異世界配信中。幼馴染みに捨てられた俺に、神々(視聴者)がコメントしてくるんだが。

葉月

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幻影のミネルバ

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「さっきも言ったが、殺しは無しだぞ」

 低くつぶやくギルドマスターの声に、ミネルバは肩をすくめ、鼻で笑った。

「あんた、あたしをなんだと思ってるんだい」

 飄々と返す一言。
 だがその裏に、どこか誇りのようなものが透けて見えた。

 ミネルバは手首だけで軽やかに剣を回し、金属が空気を割く鋭い音が、演習場の静けさを一瞬震わせた。
 そして次の瞬間、彼女はゆっくりと腰を落とし、無駄のない姿勢へと移る。

 その構えは――獲物を屠る寸前の豹のようだった。
 瞳は深い闇を湛え、呼吸すら静かに沈んでいく。

 先ほどまでの“軽く遊んでいる”空気とはまるで違う。
 ミネルバの身体の輪郭から、目には見えない圧が立ちのぼっていた。
 ただ立っているだけなのに、皮膚がざらりと逆立つような、野生の気配。

 喉が鳴った。
 気づけば、俺は本能の命じるままに半歩、後ろへと退いていた。

 ――これが、本気の冒険者か。

 胸の奥で小さな恐れと、それをかき立てる興奮が入り混じり、熱を帯びて跳ねた。

 俺はひとつ長い息を吐き、胸の奥に渦巻くざわめきを静かに鎮めた。
 余計な思考を削ぎ落とし、頭の中をいっそ空白にする。

 ――考えて勝てる相手じゃない。

 戦闘経験など皆無の俺が、命を張ってきた本物の冒険者ミネルバに策で挑んだところで、意味などあるはずがない。
 いま俺がこうして剣を握り、彼女の前に立てているのはただひとつ――剣士スキルという、神々から与えられた奇跡のおかげだ。

 ならば、俺がするべきことは理屈をこね回すことじゃない。
 与えられた力を信じ、身体を任せることだ。
 受け入れろ、剣士スキルの導きを――そう言われている気がした。

 思考を手放すと、奇妙な静寂が胸に広がった。
 意識の底が澄み渡るように、身体が自然に動きはじめる。
 正眼に構えた剣の切っ先越しに、ミネルバがわずかに口元を緩めた。

「……!」

 その瞬間――ミネルバの輪郭が、揺らめいた。

 疲れで視界がにじんだのかと最初は思った。
 だが違う。ぼんやりと滲んだ像はやがて二つに分かれ、別々の方向へと輪郭を固めていく。

 まるで鏡に映った像が、ひとりでに鏡面を抜け出して歩きだしたかのようだった。

 視界が澄んだとき、そこには二人のミネルバが立っていた。
 同じ呼吸、同じ構え、同じ殺気。
 区別できない二つの影が、ぴたりと同じ角度でこちらを射抜いている。

「武技――│もう一人の自分《ドッペルゲンガー》」

 静かな声で、ミネルバ自身が名乗った。

 :ミネルバ武技持ちかよ!?
 :これはまずくない?
 :ロイドくんピンチじゃん
 :普通試験でここまでするか?
 :試されてるんじゃない?
 :死ななきゃいいけど……

 武技――その言葉に、脳裏にかつて耳にした知識が浮かぶ。

 この世界には、根源の力が二つ存在する。

 一つは│権能《オリジン》。
 女神が唯一無二と認めた者だけに与える、授けられた奇跡。
 才能そのものが力となる、選ばれた者の証。

 もう一つは《武技》。
 それは誰に祈って得られるものではない。
 積み重ねた時間、滲んだ汗、折れずに耐えてきた心――その全ての果てに自ら掴み取る、人間の極限の力。

 │権能《オリジン》が〈天から降る才能〉なら、
 武技とは〈地を踏みしめて辿り着く努力の結晶〉。

 どちらも強大だが、まるで異なる。
 そして今――俺の前で影のように二つへと増えたミネルバは、紛れもなく〈努力の果てにここへ至った“努力の天才”〉だった。

 先程までのそれとは質の違う殺気が、ふたつに分かれて押し寄せてくる。
 同じ空気を吸っているだけで、全身に荒れ狂う突風を浴びているかのようだ。ほんの一瞬でも意識の糸が緩めば、そのまま壁際まで吹き飛ばされる――そんな確信めいた危機感が背骨の奥に冷たく貼りつく。

「「あたしの│もう一人の自分《ドッペルゲンガー》を見ても、まだ剣を構えていられるなんてね。正直、大したもんだよ。……どうやら、あたしはあんたを侮っていたらしい」」

 二つの声が、ぴたりと重なり響く。
 どちらが本物か、もはや見分けなどつかない。
 それなのに、どちらにも同じ体温と呼吸があるように錯覚してしまう。

「「――だが、あんたが立っていられるのはここまでさ。これから“本当の戦い”ってやつを教えてやるよ」」

 宣告と同時に、二つの影が烈火のように弾けた。

 石畳を蹴る硬質な音が左右から交互に迫り、耳が追いつくより先に殺意だけがこちらへ叩き込まれる。
 速い。常識の枠から外れた速度――本来なら、目で追うことなど不可能だ。

