不死殺しのイドラ

彗星無視

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第1章 果ての世界のマイナスナイフ

第11話 緑色の残忍

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 村に戻るころには、永遠に降っていそうだったあの雨もピタリと止んだ。とはいえ空はまだ雲ったままで、日も落ちかけ、周囲は薄暗さに呑まれている。
 そんな中、村では松明のものらしき無数の明かりが瞬いており、わかりやすくて助かると同時に、祭りの日でもないのにどうしたのだろうとイドラは疑問に思いながらも濡れた体で歩み寄る。

「イドラっ、イドラじゃないか! 無事だったんだな!?」

 すると、気づいた一人が駆け寄ってきた。少し大柄で、自ら手にした松明の光を毛のひとつもない立派な禿頭に反射させた男性。

「村長さん。今日も輝いてますね」
「やかましいわっ、誰のせいだと思っとる!」

 見紛うはずもない、村長だ。イーオフの父でもある。
 先代は時折軋轢もあったらしいが、彼は若くから和と規律を重んじる人柄で、村からの支持は厚い。髪はないが人徳は多かった。
 父のいないイドラを幼い頃からなにかと気にかけてくれていたひとりでもある。そんな村長と出会いイドラもようやく、森を抜けて住み慣れた村へ帰ってこれたのだと実感できた。

「えっ、僕のせいなんですか? 僕のせいで髪が?」
「いやそうではないが……皆、お前を探して外に出ておったのだ。ようやく雨も止んだので、明かりを手にな」
「僕を探して?」
「うむ。雨の中、子どもが巨大な魔物を引き連れて去っていくところを見たと言う者がおってな。その後、リティの証言でイドラ、お前がそうだという結論に達した」

 巨大な魔物と称したそれが、死なずの怪物イモータルであることは知られていないようだった。

「ともかくイドラ、お前が無事でよかった。リティなど顔を青白くしておったぞ、ヤウシュのこともあったから……いや、これは余計だったな、すまん。そうだ、ウラシマ殿とは入れ違ったようだな」
「先生も僕を探してるんだ。でも道中は会わなかったですよ」
「うむ、あの方はいち早くシスター・オルファのところへ向かったのだ。魔物が出たとなればアサインドシスターズを呼ばねばならん、前回は間に合わなんだがな。思えば、シスターの家を丘の方に建てたのは失敗だったやもしれんなぁ。景色はよいのだが」

 顎に手をやり、村長は考え込むように言う。
 ウラシマはオルファの家に行ったらしい。魔物の対応であればウラシマ一人いれば十分ではないかとイドラは思ったが、念には念を、ということかもしれない。それともなにか別の考えがあったのか。
 ともかく、イモータルを倒したと知ったウラシマがどんな反応をするか楽しみだったイドラは、一刻も早くそのことを伝えたかった。

「なら、僕が呼んできます。魔物は僕がもう倒したから」
「なに? 本当かイドラ、しかしだったらなおさら休むべきではないか。服もぐしょ濡れじゃないか」
「平気だよっ、ちょっと行って帰ってくるだけ!」
「あっ、イドラ! まったく……せめて気を付けて行くのだぞ!」

 疲労もなんのその、イドラは踵を返して駆け出した。
 森に近いこの場所からなら、オルファの家屋がある丘は遠くない。雨が降ったせいでまだぬかるんだ道を走りながら、ウラシマがどう反応をするか思い浮かべる。
 イモータルを独力で倒したと知れば、驚くだろうか。そりゃあ驚くだろう。だって初めてのことだ。
 ならば、喜んでくれるだろうか。褒めてくれるだろうか——

「……先生」

 リティと話をして、ウラシマの旅に同行する許可ももらった。
 いよいよだ。いよいよ、村を出るという漠然とした願いが、実を結ぼうとしている。ウラシマのおかげで。
 白い山を、壁を越えて。広い世界を見て回る。
 胸が高鳴るのはきっと走っているからだけじゃない。同じ日々の繰り返しから脱却した、別の場所で別のものを見る毎日のことを考えると、それだけで体が熱くなる。

「それに、先生もいてくれる。ああ、なんて——」

——僕は恵まれてるんだろう。
 ザコギフトなどと呼ばれ、自身でさえそのギフトのことを見放していた。数日前までは。
 だが、なんの使い道もないとばかり思っていたマイナスナイフの能力を、ウラシマは見抜いてくれた。希望なのだと言ってくれた。
 早く話したい。腕をねじられ、肺をつぶされて、それでもなんとかイモータルを倒しきったこと。リティから許可を得て、たまには顔を見せに戻らなきゃではあるけど、旅に出ると決めたこと。

