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43:有馬の思い
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帝都テレビのスクープを皮切りに、報道各社はこぞって海上自衛官の機密漏洩事件の特集を組んだ。
深追いは新聞社や週刊誌の方が十八番だ。中には、有馬が知らなかった事実まで暴き立てている記事もあった。
数日経っても報道の熱は治まらなかったが、1週間が経つと視聴者は飽きて感心が薄れる。
時を同じくして九州で無差別通り魔事件が発生したこともあり、ニュースはそちらを追いかけ始めた。数週間後には、世間は機密漏洩事件のことなど忘れてしまうだろう。
最初のスクープを報じた後、取材はほとんど有馬の手を離れた。
有馬は調べた限りの事実関係を一本の署名記事にし、帝都テレビのホームページに掲載してもらった。それで彼の仕事は終わりだった。
記者業に携わっていれば、出し抜いたり出し抜かれたりは日常茶飯事だ。
同じ記者クラブに所属していても、記者同士は友達ではない。同業者同士協力することもあるが、基本は競合他社だ。
久しぶりに顔を出した防衛記者クラブでは、スクープについて面と向かってもの申す者はいなかった。同級生の藤井だけが「お疲れ」と労ってくれた。
それだけだった。
防衛本省や各幕僚監部の広報課も、番記者のスクープや批判記事には慣れている。真っ当な取材による真っ当な記事だったので、文句をつけられる筋合いもない。
たとえ有馬が報じなくても、警務隊が動いていた以上、遅かれ早かれ世間の知るところになった事件だ。
懇意にしている海上幕僚監部広報室の武井3佐は、有馬の顔を見るなり睨んできたが、その表情はすぐに諦めに変わった。
「お互い仕事ですからね」
ぽつりと呟いて、有馬の返事を待たずに立ち去った。
その通りだ。
これは、仕事だ。
なのに、胸が痛い。
取材の発端は、1年半前に遡る。
当時、横須賀の潜水艦隊司令部に勤務していた3等海佐が自死する事件があった。
遺書はなく、両親も兄弟も健康で、職場の人間関係も問題なかった。借金もない。賭け事も薬もしない。
ただ、当時交際関係にあった女だけが姿を消していた。
警察は事件性はないと処理したが、有馬はその事件を追った。
記者の勘が働いたといっていい。
交際相手はメイと名乗る女。自殺した3佐は、彼女はタイ人だと周囲に話していたそうだ。
交友関係を探って、彼女の写真を入手した。3佐とメイがよく通っていたタイ料理店の店員は、しかし、メイのタイ語は不自然だったと語った。
「あのアクセントは、多分、中国人か韓国人ですよ」と。
取材を続けたが、その後、女の行方は掴めないままだった。
3佐の死について、潜水艦隊司令部も海上幕僚監部も固く口を閉ざし、何ひとつ情報は得られなかった。死人に口はない。
だから、あの日鎌倉で、航平の同期だという男が、その女と連れだっているのを見て心底驚いた。
自称、ジャスミンというタイ人。
同じことが繰り返されるかもしれないと、取材を続けた。
それがあのスクープに繋がった。
警察の情報筋によると、報道の直後にジャスミンは中国大使館に保護され、既に本国に帰国したそうだ。根本を断つことはできなかったが、北村は生きている。それが救いだった。
北村には非があった。ハニートラップに引っかかるなど、海上自衛官としての自覚が欠如していたと批難せざるを得ない。
しかし、それ以上に追求されるべきは中国政府の遣り口だ。
最後の記事ではその思いをぶつけたつもりだ。
これは仕事だ。だが、仕事の名目の下に、報道の自由の下に、社会正義の建前の下に、航平を傷つけた。
報道すれば、航平を傷つけると分かっていた。
でも止めることはできなかった。
有馬静加は記者なのだ。
取材中、航平にすべて話してしまいたい衝動に何度も駆られ、その度に思いとどまった。
有馬は、リビングのテーブルに置いたスマホをじっと見つめる。
今すぐに航平と話したい。自分の思いをすべてさらけ出して、詫びて縋って、関係を続けたいと言えば、航平は流されてくれるかもしれない。
けれど、そうやって無理矢理繋ぎ止めた関係の先に、幸せはないことを知っている。
航平は、悲しんでいるだろうか。怒っているだろうか。もう自分のことを見放しただろうか。
1週間が経ったが、彼からの電話はない。
「航平」
もう駄目かもしれないな。
