不死殺しのイドラ

彗星無視

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第2部1章プロローグ プライベート・オラトリオ

第75話 『奇妙な二人』

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 人間が数十人収まるような、巨大な箱を用意。
 すべてはイメージの中だけで完結する。視界の中で展開する仮想的な立方体。
 透明の境界が、時間の流れを分断し——

「——ォハ、ォッ、ォ」
「なに?」

 黒い異形は目論見通り両断され、立方体の境界面に巻き込まれたアスファルトも同じように切り裂かれた。
 異形の断面は体表となんら変わらず真っ黒く、骨も血管も通ってはいない。そして、イモータルと違い塵さえ残さず消滅した。

(ふむ、私の能力は問題なく通じるようだが……それよりも。地面……静止した物体を切断できただと?)

 イモータルとは似て非なる怪物。あの白と黄金の不死は、レツェリのギフトを以ってしても殺すことは叶わなかった。雰囲気はどこか似ているが、やはり別の存在らしい。
 だがそちらに意識を回すよりも、自身の能力の方に疑問が先立った。
 彼の『万物停滞アンチパンタレイ』が破壊できるのは、動体のみのはずだった。
 動く物体の、その一部を巻き込む形で空間の時間を遷延させる。そうすることで、時間の流れが『箱』の中と外で異なるため、境界面で断裂される。
 そういうプロセスだったはず。だからこそ、止まっている物体には效果がない。止まっていれば、流れる時間が違おうとも境界面で剥離すること自体が起きないためだ。

 例えば人体は、意識しても完全には止まれない。体を、手や足を動かすまいとしても、意識とは関係なくわずかには動いてしまうものだ。人体を切断することは容易だった。
 しかし、意思なき建物や、地面なんかはどうしようもない。
 そのはずが、今、眼前のアスファルトは大きく『箱』に巻き込まれた部分で裂けてしまっていた。死体も残さず消失した怪物の、その死の証拠を残すかのように。

「……悪い変化ではないが。勝手が変わったのなら、また色々と確かめねばなるまいな」

 地平世界と現実世界では法則が違う。
 あの地底では、空は貼り付けただけのただのテクスチャであり、大地はどこまでも平坦だった。
 だがここでは、世界は球状であり、しかも回転していた。
 どんな物体も、星の上にある以上は自転の影響を受けて移動している。よって、一見完全に静止している物体でも、時間の流れを変えられると境界で断裂してしまう。ただそれだけの話だ。

「わっ……」
「む」

 世界間の差異などレツェリには知るよしもない。それでも彼なりに考えを巡らせていると、先の異形が現れ出た百貨店とは逆の道の方で、建物の陰から小さな人影がこちらを覗いていることに気がつく。
 目が合うと、彼女はびくんと肩を震わせた。
 茶色がかった髪の、十歳そこらと思しい少女だ。肩に不格好に大きなカバンを掛けている。遠目でもわかるほど衣服はぼろく、土埃に汚れ、体も不健康なほど細い。
 つまりどこにでもいる子どもだった。

「なんだ。小娘」
「あ、あの……おじさん今、アンゴルモアを——」
「おじさん?」
「——アンゴルモアを倒したよねっ!? どうやったの……? 手も触れずに、武器も使わないで! 教えておじさんっ!」

 少女は無防備かつ無警戒にも、駆け寄って来ると羨望めいたものを宿した眼差しで見上げてくる。
 不愉快な呼ばれ方をしたことに対する、威圧たっぷりのレツェリの睥睨にも首を傾げるばかり。鈍感さを憎らしく思いながら、レツェリは舌打ちをして名を名乗った。

「おじさんではない。私はレツェリだ」
「れつぇ……? 変な名前だね! それに目も真っ赤……あっ、もしかしてその目」
「——」
「充血してるの? 大丈夫? 汚れた手でこすっちゃったりでもした?」
「違う……!」

 結構な苛立ちが既にのしかかっていたが、これでもこの世界で初めて出会った人間だ。周囲に人気ひとけもないため、大切にすべき貴重な出会い……そうレツェリは内心で自分を説得し、冷静さを保つよう努めた。

「わたし、天音あまね! 矢田天音やたあまねって言うの、ミンクツに住んでる。えへへ……見たらわかるかな、こんなボロ着てるんだから」
「ヤタ・アマネ……」

 レツェリにしてみれば、そちらの方がよほどに奇妙な名だ。

「おじ——レツェリさんは、立派なお服だね。アンゴルモアも倒してたし……きっとノアの方舟の人だよね? でもこんなところにひとりでいるなんて。はぐれちゃった?」
「アンゴルモア、というのは先の黒い怪物のことか。ノアの方舟とはなんだ? 教えろ小娘」
「え……? 知らないの? あそこだよ、あそこ」

 少女が指差すのは、レツェリが目指していた集落のそば、山の上にある巨大な建物だった。高い塀に囲まれ、ここからでも堅牢そうな印象を受ける。

「おじさん、方舟の人じゃないの? でもだったら、コピーギフトなしでアンゴルモアを倒したの? そんなわけ……でも手ぶらだし……?」
「おじさんではない。方舟に、コピーギフトか……」

 なにがなんだかわからない、といった風にアマネは今度は体ごと首を傾げた。絶対に同じ動作をすることはないが、レツェリとしても内心は同じような心境だ。
 知らない単語に、知っているようで少し違う単語。
 やはり未知の事柄が多すぎる。それを早い段階で知れる機会に恵まれたのは、僥倖かもしれないが。

「方舟の人じゃないのにこんな場所にいるなんて、もしかしておじさん、行くところもないの?」
「私はおじさんではない。が……そうだな。とりあえずあの山のふもとにまで向かおうと思っていたところだ」
「ミンクツだね。だけど、最近北部を占拠されてあそこも手狭だからなぁ……。今日中に住むところを探すのは難しいかも」
「そうか」

——最悪他人から奪えばいい。
 この眼さえあればどうとでもなる。とにかく人のいるところにさえ行けば、やりようはいくらでもあるとレツェリは踏んでいた。
 そんな思考をつゆ知らず、アマネは無邪気な笑顔で提案を口にした。

「でもね、大丈夫! わたし、とっておきの場所を知ってるんだー」
「とっておき?」
「うん。居住区からはちょっとだけ外れてるけど……なにかあってもおじさんなら平気だよね。だって、アンゴルモアをあんな簡単に倒しちゃうんだから」

 レツェリの意見を聞きもせず、アマネは先を歩き始める。
 数歩したところで、「どうしてついてこないの?」と後ろを振り返って不思議そうに見つめてきた。
 わずかな逡巡の末、レツェリは言った。

「そこまで言うなら案内してもらおうか、アマネ」
「……! うんっ。誰にも教えてない場所だから、きっとおじさんも驚くと思うよー!」
「私はおじさんではない」

 空には雲、地には損傷した舗装路。
 重い灰色に挟まれながら、奇妙な二人組は無人の道路を行く。
 長い道のりのその先には小さな山があり、一帯の居住地域こそ、最盛期に比べて一パーセントにも満たなくなったこの国の人口が集中する最後の砦だった。
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