「はぁっ、はあ——」

 一度も止まることなく、やがてイドラは丘のそばまでたどり着いた。
 なだらかな丘陵。地面を覆う背の低い草たちは、さっきの雨でぽつぽつと水滴をまとう。丘の上にはすでにオルファの住む立派な二階建ての家が見え、さらに上方を見上げると相変わらずのどんよりとした雲がわだかまり、夕方と夜の境の空を覆っている。
 流石に上までノンストップで駆け上がる気力はなく、イドラは息を切らし、膝に手を置いて体重を預けたりしながらなんとか丘を登った。

「————ぁ?」

 視界が開ける。灰色の空の下、赤い色彩が、まずイドラの目に飛び込んできた。
 庭先の花壇には、ちょうちんのような花弁をした橙色のものを中心に、色とりどりの花々が綺麗に咲いている。オルファの趣味のガーデニングだ。しかし、イドラの見た赤い色はその中にはなく、花壇にはなにか、花を押しつぶすようにして大きな異物が倒れこんでいた。
 黒い布地。……黒い、髪。

「なんで……なん、で」

 仰向けで力なく花壇に身を預ける、ロングヘアーの女性。首元から流れた赤い命で茎や土、花壇の枠を染めている。
 顔は背けられ窺えないが、倒れて真っ赤な血を流すその誰かの背格好は、どう見てもウラシマそのものだった。ピクリとも動かず、おそらくは、もう。

「あれ? 誰かと思えばイドラくんじゃないですかぁー。なぁんだ、あの村の人間は今頃、全員死体になってると思ってたんですけどねぇ」

 そのそばにいるのは、見知らぬ表情をした、見知ったシスター。三年間同じ村の一員として過ごしたはずのオルファが、その手に血に濡れた鎌を持って立っていた。

「オルファさん……? これ、これどういう……どうして先生が倒れて、し、死——」
「はぁ。イモータル、不死の怪物ッてのもアテにならないモンですねー。こんな子どもひとり逃すなんて……いや、優しい村の皆さんが命からがら逃がしたのかな? ありそうですねえ、あの村の人たちなら。あっはは、それであたしのところに来るのはとんだ笑い話だけど」

 じゃら、と聞きなれない音が鳴る。
 見れば、オルファの細い手に握られている鎌には長い金属の鎖がついていた。その音らしい。

(なんで、なんで、なんで。なんで?)

 意味がわからなかった。
 ウラシマは倒れている。そのそばにはオルファがいる。手には血のついた凶器。服……白い布地に藍色のラインが入ったいつもの修道服にも、ぽつぽつと赤い返り血が付着している。あれは落とすのが大変そうだ、と呑気な思考が浮かんだ。
 脳が理解を拒んでいた。硬直するイドラにオルファはゆっくりと歩み寄る。いつもと同じ笑みのようで、凍り付くような目だけが薄く開く。

「ま。ひとりくらい生き残りがいたって別にいいんですけど……こんなところ見られちゃったらねぇ? 死んでもらうしかッ、ないですよぉ!」
「——っ!」

 彼我の距離は四歩ほど。まだ手が届く距離でもないにもかかわらず、オルファは突然に腕を振るう。同時に手の中の鎌の柄を滑らせ、その尾から伸びる鎖の終端を掴み直した。
 しなるような軌道で、鎖につながれた鎌先がイドラの首へ向かう。物理的に不自然なその挙動は、あの鎌がただの凶器ではなく天より与えられたギフトだという証左だ。
 三日月形に歪曲した刃が届くより先に、イドラはなんとか腰からマイナスナイフを引き抜く。首を断たんとする一撃を辛うじて刃の根本で防ぐと、その拍子に鎌の表面に付着していた赤い血がわずかに飛んだ。

「オルファさん……なんで! なんでこんなことするんだ!」
「なんでぇ? 決まってンでしょうが。こちとらさぁ、アサインドシスターズなんてのはもうこりごりなんですよぅ」

 ジャリリリリリリリ——
 鎖を巻き取るような音がして、オルファの手元に鎌が戻っていく。軌道も伸縮も自由自在なのが、オルファが十三年前に天より賜ったギフトの能力だった。
 手の内で鎌の柄を撫で、指を沿わせてもてあそびながら、オルファは緑がかった瞳をイドラに向け続ける。そこには今日まで優しさの仮面で覆い隠されてきた、ねじ曲がった剥き出しの狂気が浮かんでいた。

