不死殺しのイドラ

彗星無視

文字の大きさ
157 / 163
最終章 忘れじの記憶

第153話 『理想補整者(コンペンセイター)』

しおりを挟む
 ふむ、とレツェリは軽く周囲を見渡す。

「もはや我々は雌雄を決するほかないが——この場所は風が強い。戦うのであれば『外殻』も邪魔だ。ここはひとつ、あちら側に渡ってみるか」

 そして、ぱちんと指を鳴らした。

「なっ……!?」
「景色が、変わった——?」

 それだけで風は止み、周囲の光景が切り替わる。イドラたちは一瞬にして、さっきまで立っていたタワービルの屋上ではなく、見知らぬ場所にいた。
 星明かりのきらめく、のどかな——
 どこか人里離れた山間やまあいの、黄色い花で満ちた夜の花畑だ。

「ランスポ大陸の南東、もしくはトワ大陸の高地……はたまたプリケ大陸かもしれんな。地底世界の気候や植生はまるでデタラメだ、どの座標に跳んだかは私にもわからん」
「移動したのか? こんなに簡単に、元の——僕たちのいた世界に」
「そう見えるが、厳密には空間を部分的に重ね合わせただけだとも。地底との距離が近づいた今だからこそできる芸当だ。偽物の景色だが、見た目上は快適になっただろう」
「偽物……」

 見上げれば満天の星空。地底世界の星々がイミテーションに等しいと、箱舟で地上に上がったことのあるイドラたちは知っている。
 だが遠目に見上げる輝きは、確かに美しかった。
 橙色のベルのような花弁をつけた、風にそよぐ花々も、とても偽物であるようには見えない。
 だがレツェリの言う通り、本当に地底世界に来たわけではないようだった。イドラが腰のナイフケースから己の天恵を引き抜くと、それは負数を帯びた青い水晶の刃ではなく、『順化』した赤い補整器のままだったのだから。

「あ……この花」

 ソニアがふと、なにかに気付いたかのようにぽつりと漏らす。
 言われて、イドラも気が付いた。
 懐かしい花。かつてシスター・オルファの庭にあり、ソニアの名前の由来にもなったらしい、その名称は——

「——サンダーソニア」

 レツェリが無感動に告げる。

「もっともその名は、現実世界から流れたものだがな。地底世界とは言ってみれば集合的無意識の世界だ。現実世界の人々が生む幻影……もしくは、記録の鏡像だよ」
「集合的無意識? 記録の鏡像?? 一体なんの話をしているんだ、お前は」
「我々のいた地底世界は湖面の月となんら変わらん。実体ありきの存在だ。『星の意志』の放つアンゴルモアが地表の人間をまるごと狩りつくせば、地底世界も泡沫のごとく消え去るのだろう。裏を返せば現在いまの窮状でも保たれているあたり、案外、方舟のほかにもコミュニティは存在するのかもしれんな」

 その目はこの場ではない、ほかのどこか遠くを見ているようだ。
 もはやレツェリの吐く言葉は完全にイドラの理解を超えていた。サンダーソニアの花畑で佇む仇敵がまとうその雰囲気は、以前よりも凄みを増し、『星の意志』から継いだ後光も相まって人ならざるモノの視座を思わせる。

「……イドラさん。もしかしてあの人は、『星の意志』から知識を得たんじゃないでしょうか」
「ああ、僕も同じことを考えていた。力を引き出せるなら、記憶……というか、それこそ記録みたいなものまで引き出せてもそう不思議はない」

 ふたりの認識は間違っていない。あの赤い眼球は今となっては、天恵としての機能とは別に、アカシックレコードにも少し似たデータベースを有していると言える。
 地球という星の始まりから、今日に至るまで。
 この地上での出来事のすべて、星の目が届くあらゆる事象が、そこには記録されている。
 もっとも膨大にして乱雑な情報の渦に索引など望むべくもなく、眼球から必要に応じて引き出す形を取る以上、レツェリ自身は万象を識るという域ではないだろうが。

「じゃあ、そんなの……レツェリさんの精神は元のまま保てるものなんでしょうか?」

 イドラは肯定も否定もできず、押し黙った。
 それはオフィス街で、『星の意志』の力を継承したレツェリと正対した時にも感じた疑問。
——今の状態のレツェリは、本当にレツェリなのか?
『星の意志』が持つ膨大なエネルギー、人智を超えた力によって、元々の人格や思想、意志などは消し飛んでしまったのではないか?
 そう、疑問を抱かずにはいられなかったが——

「しかし、不死殺しの貴様ならわかるだろう。仮想の地平だからこそ、イモータルは地底世界に存在できた」
「……ヤナギは、地底世界は実存を伴わないと言っていた。今ならその意味も少しは理解が及ぶ。数値で表せる場所だからこそ、数値観測でコピーギフトを抽出することもできる」
「そうだ。ギフトが持つ不壊の性質も、イモータルの不死と原理的にはそう変わるまい。この眼の記録によれば、諸行無常と言うらしいが——すべてのものは留まらない。それが、実存を伴う世界の絶対的なルールだった」

