『傷を治す』ことがイモータルにとって『傷を作る』ことになるのだと知っていた。歳の割に聡いイドラは、そこまで瞬時に考えた。
結論から言えばそれはおおむね合致していた。
命を数値に例えるとすれば、それを害する行為は、命に対する減算と言える。100ポイントの命を持った人間をナイフで刺すと、致命傷であれば100ポイントが引かれ、ゼロになった命は死に至る。
この『命の数値』が、イモータルはマイナスだった。ありえない形をしていた。だから、どれだけ害そうが死にはしない。至るべきゼロを既に過ぎ去り、もはや死を忘れてしまっている。
その死を、忘却の彼方から引き上げるものこそ、イドラの天恵、マイナスナイフだ。
ATK-65535。この世でもっとも稀有なギフトは、イモータルと同じ『ありえない』数値を内包している。
繰り返すが。命を数値に例えるとすれば、それを害する行為は、命に対する減算と言える。
しかし、その減算が負数で行われたら? 単なるナイフではなく、マイナスナイフで刺されたのなら?
負の負は正となり、毀傷は反転する。だがヒトの命には上限がある。留まるべき形、恒常的なバランスがある。そのためマイナスナイフは命の瑕疵を補完する、治癒の短剣と化す。
「————ゥ、ォオ」
わずかな困惑を、背の低い異形はすぐに呑み込んだ。不死の怪物に逃走などありえない。
ただ、その不死は、死を通り過ぎたがゆえの不死性だった。いくら引かれてもゼロには至らないマイナスの命。
言うまでもなく、それに対してのみ、治癒の短剣は毒を持つ。
死を過ぎた後ろ向きの命ならば、補完することで引き戻す。そうしていつか踵がゼロに触れた瞬間、不死は死を思い出す。これが509年を経てついに世界に生まれ落ちた、不死を殺すギフトの性質であり、ウラシマが長い旅で追い求めるものの片割れだった。
「聞きかじった葬送を真似するよりは……!」
まだ、自分の信じる——そしてウラシマの期待する、己のギフトを信じたい。
退路を捨てる。海への誘導は止めて、ウラシマが殺されると断言したイモータルを、今この場で倒す。雨に体温を奪われながらも、心の炉に決意をくべて炎を燃やす。
イドラはマイナスナイフを手に、ついに自分からイモータルへと斬りかかった。長い垂れ下がった耳は姿勢の低さも相まって刃が容易に届く。青色の水晶じみた刃が触れると一筋の傷が現れ、そこから白い砂粒がぼろぼろと零れる。異常なさまだが、手傷には違いない。
(効いてる……やれる!)
手ごたえを感じたのも束の間、イモータルは後ろ足で地を蹴り飛ばす。後方へぬかるんだ土を撒き散らしながら行ったその動きは、体を横に曲げて尾を振る攻撃行動だ。
だが尻尾を使った攻撃は、既に一度身を以って知っている。腕を壊された痛みとともに、だ。
怪物よりもさらに姿勢を低く、膝を曲げ、頭をぐっと下げてやり過ごす。そうして頭上を暴威が過ぎ去ると、千載一遇の接近の機会を得る。
この隙を突かない手はない。イドラはクラウチングスタートの要領で、無我夢中に前へ出た。
「おおおおおおぉぉッ!」
手を伸ばせば触れられるほどの距離に迫り、順手のナイフで斬り上げる。刃はさして抵抗なくイモータルの頬を深々と裂き、そこから血の代わりの砂を大きく吐き出させた。
——やれる。
尾を使った全身の動きの反動で、イモータルは未だ反撃に転じることも回避行動を取ることもできない。次に動き出すより先に、一撃は間違いなく加えられる。
そして、目の前には白い首。やはり姿勢が低いぶん、その延髄に刃を届かせることは、この距離であれば容易。もしもイモータルが殺せるのであれば、今ここで力いっぱいにマイナスナイフを突き立てればそれは叶う。
殺せる——
殺す?