そう思って愛しい人の名を口にした。そのとき、スマホに着信があった。
深追いは新聞社や週刊誌の方が十八番だ。中には、有馬が知らなかった事実まで暴き立てている記事もあった。
数日経っても報道の熱は治まらなかったが、1週間が経つと視聴者は飽きて感心が薄れる。
時を同じくして九州で無差別通り魔事件が発生したこともあり、ニュースはそちらを追いかけ始めた。数週間後には、世間は機密漏洩事件のことなど忘れてしまうだろう。
最初のスクープを報じた後、取材はほとんど有馬の手を離れた。
有馬は調べた限りの事実関係を一本の署名記事にし、帝都テレビのホームページに掲載してもらった。それで彼の仕事は終わりだった。
記者業に携わっていれば、出し抜いたり出し抜かれたりは日常茶飯事だ。
同じ記者クラブに所属していても、記者同士は友達ではない。同業者同士協力することもあるが、基本は競合他社だ。
久しぶりに顔を出した防衛記者クラブでは、スクープについて面と向かってもの申す者はいなかった。同級生の藤井だけが「お疲れ」と労ってくれた。
それだけだった。
防衛本省や各幕僚監部の広報課も、番記者のスクープや批判記事には慣れている。真っ当な取材による真っ当な記事だったので、文句をつけられる筋合いもない。
たとえ有馬が報じなくても、警務隊が動いていた以上、遅かれ早かれ世間の知るところになった事件だ。
懇意にしている海上幕僚監部広報室の武井3佐は、有馬の顔を見るなり睨んできたが、その表情はすぐに諦めに変わった。
「お互い仕事ですからね」
ぽつりと呟いて、有馬の返事を待たずに立ち去った。
その通りだ。
これは、仕事だ。
なのに、胸が痛い。
取材の発端は、1年半前に遡る。
当時、横須賀の潜水艦隊司令部に勤務していた3等海佐が自死する事件があった。
遺書はなく、両親も兄弟も健康で、職場の人間関係も問題なかった。借金もない。賭け事も薬もしない。
ただ、当時交際関係にあった女だけが姿を消していた。
警察は事件性はないと処理したが、有馬はその事件を追った。
記者の勘が働いたといっていい。
交際相手はメイと名乗る女。自殺した3佐は、彼女はタイ人だと周囲に話していたそうだ。
交友関係を探って、彼女の写真を入手した。3佐とメイがよく通っていたタイ料理店の店員は、しかし、メイのタイ語は不自然だったと語った。
「あのアクセントは、多分、中国人か韓国人ですよ」と。
取材を続けたが、その後、女の行方は掴めないままだった。
3佐の死について、潜水艦隊司令部も海上幕僚監部も固く口を閉ざし、何ひとつ情報は得られなかった。死人に口はない。
だから、あの日鎌倉で、航平の同期だという男が、その女と連れだっているのを見て心底驚いた。
自称、ジャスミンというタイ人。
同じことが繰り返されるかもしれないと、取材を続けた。
それがあのスクープに繋がった。
警察の情報筋によると、報道の直後にジャスミンは中国大使館に保護され、既に本国に帰国したそうだ。根本を断つことはできなかったが、北村は生きている。それが救いだった。
北村には非があった。ハニートラップに引っかかるなど、海上自衛官としての自覚が欠如していたと批難せざるを得ない。
しかし、それ以上に追求されるべきは中国政府の遣り口だ。
最後の記事ではその思いをぶつけたつもりだ。
これは仕事だ。だが、仕事の名目の下に、報道の自由の下に、社会正義の建前の下に、航平を傷つけた。
報道すれば、航平を傷つけると分かっていた。
でも止めることはできなかった。
有馬静加は記者なのだ。
取材中、航平にすべて話してしまいたい衝動に何度も駆られ、その度に思いとどまった。
有馬は、リビングのテーブルに置いたスマホをじっと見つめる。
今すぐに航平と話したい。自分の思いをすべてさらけ出して、詫びて縋って、関係を続けたいと言えば、航平は流されてくれるかもしれない。
けれど、そうやって無理矢理繋ぎ止めた関係の先に、幸せはないことを知っている。
航平は、悲しんでいるだろうか。怒っているだろうか。もう自分のことを見放しただろうか。
1週間が経ったが、彼からの電話はない。
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もう駄目かもしれないな。
そう思って愛しい人の名を口にした。そのとき、スマホに着信があった。
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