 ……だが、見える。

 いや、“俺が見ている”のではない。
 剣士スキルが俺の思考を先回りして、二人の軌跡を読み取り、最適な動きを身体に教えていた。
 筋肉の収縮、足裏の角度、呼吸のリズム――すべてが俺の意志とは無関係に、達人めいた精度へと最適化されていく。

 圧倒されているはずなのに、意識だけは湖面のように静かだった。

「右から行くよっ!」

 風を裂く音。
 右側のミネルバが、肩口へ鋭い斬撃を放つ。

 反射ではない。
 身体が勝手に沈み、迫る刃が額のすぐ上を掠めていく。
 切れた髪が、光の粒のように宙へ散った。

「次だよっ!」

 左から続撃。
 石畳を踏み込む衝撃が胸に響く。

 避けられない――と思った刹那、
 腕がひとりでに浮かび、剣の平で斬撃の角度を“逸らす”。

 耳奥が震えるような金属音。
 散る火花が視界の端を白く染める。

「……っ!」

 息が漏れ、手首が痺れた。
 二人分の重みと切れ味。受け流すだけで骨が軋む。

「「――ちっ」」

 二人のミネルバが同じ速度で退き、同じ角度でこちらを見据える。
 双つの瞳は不気味なほどにそっくりで、しかし底に宿す熱はほんのわずかに違う。

「「……たいしたもんだよ。 だが、そんな芸当が何度も通じると思うんじゃないよ」」

 賞賛とも脅しともつかぬ声が、重く胸に落ちる。
 息を整える間すら与えられないまま、二人は再び地を蹴る。

 次は――先ほどの比ではない。
 空気そのものが裂けた。乾いた音が耳朶を打ち、直後、右のミネルバが地を蹴った。
 低く、刺すような軌道で袈裟に振り上げる。

 同時に、左のミネルバが天から裁きを下すかのように鋭く斬り下ろした。

 上下からの挟撃。
 もはや猶予など存在しない。どちらかを捌き、どちらかを受ける――その二択だけが冷酷に迫る。

 だが、剣士スキルは迷わず答えを示した。
 呼吸すら要らぬほど自然に、脳裏へと最適解が浮かぶ。

 上だ――。

 俺は左からの斬撃へ剣を合わせ、鋼が擦れる甲高い音とともに弾き返す。
 同時に腰をひねり、右から迫る刃を足さばきで外へ誘導した。

 石畳をかすめる靴音が、まるで舞踏の一節のように軽やかに響く。

 そして――二人のミネルバが、揃って困惑した顔を浮かべた。

「……くっ」

 その一瞬。
 わずかな緩み。
 その隙を、俺の身体は――いや、剣士としての本能は逃さない。

 剣先が右側のミネルバへ向かう。
 勘でもなければ虚勢でもない。
 剣士スキルが、彼女の身体に走るわずかな“呼吸の乱れ”を捉えていた。

 本物は――こっちだ。

「なっ――!?」

 右のミネルバの瞳が揺れた。
 対して左は、まるで彫像めいた無表情。

 その刹那――影が滑り込むように前へ出る。
 石畳を蹴る音が、鋭い刃のように空気を裂いた。

「――させないよ!」

 影が本体を守るように、俺の剣へ自ら身体をねじ込んできた。

 速い――!

 金属がぶつかり合い、白い火花が散る。
 衝撃が腕を突き抜け、指先が震えた。

 影のミネルバが笑う。

「「あんたとあたしじゃ、積んできた年季が違うのさ!」」

 二人の動きが重なる。
 刃の軌道が螺旋を描くように変化し、容赦ない連撃を紡ぎ出す。

 連撃。
 連撃。
 さらに連撃――。

 :剣が何重にも見える!?
 :もはや漫画だろ、これ!?
 :ロイドの奴もなんで捌けるんだよ!
 :剣士スキルってこんなに凄かったっけ?
 :まだ初期スキルだからこれは異常
 :剣士スキルはその人の本来の性質に大きく関わってくる
 :ロイドに剣士としての才能があるってこと?
 :たぶんな

 まるで刃の雨の只中へ投げ込まれたかのようだった。

 剣士スキルがなければ、とうに俺の身体は無残な肉に変わっていただろう。
 だが――

 それでも、まだ負けていない。
 まだ、立っていられる。

 息は荒れ、腕は痺れ、足は震え、全身が悲鳴を上げている。
 それでも倒れないのは、意地なのか、スキルの御蔭なのか――自分でもわからない。

「!?」

 二人のミネルバが、ふいに構えを変えた。

 直感が告げる。
 今までとは何かが違う。
 “これで終わらせる”。
 その決意が、圧となって肌に刺さる。

 石畳に落ちる二つの影が――重なった。

「「――武技、│三つ爪の狩人《ケルベロス》」」

 空気が凍りついた。
 二撃ではない。
 三人のミネルバ――三つの刃が同時に迫る。

 避けられない。
 受けきれない。
 捌ける保証もない。

 なら――賭けるしかない。

 俺は剣を握りしめ、虚空を睨んだ。
 逃げれば死ぬ。
 なら、前へ踏み込むしかない。

「来い――!」

 石畳を砕くほどの踏み込みとともに、三つの影が、中心で激突した。

 金属が打ち鳴らされる――そんな生易しい音ではなかった。

 :これ、ヤバくね?
 :死ぬのでは?
 :殺しなしじゃねぇの!?
 :ギルドマスター止めろ!