——やはり、と。
 イドラは先の可能性を切り捨てた。
 レツェリの言わんとすることに、いくらか理解が追い付いた。
 永遠は地底にこそ存在する。
 不死性は地底世界でのみ実現できる。ゆえにこそ、現実では不滅ならざるアンゴルモアと根源を同じくするイモータルが、地底で不死の怪物足りえるのだ。

「だからお前は……不死の存在しうる地底世界と、この世界を合わせるつもりなのか」
「理解してもらえたようでなにより。地底世界は現実への依存から脱却しつつ、現実世界は地底でのみ許容される永遠を受け容れる。そうして生まれるのが新世界だ」
「そんなことをして、両方の世界が無事で済むわけがない……! そこで生きる人々はどうなるって言うんだ!」
「そうだな、現実の地表も、仮想の地平も、おそらく現存する生命はほとんどが消し飛ぶだろう。二割も生き残れば上出来だなァ。世界同士が激突する衝撃だ、大規模な天体衝突となんら変わらん」
「まるで大量殺戮じゃないか! ふざけるなよレツェリ、お前がやろうとしているのはただの人殺しだ!」
「確かに私は人を殺す。だが断言しよう。この死こそが、すべての世界で起きる最後の悲劇だと」

 ふたつの世界、そこで生きる多くの人間を殺すことになろうとも、レツェリは止まらない。この男に迷いはない。
 ともすれば生まれ落ち、その思想を宿した瞬間ときより、レツェリという男が迷いを抱いたことなどただの一度もなかったのかもしれない。

「新世界を迎えたすべての命は、実存と仮想が重ね合わされた状態になる。すべての者がイモータルのように不死性を帯びるのだ! 劣化せず、朽ち果てない永遠の命——これこそが理想郷だ!!」
「お前は、やっぱり……ッ」

 熱弁する姿に、イドラは確信を強めるほかなかった。
——これは、レツェリだ。
 レツェリ以外の何者でもない。『星の意志』による人格・思想への影響など微塵もない。
 不死の野望は、地底にいた頃からなにも変わってはいない。

「理想郷——それは、違うと思います」
「……なに?」
「ソニア?」

 意を決するように、ソニアは一歩前へ出る。橙色の瞳がまっすぐにレツェリを見る。

「変わらないことが理想だなんて、わたしはちっとも思いません。ただ止まっているだけの生には、決定的に意義が欠けています」
「……それはイモータルの力を失った自分を慰めるための方便だ。無力なただの小娘が、私の理想を否定するな」

 レツェリはソニアに視線さえ寄こさず言う。その態度は、ソニアのことをまるで脅威と見なしていないかのようだった。

「なにが新世界だ。神にでもなったつもりか?」
「救う神なき世界だからこそ、ヒトはヒト自らの手によって救いの道を探さねばならない。イドラ、貴様はどうだ? 永遠の停滞、変化のない自己こそ、人間の完成形だとは思わないのか?」
「知るか。そんなの、考える価値もない」

 イドラは吐き捨て、レツェリをにらむ。
 ……長話は終わりだ。
 もとより相手は破綻者。尋常の精神から大きく隔絶した、異常の類。
 その信念に、なんらかのきっかけがあろうが、それともなかろうが、イドラには関係がない。
 一切の初めから、わかり合う余地など残されてはいないのだから。

「前にも言わなかったか? 僕はお前の思想に興味なんてない。ただその実現のために、お前がふたつの世界を、そこで生きる人々を脅かそうとするなら——」

 イドラはコンペンセイターをにぎるのとは逆の手で、腰のケースからシリンジを抜き取る。
 ヤナギに渡された薬剤。その、最後の一本だ。

「——その理想を補整する。どれだけ深遠な目的であっても、今を生きる人たちを踏みにじるようなものは間違ってる。そんなのは歪んだ願いだ」
「そうか。なら一足先に新世界のいしずえとなるがいい。その赤い天恵で、私の眼をどう攻略するつもりか知らんがな——」

 空気が重く張りつめていく。会話を打ち切る意図を汲み取り、レツェリもまた、戦闘を開始しようとする。
 穏やかな風が吹いて、サンダーソニアの花々を柔らかく揺らす。
 空にはきらめく星々。無機質な偽りの星が、最後の戦いを見下ろしている。