「七年の任期なんかやってられるかってハナシですー。まだ三年ってことは、あと四年もあるんですよ? こんななぁ~んにもない村であと四年? ハッ、冗談じゃない。三十路みそじ手前までド田舎のクソ村で過ごすなんてありえないでしょ」
「そんな風に思ってた、の? この村を?」
「そうですよぉ? ッてか、イドラくんならわかるでしょ」
「え?」
「だってホラ。イドラくん、村を出たがってるでしょう? ここ最近はコイツのせいで顕著でしたけど。そりゃそうですよねぇ、こんな小うるさい羊ぐらいしかいない村、フツーの感性してれば出たくもなりますよー。貴重な若い時間を浪費するにはクソすぎますって」

 底冷えする笑みを張り付け、花壇の方を細い顎で示す。
 まるでイドラに共感するような物言いだが、それがどうして凶行に直結するのかがイドラにはわからない。

「それでどうして先生を、ころ——手に掛ける必要があるんだ」
「あはぁ、殺されたって信じたくなくて迂遠な物言いをするイドラくん、かーわいい。もう死んでるのに」
「うるさいっ、答えろ!」
「はぁ? デカい声出すなよガキ。あのさ、アサインドシスターズっていうのは、まあ普通はよっぽどのことがなければ起きないけど、派遣された村がなくなったりするとその時点で任期が終わるワケ」
「……派遣された村がなくなる?」
「そ。ちょっと昔と違って今はこの大陸の三国も均衡が安定してるけど、まー戦争とか? んで、それよりまだ現実的なのが自然災害に、魔物——ないし、イモータルによる襲撃。それで廃村になるケース」
「魔物とイモータルって、まさか」
「ご名答。この間の魔物も今日のイモータルも、あたしが焚きつけた。魔物除けの中身を水やアトラクタに換えて撒いて、やつらを引き寄せた。別に村人全員が死ぬ必要もないし、ちょ~っと魔物が寄れば村は半壊してやっていけなくなると思ったのに。あの旅人女が出しゃばりやがったせいで……」

 それはいつもの天然さが真っ赤な嘘なのだと証明する、この上なく狡猾で残忍なやり口だった。
 アサインドシスターズとして教会から教わる知識。本来魔物やイモータルを人のいる土地から離すために使う、誘引剤のような作用を持った聖水アトラクタを、逆に村を壊滅させるべく使ったのだ。

「腕の立つ旅人ごと村を潰すには、もう不死身の化け物を持ってくるしかないでしょう? イモータルと言えど魔物の一種。花から精製したアトラクタは効果を発揮する……けれど、一歩間違えばあたしが襲われてぐちゃぐちゃにされる。だからわざわざイモータルの動きが鈍る雨の日を選んで、森から誘導した。ある程度進めば村に撒いたアトラクタに反応して突っ込んでくれるって寸法です」
「オルファさんが連れてきたのか! あの魔物も、あのイモータルも!!」
「まあ、その雨で聖水が流されるリスクもあったわけですけどぉー。あはっ、どうでした? 村の皆さん、ちゃぁんと殺されてくれましたか?」

 息巻くイドラに対し、それを気にするでもなく、むしろ挑発するかのごとく詳細に自らの犯行を語るオルファ。事細かに明かしたのは、既に無事に帰すつもりがないということでもある。
 イドラは胸に渦巻きつつある激情を抑え、グリーンの瞳を強く睨み返す。

「……殺されたのはあのイモータルの方だ。僕が倒した。村の人たちは無事だよ」
「はぁ~? は、え、ちょっとぉ? イドラくんってばバ~カじゃないんですかぁ? 死なないから、殺されないからイモータルは不死の怪物なんですよぉ。そんなことあるはずないじゃないですかぁ、頭にクソ虫でも湧いてますー?」
「ねえ、オルファさん。感謝祭の日、母さんの舞いを綺麗だって言ってくれてたじゃないか。村のことも、自然豊かでいいところだって、ずっと……! たった四年の任期のために村の人たちみんなを殺すだなんて、おかしいってオルファさんは思わないのか!?」
「んー? 別に? ああでも、リティさんのアレがもう見れないのはちょっと残念ですねー。アレはほんとに綺麗です。ご飯もおいしいし、毎日が感謝祭だったらあたしも七年文句なく過ごせるかも」
「だったら……っ! そう思うんなら——」
「いや、ないじゃないですか。感謝祭、毎日は。じゃあやっぱダメですよぉ。あたしの四年の方が重いです」
「村のみんなの命よりもか!!」
「そうですよぅ。だって、あたしの四年はあたしのものだけど、みんなの命はあたしのものじゃありませんから。あたしにとって重みを伴うのは、あたし自身の時間でしょ?」

