ペンと羅針盤

ナムラケイ

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44:航平の思い

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 この1週間、あまり眠れていない。
 何も考えたくなくて早めに床につくのだが、目は冴えるばかりだ。
 重い頭を起こしてカーテンを開けると、夜が明けたばかりの街はまだ薄青いベールに包まれている。
 ローテーブルの上には、缶ビールが1本。
 酒を飲めば眠れるだろうかと買ってみるが、聴取を受けている北村のことを考えると、一口も喉を通らない。同じことを毎日繰り返している。
 航平は、ぬるくて気の抜けた液体をシンクに流す。
 不意に、ダーウィンのホテルで初めて二人でビールを飲んだ時のことを思い出した。まだ半年しか経っていないのに、ずいぶん昔のことのようだ。


 有馬のスクープは防衛省に激震をもたらしたが、職員たちは表面的には通常通り勤務をこなした。
 休憩所や廊下の隅では嘘か本当かよくわからない噂話が囁かれていたが、表立って騒ぎ立てるものはいない。
 大人で、社会人で、自衛官なのだ。
 どんな事件や不祥事が起こっても、敵国の軍事活動は待ってくれない。
 24時間365日、海上自衛隊の艦艇や航空機は日本の周辺海域で警戒監視活動を行い、近くは南シナ海から遠くはアデン湾まで派遣されて任務に従事している。
 現場の部隊を支えるため、皆が粛々と自らの仕事をこなした。


 護衛艦「とわ」の長期航海ミッションを終えた航平が現在担当しているのは、年明けに日本を寄港予定のフランス海軍艦隊の受け入れだ。
 航空母艦「シャルル・ド・ゴール」率いる艦隊は現在インド洋を航海中で、年末から南シナ海に入り、1月に横須賀港に入港予定だ。
 日本周辺海域では海上自衛隊や在日米軍との共同訓練が予定されており、入港後は、歓迎行事、艦上レセプション、報道公開、表敬・会談などの行事が目白押しだ。
「シャルル・ド・ゴール」の入港手続きの打ち合わせのため、航平は、広報課の武井久美子3佐と横須賀に来ていた。
 交流案件担当の航平、広報担当の武井のほか、横須賀地方総監部や自衛艦隊司令部の面々に、在京フランス大使館の駐在武官や通訳も同席している。

「いやー、担当者級の打ち合わせだと気張らなくて楽よね」
「確かに。基本的に前向きな行事しかないから、交渉も駆け引きも必要ないですし」

 丸一日かかった打ち合わせを終えると、今日は直帰だ。制服から私服に着替えて横須賀地方総監部の正門を出ると、武井は大きく伸びをして、航平を誘った。

「せっかくだし、どぶ板で飲んでいかない?」

 通称「どぶ板通り」と呼ばれる飲み屋街は米軍御用達で、安くて美味くて洒落た店が多い。

「すみません。今日は、そんな気分じゃなくて」

 航平の断りに、武井は苦笑した。

「今日も、でしょ」
「…はい」
「気持ちは分かるけど、付き合いなさいよ。私だって、北村は防大の可愛い後輩だったのよ。勿論、十波もね」
「可愛いって、武井3佐、俺らのことめちゃめちゃシバいてたじゃないですか」
「あら、そうだったかしら?」

 わざとらしくとぼける武井に、少しだけ笑うことができた。

「わかりました。ご一緒させてください」
「よろしい」


 英語と日本語が混じりあうざわついた店内で、乾杯はせずにビールを飲んで、仕事の話をした。
 先ほどの会議への所感と今後の課題について語り終えた後、武井は頃合いを見計らったように切り出した。

「十波。これから訊くことは、答えたくなかったら答えなくていいんだけど。あなた、有馬さんと仲良いわよね」
「え? いや、例の朝メシの番組の撮影以来ですけど」
「とぼけなくていい。いつだったか、二人が一緒に外歩いてるのを見かけたことがあるのよ」

 ぎくりとした。
 東京は広くて狭い。休日に出歩いていれば、知り合いに出くわすことだってある。
 外での振る舞いには気を遣っていたから友人同士にしか見えないはずだが、武井は聡い人だ。
 武井は航平の反応を観察するように目を細めた。

「自衛官も記者もただの人間なんだから、記者と友達になろうが付き合おうが別に構わないと思うわよ。お互いの仕事に支障が出なければ」

 そう前おいてから、武井はずばりと切り込んだ。

「あなたは、北村が情報漏洩をしていたことを知っていて、そのネタを有馬さんに流したの?」
「え? まさか、違います!」

 想定外の濡れぎぬに航平は思わず声を荒げた。

「俺がそんなことするわけないじゃないですか! もし知ってたら、こんなことになる前に止めていた。絶対に! あれは、有馬が記者として自分で暴いたんです」
「そう。だったら質問を変える。有馬さんは、スクープの中身を事前にあなたに話していた? それを、あなたは私たちに黙っていた?」

 武井の口調は固い。ブラウスにロングスカートという品のある服装なので、視線は尋問官のようにするどい。
 航平は答えずに質問を返した。

「武井3佐。今日は、それを聞くために誘ったんですね」
「そうよ。でも勘違いしないで。上司に命じられたとかじゃない。私が勝手に知りたいだけ。だから、最初に言ったように、答えたくないなら答えなくていい」

 北村は防大の可愛い後輩だったのよ。勿論、十波もね。
 その言葉は嘘じゃない。
 この人は鬼のように怖いし厳しいし横暴だけど、防大時代も今も、本当に困っている時は支えてくれる人だ。

 航平は残っていたビールを煽った。ジョッキを置き、濡れた口元を拭いた。

「答えますよ」
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