「——では、文明の行く末を決めようか」

 直後、イドラは悶絶するような刃物の痛みに襲われた。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

【完結】幼馴染にフラれて異世界ハーレム風呂で優しく癒されてますが、好感度アップに未練タラタラなのが役立ってるとは気付かず、世界を救いました。

三矢さくら
ファンタジー
【本編完結】⭐︎気分どん底スタート、あとはアガるだけの異世界純情ハーレム&バトルファンタジー⭐︎ 長年思い続けた幼馴染にフラれたショックで目の前が全部真っ白になったと思ったら、これ異世界召喚ですか!? しかも、フラれたばかりのダダ凹みなのに、まさかのハーレム展開。まったくそんな気分じゃないのに、それが『シキタリ』と言われては断りにくい。毎日混浴ですか。そうですか。赤面しますよ。 ただ、召喚されたお城は、落城寸前の風前の灯火。伝説の『マレビト』として召喚された俺、百海勇吾(18)は、城主代行を任されて、城に襲い掛かる謎のバケモノたちに立ち向かうことに。 といっても、発現するらしいチートは使えないし、お城に唯一いた呪術師の第4王女様は召喚の呪術の影響で、眠りっ放し。 とにかく、俺を取り囲んでる女子たちと、お城の皆さんの気持ちをまとめて闘うしかない! フラれたばかりで、そんな気分じゃないんだけどなぁ!

男女比がおかしい世界の貴族に転生してしまった件

美鈴
ファンタジー
転生したのは男性が少ない世界!?貴族に生まれたのはいいけど、どういう風に生きていこう…? 最新章の第五章も夕方18時に更新予定です! ☆の話は苦手な人は飛ばしても問題無い様に物語を紡いでおります。 ※ホットランキング1位、ファンタジーランキング3位ありがとうございます! ※カクヨム様にも投稿しております。内容が大幅に異なり改稿しております。 ※各種ランキング1位を頂いた事がある作品です!

魔道具は歌う~パーティ追放後に最高ランクになった俺を幼馴染は信じない。後で気づいてももう遅い、今まで支えてくれた人達がいるから~

喰寝丸太
ファンタジー
異世界転生者シナグルのスキルは傾聴。 音が良く聞こえるだけの取り柄のないものだった、 幼馴染と加入したパーティを追放され、魔道具に出会うまでは。 魔道具の秘密を解き明かしたシナグルは、魔道具職人と冒険者でSSSランクに登り詰めるのだった。 そして再び出会う幼馴染。 彼女は俺がSSSランクだとは信じなかった。 もういい。 密かにやってた支援も打ち切る。 俺以外にも魔道具職人はいるさ。 落ちぶれて行く追放したパーティ。 俺は客とほのぼのとした良い関係を築きながら、成長していくのだった。

天才天然天使様こと『三天美女』の汐崎真凜に勝手に婚姻届を出され、いつの間にか天使の旦那になったのだが...。【動画投稿】

田中又雄
恋愛
18の誕生日を迎えたその翌日のこと。 俺は分籍届を出すべく役所に来ていた...のだが。 「えっと...結論から申し上げますと...こちらの手続きは不要ですね」「...え?どういうことですか?」「昨日、婚姻届を出されているので親御様とは別の戸籍が作られていますので...」「...はい?」 そうやら俺は知らないうちに結婚していたようだった。 「あの...相手の人の名前は?」 「...汐崎真凛様...という方ですね」 その名前には心当たりがあった。 天才的な頭脳、マイペースで天然な性格、天使のような見た目から『三天美女』なんて呼ばれているうちの高校のアイドル的存在。 こうして俺は天使との-1日婚がスタートしたのだった。

ボクが追放されたら飢餓に陥るけど良いですか?

音爽(ネソウ)
ファンタジー
美味しい果実より食えない石ころが欲しいなんて、人間て変わってますね。 役に立たないから出ていけ? わかりました、緑の加護はゴッソリ持っていきます! さようなら! 5月4日、ファンタジー1位!HOTランキング1位獲得!!ありがとうございました!

バーンズ伯爵家の内政改革 ~10歳で目覚めた長男、前世知識で領地を最適化します

namisan
ファンタジー
バーンズ伯爵家の長男マイルズは、完璧な容姿と神童と噂される知性を持っていた。だが彼には、誰にも言えない秘密があった。――前世が日本の「医師」だったという記憶だ。 マイルズが10歳となった「洗礼式」の日。 その儀式の最中、領地で謎の疫病が発生したとの凶報が届く。 「呪いだ」「悪霊の仕業だ」と混乱する大人たち。 しかしマイルズだけは、元医師の知識から即座に「病」の正体と、放置すれば領地を崩壊させる「災害」であることを看破していた。 「父上、お待ちください。それは呪いではありませぬ。……対処法がわかります」 公衆衛生の確立を皮切りに、マイルズは領地に潜む様々な「病巣」――非効率な農業、停滞する経済、旧態依然としたインフラ――に気づいていく。 前世の知識を総動員し、10歳の少年が領地を豊かに変えていく。 これは、一人の転生貴族が挑む、本格・異世界領地改革(内政)ファンタジー。

処理中です...