 緑の瞳の奥に、決して踏み入れられない凍土のような冷たさを見た気がした。
 この村が気にくわないのだというのまでは理解できる。イドラとて、メドイン村やそこで住む人々のことは大好きだが、それでも外の世界を求めている。その点においては、多少重なるところもあろう。
 だが、その願いのために村を潰す? 村人を皆殺しにする? 三年間、ともに過ごしてきた人たちを?
 なにを言っているのか。完全に異常者のそれだ。まっとうな道徳があればそんな、あまりに自分本位で他者を軽視した考えは持たない。まず浮かばない。
 よってイドラはどうしても、一生かけてもその瞳の温度を知れないと思った。

「本当に理解できない。わかんないよ、オルファさん。なんでそんなことができるんだ? どうして、そんな風に笑ってられるんだ?」
「あは、イドラくんにわかってもらわなくたって構いませんよぉ。どうせもう殺しちゃうんですし。ああ、そのあとどうしようかなぁ。イモータルにめちゃくちゃにされた村を見るのはとっても面白そう。胸がスカッ! ってしそうです! あははっ」

 上機嫌そうな笑顔は、服の返り血と血濡れの鎌さえなければ、無邪気なシスターの和やかなワンシーンに映っただろう。しかし彼女は幼くして家庭の経済的な理由から選択の余地なくロトコル教の修道院に入ったものの、特に今日まで大した信心を抱いたことはなかった。

「もういいや、さっさと殺しちゃお。そうだ、希望の死に方ってあったりします? 大好きな先生と同じように後ろから首をザックリ、とか。これだとあたしも楽で助かりますねー」
「……!」
「あ、怒った。あは、わかりやす。こんなことなら普段からイドラくんをからかっておけばよかったなぁ、もうできないなんてざーんねん。ウラシマさんってば、あたしがアトラクタで魔物を呼んだこと薄々気付いてたっぽかったですよぉ? 旅先で教会の聖水についても詳しくなったんですかね。まあ確信はなかったみたいだから、イドラくんの話をして気を引けば殺すのは簡単でしたけど。あんな無警戒でよく旅ができたモンですねー」
「オルファさん、あなたは——お前はぁっ! 先生を馬鹿にするな!!」

 今度こそ爆発する感情を抑えきれず、イドラは弾かれたように駆け出した。
 否、駆け出そうとした。

「うっ!?」
「あは、あっははは! ほんとにわっかりやすいなぁかわいいなぁ、バッカだなぁ! 子どもは扱いやすくていいですねぇ——!」

 視界に映る景色が横転する。右半身を強い衝撃が叩くと同時に、イドラは自分が地面に勢いよくこけたのだと理解した。

「なにが——」

 起き上がろうとするも、左の足首に奇妙な感覚があり、うまく足が動かない。首を曲げて確認すると、鎖鎌がぐるぐると巻きついていた。

「話しながら、足元に伸ばして這わせてたんですよ。頭に血が上って気が付きませんでしたねー」
「くそ……! このっ、離せ!」
「やー、ですよぅ」

 鎌の付いた鎖を解こうと足に手を伸ばすも、厚い革の靴底で容赦なく顔面を蹴り飛ばされる。

「ご本を集めたり、花を育ててみたり……退屈を紛らわせようと色々やってみたけど、どれもつまらなかったなぁ。三年も我慢することなかったです。はじめっからこうしてればよかった」

 頭上から降りる声は、どこまでも日常のそれと同じイントネーションだ。
 蹴りの衝撃で地面に倒れ、さらに追い打ちをかけるように顔を踏みつけられる。ぐりぐりと靴底をこすりつけて小さく笑うオルファは、明らかにイドラのことをいたぶって愉しんでいる。
 だがイドラの目はシスターの嘲笑ではなく、花壇で倒れる動かぬ女性に向けられた。

(……せん、せい)

 殺したとオルファは言った。事実、ウラシマは血を流して倒れている。
 けれども、本当に死んでいると決まったわけではない。オルファ自身が殺したと思っていても、まだギリギリのところで息があるかもしれない
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