「——————ぁ」
手の内に、先日の魔物を殺した感触が蘇る。ナイフを突き刺し、命を絶つべく喉奥を掻き切るように振り抜いた、究極の簒奪行為の手ごたえ。
あろうことかイドラは、それを思い出すだけで一瞬、我を忘れて立ち尽くしてしまった。自分がやろうとしていた『倒す』がそのまま『殺す』に該当することを、今の今まで意識できていなかった。
いかに理性なき怪物であろうとも。生命の理を逸脱した、異形であろうとも。命を奪う行為にためらいを覚えたイドラのことを、誰が責められるだろう。
「がっ」
されど、そんな優しさとも言える躊躇の代償は重かった。最初に受けたのと同じように、イモータルはそばにいるイドラに強引に体当たりを仕掛けて吹き飛ばす。
最初のそれと違うのは、背中側ではなく腹側に受けたことだ。胸がぺちゃんこになったような衝撃がして、今度はどの幹にぶつかることもなくそのまま十メートル近くも飛ばされ、枯れ葉が積もった地面の上にどちゃりと落ちた。
すぐに立ち上がろうと体を起こすと、その勢いで口からまた血が出た。今度は一滴二滴の生易しい量ではなく、コップ一杯ともう半分はある、おびただしい喀血《かっけつ》だ。
「——ゅ、こひゅッ」
息もできない。空気を吸うと肺が散り散りになるような痛みが走る。
目を落とすと、胸部がつぶれてへこんでいた。ぺちゃんこになるような衝撃、ではなく、本当にぺちゃんこになる衝撃だったようだ。
「ぅ、ごほっ、ごッ」
また血を吐いた。胸が痛い。肺が痛い。この刃物のような痛み方からして、折れた肋骨が肺に突き刺さっているのだろう。
かすむ目が、雨の向こうで、のそのそと怪物が黄金の眼を光らせて歩いてくるのを捉える。止めを刺すつもりだろう。
ああ、そうか、と。イドラは唐突に理解した。
旅に出れば、こういうことの連続になる。殺さなくては殺されるという状況は、魔物を、あるいは人を相手にしていても起こりうることだ。
殺さなくては殺される。このままだと殺される。
「まだ……ごほッ、死んでいいはずが、ない」
マイナスナイフを握る右手に力を込める。意識さえ刈り取りかねない激痛に耐え、今一度少年は決意に火をつける。
それはイモータルを殺せる、この世界でただ一人きりの存在だから——などという使命感からではなく。
(約束、したんだ)
たまには戻ってくると、リティと約束した。
野垂れ死ぬな、というイーオフの照れ隠しにも笑って返した。
だというのに。こんなところで殺されれば、自分は旅に出るまでもなく約束破りになる——!
「ぅ、あああああああああっ!!」
自らの胸に、マイナスナイフを思いきり突き刺す。これまでの痛みが嘘のように思える激痛に視界が赤く点滅する。意識がある限り、痛覚に飽和などないのだと初めて知る。
けれど意識だけは飛ばしてはならない。ここで気を失えば、きっと二度と目を覚ますことはなくなる。外敵は無防備にまどろむイドラを見逃しはしない。
体内に青い水晶の刀身が突き刺さる異物感と痛みに耐え、引き抜いた時、肺の感覚は元に戻っていた。
「——っ、はぁ、はあ、はあ、はっ、はッ」
立ち上がる。傷は治ったはずなのに、一瞬ふらついた。
……血が足りないようだ。いくらマイナスナイフも失われた血液までは戻してくれないらしい。加えて、肺が治って痛みも引きつつあるが、精神的な疲労はかなり色濃い。こういう日は決まって悪夢を見る。
動けるのはおそらく、一度か二度。それを自覚しながら、できる限り呼吸を整え、向かってくる怪物を見据える。
「ォォォォオ——————ッ」
目が合うと同時に、イモータルは一気に駆け出した。歪な四肢を動かし、雨の中を滑るように移動する。
それでいい、とイドラは軽く息を吐いた。こちらから仕掛けるのは、体力からして無理がある。
五、四、三——八メートルほどあった距離が、瞬く間に縮まっていく。
そして、二メートルに達した瞬間にイモータルは跳躍した。イドラの大きく頭上を越え、高い木の幹を蹴り飛ばして一気に方向を転換し、さらに別の木を蹴って斜め上からイドラに奇襲を仕掛ける。イモータルにしては珍しい、それも雨中でのアクロバットは、ひょっとするとイドラのマイナスナイフに心ないはずの怪物もなにかを感化されたのかもしれない。
「はあぁぁぁっ……!」
空中から飛び込む一撃をイドラはすんでのところで回避した。視覚外からの奇襲を読み取れたのは、空間を認識する才の表れだ。
さらに着地するイモータルに対し、すれ違いざまに斬りつけることまでした。
(——浅い!)
当たったのは脇腹。浅手で、致命傷には程遠い。
殺すにはまだ足りない。明確な殺意を胸に、イドラは後方へ反転する。するとすぐ目の前に、同じように体を回してイドラの方を向いたイモータルの姿があった。
狙いは同じ。開いた口から察するに噛みつこうとでもしているのか。だが、イドラの方がわずかに速い。
「————ォォオオオッ!」
「これで、終わりだ!」
くるり。手の中でマイナスナイフを半回転させる。
青い刃を逆手に握り、振り向いた勢いに任せて下ろす。負数の一撃は白い額を貫通し、死のない怪物に死を呼び起こした。
イモータルの輪郭が崩れる。まだ動くのかとイドラが身構えた瞬間、瞬く間に全身がさらさらとした砂になり、形をなくしてしまう。死を超越した怪物はその死に方もふつうではなく、ただ雨に濡れる、塩のような白い砂の塊だけが残った。
「や……った」
倒した。イモータルを、不死の存在を殺した。
口の端がわずかに上がる。村を守ることができた。達成感が胸に溢れて、気が抜ける。
「うわっ」
すると視界がぐらついて、地面に尻もちをついてしまう。
怪我そのものはマイナスナイフで治しているが、疲ればかりはどうしようもない。血も出しすぎた。
とはいえ、この雨の中で寝ていれば確実に体調を悪くする。それに一応、森にも魔物は若干ながら生息するはずだ。イモータルがいる間に顔を出すほど彼らも馬鹿ではないが、今となっては長居するには危険すぎる。
早く村に戻ろう。疲れた体に鞭を打ってイドラは再度立ち上がると、メドイン村の方角へと歩き始める。村の危機を救った、誇らしい気持ちで。
ウラシマは褒めてくれるだろうか。リティも。もしかするとイーオフも——
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