 鋼と鋼とが憎しみのようにぶつかり合い、爆ぜる衝撃が演習場を揺らした。
 空気が震え、鼓膜が悲鳴を上げる。

 視界が揺れた。
 腕に奔る衝撃で、握力が一瞬、霧散しそうになる。
 それでも必死に剣を離すまいと踏みとどまるが、足は石畳を滑り、横へ弾き飛ばされた。

 転がりながら、横目にミネルバを追う。
 彼女もまた激しく弾き飛ばされ、石畳に擦れて浅く転がり、そのまま息を呑んだように動きを止めた。

 遅れて、影のミネルバが霧散する。
 煙のように形を崩し、音もなく消えていった。

「……はっ、は……!」

 荒い息。
 胸が張り裂けそうに脈打ち、視界の端が白く滲む。
 生きているだけで奇跡に思えた。

 :焦った……
 :死んだかと思ったわ
 :ミネルバさんやり過ぎで草

 ミネルバも同じ状態だった。
 肩で息をしながら乱れた髪をかき上げ、こちらを見て、苦笑いを浮かべる。

「……やるじゃないか。まさか、あそこで踏み込んでくるとはね……」

 返事をする余裕はない。
 膝に手をつき、ようやく立ち上がろうとしたその瞬間――。

 乾いた破裂音が、演習場を切り裂いた。

「――そこまでだァッ!!」

 ギルドマスターの怒号だった。
 雷鳴のごとき声が大気を震わせ、砂埃すら跳ねるほどだ。

 気づけば、すでに彼は俺とミネルバの間へ割って入っていた。
 腕を広げ、まるで押し返す壁のように立っている。

 :遅っ!?
 :さすがに止めるの遅すぎでは?
 :とりあえず一安心だな
 :心臓に悪いわ
 :それな

 まったく気配を感じなかった。
 彼が異常に速いのか、俺たちが戦いに没頭しすぎていたのか――おそらく両方だ。

「ミネルバァ! てめぇなにぶっ放してやがんだ!!」

 怒号が場を震わせる。
 ミネルバは肩をすくめ、悪戯を見つかった子どものように鼻をくいっと擦った。

「だってさ、あんた“殺し無し”って言っただけで……全力を出すなとは言ってないだろ?」
 「言わなきゃ分かんねぇのか、てめぇは!!」

 怒声とともに演習場に沈黙が落ちる。
 俺はまだ立ちきれず、膝をついたまま必死に呼吸を整えていた。

 ギルドマスターがこちらを見て、深々とため息をついた。

「……よく生き残ったな。正直、止めに入るタイミングを完全に見失ってたわ」

 そう言って、手を差し伸べてくる。
 その掌は無骨で、大地のように温かかった。

 俺はその手を掴み、身体を引き上げた。

 すかさずミネルバが口を開く。

「――で、ベルガ。こいつの試験結果はどうなんだい?」

 ギルドマスター――ベルガは大げさに鼻を鳴らした。

「幻影のミネルバと互角に渡り合った奴を落とす理由がどこにある。……ロイド、よくやった。お前の冒険者登録を認める」

 :よっしゃぁああああ!
 :これで配信者としても及第点だな
 :今晩はミネルバちゃんに怪我の責任取ってもらえ
 :それあり!
 :エロ配信希望
 :ミネルバより受付のお姉さんがいい!
 :じゃあ当面の目標はその二人の攻略?
 :エロゲみたいでいいじゃん!

 横目にチャット欄を確認すると、神々が何やら騒がしかった。

「――だってさ。ほら、おめでとう」

 ミネルバが楽しげに肩を回しながら笑う。

「あんた、なかなかのもんだよ」

 その笑顔は、つい先ほどまで刃を交えていた戦士のそれではない。
 純粋に勝負を楽しむ者――そんな無邪気さがあった。

 俺はまだ息が整わないまま、ようやく声を絞り出す。

「……あ、ありがとう……」

 ミネルバは胸を張って言う。

「次はぶっ飛ばすからね。覚悟しておきな」

 その場に座り込む俺へ、ベルガが頭をかきながら怒鳴る。

「治癒師呼んでくるから動くな! 勝手に帰ったら承知しねぇぞ!! ――お前らも見世物は終わりだ! さっさと解散しろ!!」

 あまりの必死さに、思わず笑いが漏れた。

 ――こうして、俺は憧れの冒険者になった。
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